AAR/RECONQUISTA DE PORTUGAL/アラゴン十字軍
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[[AAR/RECONQUISTA DE PORTUGAL]]
***アラゴン十字軍 [#l9fcd9fe]
エステヴァン2世の崩御により、王太子セビーリャ公ジョアン...
彼は任国であるセビーリャに加えポルトカーレ、ベージャ、ア...
国王領を継承し、そのすべてを円滑に統治することは困難であ...
そのため、ジョアン2世は彼の領地の一部を臣下に分与する。
その結果、長男のエステヴァンにアストゥリアス公領を、
次男のエルミジオにはセビーリャ公領を与えた。
エルミジオは成人前であったため、セビーリャ地方のうち
中心地であるセビーリャとアラセナのみが領地として与えられ、
他のニエブラ、カディス、アルヘラシスといった伯領は
レオン伯アレシャンドレの息子たちにそれぞれ与えられた。
また、ジョアン2世は改宗したメルトラ首長から爵位と領地を...
ベージャ地方全域を王の直轄領とした。
統治50年に及んだエステヴァン2世の死を好機とみたムスリ...
新王即位に際してポルトガル王国への侵攻を試みた。
アッバード朝およびズンヌーン朝のアミールはまたも連合して
ポルトガル王国と敵対したが、これは逆にポルトガル王国の結...
戦いにおいて新王旗下のポルトガル軍はムスリム軍を華々しく...
ズンヌーン朝アミール、アブドゥル・アズィズを捕縛するとい...
しかしアッバード朝アミールは戦いの継続を選択。
戦争は長期化する。
&ref(http://art61.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/14240...
1207年、ローマ教皇ホノリウス2世はムスリムの支配下に...
全欧州のキリスト教徒諸侯はこれに応え、アラゴンへ大軍を送...
アッバード朝およびズンヌーン朝の軍とアンダルシアで戦いを...
ポルトガル王はこの戦いに参陣することができず、
ジョアン2世は大いに悔しがったという。
イベリアにおけるレコンキスタの指導者でありながら、
アラゴンへの十字軍に参加しなかったジョアン2世を人々は以...
&ref(http://art35.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/14240...
十字軍の宣言より遅れること3年、ポルトガルはアルメリアお...
アッバード朝はついに力尽き、ポルトガル王に多大な賠償金を...
ジョアン2世は戦いの終結に伴い急いでアラゴン十字軍への参...
そのわずか1か月後にはアラゴンのムスリム勢力は壊滅して十...
ジョアン2世の十字軍参加はついに叶わなかった。
アラゴンは70年ぶりにキリスト教王国として再興し、その王...
1210年、ここにスコットランド=アラゴン連合王国が成立...
&ref(http://art51.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/14240...
&ref(http://art50.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/14240...
&size(12){ポルトガル王国の版図およびイベリア半島の情勢 ―1...
十字軍参加の名誉に服することができなかったジョアン2世は
その苛立ちをぶつけるが如くナバラ王国に戦いを仕掛ける。
トレドの東方、クエンカを奪取し、トレド地方の確実なものに...
ナバラ女王ベアトリスは抵抗するも最早ナバラとポルトガルと...
1213年クエンカはポルトガル王国に割譲された。
クエンカはサラマンカ伯ドゥアルテの息子エステヴァンに与え...
さらに王弟トレド伯ゴメスがトレド公位を得てトレド公ゴメス...
ジョアン2世は娘シャモアをフランス王太子ドゥマンジュに嫁...
フランスとの同盟関係を構築した。レコンキスタにおいてフラ...
より有利な状況を作りだすことがその目的であったが、
この同盟により逆にフランスとイングランドとの間の戦争に協...
ポルトガル軍は建国以来初めてイベリアから離れ海路ノルマン...
この戦いは終始フランス王に有利な状況が続き、フランスがイ...
&ref(http://art1.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/142400...
1219年、ジョアン2世は59歳で死んだ。
エステヴァン2世の華々しい治世と比べると地味な事績のみを...
彼の治世下においてアストゥリアスはポルトガル王国の正式な...
また王国の各地方においてポルトガル文化が普及するなど決し...
王位は長男でアストゥリアス公エステヴァンが継承した。
&ref(http://art1.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/142400...
新王となったアストゥリアス公エステヴァン改めポルトガル王...
まず王弟セビーリャ公エルミジオの反乱で幕を開いた。
この反乱に同調して大諸侯であるバダホス公フェルナンド、ト...
即位間もないエステヴァン3世にとっての最初の試練となった。
この反乱により国内情勢は悪化、1220年には王都リスボン...
市民の反乱が起こるなど王国は混乱の極みに至った。
しかしモロン平野の戦いにおいてセビーリャ公を捕縛し国王継...
叔父トレド公を謀反人として逮捕、投獄に成功。
トレド公はその後間もなく獄死して息子のゴメスがゴメス2世...
残るバダホス公もズンヌーン朝から領内への侵攻を受けて圧力...
国王の下に跪いて和を乞うた。こうして新王即位に伴う諸侯の...
&ref(http://art10.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/14240...
明くる1221年、ガリシア王国最後の拠点であるビスカヤが...
ここにレオン・カスティーリャ・ガリシアの三王冠を擁したヒ...
遂に滅亡した。これにより、少なくとも名目上はレオン、カス...
適用されるとして、緩い統制下にあった各領邦においてもポル...
そのため、ポルトガル王国全土において諸侯間の私闘が禁止さ...
またこれはポルトガル王の直轄領以外においても王権が相対的...
エステヴァン3世はこれを受けてナバラ王国への侵攻を開始。
アルカンタラ伯の息子マノエルを正当なるナバラ公であるとして
ナバラ女王ベアトリスに対して宣戦を布告した。
小国ナバラに手こずることもなく、戦いは短期に終わると思わ...
&ref(http://art64.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/14240...
しかし、ポルトガル軍のほとんどがナバラとの国境地帯に終結...
トレド公ゴメス2世が王位を狙って軍事行動を起こしたのだ。
突如背後に脅威が出現し、色めき立つポルトガル軍。しかしエ...
引き続き本隊をナバラに留まらせ、包囲戦を続行。
トレド公の軍には新たに雇った傭兵をぶつけ、国内を荒らすの...
また、例によってポルトガルの反乱にはズンヌーン朝のアミー...
エステヴァン3世はこの介入をも利用することを思いつく。
すなわち、ズンヌーン朝の軍がトレド公を攻撃し、ある程度双...
両者を打ち破り、実は全てエステヴァン3世が得る…
&ref(http://art59.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/14240...
結局戦いはエステヴァン3世の思惑どおりとなった。ズンヌー...
包囲、陥落させたトレドの城は、ナバラから舞い戻ったエステ...
さらに王は消耗したズンヌーン朝の軍に襲い掛かって、さんざ...
城を奪われたトレド公もまた方策尽きて降伏し、反乱は鎮圧さ...
エステヴァン3世はただちに軍をまたも北に向かわせ、ナバラ...
1224年、ナバラとの戦争がいまだ続けられる中、アラゴン...
アラゴン公アーチボルトがアラゴン王にしてスコットランド王...
独立を宣言した。エステヴァン3世はこのスコットランド系の...
アラゴン公国を独立国として仕立てることで、ポルトガル王国と
スコットランド=アラゴン連合王国との間の緩衝地帯とする算...
折しもスコットランド本国においても貴族の反乱が起きており、
遠方のアラゴン地方にまでスコットランド軍が大軍を送ること...
ポルトガル王国の支援を得たことでアラゴン公国の独立はほぼ...
&ref(http://art5.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/142400...
1225年、ナバラ女王ベアトリスはポルトガル王族マノエル...
マノエルはナバラ公となり、ナバラ、ナヘラ、ビスカヤの領地...
これによりナバラ王国は本来の領地であるナバラから追い出さ...
翌1226年にはカスティーリャ公フェルナンドによりトレド...
ガリシア地方にのみ領地を残して存続することとなる。
&ref(http://art26.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/14240...
&size(12){ナバラ公マノエル・アイレセス・デ・ポルト};
1230年にはスコットランド女王がアラゴン公国の独立を認...
また、北アフリカでは神聖ローマ皇帝が遠征を行い地中海沿岸...
西地中海におけるキリスト教国とムスリム勢力の勢力差がほぼ...
レコンキスタの達成もそう遠くはないことであろうと誰しもが...
&ref(http://art28.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/14240...
&size(12){ポルトガル王国の版図および西地中海地域の情勢 ―1...
続く
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[[AAR/RECONQUISTA DE PORTUGAL]]
***アラゴン十字軍 [#l9fcd9fe]
エステヴァン2世の崩御により、王太子セビーリャ公ジョアン...
彼は任国であるセビーリャに加えポルトカーレ、ベージャ、ア...
国王領を継承し、そのすべてを円滑に統治することは困難であ...
そのため、ジョアン2世は彼の領地の一部を臣下に分与する。
その結果、長男のエステヴァンにアストゥリアス公領を、
次男のエルミジオにはセビーリャ公領を与えた。
エルミジオは成人前であったため、セビーリャ地方のうち
中心地であるセビーリャとアラセナのみが領地として与えられ、
他のニエブラ、カディス、アルヘラシスといった伯領は
レオン伯アレシャンドレの息子たちにそれぞれ与えられた。
また、ジョアン2世は改宗したメルトラ首長から爵位と領地を...
ベージャ地方全域を王の直轄領とした。
統治50年に及んだエステヴァン2世の死を好機とみたムスリ...
新王即位に際してポルトガル王国への侵攻を試みた。
アッバード朝およびズンヌーン朝のアミールはまたも連合して
ポルトガル王国と敵対したが、これは逆にポルトガル王国の結...
戦いにおいて新王旗下のポルトガル軍はムスリム軍を華々しく...
ズンヌーン朝アミール、アブドゥル・アズィズを捕縛するとい...
しかしアッバード朝アミールは戦いの継続を選択。
戦争は長期化する。
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1207年、ローマ教皇ホノリウス2世はムスリムの支配下に...
全欧州のキリスト教徒諸侯はこれに応え、アラゴンへ大軍を送...
アッバード朝およびズンヌーン朝の軍とアンダルシアで戦いを...
ポルトガル王はこの戦いに参陣することができず、
ジョアン2世は大いに悔しがったという。
イベリアにおけるレコンキスタの指導者でありながら、
アラゴンへの十字軍に参加しなかったジョアン2世を人々は以...
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十字軍の宣言より遅れること3年、ポルトガルはアルメリアお...
アッバード朝はついに力尽き、ポルトガル王に多大な賠償金を...
ジョアン2世は戦いの終結に伴い急いでアラゴン十字軍への参...
そのわずか1か月後にはアラゴンのムスリム勢力は壊滅して十...
ジョアン2世の十字軍参加はついに叶わなかった。
アラゴンは70年ぶりにキリスト教王国として再興し、その王...
1210年、ここにスコットランド=アラゴン連合王国が成立...
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十字軍参加の名誉に服することができなかったジョアン2世は
その苛立ちをぶつけるが如くナバラ王国に戦いを仕掛ける。
トレドの東方、クエンカを奪取し、トレド地方の確実なものに...
ナバラ女王ベアトリスは抵抗するも最早ナバラとポルトガルと...
1213年クエンカはポルトガル王国に割譲された。
クエンカはサラマンカ伯ドゥアルテの息子エステヴァンに与え...
さらに王弟トレド伯ゴメスがトレド公位を得てトレド公ゴメス...
ジョアン2世は娘シャモアをフランス王太子ドゥマンジュに嫁...
フランスとの同盟関係を構築した。レコンキスタにおいてフラ...
より有利な状況を作りだすことがその目的であったが、
この同盟により逆にフランスとイングランドとの間の戦争に協...
ポルトガル軍は建国以来初めてイベリアから離れ海路ノルマン...
この戦いは終始フランス王に有利な状況が続き、フランスがイ...
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1219年、ジョアン2世は59歳で死んだ。
エステヴァン2世の華々しい治世と比べると地味な事績のみを...
彼の治世下においてアストゥリアスはポルトガル王国の正式な...
また王国の各地方においてポルトガル文化が普及するなど決し...
王位は長男でアストゥリアス公エステヴァンが継承した。
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新王となったアストゥリアス公エステヴァン改めポルトガル王...
まず王弟セビーリャ公エルミジオの反乱で幕を開いた。
この反乱に同調して大諸侯であるバダホス公フェルナンド、ト...
即位間もないエステヴァン3世にとっての最初の試練となった。
この反乱により国内情勢は悪化、1220年には王都リスボン...
市民の反乱が起こるなど王国は混乱の極みに至った。
しかしモロン平野の戦いにおいてセビーリャ公を捕縛し国王継...
叔父トレド公を謀反人として逮捕、投獄に成功。
トレド公はその後間もなく獄死して息子のゴメスがゴメス2世...
残るバダホス公もズンヌーン朝から領内への侵攻を受けて圧力...
国王の下に跪いて和を乞うた。こうして新王即位に伴う諸侯の...
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明くる1221年、ガリシア王国最後の拠点であるビスカヤが...
ここにレオン・カスティーリャ・ガリシアの三王冠を擁したヒ...
遂に滅亡した。これにより、少なくとも名目上はレオン、カス...
適用されるとして、緩い統制下にあった各領邦においてもポル...
そのため、ポルトガル王国全土において諸侯間の私闘が禁止さ...
またこれはポルトガル王の直轄領以外においても王権が相対的...
エステヴァン3世はこれを受けてナバラ王国への侵攻を開始。
アルカンタラ伯の息子マノエルを正当なるナバラ公であるとして
ナバラ女王ベアトリスに対して宣戦を布告した。
小国ナバラに手こずることもなく、戦いは短期に終わると思わ...
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しかし、ポルトガル軍のほとんどがナバラとの国境地帯に終結...
トレド公ゴメス2世が王位を狙って軍事行動を起こしたのだ。
突如背後に脅威が出現し、色めき立つポルトガル軍。しかしエ...
引き続き本隊をナバラに留まらせ、包囲戦を続行。
トレド公の軍には新たに雇った傭兵をぶつけ、国内を荒らすの...
また、例によってポルトガルの反乱にはズンヌーン朝のアミー...
エステヴァン3世はこの介入をも利用することを思いつく。
すなわち、ズンヌーン朝の軍がトレド公を攻撃し、ある程度双...
両者を打ち破り、実は全てエステヴァン3世が得る…
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結局戦いはエステヴァン3世の思惑どおりとなった。ズンヌー...
包囲、陥落させたトレドの城は、ナバラから舞い戻ったエステ...
さらに王は消耗したズンヌーン朝の軍に襲い掛かって、さんざ...
城を奪われたトレド公もまた方策尽きて降伏し、反乱は鎮圧さ...
エステヴァン3世はただちに軍をまたも北に向かわせ、ナバラ...
1224年、ナバラとの戦争がいまだ続けられる中、アラゴン...
アラゴン公アーチボルトがアラゴン王にしてスコットランド王...
独立を宣言した。エステヴァン3世はこのスコットランド系の...
アラゴン公国を独立国として仕立てることで、ポルトガル王国と
スコットランド=アラゴン連合王国との間の緩衝地帯とする算...
折しもスコットランド本国においても貴族の反乱が起きており、
遠方のアラゴン地方にまでスコットランド軍が大軍を送ること...
ポルトガル王国の支援を得たことでアラゴン公国の独立はほぼ...
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1225年、ナバラ女王ベアトリスはポルトガル王族マノエル...
マノエルはナバラ公となり、ナバラ、ナヘラ、ビスカヤの領地...
これによりナバラ王国は本来の領地であるナバラから追い出さ...
翌1226年にはカスティーリャ公フェルナンドによりトレド...
ガリシア地方にのみ領地を残して存続することとなる。
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&size(12){ナバラ公マノエル・アイレセス・デ・ポルト};
1230年にはスコットランド女王がアラゴン公国の独立を認...
また、北アフリカでは神聖ローマ皇帝が遠征を行い地中海沿岸...
西地中海におけるキリスト教国とムスリム勢力の勢力差がほぼ...
レコンキスタの達成もそう遠くはないことであろうと誰しもが...
&ref(http://art28.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/14240...
&size(12){ポルトガル王国の版図および西地中海地域の情勢 ―1...
続く
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