AAR/異端の国——オクシタニア——/第一章 レーモン四世
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[[AAR/異端の国——オクシタニア——]]
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#ref(完徳者.jpg,nolink)
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'''帰依者 (膝を折りつつ)「祝福を」'''
'''完徳者「神が汝を祝福してくださるように」'''
'''(この応答を三度繰り返す)'''
'''帰依者 「哀れな罪人たる私に代わって、神にお祈り下さい...
'''完徳者 「汝を良きキリスト者になさり、汝を良き死に導い...
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'''帰依者(カタリ派の一般信徒)と完徳者(司祭に当たる出家者...
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**第一節 前史 [#sa157e07]
#ref(Raymond_IV_of_Toulouse.jpg,nolink)
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#ref(sagrajas.gif,nolink,right,around)
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伯位を受け継ぐまでのレーモン四世の事跡は、イベリア半島で...
1086年のサグラハスの戦いにて大敗したカスティリアを助ける...
ここで高い指揮能力と、その深い信仰とで人望を集めた彼はカ...
#ref(エルビラ.jpg,nolink,60%)
左:カスティリア王女エルビラ。宮廷にてサロンを形成し、ト...
右:サグラハスの戦い。ムラービト朝他の連合軍がカスティリ...
だが、このレコンキスタでの戦闘こそが彼に聖職者の語る信仰...
ムスリムの戦士としての高い能力、敬虔さ、建築物等の高度な...
振り返って見た自らの背の、醜く肥え太ったキリスト教聖職者...
最たるものとしては、信徒の長たる教皇本人までもが祈りを置...
高圧的に奉仕を求め、それを断ると事もあろうに破門で脅しを...
その彼の元に、近年東方から伝来し、その清貧な生活態度で信...
自らを「良きキリスト者」と名乗る者たちが現れた時、それに...
#ref(catharcentres.gif,nolink)
カタリ派の伝播の様子。マニ教に影響を受けて、小パウロ派(...
ボゴミル派(LES BOGOMILES)といった各地の他の異端に影響さ...
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**第二節 統治 [#x09a907c]
#ref(Toulouse-450x420.jpg,nolink)
中世のトゥールーズの風景画。多くの建築物が立ち並んでいる。
また画中左側に描かれている河川を利用した交通も盛んであっ...
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1094年、聖地巡礼の旅の中途で兄ギヨーム四世が世を去り、
トゥールーズ伯位は弟にレーモン四世として受け継がれた。
学識に優れ、軍才も豊かな君主を得て、((Scholar(Learning+2)...
また、当代のトゥールーズ司教ラオルフが宗教的熱意に欠ける...
蓄財に精を出すことの他何らの関心もなかったことが幸いし、
レーモン四世に庇護された「良きキリスト者」ことカタリ派は...
#ref(トゥールーズの改宗.jpg,nolink,80%)
トゥールーズの改宗。この時代のカタリ派の繁栄は、
都市で普通に生活しているならば全く関わりなく生きることは...
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**第三節 国政 [#x8888700]
#ref(england_france_henry_i.jpg,nolink)
ヘンリー一世(在位:1100年 - 1135年)治下のイングランドと...
画中右下の黄色がトゥールーズ伯領
#ref(元帥杖.jpg,nolink,wrap,right,around,50%,元帥杖。フラ...
ノルマンディーを領するイングランド王と常に対峙しているフ...
トゥールーズ伯家の忠誠を求めていた。そのため懐柔すべく種...
交渉の末、レーモン四世はフランス王国大元帥に就任し、国政...
だが、強大な勢力は猜疑心と嫉妬とを招き、敵を増やさずには...
国政に参与するようになって少し経った頃、レーモン四世はパ...
待遇こそ王国最高位の貴族に相応しく丁重なものではあったが...
已むを得ず、トゥールーズの統治は嫡子ベルトランに委ね、レ...
#ref(まともな個室.jpg,nolink)
塔の個室に軟禁される
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**第四節 レコンキスタ [#jb3b8cd6]
#ref(バルセロナ.jpg,nolink)
ムスリムに蹂躙されたバルセロナ
1105年、イベリア半島にてタイファ諸国が北征を開始。
キリスト教徒連合軍はウクレスの地にて敗北し、バルセロナ伯...
カスティリア王、アラゴン王は辛うじて戦場から逃げ帰ったも...
軍の再建は容易ではなく、自領を守るだけで手一杯であった。
その間、主を失ったバルセロナ伯領は無人の野を行くがごとき...
海港都市バルセロナはキリスト教徒の手から失われた。
#ref(蚕食.jpg,nolink,right,around,wrap,ムスリムは各所を略...
そして、その影響は隣接するオクシタニアにも当然及んだ。ピ...
トゥールーズ伯領、アキテーヌ公領にもしばしばムスリムが蚕...
これに対抗して、亡命カタルーニャ貴族やレーモン四世を始め...
フランス王フィリップ一世の名の元にカタルーニャを再征服す...
総司令官は、軟禁を解かれ、再び大元帥の位を得たレーモン四...
#ref(385.jpg,nolink,60%)
十字軍の指導者達と語らうレーモン四世(恐らく右から二番目)
**第五節 十字軍[#va708143]
#ref(比較.jpg,nolink)
一般的な歩兵の装備の違い。重装備の十字軍士に比べムスリム...
巧みにある時は逃げ、ある時は押し、兵力劣勢ながらも十字軍...
カタルーニャへ進軍した十字軍は敵方よりも優勢な兵力を保持...
軽装のムスリム兵を追撃するのは難しく、敵に致命的な打撃を...
未明に矢で起こされて、反撃する頃には敵は逃げ去っている。...
そんな日々が続く内に、自身に利害が絡むでもなく、別段信仰...
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1107年盛夏のある日。その日の朝も、もう幾度繰り返されたか...
その日、レーモン四世は前線に出て指揮を行うことになってい...
前日の夕刻から、''たまたま''ベリー公自身を含めて、日射病...
''偶然にも''、最初の矢合わせで伝令が流れ矢で――敵の矢は殆...
数で不利と見れば矢を数合射かけて引くのが常のムスリムが、'...
#br
#ref(300px-Battle_of_Guadalete.jpg,nolink,right,around)
#ref(戦死.jpg,nolink)
かくして推進者を失った十字軍は霧散し、カタルーニャは完全...
それから然程の時を置かずしてアラゴンも滅び、イベリア半島...
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[[第二章へ>AAR/異端の国——オクシタニア——/第二章 ベルトラン...
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[[AAR/異端の国——オクシタニア——]]
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'''帰依者 (膝を折りつつ)「祝福を」'''
'''完徳者「神が汝を祝福してくださるように」'''
'''(この応答を三度繰り返す)'''
'''帰依者 「哀れな罪人たる私に代わって、神にお祈り下さい...
'''完徳者 「汝を良きキリスト者になさり、汝を良き死に導い...
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'''帰依者(カタリ派の一般信徒)と完徳者(司祭に当たる出家者...
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**第一節 前史 [#sa157e07]
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伯位を受け継ぐまでのレーモン四世の事跡は、イベリア半島で...
1086年のサグラハスの戦いにて大敗したカスティリアを助ける...
ここで高い指揮能力と、その深い信仰とで人望を集めた彼はカ...
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左:カスティリア王女エルビラ。宮廷にてサロンを形成し、ト...
右:サグラハスの戦い。ムラービト朝他の連合軍がカスティリ...
だが、このレコンキスタでの戦闘こそが彼に聖職者の語る信仰...
ムスリムの戦士としての高い能力、敬虔さ、建築物等の高度な...
振り返って見た自らの背の、醜く肥え太ったキリスト教聖職者...
最たるものとしては、信徒の長たる教皇本人までもが祈りを置...
高圧的に奉仕を求め、それを断ると事もあろうに破門で脅しを...
その彼の元に、近年東方から伝来し、その清貧な生活態度で信...
自らを「良きキリスト者」と名乗る者たちが現れた時、それに...
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カタリ派の伝播の様子。マニ教に影響を受けて、小パウロ派(...
ボゴミル派(LES BOGOMILES)といった各地の他の異端に影響さ...
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**第二節 統治 [#x09a907c]
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中世のトゥールーズの風景画。多くの建築物が立ち並んでいる。
また画中左側に描かれている河川を利用した交通も盛んであっ...
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1094年、聖地巡礼の旅の中途で兄ギヨーム四世が世を去り、
トゥールーズ伯位は弟にレーモン四世として受け継がれた。
学識に優れ、軍才も豊かな君主を得て、((Scholar(Learning+2)...
また、当代のトゥールーズ司教ラオルフが宗教的熱意に欠ける...
蓄財に精を出すことの他何らの関心もなかったことが幸いし、
レーモン四世に庇護された「良きキリスト者」ことカタリ派は...
#ref(トゥールーズの改宗.jpg,nolink,80%)
トゥールーズの改宗。この時代のカタリ派の繁栄は、
都市で普通に生活しているならば全く関わりなく生きることは...
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**第三節 国政 [#x8888700]
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ヘンリー一世(在位:1100年 - 1135年)治下のイングランドと...
画中右下の黄色がトゥールーズ伯領
#ref(元帥杖.jpg,nolink,wrap,right,around,50%,元帥杖。フラ...
ノルマンディーを領するイングランド王と常に対峙しているフ...
トゥールーズ伯家の忠誠を求めていた。そのため懐柔すべく種...
交渉の末、レーモン四世はフランス王国大元帥に就任し、国政...
だが、強大な勢力は猜疑心と嫉妬とを招き、敵を増やさずには...
国政に参与するようになって少し経った頃、レーモン四世はパ...
待遇こそ王国最高位の貴族に相応しく丁重なものではあったが...
已むを得ず、トゥールーズの統治は嫡子ベルトランに委ね、レ...
#ref(まともな個室.jpg,nolink)
塔の個室に軟禁される
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**第四節 レコンキスタ [#jb3b8cd6]
#ref(バルセロナ.jpg,nolink)
ムスリムに蹂躙されたバルセロナ
1105年、イベリア半島にてタイファ諸国が北征を開始。
キリスト教徒連合軍はウクレスの地にて敗北し、バルセロナ伯...
カスティリア王、アラゴン王は辛うじて戦場から逃げ帰ったも...
軍の再建は容易ではなく、自領を守るだけで手一杯であった。
その間、主を失ったバルセロナ伯領は無人の野を行くがごとき...
海港都市バルセロナはキリスト教徒の手から失われた。
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そして、その影響は隣接するオクシタニアにも当然及んだ。ピ...
トゥールーズ伯領、アキテーヌ公領にもしばしばムスリムが蚕...
これに対抗して、亡命カタルーニャ貴族やレーモン四世を始め...
フランス王フィリップ一世の名の元にカタルーニャを再征服す...
総司令官は、軟禁を解かれ、再び大元帥の位を得たレーモン四...
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十字軍の指導者達と語らうレーモン四世(恐らく右から二番目)
**第五節 十字軍[#va708143]
#ref(比較.jpg,nolink)
一般的な歩兵の装備の違い。重装備の十字軍士に比べムスリム...
巧みにある時は逃げ、ある時は押し、兵力劣勢ながらも十字軍...
カタルーニャへ進軍した十字軍は敵方よりも優勢な兵力を保持...
軽装のムスリム兵を追撃するのは難しく、敵に致命的な打撃を...
未明に矢で起こされて、反撃する頃には敵は逃げ去っている。...
そんな日々が続く内に、自身に利害が絡むでもなく、別段信仰...
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1107年盛夏のある日。その日の朝も、もう幾度繰り返されたか...
その日、レーモン四世は前線に出て指揮を行うことになってい...
前日の夕刻から、''たまたま''ベリー公自身を含めて、日射病...
''偶然にも''、最初の矢合わせで伝令が流れ矢で――敵の矢は殆...
数で不利と見れば矢を数合射かけて引くのが常のムスリムが、'...
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かくして推進者を失った十字軍は霧散し、カタルーニャは完全...
それから然程の時を置かずしてアラゴンも滅び、イベリア半島...
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