AAR/王朝序曲/皇帝ルイ2世の治世
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[[AAR/王朝序曲]]
*皇帝ルイ2の治世 [#l2f86bc8]
**地味な皇帝と弟たち [#h7029701]
父はローマ皇帝シャルル、母は上ロレーヌ女公バルバラ
皇后アンナベラはスコットランド王女である。
ルイ2世は偉大な父と息子に挟まれた地味な皇帝とみなされる...
即位時点で57歳と高齢で、その治世が短かった事が印象を薄く...
しかしその短い治世でも帝国は大きく拡大している。
それは優秀な顧問団の活躍によるところが大きいが、彼らをう...
なお、ルイ2世の呼称はローマ皇帝として2人目のルイだから...
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皇帝ルイ2世 歴代最高齢での即位 典型的なカペーの能力値
1290年10月19日
ルイは慣例に従い次弟アントワーヌをイングランド王に、末弟...
また母の遺領である上ロレーヌ公領はブルボン公家のジャン・...
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イングランド王アントワーヌ 典型的なカペーの能力値
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カスティーリャ王ゴーティエ 典型的なカペーの能力値
**優秀な顧問団 [#l3a19b8e]
次弟アントワーヌがイングランド王になったことでイングラン...
後任の家令にはアランの実弟であるデュラッチオン公リワウが...
#ref(031_1290.jpg,nolink)
ルイ2世治世初期のの顧問団
大臣ヴィディン公エラールはイングランド王アントワーヌの私...
元帥テッサロニキ公エイリフは前元帥ラグナールの長男である。
家令デュラッチオン公リワルは前家令コーンウォール公アラン...
密偵長カルシアノン公レオンは先帝シャルルの後妻コルネリア...
宮廷司祭長アカイア大司教ロウボーは教皇ドヌス3世(オット...
全員が公爵級で、かつ宮廷司祭長を除けば縁故による登用が目...
彼ら全員が先帝シャルルが聖戦や十字軍で獲得した征服地の支...
これはある意味必然ともいえた。
かつてフランス王国時代には門地を問わず優秀な人材を招聘し...
しかし13世紀半ばを過ぎる頃にはヨーロッパ世界は開拓されつ...
カペー朝が聖戦を繰り返すのは宗教的情熱もあるが、一族や功...
顧問団を主導したのは大臣エラール。
聖帝シャルルに養育された、カペー朝始まって以来の天才であ...
その天才が私生児であることは歴史の皮肉としかいいようがな...
#ref(030_1290.jpg,nolink)
大臣ヴィディン公エラール 諸侯になって姓が変わっているが...
**スコットランド継承戦争 [#n925d898]
皇后アンナベラはスコットランド王女である。
先王シモンには男子がおらず、順当に推移すればアンナベラが...
しかし最晩年に再婚した後妻が男児マリスを出産。その2ヶ月...
当然、カペー家としては納得できない。
しかし先帝シャルルの関心は異教徒討伐に向けられておりブリ...
しかしアンナベラが帝国皇后となった今、マリスの王位は風前...
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スコットランド王国 帝国に目をつけられたのが運の尽きである
1291年2月21日
帝国は皇后アンナベラの王位を主張しスコットランドに宣戦を...
イングランド王アントワーヌを総大将とする北伐軍を派遣した。
実際のところ、当の皇帝夫妻はこの戦争に乗り気では無かった...
1292年6月10日
マリス王は降伏し継承戦争は終結した。
アンナベラはスコットランド王位につき、次世代の帝国への併...
#ref(005_1292.jpg,nolink)
スコットランド女王アンナベラ 本人は王位を望んでいなかっ...
**神聖ローマ帝国の混乱 [#r1818102]
1291年5月16日
神聖ローマ皇帝カスパーが戦死。29歳の若さであった。
帝国では1284年に廃帝ジークフリート2世が復位し第三次ツェ...
1286年にジークフリートが崩御すると帝位奪還を目指すボヘミ...
若きカスパーは自ら反乱鎮圧の陣頭に立ち命を落としたのであ...
帝位は11歳の長男ブルノが継承したが、神聖ローマ帝国では帝...
1291年8月16日
ホラント公レオポルトを擁立する反乱が発生。瞬く間に勢力を...
レオポルトは第一次ツェーリンゲン王朝最後の皇帝レオポルト...
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いつもの風景
1292年8月13日
幼帝ブルノが事故死。12歳であった。
謀殺されたともいわれるが真偽は明らかではない。
妹のヒルデガルトが帝位を継承。
ドイツ史上初の女帝である。
#ref(006_1292.jpg,nolink)
神聖ローマ帝国女帝ヒルデガルト ツェーリンゲン家は最大の...
第三次ツェーリンゲン王朝の瓦解は不可避であると、誰もが思...
しかし事態は意外な結末を迎えることになる。
女帝の誕生に勝利を確信し油断したのか、前線に立ったボヘミ...
女帝の摂政ケルンテン公アダムはカールの王位を剥奪した上で...
旗頭を失った反乱軍はあっけなく空中分解したのである。
#ref(008_1293.jpg,nolink)
廃帝の最後
北部ではホラント公を擁する反乱軍が健在だったが、ボヘミア...
**結婚と死 [#pe572dd8]
カールの処刑はドイツのみならずヨーロッパ全体に衝撃を与え...
廃位された君主が公然と処刑されるケースは13世紀の西ヨーロ...
ましてや、神聖ローマ皇帝なのである。
ルイも不快感を露わにし処刑を決断した摂政アダムへの非難を...
そこに持ち込まれた縁談である。
>「皇太子殿下の婚約相手にはケルンテン公女ウテ様が相応しい...
大臣エラールの上奏にルイは嫌悪感を示した。
>「ケルンテン公は10年前にはカールに仕えていた男だ。旧主を...
>「ケルンテン公は国と幼主を守るために決断したのです。実際...
ルイは皇太子フィリップと女帝ヒルデガルトの縁談を進めるつ...
実際、女帝側もこの縁談に興味を示しており、女系結婚ではな...
あとは手続きを進めるだけになっていたのだ。
しかしこの計画はエラールが握りつぶしてしまう。
>「女帝との婚約は先帝の遺詔に反します。地上に皇帝はただ一...
>「孫が2つの帝国を継承すればよいではないか」
>「それが実現するのは何十年も先の話です。それまで帝国はド...
>「ではなぜケルンテンなのだ?妃候補は他にいくらでもいよう」
>「バイエルンと本土を結ぶ為にはケルンテンの確保が不可欠だ...
先帝の遺詔を持ちだされてはルイも反論できない。
聖帝シャルルの威光は死後も健在であり、後継者たちの言動を...
1293年10月12日
皇太子フィリップとケルンテン公女ウテの婚約が成立した。
#ref(007_1293.jpg,nolink)
実プレイでは一旦ヒルデガルトと婚約したあと、婚約破棄して...
1263年11月9日
ブルグント王シャルルが48歳で逝去。長女ジュリエンヌが王位...
1294年9月9日
スコットランド女王アンナベラが54歳で崩御。
長男フィリップが王位を継承した。
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スコットランド王フィリップ 後のローマ皇帝フィリップ
1294年10月18日
ルイは平民出身のベアトリクスを再婚した。
ベアトリクスとの間には次男アライン、三男オジエが誕生して...
1295年1月30日
ルイの三女ステファニーとドイツ王アルノルトの三男ジークフ...
婿養子婚である。
ルイはジークフリートをニュルンベルク伯に叙し封建主従関係...
ニュルンベルク伯はバイエルン公の封臣であったのだが、ルイ...
そこまでして娘婿の為の領地を確保する理由は1つしかない。
ドイツ王国の帝国編入である。
**ニケーア聖戦 [#m7b4351f]
1293年11月21日
帝国はビザンティン皇帝アナトリオスに聖戦を布告。
目的はニケーア地方の解放である。
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ニケーア地方 ニカイアとも。意味はニケ(勝利)の街
ビザンティンは周辺諸国に侵食され縮小していたが、それでも...
帝国は近衛軍(常備軍)をもってこれにあたり、アミソスで会...
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アミソスの戦い
1294年11月30日
ビザンティン帝国は降伏。
ニケーアは帝国に併合された。
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ニケーア征服
1294年12月18日
ルイは後妻ベアトリクスの兄アラインをニケーア公に封じた。
妹が美人であるという意外に何のとりえもない男である。
尚、この戦争の最中、アッバース朝がゾロアスター・ペルシャ...
世にいう20年戦争の始まりである。
**ドイツ継承戦争 [#jff851e6]
ドイツ王国の前身は東フランク王国である。
911年に東フランクにおけるカロリング朝が断絶してからはフラ...
オットー1世の戴冠後、王国の帝国の関係は曖昧になるが、や...
しかし1296年現在、イタリアとブルグントはパリを首都とする...
1296年12月3日
ドイツ王アルノルトが60歳で逝去。事故死である。
王位は長男ウルリヒが継承した。
>「アルノルト王が不慮の事故で亡くなりました」
密偵長レオンの報告を受けたルイの表情は暗い。
真相は分かりきっているのだが、帝国の拡大は先帝シャルルの...
>「これも神意か」
>「御意」
>「よきにはからえ」
ルイは父親同様に敬虔なキリスト教徒である。
しかし帝国の領土を広げるために罪のないキリスト教徒を暗殺...
しかしその信念を貫き先帝の政策を改めるだけの意志の強さを...
ルイの治世は顧問団によって統治されており、彼らが優秀で帝...
1296年12月20日
帝国はニュルンベルク伯ジークフリートのドイツ王位を主張し...
#ref(014_1296.jpg,nolink)
ドイツ王国の支配領域 神聖ローマ帝国の大半を領有している
かつてフランスは神聖ローマ帝国に動員可能兵力の限界まで投...
しかし今や両国の国力差は歴然としており、封臣の一部を動員...
帝国は封臣であるイングランド王、ブルグント王、ポーランド...
しかしやはり最後の決め手は近衛軍である。
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キルヒロートの戦い この戦いで神聖ローマ帝国の没落は決定...
1297年12月3日
女帝ヒルデガルトは降伏し、ドイツ継承戦争は終結した。
#ref(016_1297.jpg,nolink)
戦争開始から1年も経っていない
ドイツ王位に就いたニュルンベルク伯ジークフリートは皇帝ル...
300年以上に渡って神聖ローマ帝国の中心で在り続けたドイツは...
#ref(018_1297.jpg,nolink)
ドイツ王ジークフリート ルイ2世の婿養子である
#ref(017_1297.jpg,nolink)
中堅国に転落した神聖ローマ帝国
なお、ドイツ王ジークフリートは翌年アルトマルク伯領の慣習...
ドイツの帝権は崩壊過程に入っていた。
**死の舞踏 [#gdf9a308]
1298年4月9日
テンプル騎士団が帝国に臣従した。
#ref(019_1298.jpg,nolink)
聖戦での活躍に期待する
1298年6月1日
ルイ2世の弟であるイングランド王アントワーヌが逝去。54歳...
王位は次男のエヴラールが継承した。
エヴラールは次男であるが、兄エラールは私生児であり継承権...
その兄エラールはカペー朝始まって以来の天才であり、今は伯...
1298年7月7日
帝国はビオンビーノ州の慣習的領有権を主張し、ピサ共和国に...
ピサはすでに2州を領有するのみの小国だが海上交易で莫大な...
帝国軍の先陣をきったシチリア王の軍勢もあっけなく撃退され...
1年半に及ぶ抵抗も虚しく全面降伏に追い込まれた。
1299年12月22日
ピサ統領バルダッサッレは降伏し、ビオンビーノ州は帝国に併...
#ref(020_1299.jpg,nolink)
ピサ降伏
同日、ルイはピサ公領を簒奪した。ピサはサルディニア島に僅...
1299年12月28日
ルイはピサに共和制を敷き、ベルガーン家のウィドゥキントを...
ウィドウキントはザクセンの小貴族の出自であるが、ツェーリ...
ギリシャにドイツにイタリアにと帝国は戦争を続け、駆り出さ...
しかし帝国の拡大を己の使命と考える大臣エラールは兵の休む...
次の標的はポメラニアである。
プロイセンのポメラニア公国は神聖ローマ帝国から独立してお...
現在の君主ズビネクは幼少であり、公位継承権を持つサヴォイ...
#ref(022_1300.jpg,nolink)
ポメラニア公ズビネク 母方の遺伝で黒人化している
1300年4月28日
帝国は女公ルドミラの公位を主張しポメラニア公国に宣戦を布...
しかしこの開戦がエラールの最後の仕事となった。
1300年5月1日
大臣ヴィディン公エラールが急逝。39歳の若さである。
#ref(021_1300.jpg,nolink)
大臣の死 あと40年は大臣を続けて欲しかった
その死があまりに突然だったため暗殺の噂も流れたが、真相は...
私生児であったが故に王位を継げなかった彼は、帝国に奉仕す...
その強引なやり方に不満を抱くものは多かったし、皇帝ルイ2...
しかし短期間にドイツを併合し神聖ローマ帝国を無力化した業...
後任の大臣にはルイ2世の末弟であるカスティーリャ王ゴーテ...
1300年6月28日
宮廷司祭長アカイア大司教ロウボーが62歳で死去。後任にはプ...
1300年8月10日
元帥テッサロニキ公エイリフが43歳で死去。後任にはトレビゾ...
1300年8月15日
家令デュラッチオン公リワルが65歳で死去。後任にはリトアニ...
わずか3ヶ月で顧問団5人のうち4人が死亡するという異常事...
これは神の怒りではないのか?
怒りを鎮める為にはどうすればよいのか?
答えは一つしか無い。
**2つの聖戦 [#a3d32f31]
1300年12月9日
ポメラニア公ズビネクは降伏し帝国に編入された。
そのわずか7日後。
1300年12月16日
帝国はビザンティンから独立していたキプロスに聖戦を布告し...
これはルイ2世が己の意思で起こした初めての戦争である。
このころヴェネツィアの商人が東方諸国で見聞した情報を記し...
#ref(023_1300.jpg,nolink)
キプロス島 ビザンティンから独立したムスリム首長の支配下...
キプロス征服軍はエルサレム王、シチリア王、それにギリシャ...
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ペレの戦い この時代にしては小規模な合戦である
1301年10月23日
キプロスは降伏し帝国に併合された。
同日、ルイはキプロス王国を創設したが、すでに失われて久し...
またルイは家令ウィルジルダスをリマソール伯に叙任し征服地...
#ref(026_1301.jpg,nolink)
キプロス王国創設
1301年11月3日
教皇ユリウス2世が61歳で逝去。
ピウス2世がペテロの座を継承した。
#ref(025_1301.jpg,nolink)
教皇ピウス2世 有能な教皇が2代続いた後だからか凡庸さが...
1302年3月16日
ジョチ・ウルスの《大ハーン》ジャムガが58歳で崩御。末子チ...
1302年3月19日
帝国は北アフリカのカビィリア首長国に聖戦を布告した。
次代フィリップが本格的に進める事になるアフリカ征服戦争の...
#ref(027_1302.jpg,nolink)
カビィリア首長国
1302年10月25日
カビィリアは降伏し帝国に併合された。
カビィリアはろくに抵抗も出来ないまま征服されており、これ...
#ref(028_1302.jpg,nolink)
アフリカ与し易し
**崩御 [#m900eb9a]
カビィリアを征服したころから、ルイはこれまで以上に礼拝堂...
臣下との謁見も専らそこで行われ、更には顧問会議も礼拝堂で...
もともとカペーの帝国は宗教色が強いのだが、ルイ2世晩年の...
1303年4月16日
皇帝ルイ2世は崩御した。
享年70
老帝の時代は終わり、偉大なる征服帝フィリップの時代が始ま...
#ref(029_1303.jpg,nolink)
**後世の評価 [#r653e708]
ルイ2世の治世は12年と短かったが、ドイツを併合し神聖ロー...
しかし大きな業績はそれくらいであり、しかも実際に帝国を取...
ではルイは凡庸な皇帝であったのかというと、それはまた違う。
有能で野心家の甥に全権を委ねるなどというのは並みの度量で...
確かにルイは、父シャルルと息子フィリップの2人の大帝に挟...
しかしそれはその治世の短さゆえに致し方のない事であって、...
**あとがき [#i0eadb2d]
このAARのカペー家は全般に長寿で、しかも意識して晩婚に...
ローマ帝国はすでに圧倒的超大国になっていますので戦争で苦...
というか、戦争に関しては書くことがありません。
このペースだとゲーム期間内に大半の地域は征服できちゃいそ...
私は英語版もプレイしてますが、今のバージョンでこの拡大は...
英語版によるもっと地味で小規模なAARを書きたい誘惑に駆...
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[[AAR/王朝序曲]]
*皇帝ルイ2の治世 [#l2f86bc8]
**地味な皇帝と弟たち [#h7029701]
父はローマ皇帝シャルル、母は上ロレーヌ女公バルバラ
皇后アンナベラはスコットランド王女である。
ルイ2世は偉大な父と息子に挟まれた地味な皇帝とみなされる...
即位時点で57歳と高齢で、その治世が短かった事が印象を薄く...
しかしその短い治世でも帝国は大きく拡大している。
それは優秀な顧問団の活躍によるところが大きいが、彼らをう...
なお、ルイ2世の呼称はローマ皇帝として2人目のルイだから...
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皇帝ルイ2世 歴代最高齢での即位 典型的なカペーの能力値
1290年10月19日
ルイは慣例に従い次弟アントワーヌをイングランド王に、末弟...
また母の遺領である上ロレーヌ公領はブルボン公家のジャン・...
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イングランド王アントワーヌ 典型的なカペーの能力値
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カスティーリャ王ゴーティエ 典型的なカペーの能力値
**優秀な顧問団 [#l3a19b8e]
次弟アントワーヌがイングランド王になったことでイングラン...
後任の家令にはアランの実弟であるデュラッチオン公リワウが...
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ルイ2世治世初期のの顧問団
大臣ヴィディン公エラールはイングランド王アントワーヌの私...
元帥テッサロニキ公エイリフは前元帥ラグナールの長男である。
家令デュラッチオン公リワルは前家令コーンウォール公アラン...
密偵長カルシアノン公レオンは先帝シャルルの後妻コルネリア...
宮廷司祭長アカイア大司教ロウボーは教皇ドヌス3世(オット...
全員が公爵級で、かつ宮廷司祭長を除けば縁故による登用が目...
彼ら全員が先帝シャルルが聖戦や十字軍で獲得した征服地の支...
これはある意味必然ともいえた。
かつてフランス王国時代には門地を問わず優秀な人材を招聘し...
しかし13世紀半ばを過ぎる頃にはヨーロッパ世界は開拓されつ...
カペー朝が聖戦を繰り返すのは宗教的情熱もあるが、一族や功...
顧問団を主導したのは大臣エラール。
聖帝シャルルに養育された、カペー朝始まって以来の天才であ...
その天才が私生児であることは歴史の皮肉としかいいようがな...
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大臣ヴィディン公エラール 諸侯になって姓が変わっているが...
**スコットランド継承戦争 [#n925d898]
皇后アンナベラはスコットランド王女である。
先王シモンには男子がおらず、順当に推移すればアンナベラが...
しかし最晩年に再婚した後妻が男児マリスを出産。その2ヶ月...
当然、カペー家としては納得できない。
しかし先帝シャルルの関心は異教徒討伐に向けられておりブリ...
しかしアンナベラが帝国皇后となった今、マリスの王位は風前...
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スコットランド王国 帝国に目をつけられたのが運の尽きである
1291年2月21日
帝国は皇后アンナベラの王位を主張しスコットランドに宣戦を...
イングランド王アントワーヌを総大将とする北伐軍を派遣した。
実際のところ、当の皇帝夫妻はこの戦争に乗り気では無かった...
1292年6月10日
マリス王は降伏し継承戦争は終結した。
アンナベラはスコットランド王位につき、次世代の帝国への併...
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スコットランド女王アンナベラ 本人は王位を望んでいなかっ...
**神聖ローマ帝国の混乱 [#r1818102]
1291年5月16日
神聖ローマ皇帝カスパーが戦死。29歳の若さであった。
帝国では1284年に廃帝ジークフリート2世が復位し第三次ツェ...
1286年にジークフリートが崩御すると帝位奪還を目指すボヘミ...
若きカスパーは自ら反乱鎮圧の陣頭に立ち命を落としたのであ...
帝位は11歳の長男ブルノが継承したが、神聖ローマ帝国では帝...
1291年8月16日
ホラント公レオポルトを擁立する反乱が発生。瞬く間に勢力を...
レオポルトは第一次ツェーリンゲン王朝最後の皇帝レオポルト...
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いつもの風景
1292年8月13日
幼帝ブルノが事故死。12歳であった。
謀殺されたともいわれるが真偽は明らかではない。
妹のヒルデガルトが帝位を継承。
ドイツ史上初の女帝である。
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神聖ローマ帝国女帝ヒルデガルト ツェーリンゲン家は最大の...
第三次ツェーリンゲン王朝の瓦解は不可避であると、誰もが思...
しかし事態は意外な結末を迎えることになる。
女帝の誕生に勝利を確信し油断したのか、前線に立ったボヘミ...
女帝の摂政ケルンテン公アダムはカールの王位を剥奪した上で...
旗頭を失った反乱軍はあっけなく空中分解したのである。
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廃帝の最後
北部ではホラント公を擁する反乱軍が健在だったが、ボヘミア...
**結婚と死 [#pe572dd8]
カールの処刑はドイツのみならずヨーロッパ全体に衝撃を与え...
廃位された君主が公然と処刑されるケースは13世紀の西ヨーロ...
ましてや、神聖ローマ皇帝なのである。
ルイも不快感を露わにし処刑を決断した摂政アダムへの非難を...
そこに持ち込まれた縁談である。
>「皇太子殿下の婚約相手にはケルンテン公女ウテ様が相応しい...
大臣エラールの上奏にルイは嫌悪感を示した。
>「ケルンテン公は10年前にはカールに仕えていた男だ。旧主を...
>「ケルンテン公は国と幼主を守るために決断したのです。実際...
ルイは皇太子フィリップと女帝ヒルデガルトの縁談を進めるつ...
実際、女帝側もこの縁談に興味を示しており、女系結婚ではな...
あとは手続きを進めるだけになっていたのだ。
しかしこの計画はエラールが握りつぶしてしまう。
>「女帝との婚約は先帝の遺詔に反します。地上に皇帝はただ一...
>「孫が2つの帝国を継承すればよいではないか」
>「それが実現するのは何十年も先の話です。それまで帝国はド...
>「ではなぜケルンテンなのだ?妃候補は他にいくらでもいよう」
>「バイエルンと本土を結ぶ為にはケルンテンの確保が不可欠だ...
先帝の遺詔を持ちだされてはルイも反論できない。
聖帝シャルルの威光は死後も健在であり、後継者たちの言動を...
1293年10月12日
皇太子フィリップとケルンテン公女ウテの婚約が成立した。
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実プレイでは一旦ヒルデガルトと婚約したあと、婚約破棄して...
1263年11月9日
ブルグント王シャルルが48歳で逝去。長女ジュリエンヌが王位...
1294年9月9日
スコットランド女王アンナベラが54歳で崩御。
長男フィリップが王位を継承した。
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スコットランド王フィリップ 後のローマ皇帝フィリップ
1294年10月18日
ルイは平民出身のベアトリクスを再婚した。
ベアトリクスとの間には次男アライン、三男オジエが誕生して...
1295年1月30日
ルイの三女ステファニーとドイツ王アルノルトの三男ジークフ...
婿養子婚である。
ルイはジークフリートをニュルンベルク伯に叙し封建主従関係...
ニュルンベルク伯はバイエルン公の封臣であったのだが、ルイ...
そこまでして娘婿の為の領地を確保する理由は1つしかない。
ドイツ王国の帝国編入である。
**ニケーア聖戦 [#m7b4351f]
1293年11月21日
帝国はビザンティン皇帝アナトリオスに聖戦を布告。
目的はニケーア地方の解放である。
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ニケーア地方 ニカイアとも。意味はニケ(勝利)の街
ビザンティンは周辺諸国に侵食され縮小していたが、それでも...
帝国は近衛軍(常備軍)をもってこれにあたり、アミソスで会...
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アミソスの戦い
1294年11月30日
ビザンティン帝国は降伏。
ニケーアは帝国に併合された。
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ニケーア征服
1294年12月18日
ルイは後妻ベアトリクスの兄アラインをニケーア公に封じた。
妹が美人であるという意外に何のとりえもない男である。
尚、この戦争の最中、アッバース朝がゾロアスター・ペルシャ...
世にいう20年戦争の始まりである。
**ドイツ継承戦争 [#jff851e6]
ドイツ王国の前身は東フランク王国である。
911年に東フランクにおけるカロリング朝が断絶してからはフラ...
オットー1世の戴冠後、王国の帝国の関係は曖昧になるが、や...
しかし1296年現在、イタリアとブルグントはパリを首都とする...
1296年12月3日
ドイツ王アルノルトが60歳で逝去。事故死である。
王位は長男ウルリヒが継承した。
>「アルノルト王が不慮の事故で亡くなりました」
密偵長レオンの報告を受けたルイの表情は暗い。
真相は分かりきっているのだが、帝国の拡大は先帝シャルルの...
>「これも神意か」
>「御意」
>「よきにはからえ」
ルイは父親同様に敬虔なキリスト教徒である。
しかし帝国の領土を広げるために罪のないキリスト教徒を暗殺...
しかしその信念を貫き先帝の政策を改めるだけの意志の強さを...
ルイの治世は顧問団によって統治されており、彼らが優秀で帝...
1296年12月20日
帝国はニュルンベルク伯ジークフリートのドイツ王位を主張し...
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ドイツ王国の支配領域 神聖ローマ帝国の大半を領有している
かつてフランスは神聖ローマ帝国に動員可能兵力の限界まで投...
しかし今や両国の国力差は歴然としており、封臣の一部を動員...
帝国は封臣であるイングランド王、ブルグント王、ポーランド...
しかしやはり最後の決め手は近衛軍である。
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キルヒロートの戦い この戦いで神聖ローマ帝国の没落は決定...
1297年12月3日
女帝ヒルデガルトは降伏し、ドイツ継承戦争は終結した。
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戦争開始から1年も経っていない
ドイツ王位に就いたニュルンベルク伯ジークフリートは皇帝ル...
300年以上に渡って神聖ローマ帝国の中心で在り続けたドイツは...
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ドイツ王ジークフリート ルイ2世の婿養子である
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中堅国に転落した神聖ローマ帝国
なお、ドイツ王ジークフリートは翌年アルトマルク伯領の慣習...
ドイツの帝権は崩壊過程に入っていた。
**死の舞踏 [#gdf9a308]
1298年4月9日
テンプル騎士団が帝国に臣従した。
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聖戦での活躍に期待する
1298年6月1日
ルイ2世の弟であるイングランド王アントワーヌが逝去。54歳...
王位は次男のエヴラールが継承した。
エヴラールは次男であるが、兄エラールは私生児であり継承権...
その兄エラールはカペー朝始まって以来の天才であり、今は伯...
1298年7月7日
帝国はビオンビーノ州の慣習的領有権を主張し、ピサ共和国に...
ピサはすでに2州を領有するのみの小国だが海上交易で莫大な...
帝国軍の先陣をきったシチリア王の軍勢もあっけなく撃退され...
1年半に及ぶ抵抗も虚しく全面降伏に追い込まれた。
1299年12月22日
ピサ統領バルダッサッレは降伏し、ビオンビーノ州は帝国に併...
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ピサ降伏
同日、ルイはピサ公領を簒奪した。ピサはサルディニア島に僅...
1299年12月28日
ルイはピサに共和制を敷き、ベルガーン家のウィドゥキントを...
ウィドウキントはザクセンの小貴族の出自であるが、ツェーリ...
ギリシャにドイツにイタリアにと帝国は戦争を続け、駆り出さ...
しかし帝国の拡大を己の使命と考える大臣エラールは兵の休む...
次の標的はポメラニアである。
プロイセンのポメラニア公国は神聖ローマ帝国から独立してお...
現在の君主ズビネクは幼少であり、公位継承権を持つサヴォイ...
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ポメラニア公ズビネク 母方の遺伝で黒人化している
1300年4月28日
帝国は女公ルドミラの公位を主張しポメラニア公国に宣戦を布...
しかしこの開戦がエラールの最後の仕事となった。
1300年5月1日
大臣ヴィディン公エラールが急逝。39歳の若さである。
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大臣の死 あと40年は大臣を続けて欲しかった
その死があまりに突然だったため暗殺の噂も流れたが、真相は...
私生児であったが故に王位を継げなかった彼は、帝国に奉仕す...
その強引なやり方に不満を抱くものは多かったし、皇帝ルイ2...
しかし短期間にドイツを併合し神聖ローマ帝国を無力化した業...
後任の大臣にはルイ2世の末弟であるカスティーリャ王ゴーテ...
1300年6月28日
宮廷司祭長アカイア大司教ロウボーが62歳で死去。後任にはプ...
1300年8月10日
元帥テッサロニキ公エイリフが43歳で死去。後任にはトレビゾ...
1300年8月15日
家令デュラッチオン公リワルが65歳で死去。後任にはリトアニ...
わずか3ヶ月で顧問団5人のうち4人が死亡するという異常事...
これは神の怒りではないのか?
怒りを鎮める為にはどうすればよいのか?
答えは一つしか無い。
**2つの聖戦 [#a3d32f31]
1300年12月9日
ポメラニア公ズビネクは降伏し帝国に編入された。
そのわずか7日後。
1300年12月16日
帝国はビザンティンから独立していたキプロスに聖戦を布告し...
これはルイ2世が己の意思で起こした初めての戦争である。
このころヴェネツィアの商人が東方諸国で見聞した情報を記し...
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キプロス島 ビザンティンから独立したムスリム首長の支配下...
キプロス征服軍はエルサレム王、シチリア王、それにギリシャ...
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ペレの戦い この時代にしては小規模な合戦である
1301年10月23日
キプロスは降伏し帝国に併合された。
同日、ルイはキプロス王国を創設したが、すでに失われて久し...
またルイは家令ウィルジルダスをリマソール伯に叙任し征服地...
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キプロス王国創設
1301年11月3日
教皇ユリウス2世が61歳で逝去。
ピウス2世がペテロの座を継承した。
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教皇ピウス2世 有能な教皇が2代続いた後だからか凡庸さが...
1302年3月16日
ジョチ・ウルスの《大ハーン》ジャムガが58歳で崩御。末子チ...
1302年3月19日
帝国は北アフリカのカビィリア首長国に聖戦を布告した。
次代フィリップが本格的に進める事になるアフリカ征服戦争の...
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カビィリア首長国
1302年10月25日
カビィリアは降伏し帝国に併合された。
カビィリアはろくに抵抗も出来ないまま征服されており、これ...
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アフリカ与し易し
**崩御 [#m900eb9a]
カビィリアを征服したころから、ルイはこれまで以上に礼拝堂...
臣下との謁見も専らそこで行われ、更には顧問会議も礼拝堂で...
もともとカペーの帝国は宗教色が強いのだが、ルイ2世晩年の...
1303年4月16日
皇帝ルイ2世は崩御した。
享年70
老帝の時代は終わり、偉大なる征服帝フィリップの時代が始ま...
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**後世の評価 [#r653e708]
ルイ2世の治世は12年と短かったが、ドイツを併合し神聖ロー...
しかし大きな業績はそれくらいであり、しかも実際に帝国を取...
ではルイは凡庸な皇帝であったのかというと、それはまた違う。
有能で野心家の甥に全権を委ねるなどというのは並みの度量で...
確かにルイは、父シャルルと息子フィリップの2人の大帝に挟...
しかしそれはその治世の短さゆえに致し方のない事であって、...
**あとがき [#i0eadb2d]
このAARのカペー家は全般に長寿で、しかも意識して晩婚に...
ローマ帝国はすでに圧倒的超大国になっていますので戦争で苦...
というか、戦争に関しては書くことがありません。
このペースだとゲーム期間内に大半の地域は征服できちゃいそ...
私は英語版もプレイしてますが、今のバージョンでこの拡大は...
英語版によるもっと地味で小規模なAARを書きたい誘惑に駆...
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