AAR/王朝序曲/ルイ7世の治世
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[[AAR/王朝序曲]]
*ルイ7世の治世 [#e4b714ab]
**フランスの現状 [#e4da25e8]
父はフランス王ルイ6世、母はトスカナ女公アデリンデ
王妃ブルンヒルデは上ブルゴーニュ女公である。
ルイ7世は父王の「大ルイ」に対して「小ルイ」と呼ばれるこ...
この父子は名前だけでなく能力や性格もよく似ており、政治的...
政治的方向性とは何か。
それは勿論ローマ帝国の再興である。
#ref(001_1211.jpg,nolink)
フランス王ルイ7世 外交値は饗宴効果で一時的にブーストさ...
ルイ7世の即位時点でフランスはイングランド、北イタリア、...
軍事的にも経済的にも世界最強国である。
#ref(002_1211.jpg,nolink)
皇帝戴冠まであと一歩
ルイはトスカナ公時代の顧問団を総辞職させ、父王次代のフラ...
#ref(003_1211.jpg,nolink)
1211年2月時点の顧問団
大臣ナヴァラ公エルメネヒルドはガリシア王家出身。
傲慢で野心的で狭量なところがあるが政治家としては極めて有...
元帥ジャルゴー男爵スタニスラフはロシアの伯爵家出身。
寡黙で不器用な男だが指揮官としての実力は申し分ない。
家令ランカスター公ウンベールは旧ブルゴーニュ公家の嫡流で...
祖父王フィリップ2世の婿養子としてカペー王家の一門に名を...
密偵長バボーム男爵テカは旧ヌビア王家の血を引く黒人である。
物腰は柔らかいが本性は野心的で権力志向が強い男である。
宮廷司祭長カンタベリー大司教フレデリックはフランス史上初...
学者肌で荒事を嫌うが異教徒には容赦無い男である。
**イタリア情勢 [#rff6201a]
1211年2月10日
ルイは慣例に従って3人の弟に公爵位を授け、次弟エドゥアー...
カペー家では次男は母の遺領を与えられる例が多く、それに倣...
それは帝国再興後を見据えた政略である。
ルイ7世が近い将来皇帝に戴冠する事は既にこの時点で確実視...
将来の皇帝直轄領を手放すわけにはいかないのだ。
また、弟たちへの所領分配は将来授けられるべき王号に対応し...
即ち、エドゥアールはエルサレム王、ウスターシュはポルトガ...
しかしそれも皇帝になれたらの話だ。
教皇にローマ皇帝位を認めさせるには北イタリアを掌握する必...
(ゲーム的にはあと2プロビ必要)
#ref(004_1211.jpg,nolink)
1211年のイタリア情勢
フランスはトスカナ、ジェノヴァ、ミラノ、ピエモンテを支配...
イタリアの四大海洋共和国のうちジェノヴァ、アマルフィは大...
アンコーナ共和国は神聖ローマ帝国の宗主権下にあったが、今...
ルイが目をつけたのはヴェローナ公領である。
現当主オルデリヒには男子後継者が長男エッゾしかおらず、エ...
オルデリヒの甥にあたる下ロレーヌ公子ランベルトはヴェロー...
>「ベルタにヴェローナを継承させ、しかるのちにランベルトの...
ルイの承認を得た密偵長テカは公子エッゾを暗殺すべくヴェロ...
#ref(005_1211.jpg,nolink)
あまり人望がないようだ
テカの計画を知り不快感を抱いたのは大臣エルメネヒルドであ...
>「暗殺などで陛下の手を汚す必要はございません!私めにお任...
>「ふむ。では大臣にはフェラーラ方面の調略を任せる」
ルイの承認を得たエルメネヒルドはラヴェンナ・ボローニャの...
**密偵長テカの暗躍 [#y9363981]
1211年11月3日
ヘレフォード公ユースタスの陰謀が発覚。
ユースタスは即座に逮捕された。
#ref(007_1211.jpg,nolink)
イングランドを手に入れるつもりだったらしい
テカが密偵長に就任してから陰謀の摘発による貴族の逮捕は大...
彼は説得という手法を一切とらない。
王国中に密偵網を張り巡らし危険分子を取り締まるそのやり方...
>「密偵長の評判がよくないようですな」
この日、定例の財務報告を終えた家令ウンベールは唐突にテカ...
ウンベールはかつて陰謀の嫌疑をかけられた事がある。
王家の婚族でなければ今頃は監獄で死んでいただろう。
>「テカはよくやってくれている」
>「しかし説得もなくいきなり投獄とはいささか乱暴なやり方で...
>「秩序を保つためにはああいう男も必要なのだよ」
最終決定権が王にある以上、テカの強引な手法もルイの承認を...
ルイからすれば貴族たちの憎悪を一身に引き受けてくれるテカ...
>「しかし密偵長にはよからぬ噂があります。陛下はご存知かも...
テカが同性愛者である事は公然の秘密である。
勿論ルイもそれは知っている。
教会は良い顔をしないだろうが他人の性癖など知ったことでは...
1213年3月6日
参内した密偵長テカはヴェローナ公子エッゾの事故死を報告。
続いてヴェローナ公オルデリヒ暗殺計画の承認を求めた。
ルイはこれを承認すると、テカに「噂」について聞いてみた。
>「変わった趣味をお持ちのようだな」
>「そうでしょうか?ギリシャやアラブでは王侯の嗜みとしてご...
>「つまり否定はしないわけだな。まあ、それは別に構わんが、...
>「相手によりますな。私は色白の美少年が好みですが筋骨隆々...
>「よくわからんな。余は色ごとには興味がないし趣味らしきも...
>「それが成功する秘訣ですか?」
>「成功?何を言っておる。余はたまたま王家に生まれたから今...
>「私も王家の血を引いております。帝国再興のあかつきにはよ...
これがこの男の本性なのだろうか。
ルイはこのとき初めて、この黒人に嫌悪感を抱いた。
#ref(016_1211.jpg,nolink)
実はいやな奴だったようだ
余談になるが、ルイは決して貞節なわけではない。
この時点で2男2女に恵まれている上に、次女の母親は王妃で...
**再興の時代 [#g2843fc9]
1210年代は「再興の時代」と呼ばれる。
過去に滅んだ王朝や体制の復活が相次いだ事からそう呼ばれる...
1211年10月27日
トルコの君侯たちはセルジューク家のベルカンを擁しクーデタ...
《スルタン》スレイマンは退位しヴェイズラ王朝は3代53年の歴...
#ref(006_1211.jpg,nolink)
後セルジューク朝《スルタン》ベルカン
エジプトではチュニス首長アゲラルが廃帝タニアルを擁しファ...
急速に支持者を拡大しつつあった。
#ref(025_1211.jpg,nolink)
ダニアルはファーティマ朝最後のカリフ
アゲラルはかつてファーティマ朝の宰相としてポルトガル遠征...
遠征が無残な失敗に終わり失脚していたがその野心は衰えてい...
ドイツでは1210年に誕生したバーベンベルク朝は政権基盤が弱...
ヴェンツェルは旧ザーリアー王朝の末裔でザクセン・フランケ...
またザーリアー家だけでなくツェーリンゲン家を支持する勢力...
1214年1月4日
ルイはアキテーヌ王位を創設した。
かつて祖父フィリップ2世も検討した事があったが、その時は...
しかし今となってはアキテーヌ王国は遠い過去の記憶となって...
#ref(008_1214.jpg,nolink)
一種の名誉称号
**方針転換 [#j989f060]
1214年4月14日
ルイは下ロレーヌ公子ランベルトをボンデーノ男爵に叙し封建...
ヴェローナ公オルデリヒが不審死し長女ベルタが公領を継承し...
しかしこの計画はあっけなく瓦解する。
1214年9月19日
ランベルトは下ロレーヌ公位を継承。
計画が無駄になったのみならず、彼に与えたボンデーノ男爵領...
#ref(009_1214.jpg,nolink)
下ロレーヌ公ランベルト 父親はチューリンゲン王朝を打倒し...
テカの計画が失敗したことを一番喜んだのは大臣エルメネヒル...
さっそく参内しルイの前でひとしきりテカをこき下ろした後、...
東方に英雄が現れ周辺の異教徒たちを征服している。いずれは...
ルイは多少の興味はしめしたが、さしあたって重要な脅威では...
今はイタリアの確保が最優先課題である。
#ref(010_1215.jpg,nolink)
そろそろ来るのか
エルメネヒルドが退出したあと、入れ替わりに宮廷司祭長フレ...
コルシカ司教ルドルフはかねてよりサルディニア島北部アルボ...
捏造されたものであろうが、真偽はこのさい問題ではない。
>「司教ルドルフは陛下の助力を願い出ております」
ルイは決断した。
**ピサ共和国 [#w16cb67d]
ピサは元々はローマ帝国の軍港であったが、帝国が衰退した後...
1215年現在、ジェノヴァ、アマルフィは消滅しヴェネツィアも...
#ref(011_1215.jpg,nolink)
地中海の覇者ピサ共和国
また貿易立国であるピサはアラブやペルシャとの交流も盛んで...
#ref(012_1215.jpg,nolink)
ピサ共和国統領コジモ・カエターニ 婦人は黒人、後継者はト...
1215年5月8日
ルイはコルシカ司教のアルボレア領有権を主張しピサ共和国に...
元帥スタニスラフ率いる常備軍はリグリア海からピサに上陸。
共和国の傭兵部隊を粉砕し共和国側の諸都市を次々と陥落させ...
#ref(013_1215.jpg,nolink)
ピサを蹂躙するフランス常備軍
1216年12月16日
首都を失陥したピサ共和国はフランスに降伏。
アルボレアはコルシカ司教の支配下に入った。
同日、ルイはサルディニア大司教領を創設し、コルシカ司教ル...
#ref(014_1216.jpg,nolink)
海戦がなければ海洋共和国など怖くない
1216年12月19日
ルイはイタリア王国を創設。これでイタリアの正統な支配者と...
大臣エルメネヒルドはローマに特使を派遣し、将来の戴冠に向...
#ref(015_1216.jpg,nolink)
ローマ皇帝まであと1プロビ
**続・再興の時代 [#wccf147b]
1213年9月30日
ザクセン公ヴェンツェルは降伏し神聖ローマ帝国の内乱は収束...
ただし帝国の王権法では諸侯の封土剥奪は禁じられているため...
皇帝アマデウスは脆弱な権力基盤を強化すべく外征に力を入れ...
1214年5月18日
帝国はヴュルツブルクの領有権を主張しボヘミア王国に宣戦布...
翌年にはボヘミア王は降伏しヴュルツブルクは帝国領となった。
1217年2月12日
帝国はラウジッツの領有権を主張し大ポーランド公国に宣戦布...
これにも勝利しラウジッツを併合した。
これら外征の成功で名声を得たアマデウス帝は失墜した王権の...
1217年10月30日
ホラント公レオポルトが成人した。
4歳で帝位を追われたツェーリンゲン朝最後の皇帝である。
#ref(018_1217.jpg,nolink)
ホラント公レオポルト 廃帝は野心家に成長していた
ツェーリンゲン家の支持者たちはレオポルトのもとに参集し反...
しかし事態は意外な展開を辿ることになった。
1218年12月6日
皇帝アマデウスは39歳で崩御。
子供も兄弟もいなかったため、遠縁のプラハ伯フランツが帝位...
フランツは廃帝レオポルトの早世した長兄の孫、つまりジーク...
#ref(020_1218.jpg,nolink)
皇帝フランツ 棚ぼた的に帝位に就きツェーリンゲン王朝を再...
レオポルトの野望の矛先は同族のフランツに向けられることに...
同じころエジプトでも再興の動きが起こっていた。
1216年1月5日
ムンチェレン王朝の創始者ヤッシルが崩御。
長男アシュラフが《カリフ》を継承した。
ファーティマ朝最後の《カリフ》ダニアルは1215年に病死して...
1215年、チュニス首長アゲラルらファーティマ朝支持者はシジ...
カリスマを失ったムンチェレン王朝はあっけなく瓦解した。
1217年11月8日
アシュラフは退位しムンチェレン王朝は崩壊。
ファーティマ朝が10年ぶりの復活を果たした。
#ref(019_1217.jpg,nolink)
後ファーティマ朝《カリフ》ラフィク
こうして短期間の間に3つの王朝が復活したが、あと1つ、最...
ローマ帝国の再興である。
**皇帝戴冠 [#b5ac4028]
1217年5月15日
参内した大臣エルメネヒルドはラテン語で書かれた古文書を恭...
カペー家がラヴェンナとボローニャの正統な支配者である事を...
両伯領は神聖ローマ帝国に属している為、帝国との開戦は不可...
しかし今のフランスにとって神聖ローマ帝国など取るに足らな...
#ref(017_1217.jpg,nolink)
ラヴェンナとボローニャ 伯は同一人物が兼任している
1217年6月9日
ルイは帝国に宣戦布告。
全土に動員令を発し20万の大軍でドイツを蹂躙した。
イタリアも勿論戦場になったが、主戦場はあくまでもドイツ、...
#ref(021_1219.jpg,nolink)
ブレダの戦い この規模の大軍がドイツ各地を蹂躙してまわっ...
ドイツでは戦争中に皇帝アマデウスが崩御し王朝が交代するな...
1219年9月9日
神聖ローマ帝国は降伏しラヴェンナ・ボローニャはルイ7世の...
#ref(022_1219.jpg,nolink)
条件は整った!
1219年12月25日
フランス王ルイ7世はローマのサン・ピエトロ大聖堂において...
神聖ローマ帝国の権威が地に落ちた今、シャルルマーニュの衣...
大臣エルメネヒルドが水面下で根回しを進めていた事もあり、...
#ref(023_1219.jpg,nolink)
西ローマ帝国再興
「気高きルイ、神によって加冠され、偉大で平和的なるローマ...
帝国の再興に歓喜したローマ市民は新帝を讃えたが、ルイにと...
ルイの本質はあくまでもフランス王であり、ローマ帝国の帝都...
尤も、ルイの戴冠は本人の意思に関わりなくカペー王家の性質...
これ以降、カペー家はカトリック世界の盟主としての役割を否...
#ref(024_1219.jpg,nolink)
ルイの戴冠直後の西ローマ帝国
皇帝ルイ1世の治世へ[[AAR/王朝序曲/皇帝ルイ1世の治世]]
終了行:
[[AAR/王朝序曲]]
*ルイ7世の治世 [#e4b714ab]
**フランスの現状 [#e4da25e8]
父はフランス王ルイ6世、母はトスカナ女公アデリンデ
王妃ブルンヒルデは上ブルゴーニュ女公である。
ルイ7世は父王の「大ルイ」に対して「小ルイ」と呼ばれるこ...
この父子は名前だけでなく能力や性格もよく似ており、政治的...
政治的方向性とは何か。
それは勿論ローマ帝国の再興である。
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フランス王ルイ7世 外交値は饗宴効果で一時的にブーストさ...
ルイ7世の即位時点でフランスはイングランド、北イタリア、...
軍事的にも経済的にも世界最強国である。
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皇帝戴冠まであと一歩
ルイはトスカナ公時代の顧問団を総辞職させ、父王次代のフラ...
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1211年2月時点の顧問団
大臣ナヴァラ公エルメネヒルドはガリシア王家出身。
傲慢で野心的で狭量なところがあるが政治家としては極めて有...
元帥ジャルゴー男爵スタニスラフはロシアの伯爵家出身。
寡黙で不器用な男だが指揮官としての実力は申し分ない。
家令ランカスター公ウンベールは旧ブルゴーニュ公家の嫡流で...
祖父王フィリップ2世の婿養子としてカペー王家の一門に名を...
密偵長バボーム男爵テカは旧ヌビア王家の血を引く黒人である。
物腰は柔らかいが本性は野心的で権力志向が強い男である。
宮廷司祭長カンタベリー大司教フレデリックはフランス史上初...
学者肌で荒事を嫌うが異教徒には容赦無い男である。
**イタリア情勢 [#rff6201a]
1211年2月10日
ルイは慣例に従って3人の弟に公爵位を授け、次弟エドゥアー...
カペー家では次男は母の遺領を与えられる例が多く、それに倣...
それは帝国再興後を見据えた政略である。
ルイ7世が近い将来皇帝に戴冠する事は既にこの時点で確実視...
将来の皇帝直轄領を手放すわけにはいかないのだ。
また、弟たちへの所領分配は将来授けられるべき王号に対応し...
即ち、エドゥアールはエルサレム王、ウスターシュはポルトガ...
しかしそれも皇帝になれたらの話だ。
教皇にローマ皇帝位を認めさせるには北イタリアを掌握する必...
(ゲーム的にはあと2プロビ必要)
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1211年のイタリア情勢
フランスはトスカナ、ジェノヴァ、ミラノ、ピエモンテを支配...
イタリアの四大海洋共和国のうちジェノヴァ、アマルフィは大...
アンコーナ共和国は神聖ローマ帝国の宗主権下にあったが、今...
ルイが目をつけたのはヴェローナ公領である。
現当主オルデリヒには男子後継者が長男エッゾしかおらず、エ...
オルデリヒの甥にあたる下ロレーヌ公子ランベルトはヴェロー...
>「ベルタにヴェローナを継承させ、しかるのちにランベルトの...
ルイの承認を得た密偵長テカは公子エッゾを暗殺すべくヴェロ...
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あまり人望がないようだ
テカの計画を知り不快感を抱いたのは大臣エルメネヒルドであ...
>「暗殺などで陛下の手を汚す必要はございません!私めにお任...
>「ふむ。では大臣にはフェラーラ方面の調略を任せる」
ルイの承認を得たエルメネヒルドはラヴェンナ・ボローニャの...
**密偵長テカの暗躍 [#y9363981]
1211年11月3日
ヘレフォード公ユースタスの陰謀が発覚。
ユースタスは即座に逮捕された。
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イングランドを手に入れるつもりだったらしい
テカが密偵長に就任してから陰謀の摘発による貴族の逮捕は大...
彼は説得という手法を一切とらない。
王国中に密偵網を張り巡らし危険分子を取り締まるそのやり方...
>「密偵長の評判がよくないようですな」
この日、定例の財務報告を終えた家令ウンベールは唐突にテカ...
ウンベールはかつて陰謀の嫌疑をかけられた事がある。
王家の婚族でなければ今頃は監獄で死んでいただろう。
>「テカはよくやってくれている」
>「しかし説得もなくいきなり投獄とはいささか乱暴なやり方で...
>「秩序を保つためにはああいう男も必要なのだよ」
最終決定権が王にある以上、テカの強引な手法もルイの承認を...
ルイからすれば貴族たちの憎悪を一身に引き受けてくれるテカ...
>「しかし密偵長にはよからぬ噂があります。陛下はご存知かも...
テカが同性愛者である事は公然の秘密である。
勿論ルイもそれは知っている。
教会は良い顔をしないだろうが他人の性癖など知ったことでは...
1213年3月6日
参内した密偵長テカはヴェローナ公子エッゾの事故死を報告。
続いてヴェローナ公オルデリヒ暗殺計画の承認を求めた。
ルイはこれを承認すると、テカに「噂」について聞いてみた。
>「変わった趣味をお持ちのようだな」
>「そうでしょうか?ギリシャやアラブでは王侯の嗜みとしてご...
>「つまり否定はしないわけだな。まあ、それは別に構わんが、...
>「相手によりますな。私は色白の美少年が好みですが筋骨隆々...
>「よくわからんな。余は色ごとには興味がないし趣味らしきも...
>「それが成功する秘訣ですか?」
>「成功?何を言っておる。余はたまたま王家に生まれたから今...
>「私も王家の血を引いております。帝国再興のあかつきにはよ...
これがこの男の本性なのだろうか。
ルイはこのとき初めて、この黒人に嫌悪感を抱いた。
#ref(016_1211.jpg,nolink)
実はいやな奴だったようだ
余談になるが、ルイは決して貞節なわけではない。
この時点で2男2女に恵まれている上に、次女の母親は王妃で...
**再興の時代 [#g2843fc9]
1210年代は「再興の時代」と呼ばれる。
過去に滅んだ王朝や体制の復活が相次いだ事からそう呼ばれる...
1211年10月27日
トルコの君侯たちはセルジューク家のベルカンを擁しクーデタ...
《スルタン》スレイマンは退位しヴェイズラ王朝は3代53年の歴...
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後セルジューク朝《スルタン》ベルカン
エジプトではチュニス首長アゲラルが廃帝タニアルを擁しファ...
急速に支持者を拡大しつつあった。
#ref(025_1211.jpg,nolink)
ダニアルはファーティマ朝最後のカリフ
アゲラルはかつてファーティマ朝の宰相としてポルトガル遠征...
遠征が無残な失敗に終わり失脚していたがその野心は衰えてい...
ドイツでは1210年に誕生したバーベンベルク朝は政権基盤が弱...
ヴェンツェルは旧ザーリアー王朝の末裔でザクセン・フランケ...
またザーリアー家だけでなくツェーリンゲン家を支持する勢力...
1214年1月4日
ルイはアキテーヌ王位を創設した。
かつて祖父フィリップ2世も検討した事があったが、その時は...
しかし今となってはアキテーヌ王国は遠い過去の記憶となって...
#ref(008_1214.jpg,nolink)
一種の名誉称号
**方針転換 [#j989f060]
1214年4月14日
ルイは下ロレーヌ公子ランベルトをボンデーノ男爵に叙し封建...
ヴェローナ公オルデリヒが不審死し長女ベルタが公領を継承し...
しかしこの計画はあっけなく瓦解する。
1214年9月19日
ランベルトは下ロレーヌ公位を継承。
計画が無駄になったのみならず、彼に与えたボンデーノ男爵領...
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下ロレーヌ公ランベルト 父親はチューリンゲン王朝を打倒し...
テカの計画が失敗したことを一番喜んだのは大臣エルメネヒル...
さっそく参内しルイの前でひとしきりテカをこき下ろした後、...
東方に英雄が現れ周辺の異教徒たちを征服している。いずれは...
ルイは多少の興味はしめしたが、さしあたって重要な脅威では...
今はイタリアの確保が最優先課題である。
#ref(010_1215.jpg,nolink)
そろそろ来るのか
エルメネヒルドが退出したあと、入れ替わりに宮廷司祭長フレ...
コルシカ司教ルドルフはかねてよりサルディニア島北部アルボ...
捏造されたものであろうが、真偽はこのさい問題ではない。
>「司教ルドルフは陛下の助力を願い出ております」
ルイは決断した。
**ピサ共和国 [#w16cb67d]
ピサは元々はローマ帝国の軍港であったが、帝国が衰退した後...
1215年現在、ジェノヴァ、アマルフィは消滅しヴェネツィアも...
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地中海の覇者ピサ共和国
また貿易立国であるピサはアラブやペルシャとの交流も盛んで...
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ピサ共和国統領コジモ・カエターニ 婦人は黒人、後継者はト...
1215年5月8日
ルイはコルシカ司教のアルボレア領有権を主張しピサ共和国に...
元帥スタニスラフ率いる常備軍はリグリア海からピサに上陸。
共和国の傭兵部隊を粉砕し共和国側の諸都市を次々と陥落させ...
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ピサを蹂躙するフランス常備軍
1216年12月16日
首都を失陥したピサ共和国はフランスに降伏。
アルボレアはコルシカ司教の支配下に入った。
同日、ルイはサルディニア大司教領を創設し、コルシカ司教ル...
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海戦がなければ海洋共和国など怖くない
1216年12月19日
ルイはイタリア王国を創設。これでイタリアの正統な支配者と...
大臣エルメネヒルドはローマに特使を派遣し、将来の戴冠に向...
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ローマ皇帝まであと1プロビ
**続・再興の時代 [#wccf147b]
1213年9月30日
ザクセン公ヴェンツェルは降伏し神聖ローマ帝国の内乱は収束...
ただし帝国の王権法では諸侯の封土剥奪は禁じられているため...
皇帝アマデウスは脆弱な権力基盤を強化すべく外征に力を入れ...
1214年5月18日
帝国はヴュルツブルクの領有権を主張しボヘミア王国に宣戦布...
翌年にはボヘミア王は降伏しヴュルツブルクは帝国領となった。
1217年2月12日
帝国はラウジッツの領有権を主張し大ポーランド公国に宣戦布...
これにも勝利しラウジッツを併合した。
これら外征の成功で名声を得たアマデウス帝は失墜した王権の...
1217年10月30日
ホラント公レオポルトが成人した。
4歳で帝位を追われたツェーリンゲン朝最後の皇帝である。
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ホラント公レオポルト 廃帝は野心家に成長していた
ツェーリンゲン家の支持者たちはレオポルトのもとに参集し反...
しかし事態は意外な展開を辿ることになった。
1218年12月6日
皇帝アマデウスは39歳で崩御。
子供も兄弟もいなかったため、遠縁のプラハ伯フランツが帝位...
フランツは廃帝レオポルトの早世した長兄の孫、つまりジーク...
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皇帝フランツ 棚ぼた的に帝位に就きツェーリンゲン王朝を再...
レオポルトの野望の矛先は同族のフランツに向けられることに...
同じころエジプトでも再興の動きが起こっていた。
1216年1月5日
ムンチェレン王朝の創始者ヤッシルが崩御。
長男アシュラフが《カリフ》を継承した。
ファーティマ朝最後の《カリフ》ダニアルは1215年に病死して...
1215年、チュニス首長アゲラルらファーティマ朝支持者はシジ...
カリスマを失ったムンチェレン王朝はあっけなく瓦解した。
1217年11月8日
アシュラフは退位しムンチェレン王朝は崩壊。
ファーティマ朝が10年ぶりの復活を果たした。
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後ファーティマ朝《カリフ》ラフィク
こうして短期間の間に3つの王朝が復活したが、あと1つ、最...
ローマ帝国の再興である。
**皇帝戴冠 [#b5ac4028]
1217年5月15日
参内した大臣エルメネヒルドはラテン語で書かれた古文書を恭...
カペー家がラヴェンナとボローニャの正統な支配者である事を...
両伯領は神聖ローマ帝国に属している為、帝国との開戦は不可...
しかし今のフランスにとって神聖ローマ帝国など取るに足らな...
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ラヴェンナとボローニャ 伯は同一人物が兼任している
1217年6月9日
ルイは帝国に宣戦布告。
全土に動員令を発し20万の大軍でドイツを蹂躙した。
イタリアも勿論戦場になったが、主戦場はあくまでもドイツ、...
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ブレダの戦い この規模の大軍がドイツ各地を蹂躙してまわっ...
ドイツでは戦争中に皇帝アマデウスが崩御し王朝が交代するな...
1219年9月9日
神聖ローマ帝国は降伏しラヴェンナ・ボローニャはルイ7世の...
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条件は整った!
1219年12月25日
フランス王ルイ7世はローマのサン・ピエトロ大聖堂において...
神聖ローマ帝国の権威が地に落ちた今、シャルルマーニュの衣...
大臣エルメネヒルドが水面下で根回しを進めていた事もあり、...
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西ローマ帝国再興
「気高きルイ、神によって加冠され、偉大で平和的なるローマ...
帝国の再興に歓喜したローマ市民は新帝を讃えたが、ルイにと...
ルイの本質はあくまでもフランス王であり、ローマ帝国の帝都...
尤も、ルイの戴冠は本人の意思に関わりなくカペー王家の性質...
これ以降、カペー家はカトリック世界の盟主としての役割を否...
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ルイの戴冠直後の西ローマ帝国
皇帝ルイ1世の治世へ[[AAR/王朝序曲/皇帝ルイ1世の治世]]
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