AAR/王朝序曲/フィリップ2世の治世・後半
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[[AAR/王朝序曲]]
*フィリップ2世の治世・後半 [#d843a658]
**内外情勢 [#dd6fdc04]
***ドイツ [#xa09346f]
1155年8月4日
ヘント防衛戦争終結から約1月後、皇帝ヘルマンが同盟者であ...
昨年来続いていた帝国の内乱、特に独立を求めるロンバルディ...
同盟を破って侵略してきた皇帝が同盟者としての義務を要求し...
フィリップはヘルマンの破廉恥さに呆れながらも要請を受諾し...
黙殺してもよかったのだが戦況は皇帝側が優勢であり、形の上...
#ref(023_1155.jpg,nolink)
神聖ローマ皇帝ヘルマン 面の皮が厚いとはコイツの為にある...
1156年5月18日
反乱を鎮圧した皇帝ヘルマンは王権法を改正。
帝国諸侯の対外戦争を禁じ平和を実現する事が名目であったが...
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帝国が強力な王権を採択
神聖ローマ帝国は当時のカトリック世界の最強国であったが、...
その最大の原因は前述した選挙王制にある。
歴代の皇帝は帝位に就くために選挙権を持つ諸侯たちの歓心を...
1156年9月1日
皇帝ヘルマンは勅書を発布して諸侯の国王選挙権を剥奪。
皇帝の資格を有する者は神に選ばれた皇帝の血統のみにあると...
しかしこれはドイツの実態と乖離したものであり、一方的に特...
***フランス [#h297aa74]
1154年2月10日
長女ドゥースが誕生した。
1156年4月3日
成人した末弟ジャフルをバレンシア公に封じた。
王子は全て公爵にするのがカペーの伝統である。
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バレンシア公ジャフル アンリ2世の死後に誕生した末っ子
1156年8月29日
ギネス伯コナンが死去。57歳であった。
コナンはフィリップ1世に征服されたブルターニュ小王国の最...
4歳で国を失い親族のいるコーンウォールで亡命生活をしていた...
その葬儀は王に対する礼遇をもって盛大に挙行された。
1157年4月10日
ライナウと名乗るオック人が宮廷に現れた。
元はナルボンヌ伯の密偵長であったのだが、伯とはそりが合わ...
オクシタニアはフランスとは異なる言語・文化をもった地域で...
ライナウの故郷ナルボンヌも反仏感情が強くフランス王権から...
しかしライナウは違う考えをもっていた。
アキテーヌ王国が消滅してすでに300年になるのだ。
そのような幻想は捨ててフランス王権に協力していくことで、...
フィリップはライナウの能力を評価し密偵長に任じた。
#ref(026_1157.jpg,nolink)
密偵長ライナウ ヒゲの形がフィリップと同じ
1159年4月23日
フィリップは大臣ワルテールをブルタイユ男爵に、密偵長ライ...
***イスラム世界 [#ia0e5789]
当時、モーリタニアはムラービト朝の統治下にあった。
ムラービトゥーンとよばれる神秘的なイスラム武装集団に起源...
12世紀に入ってからは衰退に向かい、しかも王位を巡る内乱状...
ムラービト朝の混乱を好機と見たシーア派《カリフ》ケマラッ...
モーリタニアの土侯たちは雪崩をうって軍門に下りムラービト...
#ref(027_1157.jpg,nolink)
モーリタニアを征服したファーティマ朝
ファーティマ朝が版図を拡大した同じころ、イスラム世界のも...
退廃したセルジューク家に見切りをつけたトルコの君侯たちは...
終わりは突然やってきた。
1158年、族長ザグルに率いられた辺境の部族ヴェイズラ族が王...
尚武の気風を失って久しいセルジューク軍は連敗を重ね王都ア...
スルタンを廃位したザグルはアッバース朝のカリフに接近し、...
#ref(028_1158.jpg,nolink)
ヴェイズラ王朝の創始者ザグル イスラム世界は栄枯盛衰が激...
**ドイツの混乱とフランスの台頭 [#lbea5d2c]
1160年4月23日
神聖ローマ皇帝ヘルマンが崩御。14歳の長男のアドルフ2世が...
帝国は4年前に選挙制を廃しツェーリンゲン家による世襲制へと...
アドルフの帝位を認めない一部の諸侯の反乱は想定の範囲内で...
しかし事はヘルマンの想定を超える方向へと向かっていく。
ヘルマンは帝位の資格は皇帝の血統にあるとした。
しかし皇帝の血を引くのはツェーリンゲン家だけではない。
ドイツ諸侯の多くは程度の差はあれ過去の皇帝の血が流れてい...
特にトスカナ公は前王朝ザーリアー家の男系であり、血統を主...
かくて諸侯たちが互いに帝位を主張する内乱時代が到来するこ...
#ref(029_1160.jpg,nolink)
帝国の大乱
反乱の動機は帝位の主張だけではない。
帝国からの独立、王権の低下、継承法の変更、さらにはツェー...
隣国の弱体化は勢力伸長の好機である。
父アンリ2世がスペインにご執心だったのに対し、フィリップ...
王太子ルイの妃にトスカナ公女を選んだのも将来の北イタリア...
しかしトスカナはフランス本土と離れている。安定的な支配を...
丁度ピエモンテのスーザ女公イーゼントルーデは皇帝に反旗を...
フィリップは女系でスーザ公の血を引くヴィエンヌ伯アルヌル...
#ref(030_1160.jpg,nolink)
ヴィエンヌ伯アルヌルフ こういう時の為に周辺諸国の請求権...
突然のフランスの侵攻に対し帝国は有効な対応をとることが出...
それでも山国スーザは1年以上持ちこたえたが、数の差は如何と...
1162年2月4日
イーゼントルーデは降伏しアルヌルフがフランス主権下でスー...
#ref(031_1162.jpg,nolink)
イタリア進出の第一歩
1162年11月9日
アドルフ2世は廃位され、叔父のジークフリートが皇帝に即位...
#ref(033_1162.jpg,nolink)
神聖ローマ皇帝ジークフリート フィリップの妹婿でもある
ジークフリートは帝位に就く為に一族や諸侯に大幅な譲歩を余...
王権は低下し継承法もツェーリンゲン家による分割相続に改め...
長子相続による強力な帝権を目指したヘルマンの野望は分割相...
しかもこれで帝国に平和が訪れたわけではない。
翌年にはジークフリートの弟オットーを擁する諸侯たちの大反...
フィリップが目をつけたのはジェノヴァである。
ジェノヴァ共和国はすでに皇帝ヘルマンによって廃絶させられ...
フィリップはあらかじめ捏造していた要求権を行使してジェノ...
更にはニース司教をも臣従させジェノヴァ公を称した。
#ref(034_1164.jpg,nolink)
イタリア進出の第二歩
フィリップは父アンリ2世以来のイベリア政策も継続していた。
1163年にはイベリア半島最後のイスラム国ムルシアに聖戦を布...
翌年8月4日にはこれを併合している。
#ref(035_1164.jpg,nolink)
タイファの黄昏
これによりイベリア半島のムスリム勢力はほぼ消滅した。
厳密にはまだマヨルカ島が残ってはいたが、これも消滅は時間...
これ以降、イベリアにおける覇権はキリスト教徒の間で争われ...
**死の季節 [#tfb2ca22]
1162年3月17日
大臣ワルテールが急逝した。36歳の若さだった。
後任の大臣にはサンリ男爵ギラナナームが任命された。
ギラナナームは大臣キナートの嫡子であり、祖父ライアンから...
#ref(032_1162.jpg,nolink)
大臣サンリ男爵ギラナナーム まさかの三世顧問
1163年2月1日
野心的な叔父ブルターニュ公ジュリアンが死去。長男のゴドフ...
フィリップにとって最大の懸案事項が消えた事になるわけだが...
1163年2月3日
ノルマンディー公ヴァルランが死去。同名の長男ヴァルラン2...
ヴァルランは父アンリ2世に反逆し投獄されていたのだが、フ...
死因は苛烈な徴税に激昂したパリ市民の暴動による負傷であっ...
後任の家令にはティロン男爵ジャンが選ばれたが、彼もまた苛...
1164年3月12日
ポワトゥ女公エルマンガルドが死去。長男ゴドフロワが公領を...
彼はブルターニュ公ゴドフロワの長男でもあり、いずれはブル...
1164年9月15日
アンジュー公ジョフロワが死去。長男フルク5世が公領を継承...
フルクはまだ幼年であったため、パリの宮廷においてフィリッ...
かつてフィリップ2世の祖父フィリップ1世も、フルクの同名...
その故事に習ったものなのかどうかは定かではないが、これは...
フルク4世は夭折しているからだ。
1164年1月12日
王太子ルイとトスカナ公女アデリンデの婚儀が成立した。
訃報が続いた王国にとって久しぶりの慶事にパリの市民たちも...
しかし翌年、夫妻はフランスから去って行くことになる。
1165年4月3日
イングランド女王セスリスが49歳で崩御した。
#ref(036_1165.jpg,nolink)
ウェセックス王朝の終焉
同日、イングランド王位を継承した長男ルイはロンドンに旅立...
#ref(037_1165.jpg,nolink)
イングランド王ルイ1世 後にルイ6世としてフランス王位も...
これによって、近い将来フランスとイングランドが統合される...
**アキテーヌ [#p1d0c1af]
1165年5月1日
フィリップは再婚した。
相手は名もない庶民の娘ベアトリクスである。
#ref(038_1165.jpg,nolink)
後妻ベアトリクス 後妻は能力本位(主に管理)で選びます
ささやかな結婚式が行われていたまさにその日、カステリョン...
フィリップ2世の治世後半は頻発する農民反乱に悩まされる事...
この反乱も現地諸侯の手であっけなく鎮圧されている。
しかし同年8月1日にジェノヴァで発生した反乱はただの農民反...
1165年8月1日
下級貴族マッシモはイタリア解放を掲げ挙兵。
目的はイタリア王国の再興である。
#ref(039_1165.jpg,nolink)
ただの百姓一揆ではない
反乱軍を甘く見ていたフィリップはプロヴァンス公など近隣の...
南仏諸州を蹂躙して回った。
反乱軍が北上しパリまで迫るにいたり、事態の重大さに気付い...
#ref(040_1166.jpg,nolink)
ヴァンドームの戦い 反乱軍は虫の息
1166年8月7日
1年にわたって続いた反乱は鎮圧されマッシモは処刑された。
フィリップはかつてトルコ人クテイを許し家臣としたが、今回...
1166年12月1日
オック人ダヴィに率いられた農民たちがアキテーヌ王国再興を...
密偵長ライナウの危惧は現実となったのだ。
#ref(041_1166.jpg,nolink)
出自不明の愛国者
時あたかも国王主催の饗宴のただ中である。
楽しいはずの饗宴の場は一瞬にして政争の場と成り果てた。
>「一介の騎士がこれ程の兵力を集められるわけがない。どこか...
辛辣な言葉で南仏諸侯を口撃したのは王弟ブルゴーニュ公マナ...
オクシタニアの5つの公領のうち、アキテーヌ、トゥールーズ...
マナセスの口撃の対象はオック人の伯たち、具体的にはフォワ...
オクシタニアには他にも多くの伯領があるが、いずれもフィリ...
>「馬鹿な!我らの王家に対する忠誠を疑っておられるのか!?」
フォワ伯ベネモットは激昂するが、マナセスは意に介さない。
>「はて、私は誰ともいっておりませぬが。それとも思い当たる...
>「断じて無い!我々とて貴族だ。馬賊の如き叛徒に協力するほ...
>「協力者はむしろ宮中におられるのではないですかな?」
ナルボンヌ伯ジョルジの言葉に密偵長ライナウの顔色が変わっ...
伯はライナウの旧主にあたる。
>「確かに…イタリアの騒乱と歩調を合わせたかの如き此度の反...
同調したのはポワトゥ公ゴドフロワである。
フィリップ1世以来フランスの国政は王と数人の顧問によって...
顧問団(その多くは低い身分の出身)に対する反感は多くの諸...
>「余はこの中に裏切り者がおるなどとは考えておらん」
フィリップはうんざりした口調で一同を制した。
>「速やかに追討軍を編成し逆徒どもを討伐する。皆も領国に戻...
半ば強引に諸侯たちを追い出し自室に戻ったフィリップの下に...
>「アキテーヌ王に即位されるべきです」
ギラナナームは単刀直入に切り出した。
オクシタニアの貴族たちには今なおアキテーヌ王国への追慕の...
フィリップが王位に就くことで彼らの支持を得ることが期待で...
しかしフィリップは消極的だった。
フィリップにとってはオクシタニアもフランスの一部なのだ。
フィリップはライナウを自室に呼んだ。
>「亡霊を呼び寄せることになりましょうな」
オック人ライナウは断固として反対した。
オクシタニアがフランス王権に服してすでに100年を越え、民の...
このまま何もしなければオック人とフランク人の垣根はなくな...
過去の亡霊を蘇らせても野心家に口実を与え無益な戦乱を招く...
フィリップはライナウの意見を取り入れアキテーヌ王位を封印...
1167年9月14日
アキテーヌ解放反乱は鎮圧され指導者ダヴィは処刑された。
**不倫と結婚 [#o5faf565]
1066年3月15日
次男アンリとアングレーム伯女シェシリアの婚約が成立。
翌年10月10日にはフィリップと後妻ベアトリクスの間に娘エロ...
14年ぶりに生まれた娘をフィリップは溺愛した。
エロディには相応しい婿を探してやらねばならぬ。
久しぶりに家庭的な幸福に浸っていたある日、その報告はもた...
>「イングランド王ルイには隠し子がいる」
ルイは宮廷の女官との間にフランチェサという娘をもうけてお...
フィリップは激怒した。
男子たるもの浮気の1つや2つはするだろう。
しかし生まれた以上責任をもって育てるのが父親としての義務...
そう、男子たるもの浮気くらいは・・・
#ref(042_1168.jpg,nolink)
一戦交えてきました
1168年11月5日
フィリップに三男クロテールが誕生した。
母親はアルモディスという宮廷の女官である。
フィリップはクロテールを認知し王子として育てる事を宣言し...
1170年12月31日
次女エロディとビザンティン帝国皇太子ダニエルの婚約が成立...
エロディは3歳、ダニエルは1歳の幼児である。
エロディには誰よりも立派な家に嫁がせたい。ならば相手は皇...
1171年3月8日
長女ドゥースと旧ブルゴーニュ公家の嫡子ウンベールが結婚し...
ブルゴーニュ家はフランス王ロベール2世の次男ロベールに発...
1086年に反逆罪でフィリップ1世によって公位を剥奪されてか...
新たにディジョン伯となった王弟マナセスがブルゴーニュ公に...
ただし1134年に傍流のアンリが戦功によってアルト・アラゴン...
ウンベールは没落したディジョン伯の嫡子である。
ボードゥアン伯はこの結婚に不満をもった。
王の娘婿となれば当然所領を与えられる。ましてや相手は嫡流...
フィリップはボードゥアンの主張を受け入れウンベールを婿養...
この決定以降、ブルゴーニュ家はアラゴン系が嫡流とみなされ...
婿養子となったウンベールは財務の才に優れていたため、ディ...
#ref(043_1171.jpg,nolink)
家令ウンベール フィリップ2世の婿養子
ウンベールは王族に準ずる立場となり、いずれは公爵位を授け...
1172年6月10日
元帥アンドレが71歳で亡くなり、嫡子エチエンヌが後任の元帥...
大臣ギラナナームに続いての三世顧問である。
#ref(044_1172.jpg,nolink)
元帥ジャルゴー男爵エチエンヌ 武芸大会で優勝したかつての...
訃報はなおも続く。
1172年7月1日
ガスコーニュ女公マオーが死去。長男ロウボーが公領を継承し...
1173年1月6日
フィリップ2世に養育されていたアンジュー公フルク5世が夭...
妹のアリックスが公領を継承した。
かつて同名の祖父フルク4世もフィリップ1世に養育され夭折...
もちろん偶然以外の何物でもないが、人々は無責任なうわさ話...
パリやアンジェの市中にはカペー陰謀論を唱える落書も現れる...
**ナヴァラ征服 [#b5ebadae]
かつてガルシア2世によって統合されていたイベリア北中部は...
対してフランス王が統治するアンダルシアとアラゴンは秩序が...
その原因はいうまでもない。
ヒメノ家の分割相続制度にあった。
#ref(045_1173.jpg,nolink)
1173年のスペイン ヒメノ家の諸王国は国土が入り乱れてカオ...
そんなある日、大臣ギラナナームが参内し恭しく古文書を提示...
>「ナヴァラとナヘラがカペー家の正統な領土であることが判明...
ナヴァラはバスク人の土地であり歴史上異民族に服属したこと...
カペー家は勿論歴代のフランク王もこの地を支配したことなど...
古文書が捏造であることは明白であった。
しかしフィリップはこれを採用し最大限に活用した。
1173年12月14日
フィリップはナヴァラ王マンリケに宣戦を布告。ピレネーを越...
#ref(046_1174.jpg,nolink)
ピレネーを越えたフランス軍
同族のレオン王やガリシア王も参陣するが強勢を誇るフランス...
1175年6月5日
ナヴァラ王マンリコは降伏。
ナヴァラ・ナヘラの両伯領はフランス王に帰する事になった。
#ref(047_1175.jpg,nolink)
でも文化条件があるナヴァラ王位は奪えない…
フィリップはナヴァラの王位も欲したがフランク人の即位はバ...
マンリコは本貫地を失いながらもトレドでナヴァラ王位を保持...
1175年6月10日
フィリップはヒメノ家傍流でフランスの食客となっていたエル...
また同時にアルト・アラゴン伯ボードゥアン(前述のブルゴー...
**晩年 [#tbe1a03a]
1174年5月1日
イングランド王ルイと王妃アデリンデに長男ルイが誕生した。
フィリップは会いたがったがイングランドで生まれ育った孫の...
1175年5月1日
ネーデルラント王国再興を掲げる解放反乱が発生。
1176年にはブルボンで、1177年にはデニアで、1178年にはティ...
1178年3月18日
王弟ブルゴーニュ公マナセスが死去。長男ウンベールが公領を...
弟の死に気落ちしたフィリップは体調を崩し病床につくことが...
1180年1月24日
ビザンティン皇帝フィリッポスが崩御。
次女エロディの婚約者ダニエルが帝位を継承した。
#ref(048_1180.jpg,nolink)
ビザンティン帝国皇帝ダニエル 名君になりそうな予感
将来の娘婿の即位をフィリップは喜んだが、娘の結婚をこの目...
1181年3月16日
フィリップ2世は崩御した。
享年70
イングランド王ルイがフランス・アンダルシア・アラゴン・エ...
#ref(049_1181.jpg,nolink)
**後世の評価 [#u3f5010e]
フィリップ2世の治世は41年の長きに及ぶが諸侯の反乱は一例...
祖父フィリップ1世や父アンリ2世の治世が諸侯の反乱に悩ま...
その一方で農民や独立派による反乱が、とくに治世後半に頻発...
フィリップ2世の時代はフランス経済の発展期でフランドル地...
頻発する農民反乱の背景には急激な経済成長であらわになった...
フィリップ2世の時代は神聖ローマ帝国の内乱期にほぼ重なっ...
外交面で最大の出来事は王太子ルイのイングランド継承であり...
なお今日一部の史家はフィリップは無神論者だったと論じてい...
**あとがき [#s39378e1]
怖いくらい順調に進んでいます。
今回のプレイではHREがグダグダなのでそれに救われている...
ヘルマン帝が長子相続を導入したのが転機だと思います。
次のルイ6世からはイングランドも領土に加わってかなりの大...
まだプレイ中なので少し時間がかかりますが気長にお付き合い...
幕間 1181年のフランス王国へ[[AAR/王朝序曲/1181年のフラン...
終了行:
[[AAR/王朝序曲]]
*フィリップ2世の治世・後半 [#d843a658]
**内外情勢 [#dd6fdc04]
***ドイツ [#xa09346f]
1155年8月4日
ヘント防衛戦争終結から約1月後、皇帝ヘルマンが同盟者であ...
昨年来続いていた帝国の内乱、特に独立を求めるロンバルディ...
同盟を破って侵略してきた皇帝が同盟者としての義務を要求し...
フィリップはヘルマンの破廉恥さに呆れながらも要請を受諾し...
黙殺してもよかったのだが戦況は皇帝側が優勢であり、形の上...
#ref(023_1155.jpg,nolink)
神聖ローマ皇帝ヘルマン 面の皮が厚いとはコイツの為にある...
1156年5月18日
反乱を鎮圧した皇帝ヘルマンは王権法を改正。
帝国諸侯の対外戦争を禁じ平和を実現する事が名目であったが...
#ref(025_1156.jpg,nolink)
帝国が強力な王権を採択
神聖ローマ帝国は当時のカトリック世界の最強国であったが、...
その最大の原因は前述した選挙王制にある。
歴代の皇帝は帝位に就くために選挙権を持つ諸侯たちの歓心を...
1156年9月1日
皇帝ヘルマンは勅書を発布して諸侯の国王選挙権を剥奪。
皇帝の資格を有する者は神に選ばれた皇帝の血統のみにあると...
しかしこれはドイツの実態と乖離したものであり、一方的に特...
***フランス [#h297aa74]
1154年2月10日
長女ドゥースが誕生した。
1156年4月3日
成人した末弟ジャフルをバレンシア公に封じた。
王子は全て公爵にするのがカペーの伝統である。
#ref(024_1156.jpg,nolink)
バレンシア公ジャフル アンリ2世の死後に誕生した末っ子
1156年8月29日
ギネス伯コナンが死去。57歳であった。
コナンはフィリップ1世に征服されたブルターニュ小王国の最...
4歳で国を失い親族のいるコーンウォールで亡命生活をしていた...
その葬儀は王に対する礼遇をもって盛大に挙行された。
1157年4月10日
ライナウと名乗るオック人が宮廷に現れた。
元はナルボンヌ伯の密偵長であったのだが、伯とはそりが合わ...
オクシタニアはフランスとは異なる言語・文化をもった地域で...
ライナウの故郷ナルボンヌも反仏感情が強くフランス王権から...
しかしライナウは違う考えをもっていた。
アキテーヌ王国が消滅してすでに300年になるのだ。
そのような幻想は捨ててフランス王権に協力していくことで、...
フィリップはライナウの能力を評価し密偵長に任じた。
#ref(026_1157.jpg,nolink)
密偵長ライナウ ヒゲの形がフィリップと同じ
1159年4月23日
フィリップは大臣ワルテールをブルタイユ男爵に、密偵長ライ...
***イスラム世界 [#ia0e5789]
当時、モーリタニアはムラービト朝の統治下にあった。
ムラービトゥーンとよばれる神秘的なイスラム武装集団に起源...
12世紀に入ってからは衰退に向かい、しかも王位を巡る内乱状...
ムラービト朝の混乱を好機と見たシーア派《カリフ》ケマラッ...
モーリタニアの土侯たちは雪崩をうって軍門に下りムラービト...
#ref(027_1157.jpg,nolink)
モーリタニアを征服したファーティマ朝
ファーティマ朝が版図を拡大した同じころ、イスラム世界のも...
退廃したセルジューク家に見切りをつけたトルコの君侯たちは...
終わりは突然やってきた。
1158年、族長ザグルに率いられた辺境の部族ヴェイズラ族が王...
尚武の気風を失って久しいセルジューク軍は連敗を重ね王都ア...
スルタンを廃位したザグルはアッバース朝のカリフに接近し、...
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ヴェイズラ王朝の創始者ザグル イスラム世界は栄枯盛衰が激...
**ドイツの混乱とフランスの台頭 [#lbea5d2c]
1160年4月23日
神聖ローマ皇帝ヘルマンが崩御。14歳の長男のアドルフ2世が...
帝国は4年前に選挙制を廃しツェーリンゲン家による世襲制へと...
アドルフの帝位を認めない一部の諸侯の反乱は想定の範囲内で...
しかし事はヘルマンの想定を超える方向へと向かっていく。
ヘルマンは帝位の資格は皇帝の血統にあるとした。
しかし皇帝の血を引くのはツェーリンゲン家だけではない。
ドイツ諸侯の多くは程度の差はあれ過去の皇帝の血が流れてい...
特にトスカナ公は前王朝ザーリアー家の男系であり、血統を主...
かくて諸侯たちが互いに帝位を主張する内乱時代が到来するこ...
#ref(029_1160.jpg,nolink)
帝国の大乱
反乱の動機は帝位の主張だけではない。
帝国からの独立、王権の低下、継承法の変更、さらにはツェー...
隣国の弱体化は勢力伸長の好機である。
父アンリ2世がスペインにご執心だったのに対し、フィリップ...
王太子ルイの妃にトスカナ公女を選んだのも将来の北イタリア...
しかしトスカナはフランス本土と離れている。安定的な支配を...
丁度ピエモンテのスーザ女公イーゼントルーデは皇帝に反旗を...
フィリップは女系でスーザ公の血を引くヴィエンヌ伯アルヌル...
#ref(030_1160.jpg,nolink)
ヴィエンヌ伯アルヌルフ こういう時の為に周辺諸国の請求権...
突然のフランスの侵攻に対し帝国は有効な対応をとることが出...
それでも山国スーザは1年以上持ちこたえたが、数の差は如何と...
1162年2月4日
イーゼントルーデは降伏しアルヌルフがフランス主権下でスー...
#ref(031_1162.jpg,nolink)
イタリア進出の第一歩
1162年11月9日
アドルフ2世は廃位され、叔父のジークフリートが皇帝に即位...
#ref(033_1162.jpg,nolink)
神聖ローマ皇帝ジークフリート フィリップの妹婿でもある
ジークフリートは帝位に就く為に一族や諸侯に大幅な譲歩を余...
王権は低下し継承法もツェーリンゲン家による分割相続に改め...
長子相続による強力な帝権を目指したヘルマンの野望は分割相...
しかもこれで帝国に平和が訪れたわけではない。
翌年にはジークフリートの弟オットーを擁する諸侯たちの大反...
フィリップが目をつけたのはジェノヴァである。
ジェノヴァ共和国はすでに皇帝ヘルマンによって廃絶させられ...
フィリップはあらかじめ捏造していた要求権を行使してジェノ...
更にはニース司教をも臣従させジェノヴァ公を称した。
#ref(034_1164.jpg,nolink)
イタリア進出の第二歩
フィリップは父アンリ2世以来のイベリア政策も継続していた。
1163年にはイベリア半島最後のイスラム国ムルシアに聖戦を布...
翌年8月4日にはこれを併合している。
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タイファの黄昏
これによりイベリア半島のムスリム勢力はほぼ消滅した。
厳密にはまだマヨルカ島が残ってはいたが、これも消滅は時間...
これ以降、イベリアにおける覇権はキリスト教徒の間で争われ...
**死の季節 [#tfb2ca22]
1162年3月17日
大臣ワルテールが急逝した。36歳の若さだった。
後任の大臣にはサンリ男爵ギラナナームが任命された。
ギラナナームは大臣キナートの嫡子であり、祖父ライアンから...
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大臣サンリ男爵ギラナナーム まさかの三世顧問
1163年2月1日
野心的な叔父ブルターニュ公ジュリアンが死去。長男のゴドフ...
フィリップにとって最大の懸案事項が消えた事になるわけだが...
1163年2月3日
ノルマンディー公ヴァルランが死去。同名の長男ヴァルラン2...
ヴァルランは父アンリ2世に反逆し投獄されていたのだが、フ...
死因は苛烈な徴税に激昂したパリ市民の暴動による負傷であっ...
後任の家令にはティロン男爵ジャンが選ばれたが、彼もまた苛...
1164年3月12日
ポワトゥ女公エルマンガルドが死去。長男ゴドフロワが公領を...
彼はブルターニュ公ゴドフロワの長男でもあり、いずれはブル...
1164年9月15日
アンジュー公ジョフロワが死去。長男フルク5世が公領を継承...
フルクはまだ幼年であったため、パリの宮廷においてフィリッ...
かつてフィリップ2世の祖父フィリップ1世も、フルクの同名...
その故事に習ったものなのかどうかは定かではないが、これは...
フルク4世は夭折しているからだ。
1164年1月12日
王太子ルイとトスカナ公女アデリンデの婚儀が成立した。
訃報が続いた王国にとって久しぶりの慶事にパリの市民たちも...
しかし翌年、夫妻はフランスから去って行くことになる。
1165年4月3日
イングランド女王セスリスが49歳で崩御した。
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ウェセックス王朝の終焉
同日、イングランド王位を継承した長男ルイはロンドンに旅立...
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イングランド王ルイ1世 後にルイ6世としてフランス王位も...
これによって、近い将来フランスとイングランドが統合される...
**アキテーヌ [#p1d0c1af]
1165年5月1日
フィリップは再婚した。
相手は名もない庶民の娘ベアトリクスである。
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後妻ベアトリクス 後妻は能力本位(主に管理)で選びます
ささやかな結婚式が行われていたまさにその日、カステリョン...
フィリップ2世の治世後半は頻発する農民反乱に悩まされる事...
この反乱も現地諸侯の手であっけなく鎮圧されている。
しかし同年8月1日にジェノヴァで発生した反乱はただの農民反...
1165年8月1日
下級貴族マッシモはイタリア解放を掲げ挙兵。
目的はイタリア王国の再興である。
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ただの百姓一揆ではない
反乱軍を甘く見ていたフィリップはプロヴァンス公など近隣の...
南仏諸州を蹂躙して回った。
反乱軍が北上しパリまで迫るにいたり、事態の重大さに気付い...
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ヴァンドームの戦い 反乱軍は虫の息
1166年8月7日
1年にわたって続いた反乱は鎮圧されマッシモは処刑された。
フィリップはかつてトルコ人クテイを許し家臣としたが、今回...
1166年12月1日
オック人ダヴィに率いられた農民たちがアキテーヌ王国再興を...
密偵長ライナウの危惧は現実となったのだ。
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出自不明の愛国者
時あたかも国王主催の饗宴のただ中である。
楽しいはずの饗宴の場は一瞬にして政争の場と成り果てた。
>「一介の騎士がこれ程の兵力を集められるわけがない。どこか...
辛辣な言葉で南仏諸侯を口撃したのは王弟ブルゴーニュ公マナ...
オクシタニアの5つの公領のうち、アキテーヌ、トゥールーズ...
マナセスの口撃の対象はオック人の伯たち、具体的にはフォワ...
オクシタニアには他にも多くの伯領があるが、いずれもフィリ...
>「馬鹿な!我らの王家に対する忠誠を疑っておられるのか!?」
フォワ伯ベネモットは激昂するが、マナセスは意に介さない。
>「はて、私は誰ともいっておりませぬが。それとも思い当たる...
>「断じて無い!我々とて貴族だ。馬賊の如き叛徒に協力するほ...
>「協力者はむしろ宮中におられるのではないですかな?」
ナルボンヌ伯ジョルジの言葉に密偵長ライナウの顔色が変わっ...
伯はライナウの旧主にあたる。
>「確かに…イタリアの騒乱と歩調を合わせたかの如き此度の反...
同調したのはポワトゥ公ゴドフロワである。
フィリップ1世以来フランスの国政は王と数人の顧問によって...
顧問団(その多くは低い身分の出身)に対する反感は多くの諸...
>「余はこの中に裏切り者がおるなどとは考えておらん」
フィリップはうんざりした口調で一同を制した。
>「速やかに追討軍を編成し逆徒どもを討伐する。皆も領国に戻...
半ば強引に諸侯たちを追い出し自室に戻ったフィリップの下に...
>「アキテーヌ王に即位されるべきです」
ギラナナームは単刀直入に切り出した。
オクシタニアの貴族たちには今なおアキテーヌ王国への追慕の...
フィリップが王位に就くことで彼らの支持を得ることが期待で...
しかしフィリップは消極的だった。
フィリップにとってはオクシタニアもフランスの一部なのだ。
フィリップはライナウを自室に呼んだ。
>「亡霊を呼び寄せることになりましょうな」
オック人ライナウは断固として反対した。
オクシタニアがフランス王権に服してすでに100年を越え、民の...
このまま何もしなければオック人とフランク人の垣根はなくな...
過去の亡霊を蘇らせても野心家に口実を与え無益な戦乱を招く...
フィリップはライナウの意見を取り入れアキテーヌ王位を封印...
1167年9月14日
アキテーヌ解放反乱は鎮圧され指導者ダヴィは処刑された。
**不倫と結婚 [#o5faf565]
1066年3月15日
次男アンリとアングレーム伯女シェシリアの婚約が成立。
翌年10月10日にはフィリップと後妻ベアトリクスの間に娘エロ...
14年ぶりに生まれた娘をフィリップは溺愛した。
エロディには相応しい婿を探してやらねばならぬ。
久しぶりに家庭的な幸福に浸っていたある日、その報告はもた...
>「イングランド王ルイには隠し子がいる」
ルイは宮廷の女官との間にフランチェサという娘をもうけてお...
フィリップは激怒した。
男子たるもの浮気の1つや2つはするだろう。
しかし生まれた以上責任をもって育てるのが父親としての義務...
そう、男子たるもの浮気くらいは・・・
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一戦交えてきました
1168年11月5日
フィリップに三男クロテールが誕生した。
母親はアルモディスという宮廷の女官である。
フィリップはクロテールを認知し王子として育てる事を宣言し...
1170年12月31日
次女エロディとビザンティン帝国皇太子ダニエルの婚約が成立...
エロディは3歳、ダニエルは1歳の幼児である。
エロディには誰よりも立派な家に嫁がせたい。ならば相手は皇...
1171年3月8日
長女ドゥースと旧ブルゴーニュ公家の嫡子ウンベールが結婚し...
ブルゴーニュ家はフランス王ロベール2世の次男ロベールに発...
1086年に反逆罪でフィリップ1世によって公位を剥奪されてか...
新たにディジョン伯となった王弟マナセスがブルゴーニュ公に...
ただし1134年に傍流のアンリが戦功によってアルト・アラゴン...
ウンベールは没落したディジョン伯の嫡子である。
ボードゥアン伯はこの結婚に不満をもった。
王の娘婿となれば当然所領を与えられる。ましてや相手は嫡流...
フィリップはボードゥアンの主張を受け入れウンベールを婿養...
この決定以降、ブルゴーニュ家はアラゴン系が嫡流とみなされ...
婿養子となったウンベールは財務の才に優れていたため、ディ...
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家令ウンベール フィリップ2世の婿養子
ウンベールは王族に準ずる立場となり、いずれは公爵位を授け...
1172年6月10日
元帥アンドレが71歳で亡くなり、嫡子エチエンヌが後任の元帥...
大臣ギラナナームに続いての三世顧問である。
#ref(044_1172.jpg,nolink)
元帥ジャルゴー男爵エチエンヌ 武芸大会で優勝したかつての...
訃報はなおも続く。
1172年7月1日
ガスコーニュ女公マオーが死去。長男ロウボーが公領を継承し...
1173年1月6日
フィリップ2世に養育されていたアンジュー公フルク5世が夭...
妹のアリックスが公領を継承した。
かつて同名の祖父フルク4世もフィリップ1世に養育され夭折...
もちろん偶然以外の何物でもないが、人々は無責任なうわさ話...
パリやアンジェの市中にはカペー陰謀論を唱える落書も現れる...
**ナヴァラ征服 [#b5ebadae]
かつてガルシア2世によって統合されていたイベリア北中部は...
対してフランス王が統治するアンダルシアとアラゴンは秩序が...
その原因はいうまでもない。
ヒメノ家の分割相続制度にあった。
#ref(045_1173.jpg,nolink)
1173年のスペイン ヒメノ家の諸王国は国土が入り乱れてカオ...
そんなある日、大臣ギラナナームが参内し恭しく古文書を提示...
>「ナヴァラとナヘラがカペー家の正統な領土であることが判明...
ナヴァラはバスク人の土地であり歴史上異民族に服属したこと...
カペー家は勿論歴代のフランク王もこの地を支配したことなど...
古文書が捏造であることは明白であった。
しかしフィリップはこれを採用し最大限に活用した。
1173年12月14日
フィリップはナヴァラ王マンリケに宣戦を布告。ピレネーを越...
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ピレネーを越えたフランス軍
同族のレオン王やガリシア王も参陣するが強勢を誇るフランス...
1175年6月5日
ナヴァラ王マンリコは降伏。
ナヴァラ・ナヘラの両伯領はフランス王に帰する事になった。
#ref(047_1175.jpg,nolink)
でも文化条件があるナヴァラ王位は奪えない…
フィリップはナヴァラの王位も欲したがフランク人の即位はバ...
マンリコは本貫地を失いながらもトレドでナヴァラ王位を保持...
1175年6月10日
フィリップはヒメノ家傍流でフランスの食客となっていたエル...
また同時にアルト・アラゴン伯ボードゥアン(前述のブルゴー...
**晩年 [#tbe1a03a]
1174年5月1日
イングランド王ルイと王妃アデリンデに長男ルイが誕生した。
フィリップは会いたがったがイングランドで生まれ育った孫の...
1175年5月1日
ネーデルラント王国再興を掲げる解放反乱が発生。
1176年にはブルボンで、1177年にはデニアで、1178年にはティ...
1178年3月18日
王弟ブルゴーニュ公マナセスが死去。長男ウンベールが公領を...
弟の死に気落ちしたフィリップは体調を崩し病床につくことが...
1180年1月24日
ビザンティン皇帝フィリッポスが崩御。
次女エロディの婚約者ダニエルが帝位を継承した。
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ビザンティン帝国皇帝ダニエル 名君になりそうな予感
将来の娘婿の即位をフィリップは喜んだが、娘の結婚をこの目...
1181年3月16日
フィリップ2世は崩御した。
享年70
イングランド王ルイがフランス・アンダルシア・アラゴン・エ...
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**後世の評価 [#u3f5010e]
フィリップ2世の治世は41年の長きに及ぶが諸侯の反乱は一例...
祖父フィリップ1世や父アンリ2世の治世が諸侯の反乱に悩ま...
その一方で農民や独立派による反乱が、とくに治世後半に頻発...
フィリップ2世の時代はフランス経済の発展期でフランドル地...
頻発する農民反乱の背景には急激な経済成長であらわになった...
フィリップ2世の時代は神聖ローマ帝国の内乱期にほぼ重なっ...
外交面で最大の出来事は王太子ルイのイングランド継承であり...
なお今日一部の史家はフィリップは無神論者だったと論じてい...
**あとがき [#s39378e1]
怖いくらい順調に進んでいます。
今回のプレイではHREがグダグダなのでそれに救われている...
ヘルマン帝が長子相続を導入したのが転機だと思います。
次のルイ6世からはイングランドも領土に加わってかなりの大...
まだプレイ中なので少し時間がかかりますが気長にお付き合い...
幕間 1181年のフランス王国へ[[AAR/王朝序曲/1181年のフラン...
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