AAR/王朝序曲/アンリ2世の治世・後半
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[[AAR/王朝序曲]]
*アンリ2世の治世・後半 [#a9ded2a6]
**8年戦争 [#yeb21a26]
***スペイン狂い [#v8aadfeb]
#ref(028_1122.jpg,nolink)
1122年のスペイン
アンリ2世は後世「スペイン狂い」と呼ばれた。
それは彼が、後にスペインと呼ばれることになる土地に執拗に...
1113年にリイェダ伯領を奪った事を皮切りに、機会ある度に領...
後世8年戦争と呼ばれる長い戦いも、彼のスペイン狂いからき...
8年戦争といっても1つの戦争が8年続いたわけではなく、8...
きっかけはあるイベリア貴族がパリにやって来たことであった。
彼の名はロドリゴ。アストゥリアス女公コレクシアの叔父にあ...
1122年12月13日
アンリは彼にアスパレン男爵領を与え封建主従関係を結ぶと、...
敵はアストゥリアス公の主君、レオン王ガルシアである。
#ref(029_1123.jpg,nolink)
アスパレン男爵ロドリゴ 彼の野心が8年戦争を招く
これだけならここまで長い戦にはならなかったであろう。
しかし1123年1月7日。アンリはセビリア首長国に聖戦を布告。
国中の諸侯に動員をかけた他、騎士団にも助力を仰ぎ南北から...
レコンキスタは順調に推移しており、手をこまねいていてはイ...
そうなる前にアンダルシアを確保しておこうという腹づもりだ...
しかしそこには誤算があった。
#ref(030_1123.jpg,nolink)
1023年7月22日
北アフリカ奪取を目論むファーティマ朝がジハードを宣言。
廷臣たちは蒼白になった。
王は軍を率いてアンダルシアにいる。
大臣キナートは王不在のまま緊急顧問会議を召集。
案の定、全ての顧問がアフリカの放棄を提案した。
アフリカはフランス領になってまだ1年と経っておらず現地の...
本国の兵力の大半はイベリアにありアフリカ防衛にまわす余裕...
それにアフリカはアンリの気まぐれで征服した土地であって、...
>「降伏やむなし。それが顧問団の総意であると陛下にお伝えす...
>「陛下はお認めになりますまい」
>「その時は所領を返上して修道院にでも入るさ」
大臣が降伏を選択しようとしたそのとき、意外な知らせが舞い...
神聖ローマ帝国がアフリカ防衛に参戦を表明したのだ。
#ref(031_1123.jpg,nolink)
>「これで戦える!」
会議の空気は一変した。
降伏論は吹き飛び戦争継続の為に傭兵の雇用が決定された。
ただ1人、密偵長スヴェインだけが不満を抱いていた。
>「皇帝め余計な事をしてくれる…無駄に戦が長引くだけではな...
その後もナバラ王、イングランド王が相次いで参戦を表明。
アンリはイベリアに専念できるようになった。
***炎のアンダルシア [#e76d0165]
国王直属の常備軍、封建召集軍、そして騎士団とアンリが動員...
『十をもって一を攻める』という孫子の言葉をアンリが知って...
まずはセビリアの土侯どもを降し、しかる後に北上してレオン...
これがアンリと顧問団の描いた戦略であった。
>「セビリアを皮切りにアンダルシアを征服する」
フランス王軍は破竹の勢いでセビリアを蹂躙。数の力で都城を...
北ではレオン王の軍勢が南仏を荒らしまわっているが今は好き...
1124年7月28日。思いもよらぬ情報がアンリの陣営にもたらされ...
旧バルセロナ公家の末裔ラモン・ベレンガーが私兵団を率いて...
#ref(032_1124.jpg,nolink)
グラナダ公ラモン・ベレンガー 流転の末に家名再興を成し遂...
アンリは使者を送り祝意を伝えたが、胸の内は不満であった。
いずれ聖戦で奪い取る算段だったのだ。
1124年8月5日
セビリア首長アフマドは降伏。セビリアはフランスに併合され...
#ref(033_1124.jpg,nolink)
だがこれで終わりではない。
時を同じくして教皇ランド2世はアンダルシア十字軍を布告。
アンダルシアに駐留するアンリは即座に参戦を表明。
余勢を駆ってコルドバへ侵攻した。
#ref(034_1124.jpg,nolink)
絶好のタイミング
十字軍は最大の勲功を上げたものが征服地を総取りする。
兵力の大半をアンダルシアに置いていたアンリは絶対優位にあ...
またたくまにコルドバを降し、十字軍勝利の最大功労者となっ...
#ref(035_1125.jpg,nolink)
圧倒的な勝利
1125年7月9日
十字軍はキリスト勢の勝利に終わった。
同日、アンリはアンダルシア王国を創設し王位に就いた。
1125年7月11日
アンリはイングランドから呼び戻していた妹ブランシュの夫ウ...
アンリの始めた戦争は順調に推移するかのように見えた。
***泥沼化 [#sb4d0b68]
1125年7月20日
イングランド王エドガー2世が75歳で崩御。
長男は早世していたため次男エドゥアルトが王位を継承した。
#ref(037_1125.jpg,nolink)
ノルマンディー家とゴドウィン家を退けウェセックス王朝を再...
#ref(038_1125.jpg,nolink)
イングランド王エドゥアルト3世
一方そのころ、イベリアとアフリカの戦況は膠着状態に陥りつ...
アンリがアンダルシア征服に没入している間に南仏諸州はレオ...
その上、1124年のシャロレー司教反乱を皮切りに王国各地で伯...
アンリは兵力を南仏奪還と反乱鎮圧に向けざるおえず、そうす...
諸侯だけではない。農民反乱もコルドバやパレスチナで頻発し...
また、アフリカ方面も一進一退の状況が続いておりアンリはそ...
そんな中1126年1月26日。アンリはアンジュー公ジョフロワの逮...
妹婿フルクの子ジョフロワは成長して権力を求める謀略家にな...
王位を望む陰謀を目論むことも一度ならずあったが、父王に愛...
しかし反乱が頻発する情勢がアンリを強権的な君主に変えてい...
王は密偵長に潜在的脅威の排除を命じ、政治的陰謀を目論む輩...
また反乱を起こした諸侯や農民も容赦なく投獄。
牢獄に収容される政治犯は年を追うごとに増え続け、王の晩年...
1126年10月29日
王太子フィリップとイングランド王女セスリスの婚約が成立し...
#ref(039_1126.jpg,nolink)
この縁組が歴史を大きく変えることになる
1127年4月7日。元トゥールーズ公ギョームがひっそりとこの世...
ギョームは七大公の最後の生存者であり、これでラウル摂政期...
***大戦末期 [#w96590db]
1127年11月2日
レオン王ガルシアがカスティーリャ王位を継承。
カスティーリャ・レオン・アラゴン・ガリシアの4王国が1人...
#ref(040_1127.jpg,nolink)
カスティーリャ王ガルシア2世 第一称号がカスティーリャに...
#ref(041_1129.jpg,nolink)
8年戦争後半の情勢 なかなか厳しい情勢にある
アフリカは一進一退の状況にあったが、1128年6月に聖ヨハネ騎...
1129年3月29日
長きに渡る戦いに疲弊したカリフは休戦を提案。アフリカ防衛...
#ref(042_1129.jpg,nolink)
キリスト教諸国や騎士団の援軍が無ければ負けていた
1129年11月。アンリは将来の王国経営を見据えて下の息子たち...
これはアンリの王国再編計画に基いている。
長男フィリップには王位を、次男ジェローには王妃の治めるプ...
結婚相手もそれを考慮して政治的に有利な相手を選ばねばなら...
アンリが息子たちの縁談に取り組むことが出来たのは、戦況が...
1130年7月24日
ヒメノ家の支配に不満を募らせていたアラゴン諸侯は連合王国...
カディス家のポンセがアラゴン王として即位した。
#ref(043_1130.jpg,nolink)
アラゴン王ポンセ 何故かケルト顔
短期間で拡大したカスティーリャ連合王国は国内に多くの矛盾...
1130年8月3日
カスティーリャ王カルシア2世は降伏。
ロドリゴはフランスの封臣としてアストゥリアス公位に就き8...
#ref(044_1130.jpg,nolink)
#ref(045_1130.jpg,nolink)
戦後のフランス領 8年も戦い続けるだけの価値はあったのだ...
**生と死 [#xc57ad5c]
1131年7月11日
三男ロベールが急逝した。
#ref(046_1131.jpg,nolink)
親より先に逝くとは…
ロベールの死によってアンリの王国再編計画は再考を余儀なく...
翌月にはリイェダとダロンでほぼ同時に農民反乱が発生。
王は諸侯の兵を動員しこれを鎮圧、反乱者を極刑に処した。
1132年3月31日
王太子フィリップはイングランド王女セスリスと結婚。
ここに仏英同盟が成立した。
イングランド王エドゥアルトはかねてよりヨーク公の反乱に悩...
アンリはこれを請け直轄領の兵をブリテン島に差し向けた。
そしてヨーク公の乱が鎮圧された翌1133年4月。アンリはアルト...
戦争は1年で終わりアルト・アラゴンはフランスに併合され、...
1134年10月3日
アンリは王弟ガスコーニュ公ジェローを家老に任じた。
今は亡き叔父ユーグのように一族の調停者の役割を期待しての...
しかしその僅か2週間後。ユーグの子、ノルマンディー公ヴァ...
捕縛を逃れたヴァルランは公然と反旗を翻した。
#ref(048_1134.jpg,nolink)
従兄弟と争うのは気が引けるが致し方ない
反乱は短期間で鎮圧されヴァルランは牢獄送りとなった。
ただし、父ユーグの勲功に免じて爵位の剥奪は免除され、ヴァ...
1134年12月18日
王妃アルジェンダが死去。
長男フィリップがプロヴァンスを継承し領国へ赴任していった。
プロヴァンスは帝国領であるが、王位継承後はフランスに編入...
#ref(049_1134.jpg,nolink)
プロヴァンス公フィリップ 外交と軍事が両極端すぎる
王妃を亡くしたアンリはめっきり老け込み宮廷の私室に籠る日...
そんな王の側にいて身辺の世話をしていたのが王妃の侍女ブラ...
彼女はやがて王に愛されるようになり翌年には再婚する。
#ref(050_1134.jpg,nolink)
王妃ブランシュ 管理能力で選びました
またこのころの王は大々的な夏市や狩猟を頻繁に行うようにな...
その中でも特筆すべきものは1134年の武芸大会である。
多数の王侯が見守る中、優勝の栄冠を手にしたのは元帥アンド...
王は次代を担う若武者の活躍にご満悦であったという。
#ref(052_1135.jpg,nolink)
同名の祖父は大臣だった
1135年1月2日
プロヴァンス公フィリップに長男ルイが誕生。
アンリはこの初孫を溺愛した。
ルイという名前もフランク族の始祖クローヴィスからとったも...
その愛情がある悲劇を生むことになる。
**イングランド問題 [#s63f23c0]
1136年8月18日
イングランド王太子シゲリクが肺炎で夭折した。
代わって次男オスウルフが王太子となったが、ウェセックス家...
#ref(053_1136.jpg,nolink)
王子オスウルフ ウェセックス家最後の男系子孫
翌日、密偵長スヴェインは王の私室を訪れた。
アンリは自分と同い年のこのノルウェー人が嫌いだった。
>「シゲリク王子が亡くなったそうで」
>「可哀想な話だが、これも神のご意思なのであろう」
>「次男のオスウルフ王子は12歳。他に男子はおりませぬ」
スヴェインに云われるまでもない。
つまり、オスウルフに万一のことがあれば長男の嫁セスリスが...
>「それがどうした。オスウルフの死を神に祈れとでも?」
>「不幸な事故は起きるものです」
>「余に人殺しをさせるつもりか!」
>「陛下がアフリカやイベリアで流された血をお忘れか」
>「戦場で闘うのは兵士だ。しかしオスウルフはまだ子供だぞ」
戦争で死ぬのは兵士だけではないのだが…
スヴェインはアンリのこういうところが嫌いだった。
>「たった1人の犠牲で仏英に平和が訪れるのです」
>「神が決めることだ」
>「この世は人の領分。神がお救いになるのはオスウルフの魂で...
>「冒涜だ」
>「セスリス妃殿下が王位を継がれた場合、次の継承者はルイ殿...
>「ルイがイングランドの王になるのか」
>「フランスとイングランドの王です。ああ、それにエルサレム...
>「…悪魔め」
アンリはスヴェインを下がらせたが、計画の中止を命じること...
アンリが悪魔に屈した瞬間だった。
#ref(054_1137.jpg,nolink)
悪魔に協力する背教者ども
**最後 [#t5059767]
1137年7月16日
カスティーリャ王ガルシアはアラゴンを再併合。
連合王国が復活した。
1138年10月21日
長女サラジーヌと神聖ローマ帝国王子ジークフリートの結婚が...
ここに帝国との同盟が成立した。
#ref(055_1138.jpg,nolink)
これで東の国境は安泰だ
そのころイベリアでは征服者ラモン・ベレンガーの興したグラ...
翌年にはラモン・ベレンガーが戦死し、娘のエスクララムンダ...
#ref(056_1138.jpg,nolink)
グラナダは劣勢にある
1138年11月15日
アンリはバレンシア首長国に対し聖戦を宣言。
フランスが外征を行うのは6年ぶりのことだった。
そしてこれが、アンリの最後の戦いになる。
1139年10月22日
イングランド王子オスウルフが死んだ。
成人した直後に起きた不幸であった。
#ref(057_1139.jpg,nolink)
死因は転落死。下手人は判明していない。
アンリがその知らせを受けたのは戦場で傷を負い手当を受けて...
これでイングランドのフランス編入はほぼ確定した。
ルイは偉大な王者として両国に君臨することになるだろう。
アンリは傷の痛みなど忘れ、再び陣頭指揮をとるべく馬にのっ...
しかし…
#ref(058_1139.jpg,nolink)
アンリ発病
1139年11月28日
アンリは病床についた。
近臣たちはオスウルフの呪いと噂した。
なにせ、不幸な事故からまだ1ヶ月なのだ。
王自身も己の所業を悔い、ひたすら神に赦しを乞い続けた。
そんなアンリに追い打ちを掛けるように…
#ref(059_1139.jpg,nolink)
王弟ジュリアンの野望
兄王の先が長くないと見たのか、ブルターニュ公ジュリアンが...
アンリの脳裏には29年前のスヴェインの言葉が蘇っていたに違...
>「畜生!」
これが、アンリの最後の言葉であった。
1140年1月26日
アンリ2世は後悔と絶望の中で崩御。
享年58
その覇業は長子フィリップ2世に引き継がれることになる。
#ref(060_1140.jpg,nolink)
**後世の評価 [#l28f37aa]
アンリ2世は次代以降の王朝の外交方針を決定づけた王として...
彼の「スペイン狂い」はアンダルシアをもたらし、結果として...
すなわちスペイン併合への道である。
また、イングランドのフランス編入に道筋をつけたことも評価...
アフリカ征服の意図は本人にしかわからないが、ある史家によ...
しかしそれは実現不可能な夢であった。
少なくともこの時代においては。
内政面では親王領制度の創設が特筆される。
ただし、城塞や都市のインフラ整備はほとんどなされなかった。
これは父王の時代とは対照的であるが、収入のほとんどが戦費...
**あとがき [#yfc5e670]
今回は行き当たりばったりです。
方向性としてはスペイン→イタリアと進出してゆくゆくは西ロー...
長男の結婚ですが、最初からイングランド乗っ取りを考えて決...
自分はプロット以外の暗殺はしない主義なので結構時間がかか...
まあ、まだ継承が確定したわけではないですが。
続きはこれからプレイするので更新に時間がかかると思います...
よろしくお願いします。
フィリップ2世の治世・前半へ[[AAR/王朝序曲/フィリップ2世...
終了行:
[[AAR/王朝序曲]]
*アンリ2世の治世・後半 [#a9ded2a6]
**8年戦争 [#yeb21a26]
***スペイン狂い [#v8aadfeb]
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1122年のスペイン
アンリ2世は後世「スペイン狂い」と呼ばれた。
それは彼が、後にスペインと呼ばれることになる土地に執拗に...
1113年にリイェダ伯領を奪った事を皮切りに、機会ある度に領...
後世8年戦争と呼ばれる長い戦いも、彼のスペイン狂いからき...
8年戦争といっても1つの戦争が8年続いたわけではなく、8...
きっかけはあるイベリア貴族がパリにやって来たことであった。
彼の名はロドリゴ。アストゥリアス女公コレクシアの叔父にあ...
1122年12月13日
アンリは彼にアスパレン男爵領を与え封建主従関係を結ぶと、...
敵はアストゥリアス公の主君、レオン王ガルシアである。
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アスパレン男爵ロドリゴ 彼の野心が8年戦争を招く
これだけならここまで長い戦にはならなかったであろう。
しかし1123年1月7日。アンリはセビリア首長国に聖戦を布告。
国中の諸侯に動員をかけた他、騎士団にも助力を仰ぎ南北から...
レコンキスタは順調に推移しており、手をこまねいていてはイ...
そうなる前にアンダルシアを確保しておこうという腹づもりだ...
しかしそこには誤算があった。
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1023年7月22日
北アフリカ奪取を目論むファーティマ朝がジハードを宣言。
廷臣たちは蒼白になった。
王は軍を率いてアンダルシアにいる。
大臣キナートは王不在のまま緊急顧問会議を召集。
案の定、全ての顧問がアフリカの放棄を提案した。
アフリカはフランス領になってまだ1年と経っておらず現地の...
本国の兵力の大半はイベリアにありアフリカ防衛にまわす余裕...
それにアフリカはアンリの気まぐれで征服した土地であって、...
>「降伏やむなし。それが顧問団の総意であると陛下にお伝えす...
>「陛下はお認めになりますまい」
>「その時は所領を返上して修道院にでも入るさ」
大臣が降伏を選択しようとしたそのとき、意外な知らせが舞い...
神聖ローマ帝国がアフリカ防衛に参戦を表明したのだ。
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>「これで戦える!」
会議の空気は一変した。
降伏論は吹き飛び戦争継続の為に傭兵の雇用が決定された。
ただ1人、密偵長スヴェインだけが不満を抱いていた。
>「皇帝め余計な事をしてくれる…無駄に戦が長引くだけではな...
その後もナバラ王、イングランド王が相次いで参戦を表明。
アンリはイベリアに専念できるようになった。
***炎のアンダルシア [#e76d0165]
国王直属の常備軍、封建召集軍、そして騎士団とアンリが動員...
『十をもって一を攻める』という孫子の言葉をアンリが知って...
まずはセビリアの土侯どもを降し、しかる後に北上してレオン...
これがアンリと顧問団の描いた戦略であった。
>「セビリアを皮切りにアンダルシアを征服する」
フランス王軍は破竹の勢いでセビリアを蹂躙。数の力で都城を...
北ではレオン王の軍勢が南仏を荒らしまわっているが今は好き...
1124年7月28日。思いもよらぬ情報がアンリの陣営にもたらされ...
旧バルセロナ公家の末裔ラモン・ベレンガーが私兵団を率いて...
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グラナダ公ラモン・ベレンガー 流転の末に家名再興を成し遂...
アンリは使者を送り祝意を伝えたが、胸の内は不満であった。
いずれ聖戦で奪い取る算段だったのだ。
1124年8月5日
セビリア首長アフマドは降伏。セビリアはフランスに併合され...
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だがこれで終わりではない。
時を同じくして教皇ランド2世はアンダルシア十字軍を布告。
アンダルシアに駐留するアンリは即座に参戦を表明。
余勢を駆ってコルドバへ侵攻した。
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絶好のタイミング
十字軍は最大の勲功を上げたものが征服地を総取りする。
兵力の大半をアンダルシアに置いていたアンリは絶対優位にあ...
またたくまにコルドバを降し、十字軍勝利の最大功労者となっ...
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圧倒的な勝利
1125年7月9日
十字軍はキリスト勢の勝利に終わった。
同日、アンリはアンダルシア王国を創設し王位に就いた。
1125年7月11日
アンリはイングランドから呼び戻していた妹ブランシュの夫ウ...
アンリの始めた戦争は順調に推移するかのように見えた。
***泥沼化 [#sb4d0b68]
1125年7月20日
イングランド王エドガー2世が75歳で崩御。
長男は早世していたため次男エドゥアルトが王位を継承した。
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ノルマンディー家とゴドウィン家を退けウェセックス王朝を再...
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イングランド王エドゥアルト3世
一方そのころ、イベリアとアフリカの戦況は膠着状態に陥りつ...
アンリがアンダルシア征服に没入している間に南仏諸州はレオ...
その上、1124年のシャロレー司教反乱を皮切りに王国各地で伯...
アンリは兵力を南仏奪還と反乱鎮圧に向けざるおえず、そうす...
諸侯だけではない。農民反乱もコルドバやパレスチナで頻発し...
また、アフリカ方面も一進一退の状況が続いておりアンリはそ...
そんな中1126年1月26日。アンリはアンジュー公ジョフロワの逮...
妹婿フルクの子ジョフロワは成長して権力を求める謀略家にな...
王位を望む陰謀を目論むことも一度ならずあったが、父王に愛...
しかし反乱が頻発する情勢がアンリを強権的な君主に変えてい...
王は密偵長に潜在的脅威の排除を命じ、政治的陰謀を目論む輩...
また反乱を起こした諸侯や農民も容赦なく投獄。
牢獄に収容される政治犯は年を追うごとに増え続け、王の晩年...
1126年10月29日
王太子フィリップとイングランド王女セスリスの婚約が成立し...
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この縁組が歴史を大きく変えることになる
1127年4月7日。元トゥールーズ公ギョームがひっそりとこの世...
ギョームは七大公の最後の生存者であり、これでラウル摂政期...
***大戦末期 [#w96590db]
1127年11月2日
レオン王ガルシアがカスティーリャ王位を継承。
カスティーリャ・レオン・アラゴン・ガリシアの4王国が1人...
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カスティーリャ王ガルシア2世 第一称号がカスティーリャに...
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8年戦争後半の情勢 なかなか厳しい情勢にある
アフリカは一進一退の状況にあったが、1128年6月に聖ヨハネ騎...
1129年3月29日
長きに渡る戦いに疲弊したカリフは休戦を提案。アフリカ防衛...
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キリスト教諸国や騎士団の援軍が無ければ負けていた
1129年11月。アンリは将来の王国経営を見据えて下の息子たち...
これはアンリの王国再編計画に基いている。
長男フィリップには王位を、次男ジェローには王妃の治めるプ...
結婚相手もそれを考慮して政治的に有利な相手を選ばねばなら...
アンリが息子たちの縁談に取り組むことが出来たのは、戦況が...
1130年7月24日
ヒメノ家の支配に不満を募らせていたアラゴン諸侯は連合王国...
カディス家のポンセがアラゴン王として即位した。
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アラゴン王ポンセ 何故かケルト顔
短期間で拡大したカスティーリャ連合王国は国内に多くの矛盾...
1130年8月3日
カスティーリャ王カルシア2世は降伏。
ロドリゴはフランスの封臣としてアストゥリアス公位に就き8...
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戦後のフランス領 8年も戦い続けるだけの価値はあったのだ...
**生と死 [#xc57ad5c]
1131年7月11日
三男ロベールが急逝した。
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親より先に逝くとは…
ロベールの死によってアンリの王国再編計画は再考を余儀なく...
翌月にはリイェダとダロンでほぼ同時に農民反乱が発生。
王は諸侯の兵を動員しこれを鎮圧、反乱者を極刑に処した。
1132年3月31日
王太子フィリップはイングランド王女セスリスと結婚。
ここに仏英同盟が成立した。
イングランド王エドゥアルトはかねてよりヨーク公の反乱に悩...
アンリはこれを請け直轄領の兵をブリテン島に差し向けた。
そしてヨーク公の乱が鎮圧された翌1133年4月。アンリはアルト...
戦争は1年で終わりアルト・アラゴンはフランスに併合され、...
1134年10月3日
アンリは王弟ガスコーニュ公ジェローを家老に任じた。
今は亡き叔父ユーグのように一族の調停者の役割を期待しての...
しかしその僅か2週間後。ユーグの子、ノルマンディー公ヴァ...
捕縛を逃れたヴァルランは公然と反旗を翻した。
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従兄弟と争うのは気が引けるが致し方ない
反乱は短期間で鎮圧されヴァルランは牢獄送りとなった。
ただし、父ユーグの勲功に免じて爵位の剥奪は免除され、ヴァ...
1134年12月18日
王妃アルジェンダが死去。
長男フィリップがプロヴァンスを継承し領国へ赴任していった。
プロヴァンスは帝国領であるが、王位継承後はフランスに編入...
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プロヴァンス公フィリップ 外交と軍事が両極端すぎる
王妃を亡くしたアンリはめっきり老け込み宮廷の私室に籠る日...
そんな王の側にいて身辺の世話をしていたのが王妃の侍女ブラ...
彼女はやがて王に愛されるようになり翌年には再婚する。
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王妃ブランシュ 管理能力で選びました
またこのころの王は大々的な夏市や狩猟を頻繁に行うようにな...
その中でも特筆すべきものは1134年の武芸大会である。
多数の王侯が見守る中、優勝の栄冠を手にしたのは元帥アンド...
王は次代を担う若武者の活躍にご満悦であったという。
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同名の祖父は大臣だった
1135年1月2日
プロヴァンス公フィリップに長男ルイが誕生。
アンリはこの初孫を溺愛した。
ルイという名前もフランク族の始祖クローヴィスからとったも...
その愛情がある悲劇を生むことになる。
**イングランド問題 [#s63f23c0]
1136年8月18日
イングランド王太子シゲリクが肺炎で夭折した。
代わって次男オスウルフが王太子となったが、ウェセックス家...
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王子オスウルフ ウェセックス家最後の男系子孫
翌日、密偵長スヴェインは王の私室を訪れた。
アンリは自分と同い年のこのノルウェー人が嫌いだった。
>「シゲリク王子が亡くなったそうで」
>「可哀想な話だが、これも神のご意思なのであろう」
>「次男のオスウルフ王子は12歳。他に男子はおりませぬ」
スヴェインに云われるまでもない。
つまり、オスウルフに万一のことがあれば長男の嫁セスリスが...
>「それがどうした。オスウルフの死を神に祈れとでも?」
>「不幸な事故は起きるものです」
>「余に人殺しをさせるつもりか!」
>「陛下がアフリカやイベリアで流された血をお忘れか」
>「戦場で闘うのは兵士だ。しかしオスウルフはまだ子供だぞ」
戦争で死ぬのは兵士だけではないのだが…
スヴェインはアンリのこういうところが嫌いだった。
>「たった1人の犠牲で仏英に平和が訪れるのです」
>「神が決めることだ」
>「この世は人の領分。神がお救いになるのはオスウルフの魂で...
>「冒涜だ」
>「セスリス妃殿下が王位を継がれた場合、次の継承者はルイ殿...
>「ルイがイングランドの王になるのか」
>「フランスとイングランドの王です。ああ、それにエルサレム...
>「…悪魔め」
アンリはスヴェインを下がらせたが、計画の中止を命じること...
アンリが悪魔に屈した瞬間だった。
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悪魔に協力する背教者ども
**最後 [#t5059767]
1137年7月16日
カスティーリャ王ガルシアはアラゴンを再併合。
連合王国が復活した。
1138年10月21日
長女サラジーヌと神聖ローマ帝国王子ジークフリートの結婚が...
ここに帝国との同盟が成立した。
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これで東の国境は安泰だ
そのころイベリアでは征服者ラモン・ベレンガーの興したグラ...
翌年にはラモン・ベレンガーが戦死し、娘のエスクララムンダ...
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グラナダは劣勢にある
1138年11月15日
アンリはバレンシア首長国に対し聖戦を宣言。
フランスが外征を行うのは6年ぶりのことだった。
そしてこれが、アンリの最後の戦いになる。
1139年10月22日
イングランド王子オスウルフが死んだ。
成人した直後に起きた不幸であった。
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死因は転落死。下手人は判明していない。
アンリがその知らせを受けたのは戦場で傷を負い手当を受けて...
これでイングランドのフランス編入はほぼ確定した。
ルイは偉大な王者として両国に君臨することになるだろう。
アンリは傷の痛みなど忘れ、再び陣頭指揮をとるべく馬にのっ...
しかし…
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アンリ発病
1139年11月28日
アンリは病床についた。
近臣たちはオスウルフの呪いと噂した。
なにせ、不幸な事故からまだ1ヶ月なのだ。
王自身も己の所業を悔い、ひたすら神に赦しを乞い続けた。
そんなアンリに追い打ちを掛けるように…
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王弟ジュリアンの野望
兄王の先が長くないと見たのか、ブルターニュ公ジュリアンが...
アンリの脳裏には29年前のスヴェインの言葉が蘇っていたに違...
>「畜生!」
これが、アンリの最後の言葉であった。
1140年1月26日
アンリ2世は後悔と絶望の中で崩御。
享年58
その覇業は長子フィリップ2世に引き継がれることになる。
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**後世の評価 [#l28f37aa]
アンリ2世は次代以降の王朝の外交方針を決定づけた王として...
彼の「スペイン狂い」はアンダルシアをもたらし、結果として...
すなわちスペイン併合への道である。
また、イングランドのフランス編入に道筋をつけたことも評価...
アフリカ征服の意図は本人にしかわからないが、ある史家によ...
しかしそれは実現不可能な夢であった。
少なくともこの時代においては。
内政面では親王領制度の創設が特筆される。
ただし、城塞や都市のインフラ整備はほとんどなされなかった。
これは父王の時代とは対照的であるが、収入のほとんどが戦費...
**あとがき [#yfc5e670]
今回は行き当たりばったりです。
方向性としてはスペイン→イタリアと進出してゆくゆくは西ロー...
長男の結婚ですが、最初からイングランド乗っ取りを考えて決...
自分はプロット以外の暗殺はしない主義なので結構時間がかか...
まあ、まだ継承が確定したわけではないですが。
続きはこれからプレイするので更新に時間がかかると思います...
よろしくお願いします。
フィリップ2世の治世・前半へ[[AAR/王朝序曲/フィリップ2世...
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