AAR/歴史資料集 図説 ローマ帝国の再興と拡大/11世紀後半
をテンプレートにして作成
[
トップ
] [
新規
|
一覧
|
検索
|
最終更新
|
ヘルプ
]
開始行:
[[AAR/歴史資料集 図説 ローマ帝国の再興と拡大]]
前ページ [[AAR/歴史資料集 図説 ローマ帝国の再興と拡大/...
**11世紀後半 [#z364cdf9]
&ref(11世紀中盤.jpg);
さらなる攻勢を続けるイシドロス帝は1061年、モーリタニア属...
&ref(モーリタニア.jpg);
地中海を再び「内海」とし、
余勢を駆って3年後、400年にわたって帝国を悩ませてきたイス...
メッカを陥落させます。
&ref(メッカ.jpg);
敵は最早無いように見える帝国ですが、それを未だ恐れず攻撃...
北の海賊達です。
&ref(海賊.jpg);
ヴァリャーギ親衛隊とも相談したところ、彼らの信奉する北の...
つまり彼らの信仰を捨てさせなければ、この海賊から帝国が解...
&ref(Norse地域.jpg);
かつてアリウス派の伝道師がゲルマンへの伝道を達成させ、あ...
しかし現在、それを行いそうなカトリックは弱体化しています...
即ち帝国が海賊から自由になるには方法は一つしかありません。
北の民族の闊歩する土地全てを支配下とすることです。
古代においては蛮族は徒歩で、あるいは騎馬でくるものであり...
1000年の経過した現在においては状況が異なるのでした。彼ら...
いつでも、どこでも、彼らの望む所に出没します。
…ここにおいて帝国の今後取るべき道が決定しました。
それは、あるいは望まぬことであったのかもしれませんが、国...
皇帝は彼ら北の民を征伐するために2つのルートを策定しまし...
一つは現在進行中の「ブリタニア再征服」を成し、さらにヒベ...
もう一つは、こちらは地中海海賊に比べれば頻度は低いのです...
黒海に現れる海賊のルートを逆にたどって行くこと-即ちドニ...
その後の帝国は、この戦略に則り、帝国領の再征服を進めなが...
また、イシドロス帝の治世下で
イェルサレム、アフリカ地方が帝国の慣習的領土に復帰、アラ...
&ref(イェルサレム復帰.jpg);
&ref(アフリカ復帰.jpg);
&ref(アラニア加入.jpg);
帝国の北伐は思わぬ結果を産みました。圧迫を感じた、カトリ...
何とフランク皇帝と婚姻していたのです。
&ref(フポ合同.jpg);
このままいくと残されたフランク~ポーランドの巨大なゲルマ...
順風満帆であった帝国の覇業に障碍が増えたこととなりました。
イシドロス帝没後、長男コンスタンティノス4世の2年に満た...
イシドロス2世帝は早速このフ・ポ合同を邪魔すべく、
内乱に陥ったフランク帝国の与党を攻めつつ、夫を支援しよう...
結果としてフランク皇帝は引きずり降ろされる形となり、
フ・ポ合同は一旦立ち消えとなしました。
しかしフ・ポ合同を潰されたカトリックは1090年、次なる策を...
「十字軍」です。
&ref(リトアニア十字軍.jpg);
十字軍は、神の名の下に複数の諸侯を束ね、特定地域を征服し...
彼らが標的とした場所はリトアニアであり、これに下手に介入...
また、帝国が聖戦の名前でもって同地を攻めてもいちおう同じ...
彼ら十字軍と敵対することもできず、
結果イシドロス2世はこれに直接は手出しができない状態にな...
イシドロス2世は結局これまでの方針を継続するに留まります。
イタリアにいまだフランク帝国が保持していた土地の攻略にか...
1089年、ついにローマの本国たる全イタリアの回復に成功しま...
&ref(イタリア.jpg);
次いで1099年には全ヒスパニアの回復にも成功、
また砂漠の彼方のマリでは再び在地の宗教による解放がなされ...
結果としてイスラム教徒の諸侯を西方から駆逐したこととなり...
&ref(ヒスパニア.jpg);
またこの期間、エジプト・ナヴァラが帝国慣習領域に復帰、タ...
&ref(エジプト復帰.jpg);
&ref(ナヴァラ復帰.jpg);
&ref(タウリカ加入.jpg);
&ref(11世紀終盤.jpg);
このころの慣習領土
&ref(11世紀末慣習.jpg);
次ページ [[AAR/歴史資料集 図説 ローマ帝国の再興と拡大/...
終了行:
[[AAR/歴史資料集 図説 ローマ帝国の再興と拡大]]
前ページ [[AAR/歴史資料集 図説 ローマ帝国の再興と拡大/...
**11世紀後半 [#z364cdf9]
&ref(11世紀中盤.jpg);
さらなる攻勢を続けるイシドロス帝は1061年、モーリタニア属...
&ref(モーリタニア.jpg);
地中海を再び「内海」とし、
余勢を駆って3年後、400年にわたって帝国を悩ませてきたイス...
メッカを陥落させます。
&ref(メッカ.jpg);
敵は最早無いように見える帝国ですが、それを未だ恐れず攻撃...
北の海賊達です。
&ref(海賊.jpg);
ヴァリャーギ親衛隊とも相談したところ、彼らの信奉する北の...
つまり彼らの信仰を捨てさせなければ、この海賊から帝国が解...
&ref(Norse地域.jpg);
かつてアリウス派の伝道師がゲルマンへの伝道を達成させ、あ...
しかし現在、それを行いそうなカトリックは弱体化しています...
即ち帝国が海賊から自由になるには方法は一つしかありません。
北の民族の闊歩する土地全てを支配下とすることです。
古代においては蛮族は徒歩で、あるいは騎馬でくるものであり...
1000年の経過した現在においては状況が異なるのでした。彼ら...
いつでも、どこでも、彼らの望む所に出没します。
…ここにおいて帝国の今後取るべき道が決定しました。
それは、あるいは望まぬことであったのかもしれませんが、国...
皇帝は彼ら北の民を征伐するために2つのルートを策定しまし...
一つは現在進行中の「ブリタニア再征服」を成し、さらにヒベ...
もう一つは、こちらは地中海海賊に比べれば頻度は低いのです...
黒海に現れる海賊のルートを逆にたどって行くこと-即ちドニ...
その後の帝国は、この戦略に則り、帝国領の再征服を進めなが...
また、イシドロス帝の治世下で
イェルサレム、アフリカ地方が帝国の慣習的領土に復帰、アラ...
&ref(イェルサレム復帰.jpg);
&ref(アフリカ復帰.jpg);
&ref(アラニア加入.jpg);
帝国の北伐は思わぬ結果を産みました。圧迫を感じた、カトリ...
何とフランク皇帝と婚姻していたのです。
&ref(フポ合同.jpg);
このままいくと残されたフランク~ポーランドの巨大なゲルマ...
順風満帆であった帝国の覇業に障碍が増えたこととなりました。
イシドロス帝没後、長男コンスタンティノス4世の2年に満た...
イシドロス2世帝は早速このフ・ポ合同を邪魔すべく、
内乱に陥ったフランク帝国の与党を攻めつつ、夫を支援しよう...
結果としてフランク皇帝は引きずり降ろされる形となり、
フ・ポ合同は一旦立ち消えとなしました。
しかしフ・ポ合同を潰されたカトリックは1090年、次なる策を...
「十字軍」です。
&ref(リトアニア十字軍.jpg);
十字軍は、神の名の下に複数の諸侯を束ね、特定地域を征服し...
彼らが標的とした場所はリトアニアであり、これに下手に介入...
また、帝国が聖戦の名前でもって同地を攻めてもいちおう同じ...
彼ら十字軍と敵対することもできず、
結果イシドロス2世はこれに直接は手出しができない状態にな...
イシドロス2世は結局これまでの方針を継続するに留まります。
イタリアにいまだフランク帝国が保持していた土地の攻略にか...
1089年、ついにローマの本国たる全イタリアの回復に成功しま...
&ref(イタリア.jpg);
次いで1099年には全ヒスパニアの回復にも成功、
また砂漠の彼方のマリでは再び在地の宗教による解放がなされ...
結果としてイスラム教徒の諸侯を西方から駆逐したこととなり...
&ref(ヒスパニア.jpg);
またこの期間、エジプト・ナヴァラが帝国慣習領域に復帰、タ...
&ref(エジプト復帰.jpg);
&ref(ナヴァラ復帰.jpg);
&ref(タウリカ加入.jpg);
&ref(11世紀終盤.jpg);
このころの慣習領土
&ref(11世紀末慣習.jpg);
次ページ [[AAR/歴史資料集 図説 ローマ帝国の再興と拡大/...
ページ名: