AAR/ユサールの馬蹄記/王国の創始者Ⅰ
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[[ユサールの馬蹄記>AAR/ユサールの馬蹄記]]
*王国の創造者Ⅰ [#q1441924]
**偉大なる英雄 [#lcbc7b5a]
#ref(http://art2.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201484...
ハンガリーの首都ブダペストに現存するアールパードの騎...
&br;
「歴史はときに、突然一人の人物の中に自らを凝縮し、世界は...
これらの偉大な個人においては、普遍と特殊、留まるものと動...
危機にあっては、既成のものと新しいものとが交じり合って...
&br;
** 大きな一歩を踏み出す[#lcbc7b5a]
Álmosの不意の戦死によって大首長となったÁrpádでしたが、家...
それはÁlpádがÁlmosにとって唯一の子であり、更に彼が父以上...
&br;
マジャール大首長 Árpád 全能力10以上、更にstrong(屈強)...
#ref(http://art6.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201476...
Árpádの指揮下マジャール軍は大モラヴィア各地に散らばり、包...
とはいえ、既に戦いはPressburgで決していたのです。
#ref(http://art2.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201480...
大モラヴィア崩壊の瞬間
&br;
872年、Árpádは大モラヴィアの王Rostislavにカルパチア一帯の...
これにより領土の1/4を失った大モラヴィアは異教徒のボヘミア...
&br;
反対に、マジャール族にとっては大きな一歩です。大モラヴィ...
ドナウ中流の沿岸部を支配するバラトン公爵を残すのみ。
しかし、ここで予想もしない方向からの妨害が入ったのです。
** 叛乱[#lcbc7b5a]
#ref(http://art5.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201484...
ペレヤースラウ大族長はドニエプル川沿岸を支配しており、先...
安全な後方でもあるドニエプル川下流一帯を託された人物です...
こちらに矢を向けるとは・・・。Árpádは怒ります。しかし彼は...
軍を急行させて叛乱軍を蹴散らした後で、Árpádは叛乱側に使者...
「先の敗戦で目が覚め、自らの軽挙を悔いて今後二度と大首長...
ただし、首謀者であるペレヤースラウ大族長だけは拘束する」
敗戦で動揺していた叛乱諸侯は一も二もなく同意し、叛乱はあ...
#ref(http://art3.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201486...
今は、取り敢えずの妥協だ。
&br;
あっさりと終わった叛乱でしたが、Árpádの胸にこの時のことは...
後に彼の成す統治体制の確立は、この時の経験を基にしたもの...
** キリスト教との接触[#lcbc7b5a]
話がやや前後しますが、大モラヴィアとの戦争に勝った直後の...
Árpádを一人のキリスト教司祭が訪れます。
彼はÁrpádの偉大さを称え、此度の戦争で彼が勝ち取った領土に...
彼らに信仰の自由を認めて欲しいということ、マジャールの領...
Árpádはこれを認めます。しかし、この時点では彼自身はキリス...
キリスト教の「ご利益」が彼には今ひとつ理解できなかったの...
#ref(http://art1.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201488...
キリストの神が我々の神々より強いと、どうして分かるの...
&br;
**新たな故郷[#lcbc7b5a]
もはや障害となるものはありません。最後の独立勢力であるバ...
遂にÁrpádはカルパチア盆地一帯の征服に成功しました。
#ref(http://art3.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201489...
#ref(http://art5.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201489...
もう走り回るのは沢山だ!
&br;
「新しい王国;
マジャール族は長い旅を経て遊牧民や農民、都市の住民全て...
カルパチア盆地の豊かな平原は我々に平和と支援を提供して...
875年、Árpádは獲得したカルパチア盆地一帯の領土を「ハンガ...
そしてここまでの征服行に従った族長たちに土地を与えました...
また、ハンガリー創始という偉業を成したÁrpádを人々は'the G...
ハンガリー成立の知らせは瞬く間にドニエプルまで伝わります。
Álmosにはついて行かずドニエプル流域に留まっていた人々も、...
ハンガリーにやって来ます。
しかし、彼らが住める場所は既にどこにもなくなっていました。
新たな故郷に住むことはかなわず、かと言って元の場所に戻る...
流民化して新首都Pest周辺にたむろする人々の中で不満が爆発...
大公Árpádは考えます。ならば、再び征服すればいいだけのこと。
彼の命によって、流民たちは武器を持たされ、軍として組織さ...
#ref(http://art1.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201492...
ハンガリー成立によりPOPするイベント兵。ちょっと…多く...
&br;
「安住の地がほしいのなら、自らの手で勝ち取ってみせよ」
大公は彼らにそう言い渡しました。
しかし、どこを攻めるのか。
北は痩せた土地、まずここはありえません。
西は豊かですが、そこはKarling家の領土。普段はいがみ合うこ...
ならば…Árpádの目は南に、そして東に向けられていました。
**大征服行[#lcbc7b5a]
3万もの軍勢に攻め寄せられ、スラヴォニア、クロアチアは成す...
877年、折良くビザンチンから離反していたダルマチア公爵を攻...
これでハンガリーは初めて地中海に港を持つこととなり、更に...
勢いに乗って軍勢は今度は東進、ラシュカ公爵を屈服させます。
そして878年、
#ref(http://art2.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201493...
今度は息の根を止めてやる
&br;
カルパチアを巡って争ったブルガリア帝国()に、再び侵攻しま...
全土を奪い尽くす構えです。
これに気づいたのか、ブルガリアのハン((皇帝位を認められる...
#ref(http://art1.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201493...
一つの帝国の血を浴びて、新たな帝国が産声を上げる
&br;
Ursovaの戦いでブルガリアは傭兵含む手持ちの戦力の殆どを喪...
ブルガリア領は次々と降伏していき、ハンを含む降伏を肯んじ...
こうして、ブルガリアも全域をハンガリーに併合されます。
急速に膨れ上がるハンガリーの力。
それが元来野心家であったÁrpádを、さらなる野望へと駆り立て...
更に、東へ。そこには…
**千年帝国との激突[#lcbc7b5a]
Árpádが次に狙いを定めたのは、ディオクレア公爵領です。ここ...
しかし、そこはビザンチン帝国領。まとまった叛乱騒ぎがない...
しかし、Árpádは一昨年のダルマチア攻撃があっさりと成功した...
879年、Árpádは軍に進撃を指示。こうして、ビザンチン帝国と...
3万2千の遠征軍は、ディオクレア公爵領に殺到します。たちま...
そこに、急使がやって来ました。大公領の南端、旧ブルガリア...
軍はここで兵力を2分します。1万は引き続きZetaの包囲を、残...
**Rilaの大敗[#lcbc7b5a]
#ref(http://art3.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201494...
Rilaの戦い。戦力の逐次投入による惨敗の典型
&br;
迎撃軍が到達する前に、帝国はSerdicaを陥落させていました。...
ハンガリー軍は、これにまんまと嵌まりました。敵よりも兵力...
実際には後詰の9千は到着しておらず、兵力差は殆どありません...
不意を襲われ、動揺したところをビザンチンのカタフラクトに...
先発隊が潰走した頃にようやく到着した後詰も、先発隊と同様...
両軍の死者は、ハンガリー側1万8千に対しビザンチンは1千ほど。
大敗と言う他ないものでした。
これほどの負けの後でもハンガリー軍が戦意を維持できたのは...
特にTarkatzusは、盲目になる程の大怪我を追いながら、Rilaの...
彼らが全滅せずに戻ってきたことで、ハンガリーの兵力での優...
**雪辱戦[#lcbc7b5a]
傭兵も加えて再編成ったハンガリー軍は、再び帝国軍と相見え...
指揮をとるのは、盲目のTarkatzus。
#ref(http://art1.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201495...
今度は、
#ref(http://art7.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201495...
ハンガリー軍が勝ちました。追撃にも成功し帝国軍は壊滅。
そして、この勝利が戦いの趨勢を決定づけます。
その後4年間戦いは続きますが、終始ハンガリーが主導権を握り...
そして883年、
#ref(http://art7.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201495...
勝つには勝ったが、犠牲の大きい勝利だった
&br;
Árpádはビザンチンとの戦争に勝利。ディオクレア公爵領を手に...
しかし犠牲も大きく、遠征軍は約半数を失う結果となりました。
Árpádはこれ以上の帝国領への侵攻を断念。
モルダウ公爵領を回収しワラキア地方全土を支配下に入れる以...
王国は拡張から内充へと移行しつつあったのです。
そのⅡへと続く[[王国の創始者Ⅱ>AAR/ユサールの馬蹄記/王国の...
終了行:
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*王国の創造者Ⅰ [#q1441924]
**偉大なる英雄 [#lcbc7b5a]
#ref(http://art2.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201484...
ハンガリーの首都ブダペストに現存するアールパードの騎...
&br;
「歴史はときに、突然一人の人物の中に自らを凝縮し、世界は...
これらの偉大な個人においては、普遍と特殊、留まるものと動...
危機にあっては、既成のものと新しいものとが交じり合って...
&br;
** 大きな一歩を踏み出す[#lcbc7b5a]
Álmosの不意の戦死によって大首長となったÁrpádでしたが、家...
それはÁlpádがÁlmosにとって唯一の子であり、更に彼が父以上...
&br;
マジャール大首長 Árpád 全能力10以上、更にstrong(屈強)...
#ref(http://art6.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201476...
Árpádの指揮下マジャール軍は大モラヴィア各地に散らばり、包...
とはいえ、既に戦いはPressburgで決していたのです。
#ref(http://art2.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201480...
大モラヴィア崩壊の瞬間
&br;
872年、Árpádは大モラヴィアの王Rostislavにカルパチア一帯の...
これにより領土の1/4を失った大モラヴィアは異教徒のボヘミア...
&br;
反対に、マジャール族にとっては大きな一歩です。大モラヴィ...
ドナウ中流の沿岸部を支配するバラトン公爵を残すのみ。
しかし、ここで予想もしない方向からの妨害が入ったのです。
** 叛乱[#lcbc7b5a]
#ref(http://art5.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201484...
ペレヤースラウ大族長はドニエプル川沿岸を支配しており、先...
安全な後方でもあるドニエプル川下流一帯を託された人物です...
こちらに矢を向けるとは・・・。Árpádは怒ります。しかし彼は...
軍を急行させて叛乱軍を蹴散らした後で、Árpádは叛乱側に使者...
「先の敗戦で目が覚め、自らの軽挙を悔いて今後二度と大首長...
ただし、首謀者であるペレヤースラウ大族長だけは拘束する」
敗戦で動揺していた叛乱諸侯は一も二もなく同意し、叛乱はあ...
#ref(http://art3.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201486...
今は、取り敢えずの妥協だ。
&br;
あっさりと終わった叛乱でしたが、Árpádの胸にこの時のことは...
後に彼の成す統治体制の確立は、この時の経験を基にしたもの...
** キリスト教との接触[#lcbc7b5a]
話がやや前後しますが、大モラヴィアとの戦争に勝った直後の...
Árpádを一人のキリスト教司祭が訪れます。
彼はÁrpádの偉大さを称え、此度の戦争で彼が勝ち取った領土に...
彼らに信仰の自由を認めて欲しいということ、マジャールの領...
Árpádはこれを認めます。しかし、この時点では彼自身はキリス...
キリスト教の「ご利益」が彼には今ひとつ理解できなかったの...
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キリストの神が我々の神々より強いと、どうして分かるの...
&br;
**新たな故郷[#lcbc7b5a]
もはや障害となるものはありません。最後の独立勢力であるバ...
遂にÁrpádはカルパチア盆地一帯の征服に成功しました。
#ref(http://art3.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201489...
#ref(http://art5.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201489...
もう走り回るのは沢山だ!
&br;
「新しい王国;
マジャール族は長い旅を経て遊牧民や農民、都市の住民全て...
カルパチア盆地の豊かな平原は我々に平和と支援を提供して...
875年、Árpádは獲得したカルパチア盆地一帯の領土を「ハンガ...
そしてここまでの征服行に従った族長たちに土地を与えました...
また、ハンガリー創始という偉業を成したÁrpádを人々は'the G...
ハンガリー成立の知らせは瞬く間にドニエプルまで伝わります。
Álmosにはついて行かずドニエプル流域に留まっていた人々も、...
ハンガリーにやって来ます。
しかし、彼らが住める場所は既にどこにもなくなっていました。
新たな故郷に住むことはかなわず、かと言って元の場所に戻る...
流民化して新首都Pest周辺にたむろする人々の中で不満が爆発...
大公Árpádは考えます。ならば、再び征服すればいいだけのこと。
彼の命によって、流民たちは武器を持たされ、軍として組織さ...
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ハンガリー成立によりPOPするイベント兵。ちょっと…多く...
&br;
「安住の地がほしいのなら、自らの手で勝ち取ってみせよ」
大公は彼らにそう言い渡しました。
しかし、どこを攻めるのか。
北は痩せた土地、まずここはありえません。
西は豊かですが、そこはKarling家の領土。普段はいがみ合うこ...
ならば…Árpádの目は南に、そして東に向けられていました。
**大征服行[#lcbc7b5a]
3万もの軍勢に攻め寄せられ、スラヴォニア、クロアチアは成す...
877年、折良くビザンチンから離反していたダルマチア公爵を攻...
これでハンガリーは初めて地中海に港を持つこととなり、更に...
勢いに乗って軍勢は今度は東進、ラシュカ公爵を屈服させます。
そして878年、
#ref(http://art2.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201493...
今度は息の根を止めてやる
&br;
カルパチアを巡って争ったブルガリア帝国()に、再び侵攻しま...
全土を奪い尽くす構えです。
これに気づいたのか、ブルガリアのハン((皇帝位を認められる...
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一つの帝国の血を浴びて、新たな帝国が産声を上げる
&br;
Ursovaの戦いでブルガリアは傭兵含む手持ちの戦力の殆どを喪...
ブルガリア領は次々と降伏していき、ハンを含む降伏を肯んじ...
こうして、ブルガリアも全域をハンガリーに併合されます。
急速に膨れ上がるハンガリーの力。
それが元来野心家であったÁrpádを、さらなる野望へと駆り立て...
更に、東へ。そこには…
**千年帝国との激突[#lcbc7b5a]
Árpádが次に狙いを定めたのは、ディオクレア公爵領です。ここ...
しかし、そこはビザンチン帝国領。まとまった叛乱騒ぎがない...
しかし、Árpádは一昨年のダルマチア攻撃があっさりと成功した...
879年、Árpádは軍に進撃を指示。こうして、ビザンチン帝国と...
3万2千の遠征軍は、ディオクレア公爵領に殺到します。たちま...
そこに、急使がやって来ました。大公領の南端、旧ブルガリア...
軍はここで兵力を2分します。1万は引き続きZetaの包囲を、残...
**Rilaの大敗[#lcbc7b5a]
#ref(http://art3.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201494...
Rilaの戦い。戦力の逐次投入による惨敗の典型
&br;
迎撃軍が到達する前に、帝国はSerdicaを陥落させていました。...
ハンガリー軍は、これにまんまと嵌まりました。敵よりも兵力...
実際には後詰の9千は到着しておらず、兵力差は殆どありません...
不意を襲われ、動揺したところをビザンチンのカタフラクトに...
先発隊が潰走した頃にようやく到着した後詰も、先発隊と同様...
両軍の死者は、ハンガリー側1万8千に対しビザンチンは1千ほど。
大敗と言う他ないものでした。
これほどの負けの後でもハンガリー軍が戦意を維持できたのは...
特にTarkatzusは、盲目になる程の大怪我を追いながら、Rilaの...
彼らが全滅せずに戻ってきたことで、ハンガリーの兵力での優...
**雪辱戦[#lcbc7b5a]
傭兵も加えて再編成ったハンガリー軍は、再び帝国軍と相見え...
指揮をとるのは、盲目のTarkatzus。
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今度は、
#ref(http://art7.photozou.jp/pub/495/2994495/photo/201495...
ハンガリー軍が勝ちました。追撃にも成功し帝国軍は壊滅。
そして、この勝利が戦いの趨勢を決定づけます。
その後4年間戦いは続きますが、終始ハンガリーが主導権を握り...
そして883年、
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勝つには勝ったが、犠牲の大きい勝利だった
&br;
Árpádはビザンチンとの戦争に勝利。ディオクレア公爵領を手に...
しかし犠牲も大きく、遠征軍は約半数を失う結果となりました。
Árpádはこれ以上の帝国領への侵攻を断念。
モルダウ公爵領を回収しワラキア地方全土を支配下に入れる以...
王国は拡張から内充へと移行しつつあったのです。
そのⅡへと続く[[王国の創始者Ⅱ>AAR/ユサールの馬蹄記/王国の...
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