AAR/ヘカトンケイルの門番/ステファン2世の治世・前編
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[[AAR/ヘカトンケイルの門番]]
*ステファン2世の治世 ・前編 [#v759d82c]
**王の結婚 [#ye6a8224]
1206年8月15日
王妹エフィミヤとシチリア王フリードリヒの婚約が成立した。
フリードリヒは神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世とシチリア王女...
ステファン2世の治世におけるセルビアの強大化は巧みな婚姻...
ブラズが次に取り組んだのは王妃候補の選定である。
白羽の矢を立てたのはブルガリア王カロヤンの第二王女マリヤ...
1208年1月11日
セルビア王ステファン2世とブルガリア王女マリヤは結婚した。
大国ハンガリーに対向するための後ろ盾を期待しての政略結婚...
#ref(000_1208.jpg,nolink)
歴史を変えた結婚その1
1211年1月29日
エフィミアとシチリア王フリードリヒの結婚が成立した。
これでブルガリア・シチリアの両大国との同盟が成立した事に...
1212年1月2日
セルビア宮廷に一人の若者がやってきた。
コンスタンティノスと名乗るその若者は名門コムネノス・ドゥ...
エピロスはビザンツ亡命政権の一つだったが、1211年にアカイ...
ステファンはコンスタンティノスを密偵長に任命した上で長女...
2年後にはスヴェティ・スパス男爵領も与えている。
奇貨居くべし、である。
同じ頃、ステファンは大臣ブラズにダルマチア地方の都市ザダ...
ザダルはどの勢力にも属していない独立伯領を形勢しており、...
**クロアチア独立 [#v9295770]
1208年11月23日
クロアチア貴族たちはスラヴォニア公メルクリーイェを旗頭に...
クロアチアはセルビアより3世紀も早く王国を樹立していたが、...
ハンガリーは現地の豪族をバン(太守)に任じて間接統治を敷...
#ref(001_1208.jpg,nolink)
第二次クロアチア王国の版図 ボスニア地方は独立に加わって...
1209年5月31日
ブルガリア支配下にあったワラキア大首長エレトクが独立を求...
独立のうねりは東欧全体に広がりつつあったのだ。
1209年8月30日
ステファンの次女ジョヴァンカとクロアチア王子プロホルの婚...
ハンガリーに対する備えとして将来の同盟関係を期待しての婚...
言うまでもないことであるが、独立は宣言しただけで達成出来...
ハンガリー王イムレは不埒な逆賊を懲らしめるべく追討軍を繰...
第一次ハンガリー・クロアチア戦争の勃発である。
#ref(003_1212.jpg,nolink)
クロアチアVSハンガリー・ボヘミア連合 勝負は見えている
**ベオグラード再征服戦争 [#s3534abf]
1211年12月
ステファン2世は顧問会議を招集してハンガリー・クロアチア...
戦況はハンガリー優勢に推移しているが、ハンガリー国内にも...
もっとも、多少の時間はかかるにせよ最終的にはハンガリーが...
密偵長コンスタンティノスの報告を受けて大臣ブラズは顔をし...
>「クロアチアとの縁談は破棄した方がよいでしょうな」
>「いや、そうとも言えぬ」
王は今こそ長年の悲願を果たす好機であると考えていた。
セルビアの慣習的領域ベオグラードをハンガリー支配から解放...
>「なりませぬぞ!ハンガリーは大国です。クロアチアが落ちれ...
>「勝てるのは今しかない!今ならブルガリアとの同盟もある。...
>「されど、資金がありませぬ」
家令ヴラディスラフに向かって、王はこう言い放ったと伝わる。
>「ユダヤ人どもに借りれば良い。奴らはその為に生きておる」
1212年1月13日
セルビア王ステファンはベオグラードの慣習的領有権を主張し...
ステファンの期待通りブルガリア王カロヤンも参戦を表明し、...
#ref(004_1212.jpg,nolink)
ベオグラード 古代から争奪戦が繰り返されてきたこの都市は...
元帥シメオン率いるセルビア軍4000が王都を出立した直後、ブ...
これでブルガリアの全面的な援軍が期待できるようになる。
1213年8月23日
ハンガリーからの独立を求めニトラ公ミクローシュが反乱を起...
イムレ王は4つの敵と同時に戦う事態に陥ったのである。
#ref(002_1213.jpg,nolink)
ニトラ公の乱 ハンガリーは苦境に立たされている
当初、セルビア・ブルガリア連合軍はハンガリー領を一方的に...
ボヘミアとアラゴンがハンガリー側に立って参戦したのである。
1214年10月8日
両軍はクロアチアのクリジェーブツィで激突した。
#ref(025_1214.jpg,nolink)
クリジェーブツィの戦い 両軍とも主力は同盟軍(ブルガリア...
この戦いでアラゴン軍の主力は壊滅した。
残すはボヘミア軍である。
ステファンは国庫の財宝を使い尽くす覚悟で傭兵部隊を雇用。...
#ref(005_1214.jpg,nolink)
カロチャの戦い この戦いが戦争の趨勢を決した。
1215年1月10日
ハンガリー王イムレは降伏。
ベオグラードは正統な支配者の下に返ってきたのである。
**長子相続制 [#n9275c4d]
1214年2月18日
ステファンとマリヤの間に男子ステファンが誕生した。
長男ラドスラヴは夭折していたのでこの子が王位継承者という...
1214年5月29日
セルビア総主教ラストコが逝去した。41歳であった。
彼はステファンの次兄(史実では弟)であり、後世、聖サヴァ...
ステファンも深い哀悼の意を表し王国全土で追悼のミサが挙行...
しかし政治に停滞は許されない。
ステファンはデカニ司祭シニシャを第二代総主教に任命し、セ...
1215年1月11日
ステファンは長兄ヴカンをゼタ伯に叙した。
ゼタはヴカンの旧領であり、9年前にステファン自身が剥奪した...
今や王の権威は全土に浸透しており、ヴカンの存在は脅威では...
1216年7月13日
ステファン2世はドゥブロヴニクの王宮に国内の全ての成人王...
王妃マリヤと長女コミニア。
長女の夫で密偵長のコンスタンティノス(女系結婚である)
王の兄、ゼタ伯ヴカンとその長男ジョルジェ、次男ヴラディン...
従兄弟にあたるフム伯家一族はブルガリア王カロヤンのもとに...
この王族会議で、ステファンは王国の将来に決定的な影響を与...
これまでの分割相続を廃止し、長子相続を導入したのである。
王族会議を終え全員が帰途についた後、密偵長コンスタンティ...
秘密の打ち合わせがあるのである。
近くに王妃マリヤがいないことを確認するといきなり本題に入...
>「賛同者はあつまりそうか?」
>「手応えは十分あります。ビルヤナ様は家臣からはあまり好か...
ビルヤナはブルガリア王カロヤンの長女である。
カロヤンには男子がいないため現時点では彼女が王位継承者と...
ところでカロヤンにはもう一人娘がいる。
次女の名はマリヤ。セルビアの王妃である。
#ref(008_1215.jpg,nolink)
ビルヤナ暗殺計画
3年後、ビルヤナは不慮の事故で他界しマリヤが王位継承者とな...
**ザダル併合 [#l43d71a4]
1215年1月21日
セルビアは独立勢力だったダルマチア地方のザダル伯領に宣戦...
#ref(007_1215.jpg,nolink)
ザダル伯領
ネマニッチ家がザダルの正統な統治者である事を証明する古文...
尤も、偽物だと証明する方法があるわけでもないし、証明した...
1216年7月10日
ザダル伯領はセルビア王国に併合された。
**クロアチア情勢 [#ce97adc6]
1216年3月17日
ハンガリーはクロアチア全土を征服。
メルクリーイェ王は退位しクロアチアはハンガリー王国に併合...
わずか8年という短命な王朝であった。
#ref(009_1216.jpg,nolink)
画像はザダル併合後のものです
これで大ハンガリー王国復活かと思われたが、事態は意外な展...
1217年3月28日
ハンガリー王イムレが暗殺され、長男ラースロー3世が王位を...
翌3月29日、ボスニア公スチェパンがクロアチア王位を宣言。
前王メルクリーイェ以下クロアチア貴族たちもスチェパンの下...
#ref(026_1217.jpg,nolink)
第三次クロアチア王国 王家の出自からボスニア朝とよぶこと...
#ref(012_1217.jpg,nolink)
クロアチア王スチェパン3世
ハンガリー王暗殺の翌日に独立宣言という絶妙なタイミングか...
**エピロス継承戦争 [#ne47d935]
1216年8月6日
ステファンは家令ヴラディスラフを解任し、後任にはゼムン市...
#ref(010_1216.jpg,nolink)
家令ゼムン市長ラヨシュ ハンガリー人である
また10月17日には元帥シメオンを解任し、後任に同じく平民出...
1216年11月29日
セルビアはアカイア公国に宣戦を布告した。
密偵長コンスタンティノスの有するエピロス専制公国の継承権...
#ref(011_1216.jpg,nolink)
アカイア公国とエピロス エピロスはアカイアに併合されていた
1217年4月21日
この日、セルビア王ステファンはガレー船上にいた。
セルビア・シチリア連合軍は海路でペロポネソス半島に向かい...
ステファンの傍らには義弟である若きシチリア王フリードリヒ...
2人の話題の中心は目の前のアカイアではなく、昨月再独立を...
>「独立間もないクロアチアでは王の権威が確立されておりませ...
>「しかしハンガリーも王の交代とニトラ公の独立で混乱状態に...
今回、ブルガリア王カロヤンはモルダウとの聖戦で援軍を出す...
勿論、この義弟には彼の思惑がある。
彼は神聖ローマ皇帝の座を狙っており、その為に義兄の助力を...
そこに同船していた元帥ストラツィミールがやってきた。
>「陛下、お耳に入れたいことが…」
ストラツィミールは人払いを求めたが、ステファンはフリード...
元帥は少し躊躇ったが、意を決して先ほど入った情報をそのま...
>「卑劣漢のクロアチア王が我が国に宣戦を布告しました。我が...
#ref(013_1217.jpg,nolink)
予想外の展開
>「外征で求心力を高めるつもりなのでしょうな」
したり顔で補足するフリードリヒに王は少し苛立ちを感じたが...
>「義兄上はザダルの防衛に向かわれた方がよいのでは?アカイ...
>「…恩に着る」
不愉快だがフリードリヒの言う通りだった。
ステファンはザダル防衛に4000の兵を割き、元帥率いる少数の...
1217年7月
アカイア公国軍がセルビア領ゼタに上陸したとの報を受けた遠...
その主力はシチリア軍である。
#ref(014_1217.jpg,nolink)
コトルの戦い アカイア軍は壊滅した
同じ頃、ステファン王率いるセルビア王軍もザダルの地でクロ...
1218年4月26日
アカイア公アンドロニコスは降伏。
密偵長コンスタンティノスがエピロス公となり、セルビア王国...
#ref(015_1218.jpg,nolink)
密偵長エピロス公コンスタンティノス ステファンの婿養子で...
一方建国まもないクロアチアにはこれ以上セルビアと戦い続け...
何よりもハンガリーがいつ攻めてきてもおかしくない状況だっ...
1218年5月8日
クロアチア王スチェパンはセルビアの白紙和平の提案に応じた。
#ref(016_1218.jpg,nolink)
このくらいで勘弁しといてやる
**エルサレム [#f7ecd39b]
クロアチアと和平が成った事で王国は当面の平和は約束された。
ハンガリーの目はクロアチアに向いているし、ブリガリア・シ...
ステファンの野心はギリシャに向いていたが、それには大義名...
実際、セルビアが次に外征を行うのは実に15年も先の話になる...
1220年2月25日
ステファンは大臣ブラズをサラノ男爵に叙した。
またブラズを嫡子ステファンの教育係に任命し、更には王の身...
ブラズはシチリアやブルガリアとの婚姻同盟締結に多大な功績...
#ref(017_1220.jpg,nolink)
大臣サラノ男爵ブラズ 大臣を教育係にして後継者を外交型に...
1220年3月20日
ステファンはブラズに留守を任せ、長年の悲願だったエルサレ...
途中、病人に施しをしたり巡礼仲間と友情を育んだりしながら...
#ref(018_1220.jpg,nolink)
おお、エルサレム!
巡礼を終え帰国したステファンは彼の地がムスリムに支配され...
エルサレム王国を僭称するカトリック勢力も不愉快な存在だが...
1222年5月30日
ステファンは元帥ストラツィミールをクラグイェヴァツ男爵に...
1222年6月1日
ステファンは甥ステファンをザダル主教に叙し、さらにセルビ...
伯領クラスの主教はセルビア史上初めてである。
#ref(021_1222.jpg,nolink)
元帥クラグイェヴァツ男爵ストラツィミール 平民出身である
#ref(022_1222.jpg,nolink)
総主教ザダル主教ステファン 兄ヴカンの三男にあたる
こうして統治体制を整備したステファンが次に考えたことは、...
**ハンガリー動乱 [#c75d0238]
1220年7月1日
ハンガリー王ラースロー3世はクロアチアに侵攻。第二次ハン...
常識的に考えれば今回もハンガリーが圧倒するはずであり、実...
しかしある時期を境に状況は激変する。
1220年11月3日
ハンガリー王ラースロー3世が暗殺された。
下手人はクロアチア王スチェパン3世の放った刺客である。
長女ジョルジが王位を継承したが彼女はわずか4歳であり、トラ...
#ref(019_1220.jpg,nolink)
ハンガリー女王ジョルジ 画像は翌年のもの
更には神聖ローマ帝国がクロアチア側に立って参戦するに及び...
#ref(020_1221.jpg,nolink)
窮地に立つハンガリー
ステファンはハンガリーとの「最終的提携」を視野にいれた交...
1223年6月4日
ステファンの次女ジョヴァンカとスラヴォニア公メルクリーイ...
メルクリーイェは第二次クロアチア王国の王であったが、今は...
婚約を破棄するべきとの声もあったしステファンもそのつもり...
(実際にはプレイヤーが破棄するのを忘れただけ)
1224年5月7日
ブルガリア王カロヤンが54歳で崩御。
次女マリヤが王位を継承した。
#ref(023_1224.jpg,nolink)
ブルガリア女王マリヤ セルビアの王妃である
マリヤはステファン2世の王妃であり、その子ステファンはセ...
1225年2月27日
セルビア及びブルガリアの王太子ステファンとハンガリー女王...
#ref(024_1225.jpg,nolink)
歴史を変えた結婚その2
この婚約を決めたのはハンガリーの摂政であるトランシルヴァ...
普通結婚で、しかも相手が正教徒という事で心あるハンガリー...
この縁談は遠くない将来にネマニッチ家が3つの王冠を獲得す...
孫の代にはセルビア・ブルガリア・ハンガリーが統合されるの...
縁談に満足したステファンの目は憧れのギリシャに向いていた。
ステファン2世の治世・後編へ[[AAR/ヘカトンケイルの門番/ス...
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[[AAR/ヘカトンケイルの門番]]
*ステファン2世の治世 ・前編 [#v759d82c]
**王の結婚 [#ye6a8224]
1206年8月15日
王妹エフィミヤとシチリア王フリードリヒの婚約が成立した。
フリードリヒは神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世とシチリア王女...
ステファン2世の治世におけるセルビアの強大化は巧みな婚姻...
ブラズが次に取り組んだのは王妃候補の選定である。
白羽の矢を立てたのはブルガリア王カロヤンの第二王女マリヤ...
1208年1月11日
セルビア王ステファン2世とブルガリア王女マリヤは結婚した。
大国ハンガリーに対向するための後ろ盾を期待しての政略結婚...
#ref(000_1208.jpg,nolink)
歴史を変えた結婚その1
1211年1月29日
エフィミアとシチリア王フリードリヒの結婚が成立した。
これでブルガリア・シチリアの両大国との同盟が成立した事に...
1212年1月2日
セルビア宮廷に一人の若者がやってきた。
コンスタンティノスと名乗るその若者は名門コムネノス・ドゥ...
エピロスはビザンツ亡命政権の一つだったが、1211年にアカイ...
ステファンはコンスタンティノスを密偵長に任命した上で長女...
2年後にはスヴェティ・スパス男爵領も与えている。
奇貨居くべし、である。
同じ頃、ステファンは大臣ブラズにダルマチア地方の都市ザダ...
ザダルはどの勢力にも属していない独立伯領を形勢しており、...
**クロアチア独立 [#v9295770]
1208年11月23日
クロアチア貴族たちはスラヴォニア公メルクリーイェを旗頭に...
クロアチアはセルビアより3世紀も早く王国を樹立していたが、...
ハンガリーは現地の豪族をバン(太守)に任じて間接統治を敷...
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第二次クロアチア王国の版図 ボスニア地方は独立に加わって...
1209年5月31日
ブルガリア支配下にあったワラキア大首長エレトクが独立を求...
独立のうねりは東欧全体に広がりつつあったのだ。
1209年8月30日
ステファンの次女ジョヴァンカとクロアチア王子プロホルの婚...
ハンガリーに対する備えとして将来の同盟関係を期待しての婚...
言うまでもないことであるが、独立は宣言しただけで達成出来...
ハンガリー王イムレは不埒な逆賊を懲らしめるべく追討軍を繰...
第一次ハンガリー・クロアチア戦争の勃発である。
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クロアチアVSハンガリー・ボヘミア連合 勝負は見えている
**ベオグラード再征服戦争 [#s3534abf]
1211年12月
ステファン2世は顧問会議を招集してハンガリー・クロアチア...
戦況はハンガリー優勢に推移しているが、ハンガリー国内にも...
もっとも、多少の時間はかかるにせよ最終的にはハンガリーが...
密偵長コンスタンティノスの報告を受けて大臣ブラズは顔をし...
>「クロアチアとの縁談は破棄した方がよいでしょうな」
>「いや、そうとも言えぬ」
王は今こそ長年の悲願を果たす好機であると考えていた。
セルビアの慣習的領域ベオグラードをハンガリー支配から解放...
>「なりませぬぞ!ハンガリーは大国です。クロアチアが落ちれ...
>「勝てるのは今しかない!今ならブルガリアとの同盟もある。...
>「されど、資金がありませぬ」
家令ヴラディスラフに向かって、王はこう言い放ったと伝わる。
>「ユダヤ人どもに借りれば良い。奴らはその為に生きておる」
1212年1月13日
セルビア王ステファンはベオグラードの慣習的領有権を主張し...
ステファンの期待通りブルガリア王カロヤンも参戦を表明し、...
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ベオグラード 古代から争奪戦が繰り返されてきたこの都市は...
元帥シメオン率いるセルビア軍4000が王都を出立した直後、ブ...
これでブルガリアの全面的な援軍が期待できるようになる。
1213年8月23日
ハンガリーからの独立を求めニトラ公ミクローシュが反乱を起...
イムレ王は4つの敵と同時に戦う事態に陥ったのである。
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ニトラ公の乱 ハンガリーは苦境に立たされている
当初、セルビア・ブルガリア連合軍はハンガリー領を一方的に...
ボヘミアとアラゴンがハンガリー側に立って参戦したのである。
1214年10月8日
両軍はクロアチアのクリジェーブツィで激突した。
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クリジェーブツィの戦い 両軍とも主力は同盟軍(ブルガリア...
この戦いでアラゴン軍の主力は壊滅した。
残すはボヘミア軍である。
ステファンは国庫の財宝を使い尽くす覚悟で傭兵部隊を雇用。...
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カロチャの戦い この戦いが戦争の趨勢を決した。
1215年1月10日
ハンガリー王イムレは降伏。
ベオグラードは正統な支配者の下に返ってきたのである。
**長子相続制 [#n9275c4d]
1214年2月18日
ステファンとマリヤの間に男子ステファンが誕生した。
長男ラドスラヴは夭折していたのでこの子が王位継承者という...
1214年5月29日
セルビア総主教ラストコが逝去した。41歳であった。
彼はステファンの次兄(史実では弟)であり、後世、聖サヴァ...
ステファンも深い哀悼の意を表し王国全土で追悼のミサが挙行...
しかし政治に停滞は許されない。
ステファンはデカニ司祭シニシャを第二代総主教に任命し、セ...
1215年1月11日
ステファンは長兄ヴカンをゼタ伯に叙した。
ゼタはヴカンの旧領であり、9年前にステファン自身が剥奪した...
今や王の権威は全土に浸透しており、ヴカンの存在は脅威では...
1216年7月13日
ステファン2世はドゥブロヴニクの王宮に国内の全ての成人王...
王妃マリヤと長女コミニア。
長女の夫で密偵長のコンスタンティノス(女系結婚である)
王の兄、ゼタ伯ヴカンとその長男ジョルジェ、次男ヴラディン...
従兄弟にあたるフム伯家一族はブルガリア王カロヤンのもとに...
この王族会議で、ステファンは王国の将来に決定的な影響を与...
これまでの分割相続を廃止し、長子相続を導入したのである。
王族会議を終え全員が帰途についた後、密偵長コンスタンティ...
秘密の打ち合わせがあるのである。
近くに王妃マリヤがいないことを確認するといきなり本題に入...
>「賛同者はあつまりそうか?」
>「手応えは十分あります。ビルヤナ様は家臣からはあまり好か...
ビルヤナはブルガリア王カロヤンの長女である。
カロヤンには男子がいないため現時点では彼女が王位継承者と...
ところでカロヤンにはもう一人娘がいる。
次女の名はマリヤ。セルビアの王妃である。
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ビルヤナ暗殺計画
3年後、ビルヤナは不慮の事故で他界しマリヤが王位継承者とな...
**ザダル併合 [#l43d71a4]
1215年1月21日
セルビアは独立勢力だったダルマチア地方のザダル伯領に宣戦...
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ザダル伯領
ネマニッチ家がザダルの正統な統治者である事を証明する古文...
尤も、偽物だと証明する方法があるわけでもないし、証明した...
1216年7月10日
ザダル伯領はセルビア王国に併合された。
**クロアチア情勢 [#ce97adc6]
1216年3月17日
ハンガリーはクロアチア全土を征服。
メルクリーイェ王は退位しクロアチアはハンガリー王国に併合...
わずか8年という短命な王朝であった。
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画像はザダル併合後のものです
これで大ハンガリー王国復活かと思われたが、事態は意外な展...
1217年3月28日
ハンガリー王イムレが暗殺され、長男ラースロー3世が王位を...
翌3月29日、ボスニア公スチェパンがクロアチア王位を宣言。
前王メルクリーイェ以下クロアチア貴族たちもスチェパンの下...
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第三次クロアチア王国 王家の出自からボスニア朝とよぶこと...
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クロアチア王スチェパン3世
ハンガリー王暗殺の翌日に独立宣言という絶妙なタイミングか...
**エピロス継承戦争 [#ne47d935]
1216年8月6日
ステファンは家令ヴラディスラフを解任し、後任にはゼムン市...
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家令ゼムン市長ラヨシュ ハンガリー人である
また10月17日には元帥シメオンを解任し、後任に同じく平民出...
1216年11月29日
セルビアはアカイア公国に宣戦を布告した。
密偵長コンスタンティノスの有するエピロス専制公国の継承権...
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アカイア公国とエピロス エピロスはアカイアに併合されていた
1217年4月21日
この日、セルビア王ステファンはガレー船上にいた。
セルビア・シチリア連合軍は海路でペロポネソス半島に向かい...
ステファンの傍らには義弟である若きシチリア王フリードリヒ...
2人の話題の中心は目の前のアカイアではなく、昨月再独立を...
>「独立間もないクロアチアでは王の権威が確立されておりませ...
>「しかしハンガリーも王の交代とニトラ公の独立で混乱状態に...
今回、ブルガリア王カロヤンはモルダウとの聖戦で援軍を出す...
勿論、この義弟には彼の思惑がある。
彼は神聖ローマ皇帝の座を狙っており、その為に義兄の助力を...
そこに同船していた元帥ストラツィミールがやってきた。
>「陛下、お耳に入れたいことが…」
ストラツィミールは人払いを求めたが、ステファンはフリード...
元帥は少し躊躇ったが、意を決して先ほど入った情報をそのま...
>「卑劣漢のクロアチア王が我が国に宣戦を布告しました。我が...
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予想外の展開
>「外征で求心力を高めるつもりなのでしょうな」
したり顔で補足するフリードリヒに王は少し苛立ちを感じたが...
>「義兄上はザダルの防衛に向かわれた方がよいのでは?アカイ...
>「…恩に着る」
不愉快だがフリードリヒの言う通りだった。
ステファンはザダル防衛に4000の兵を割き、元帥率いる少数の...
1217年7月
アカイア公国軍がセルビア領ゼタに上陸したとの報を受けた遠...
その主力はシチリア軍である。
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コトルの戦い アカイア軍は壊滅した
同じ頃、ステファン王率いるセルビア王軍もザダルの地でクロ...
1218年4月26日
アカイア公アンドロニコスは降伏。
密偵長コンスタンティノスがエピロス公となり、セルビア王国...
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密偵長エピロス公コンスタンティノス ステファンの婿養子で...
一方建国まもないクロアチアにはこれ以上セルビアと戦い続け...
何よりもハンガリーがいつ攻めてきてもおかしくない状況だっ...
1218年5月8日
クロアチア王スチェパンはセルビアの白紙和平の提案に応じた。
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このくらいで勘弁しといてやる
**エルサレム [#f7ecd39b]
クロアチアと和平が成った事で王国は当面の平和は約束された。
ハンガリーの目はクロアチアに向いているし、ブリガリア・シ...
ステファンの野心はギリシャに向いていたが、それには大義名...
実際、セルビアが次に外征を行うのは実に15年も先の話になる...
1220年2月25日
ステファンは大臣ブラズをサラノ男爵に叙した。
またブラズを嫡子ステファンの教育係に任命し、更には王の身...
ブラズはシチリアやブルガリアとの婚姻同盟締結に多大な功績...
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大臣サラノ男爵ブラズ 大臣を教育係にして後継者を外交型に...
1220年3月20日
ステファンはブラズに留守を任せ、長年の悲願だったエルサレ...
途中、病人に施しをしたり巡礼仲間と友情を育んだりしながら...
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おお、エルサレム!
巡礼を終え帰国したステファンは彼の地がムスリムに支配され...
エルサレム王国を僭称するカトリック勢力も不愉快な存在だが...
1222年5月30日
ステファンは元帥ストラツィミールをクラグイェヴァツ男爵に...
1222年6月1日
ステファンは甥ステファンをザダル主教に叙し、さらにセルビ...
伯領クラスの主教はセルビア史上初めてである。
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元帥クラグイェヴァツ男爵ストラツィミール 平民出身である
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総主教ザダル主教ステファン 兄ヴカンの三男にあたる
こうして統治体制を整備したステファンが次に考えたことは、...
**ハンガリー動乱 [#c75d0238]
1220年7月1日
ハンガリー王ラースロー3世はクロアチアに侵攻。第二次ハン...
常識的に考えれば今回もハンガリーが圧倒するはずであり、実...
しかしある時期を境に状況は激変する。
1220年11月3日
ハンガリー王ラースロー3世が暗殺された。
下手人はクロアチア王スチェパン3世の放った刺客である。
長女ジョルジが王位を継承したが彼女はわずか4歳であり、トラ...
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ハンガリー女王ジョルジ 画像は翌年のもの
更には神聖ローマ帝国がクロアチア側に立って参戦するに及び...
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窮地に立つハンガリー
ステファンはハンガリーとの「最終的提携」を視野にいれた交...
1223年6月4日
ステファンの次女ジョヴァンカとスラヴォニア公メルクリーイ...
メルクリーイェは第二次クロアチア王国の王であったが、今は...
婚約を破棄するべきとの声もあったしステファンもそのつもり...
(実際にはプレイヤーが破棄するのを忘れただけ)
1224年5月7日
ブルガリア王カロヤンが54歳で崩御。
次女マリヤが王位を継承した。
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ブルガリア女王マリヤ セルビアの王妃である
マリヤはステファン2世の王妃であり、その子ステファンはセ...
1225年2月27日
セルビア及びブルガリアの王太子ステファンとハンガリー女王...
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歴史を変えた結婚その2
この婚約を決めたのはハンガリーの摂政であるトランシルヴァ...
普通結婚で、しかも相手が正教徒という事で心あるハンガリー...
この縁談は遠くない将来にネマニッチ家が3つの王冠を獲得す...
孫の代にはセルビア・ブルガリア・ハンガリーが統合されるの...
縁談に満足したステファンの目は憧れのギリシャに向いていた。
ステファン2世の治世・後編へ[[AAR/ヘカトンケイルの門番/ス...
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