AAR/ファーティマ朝シリア王国AAR/壮大なるサディク
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[[AAR/ファーティマ朝シリア王国AAR]]
*壮大なるサディク [#ked76a02]
スルタン・サディクは、アラビア、エジプトの地を平定し、
シリアに壮大な領土をもたらした偉大なる君主であった。
だが最後に神の恩寵は得られず、バールベックの戦いで十字軍...
...
**西暦1010年 即位 [#m1a21f7b]
ファーティマ朝4代スルタン・タリブの死後、後を継いだのは...
#ref(sadiqq.png,wrap);
スルタンサディクは即位すると、スンニ派をアラビアから追い...
フランク人からエルサレムを奪還する事を、諸侯に力強く宣言...
スルタンサディクはこの言を、自身の生涯を捧げるべき使命と...
**西暦1011年 ジハード [#tf77bd23]
この年、イドリース朝モーリタニアの君主でありシーア派教徒...
アンダルシアをキリスト教徒から再びイスラム教徒の手に取り...
この聖戦に参加するよう呼びかけが行われた。
歴史上初となるシーア派によるジハード(JIHAD)の始ま...
#ref(idrisq.png,wrap);
ジハードを宣言するイクシ・イドリース。
イドリース朝はファーティマとアリーの子孫イドリースが、ア...
それ故にファーティマ朝と同じくシーア派の国家であった。
しかし、このジハードにファーティマ朝は大きく出遅れてしま...
ジハードが宣言された1011年に、ファーティマ朝はエジプトの...
また弟ニザームとの対立(最終的に退廃を理由に処刑)や異端...
国内も安定しておらず、とても遠征が行える状態ではなかった。
結局、このジハードにファーティマ朝が参戦を表明したのは3年...
アレクサンドリアから軍隊を乗せた船団が出立した、ちょうど...
カリフ・イクシとアンダルシアを領するホスピタル騎士団との...
ジハードの敗北が宣言された。
敗北の原因はファーティマ朝の不参戦が大きい部分ではあった...
収まりのつかないカリフ・イクシは、サディクに対する非難を...
それを伝え聞いたスルタンサディクも、カリフ・イクシに対し...
後年、カリフ・イクシは世界で二つしかないシーア派国家同士...
40代にして未だに妻を娶っていなかったサディクに、自身の...
スルタンサディクは、この婚姻によりアフリカのアグラブ朝を...
今までのカリフに対する無礼を謝罪し、喜んで婚姻を了承した。
**西暦1016年 征服の始まり [#xf1577a5]
エルサレムを領するホスピタル騎士団は、先のジハードにより...
騎士団の統治に不満をもっていた封建領主達が一斉に反乱を起...
スルタンサディクは、これをエルサレム奪還の好機と見て、大...
ダルム(darum)、ベイルート(beirut)、スール(sur)、アク...
エルサレムのホスピタル騎士団領を切り崩していった。
#ref(1016q.png,wrap);
**西暦1021年 アラビア大征服 [#pce22a47]
スルタンサディクは、未だアッバース朝の影響下にあったアラ...
抵抗は微々たるものであり、1024年にはスンニ派領主の追放と
新たにサナア、オマーン、ダムマン、メディナの太守領を設置...
この遠征によって、内外にファーティマ朝の威容を示したスル...
この頃から、"壮大なるサディク"と畏怖をこめて呼ばれるよう...
#ref(10101039q.png,wrap);
**西暦1023年 カリフ崩御 [#nebd3d86]
全てのシーア派教徒の指導者であるカリフ・イクシが、身体障...
#ref(idrisqsinda.png,wrap);
そして、ちょうどその年にスルタンサディクに待望の男子が誕...
ミルザ(王子)と名づけられた赤ん坊を眺めながら、スルタン...
「この子はカリフの生まれ変わりに違いない。将来はきっと全...
この頃、スルタンサディクはアラビアの征服で過剰な自信をも...
悪化し、自らの大きすぎる野心を口にしては群臣を困惑させる...
もっとも大きなものでは
「西はモーリタニア、東はペルシア、北はビザンティン、そし...
とまで息子ミルザに語っていたという。
このカリフ位を狙うような発言は、新たにカリフに即位したウ...
入っていたが、サディクの妄言と取り合う事は無かった。
**西暦1033年 第二次エルサレム十字軍 [#x7d851f1]
1030年にトゥールーン朝エジプト王国を滅ぼし、エジプト全土...
メソポタミア地方で未だアッバース朝を支持していたバスラ太...
ファーティマ朝の軍勢は二つに別れ、クェート城、バスラ城を...
ホスピタル騎士団のエルサレム防衛を手ぬるいと考えていたカ...
再びエルサレムに対する十字軍を宣言。ベニスやジェノアの船...
この報告を受けたサディクは、自国の国力を過大に、フランク...
誤った判断を下した。
「クウェート城の一手をガリラヤへ、バスラ城の一手はこのま...
スルタンサディクの命令を受け、クウェート城を包囲していた...
集結中だったフランク人の軍隊をバールベックの地で撃破に成...
続々と現れる十字軍に徐々に押されていき、1035年についにイ...
バスラ太守を降伏させ、ガリラヤに向かっていたスルタンサデ...
「シリア単独ではフランク人に対抗できない」
そこでスルタンサディクは、サッファール朝スルタン・ヴィス...
かつてサッファール朝はアッバース朝に味方しては、ファーテ...
この頃には、アッバース朝を見限り始めており、サッファール...
スルタンサディクの三女がヴィスタブに嫁ぎ同盟は成立し、ヴ...
これでファーティマ朝は一時持ち直し、ベイルートなど一部の...
が、バールベックの地に集結していた十字軍か、ダマスカスを...
どちらを攻めるかで、サッファール朝とファーティマ朝の間で...
ついにはヴィスタブに嫁いだ娘が死んでしまった事を口実に、...
単独で十字軍に当たる事となってしまったファーティマ朝では...
スルタンサディクは全土から3万の兵をかき集めるとバールベ...
「神は偉大なり」
ファーティマ朝の全兵士がそう雄叫びを上げ、十字軍への突撃...
スルタンサディクも自ら騎馬で駆り、先頭に立って奮闘した。
長い攻城戦を行っていたからか意外にも十字軍の士気は低く、...
サディクの脳裏に勝利の言葉が浮かんだその瞬間、兵士がこう...
#ref(engq.png,wrap);
「南方より軍勢!!赤地に獅子紋・・・イングランド勢だ!」
その言葉の意味は、首都ダマスカスの陥落と、それを包囲して...
**西暦1036年 敗戦 [#o7a33862]
教皇マリナスは十字軍の勝利を宣言。
ファーティマ朝の領していたエルサレム領は、功績著しいマー...
以降はエルサレム王も兼ねる事となった。その名は歴史上に輝...
#ref(merciakingq.png,wrap);
マーシア朝イングランド初代国王ヘアバード豪胆王。
アングロサクソン族による最初の王国イングランドを建国し、...
エルサレムにまで遠征し、ファーティマ朝スルタン・サディク...
掛け値なしの英雄。
一方、敗戦となったスルタンサディクはもはや見る影もなく憔...
塞ぎこみ続けた末にサディクは気が触れたのか、悪魔に取り憑...
数々の奇行を起こし、そのスルタンの姿に、臣民のスルタンに...
"壮大なるサディク"、かつてそう呼ばれた偉大なる君主は、晩...
その栄光に泥を塗っていった。
**西暦1039年 崩御 [#ua32b84b]
ファーティマ朝5代目スルタン・サディクは、8月4日に梅毒に...
サディクの栄光は余りに大きく、それ故に晩年には目を覆いた...
それまで神の恩寵を一身に受けていたサディクが、バスラ城で...
神から見放され、スンニ派のサッファール朝などを頼ったが故...
しかし、それでも尚、サディクは壮大なる者であったといえる。
サディクによって膨れ上がった国土はすぐに豊かさを取り戻し...
それを為すのが、新たにスルタンとして即位したサディクの子...
シリア王国第6代スルタン"[[栄光のミルザ>AAR/ファーティマ...
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[[AAR/ファーティマ朝シリア王国AAR]]
*壮大なるサディク [#ked76a02]
スルタン・サディクは、アラビア、エジプトの地を平定し、
シリアに壮大な領土をもたらした偉大なる君主であった。
だが最後に神の恩寵は得られず、バールベックの戦いで十字軍...
...
**西暦1010年 即位 [#m1a21f7b]
ファーティマ朝4代スルタン・タリブの死後、後を継いだのは...
#ref(sadiqq.png,wrap);
スルタンサディクは即位すると、スンニ派をアラビアから追い...
フランク人からエルサレムを奪還する事を、諸侯に力強く宣言...
スルタンサディクはこの言を、自身の生涯を捧げるべき使命と...
**西暦1011年 ジハード [#tf77bd23]
この年、イドリース朝モーリタニアの君主でありシーア派教徒...
アンダルシアをキリスト教徒から再びイスラム教徒の手に取り...
この聖戦に参加するよう呼びかけが行われた。
歴史上初となるシーア派によるジハード(JIHAD)の始ま...
#ref(idrisq.png,wrap);
ジハードを宣言するイクシ・イドリース。
イドリース朝はファーティマとアリーの子孫イドリースが、ア...
それ故にファーティマ朝と同じくシーア派の国家であった。
しかし、このジハードにファーティマ朝は大きく出遅れてしま...
ジハードが宣言された1011年に、ファーティマ朝はエジプトの...
また弟ニザームとの対立(最終的に退廃を理由に処刑)や異端...
国内も安定しておらず、とても遠征が行える状態ではなかった。
結局、このジハードにファーティマ朝が参戦を表明したのは3年...
アレクサンドリアから軍隊を乗せた船団が出立した、ちょうど...
カリフ・イクシとアンダルシアを領するホスピタル騎士団との...
ジハードの敗北が宣言された。
敗北の原因はファーティマ朝の不参戦が大きい部分ではあった...
収まりのつかないカリフ・イクシは、サディクに対する非難を...
それを伝え聞いたスルタンサディクも、カリフ・イクシに対し...
後年、カリフ・イクシは世界で二つしかないシーア派国家同士...
40代にして未だに妻を娶っていなかったサディクに、自身の...
スルタンサディクは、この婚姻によりアフリカのアグラブ朝を...
今までのカリフに対する無礼を謝罪し、喜んで婚姻を了承した。
**西暦1016年 征服の始まり [#xf1577a5]
エルサレムを領するホスピタル騎士団は、先のジハードにより...
騎士団の統治に不満をもっていた封建領主達が一斉に反乱を起...
スルタンサディクは、これをエルサレム奪還の好機と見て、大...
ダルム(darum)、ベイルート(beirut)、スール(sur)、アク...
エルサレムのホスピタル騎士団領を切り崩していった。
#ref(1016q.png,wrap);
**西暦1021年 アラビア大征服 [#pce22a47]
スルタンサディクは、未だアッバース朝の影響下にあったアラ...
抵抗は微々たるものであり、1024年にはスンニ派領主の追放と
新たにサナア、オマーン、ダムマン、メディナの太守領を設置...
この遠征によって、内外にファーティマ朝の威容を示したスル...
この頃から、"壮大なるサディク"と畏怖をこめて呼ばれるよう...
#ref(10101039q.png,wrap);
**西暦1023年 カリフ崩御 [#nebd3d86]
全てのシーア派教徒の指導者であるカリフ・イクシが、身体障...
#ref(idrisqsinda.png,wrap);
そして、ちょうどその年にスルタンサディクに待望の男子が誕...
ミルザ(王子)と名づけられた赤ん坊を眺めながら、スルタン...
「この子はカリフの生まれ変わりに違いない。将来はきっと全...
この頃、スルタンサディクはアラビアの征服で過剰な自信をも...
悪化し、自らの大きすぎる野心を口にしては群臣を困惑させる...
もっとも大きなものでは
「西はモーリタニア、東はペルシア、北はビザンティン、そし...
とまで息子ミルザに語っていたという。
このカリフ位を狙うような発言は、新たにカリフに即位したウ...
入っていたが、サディクの妄言と取り合う事は無かった。
**西暦1033年 第二次エルサレム十字軍 [#x7d851f1]
1030年にトゥールーン朝エジプト王国を滅ぼし、エジプト全土...
メソポタミア地方で未だアッバース朝を支持していたバスラ太...
ファーティマ朝の軍勢は二つに別れ、クェート城、バスラ城を...
ホスピタル騎士団のエルサレム防衛を手ぬるいと考えていたカ...
再びエルサレムに対する十字軍を宣言。ベニスやジェノアの船...
この報告を受けたサディクは、自国の国力を過大に、フランク...
誤った判断を下した。
「クウェート城の一手をガリラヤへ、バスラ城の一手はこのま...
スルタンサディクの命令を受け、クウェート城を包囲していた...
集結中だったフランク人の軍隊をバールベックの地で撃破に成...
続々と現れる十字軍に徐々に押されていき、1035年についにイ...
バスラ太守を降伏させ、ガリラヤに向かっていたスルタンサデ...
「シリア単独ではフランク人に対抗できない」
そこでスルタンサディクは、サッファール朝スルタン・ヴィス...
かつてサッファール朝はアッバース朝に味方しては、ファーテ...
この頃には、アッバース朝を見限り始めており、サッファール...
スルタンサディクの三女がヴィスタブに嫁ぎ同盟は成立し、ヴ...
これでファーティマ朝は一時持ち直し、ベイルートなど一部の...
が、バールベックの地に集結していた十字軍か、ダマスカスを...
どちらを攻めるかで、サッファール朝とファーティマ朝の間で...
ついにはヴィスタブに嫁いだ娘が死んでしまった事を口実に、...
単独で十字軍に当たる事となってしまったファーティマ朝では...
スルタンサディクは全土から3万の兵をかき集めるとバールベ...
「神は偉大なり」
ファーティマ朝の全兵士がそう雄叫びを上げ、十字軍への突撃...
スルタンサディクも自ら騎馬で駆り、先頭に立って奮闘した。
長い攻城戦を行っていたからか意外にも十字軍の士気は低く、...
サディクの脳裏に勝利の言葉が浮かんだその瞬間、兵士がこう...
#ref(engq.png,wrap);
「南方より軍勢!!赤地に獅子紋・・・イングランド勢だ!」
その言葉の意味は、首都ダマスカスの陥落と、それを包囲して...
**西暦1036年 敗戦 [#o7a33862]
教皇マリナスは十字軍の勝利を宣言。
ファーティマ朝の領していたエルサレム領は、功績著しいマー...
以降はエルサレム王も兼ねる事となった。その名は歴史上に輝...
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マーシア朝イングランド初代国王ヘアバード豪胆王。
アングロサクソン族による最初の王国イングランドを建国し、...
エルサレムにまで遠征し、ファーティマ朝スルタン・サディク...
掛け値なしの英雄。
一方、敗戦となったスルタンサディクはもはや見る影もなく憔...
塞ぎこみ続けた末にサディクは気が触れたのか、悪魔に取り憑...
数々の奇行を起こし、そのスルタンの姿に、臣民のスルタンに...
"壮大なるサディク"、かつてそう呼ばれた偉大なる君主は、晩...
その栄光に泥を塗っていった。
**西暦1039年 崩御 [#ua32b84b]
ファーティマ朝5代目スルタン・サディクは、8月4日に梅毒に...
サディクの栄光は余りに大きく、それ故に晩年には目を覆いた...
それまで神の恩寵を一身に受けていたサディクが、バスラ城で...
神から見放され、スンニ派のサッファール朝などを頼ったが故...
しかし、それでも尚、サディクは壮大なる者であったといえる。
サディクによって膨れ上がった国土はすぐに豊かさを取り戻し...
それを為すのが、新たにスルタンとして即位したサディクの子...
シリア王国第6代スルタン"[[栄光のミルザ>AAR/ファーティマ...
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