AAR/バべンベルグ家興亡史/王レオポルト1世の治世・後半
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[[AAR/バべンベルグ家興亡史/王レオポルト1世の治世・前半]]
*七代目 バイエルン王レオポルト1世(後半) [#t5a9438b]
**レオポルトの再婚 [#vf7c2759]
> 1225年3月。レオポルトは、ハンガリー王国のエステルゴム...
イポルヤの年齢はわずか8才であった。イポルヤはエスターラ...
&ref(レオポルト婚約.jpg);
> 1225年5月。レオポルトは婚約はしたものの、妻エマのこと...
ウィーンの娼館から高級娼婦を呼ぶようになり、エマが生きて...
&ref(好色.jpg);
> 1226年8月。バイエルン王国の後継者であるレオポルトの長...
王子は外交能力に優れており、バイエルン王国の将来は安泰に...
&ref(王子レオポルト.jpg);
> 1226年9月。レオポルトの叔父カルロマンが家臣の手にかか...
> 1226年11月。上ブルゴーニュ公爵ゲプハルトがツェーリング...
**ローマ皇帝の陰謀と婚姻政策 [#d043fe93]
> 1227年2月。ローマ皇帝が王子レオポルトの暗殺を謀る。バ...
辺境の王と揶揄されてきたが、いよいよ皇帝もバベンベルグ家...
この陰謀について密偵頭グントラムは、非公式に皇帝に発覚し...
&ref(王子暗殺.jpg);
> 1227年4月。王女アグネスとチロル公爵であるラインフェル...
ディエトヴィンは優秀な人材であり、ウィーンに迎え厚く遇し...
> 1227年12月。領地を求めて来た長男レオポルトをケルンテン...
> 1228年6月、ディエトヴィンは暴動鎮圧に赴いた際、敵の攻...
そして、1232年7月、ボヘミア王から未亡人となったアグネス...
レオポルトは、既に父の分からない子を産み、夫を失い未亡...
これで、バベンベルグ家は当主レオポルトの妹をハンガリー...
二女をボヘミア王の後継者であるボヘミア王子に嫁がせること...
&ref(アグネス結婚.jpg);
> 1232年7月。フランコニア公爵の後継者でプレミスリド家の...
&ref(四女婚姻.jpg);
> 1233年2月。ヴェグリア州はバベンベルグ家の王女と婿養子...
バベンベルグ家の領土であったが、後を継いでヴェグリア伯と...
帝国北部のメクレンブルク州とメクレンブルク公爵の称号を皇...
これにより、ヴェグリア州もメクレンブルク公爵の領土とな...
今後、ローマ皇帝は手を変え品を変え、バイエルン王国から...
> 1233年2月。レオポルトの婚約者であるエステルゴム公爵家...
レオポルトは婚約破棄を一方的にエステルゴム公爵家に通告し...
ハンガリー王カロリィは勇猛ではあるが、人望に薄く、ハン...
&ref(ハンガリー内乱.jpg);
&size(12){''ハンガリー王国が有するのはわずか4州''};
> エステルゴム公爵家もそれは同様で、将来イポルヤが親から...
婚約破棄後、レオポルトはスロヴェニア女公爵であるクロア...
&ref(レオポルト婚姻.jpg);
> 婚姻したばかりのレオポルトの元にハンガリー内戦の情報が...
ハンガリー王の妹ギセラを妻に迎えていたクロアチア王フラニ...
ニトリア公爵軍との戦いで戦死したとのことであった。
これにより王位を継いだのは、王子レオポルトの婚約者シル...
&ref(ドラガン.jpg);
&size(12){''後継者はシルヴィヤのまま''};
> 1233年11月。レオポルトの結婚からわずか2か月後、ルツィ...
好色となっていたレオポルトは47才であったが若い妻の身体に...
&ref(ルツィヤ懐妊.jpg);
> 1234年2月。シルヴィヤが成人し、長男レオポルトと婚姻し...
ディエトポルト・ラポトネンに代わる宰相として評議会にも加...
&ref(評議会_1134.jpg);
> 1234年8月。レオポルトは妻の身体だけでは飽き足らず、家...
&ref(ビンヒルデ.jpg);
> 1234年12月。これまで陰謀に反乱を繰り返してきたツェーリ...
> 1235年2月。レオポルトは饗宴を開き、ケルンテン公として...
その夜、酒に酔ったレオポルトはシルヴィヤに城を案内し、...
&ref(シルヴィヤ.jpg);
> 1235年5月。愛人ビンヒルデがレオポルトの子を産んだ。先...
&ref(ソフィー.jpg);
> 1236年6月。皇帝は、バイエルン王国の家臣であるパッソ―伯...
これにより、パッソ―州は皇帝の直臣たるブロヴェンス公爵家...
パッソー州は1124年にエルンスト2世がバヴァリア公爵と戦い...
&ref(王国領土_1236.jpg);
&size(12){''放棄したはずのブラウエン州はいつの間にか上ブ...
> 1236年9月。レオポルトとルツィヤとの間に初めての男の子...
これで二人の間では3人目の子供で、先妻、愛人との間の子も...
&ref(ローター誕生.jpg);
> 1137年7月。皇帝レオポルト暗殺の陰謀が発覚。皇帝はレオ...
帝国と王国との間の権力闘争は直接的な争いは起こらないもの...
&ref(暗殺計画.jpg);
> 1137年11月。皇帝が闘病の末、死亡した。皇帝が病気だった...
油断させるための策とも思えたほどであった。
ローマ皇帝の座はエンツォネン家からブランズウィック公爵...
前皇帝の息子でレオポルトの孫ピーターははブルゴーニュ公...
&ref(皇帝死去.jpg);
&ref(歴代皇帝.jpg);
**クロアチア王家に対する陰謀 [#yd1b856d]
> 1243年5月。成人したクロアチア王ドラガン2世は妻を迎え、...
ドラガン2世に子が産まれれば、長男レオポルトの妻シルヴィ...
&ref(チラ懐妊.jpg);
> グントラムはレオポルトにクロアチア王暗殺の決断を迫り、...
バベンベルグ家において暗殺は決して好まれるものではない...
躊躇なくこれを行う。実の弟と妻を暗殺した先々代のレオポル...
&ref(ドラガン暗殺.jpg);
> 1245年2月。レオポルトがオーストリア公となってから即位5...
バイエルン王国創設後は、帝国が家臣の戦争を禁じているこ...
バベンベルグ家の戦争はなく、平穏な日々が続いていた。
饗宴で、レオポルトは二人の義弟、上ブルゴーニュ公爵ゲプ...
&ref(オルドゥルフ2世.jpg);
&ref(ゲプハルト.jpg);
> 1245年11月。長く密偵頭を務めたグントラム・プレミスリド...
後任の密偵頭には、二女アグネスの父親の分からない不義の...
レオポルトは、これを機にウィドゥキントをがスタイン男爵...
&ref(グントラム死去.jpg);
> 1248年2月。長らく元帥を務めた上ブルゴーニュ公爵ゲプハ...
後任には、ゲプハルトの三男ゲプハルトをウィーンに迎え、...
> 1248年6月。レオポルトとルツィヤの長男ローターとヴェグ...
ヴェグリア州はメクレンブルク公爵の領土となっており、こ...
レオポルトの後継者はケルンテン公爵にしてバイエルン王国...
> 1248年9月。新たな上ブルゴーニュ公爵ジグフリート1世が破...
上ブルゴーニュ公爵であるレンツブルグ家は王国内で第一の...
レオポルト4世とエルメンガルトの婚姻以来、大事な盟友でもあ...
その当主を破門させた王子レオポルトの所業は王国内で問題...
&ref(ジグフリート破門.jpg);
> 1252年3月。新ローマ皇帝がレオポルトと愛人との間の非嫡...
前皇帝とバイエルン王国との関係は悪化していたが、新皇帝...
レオポルトは父親としても、不名誉な子であるソフィーと皇...
&ref(ソフィー婚姻.jpg);
> 1252年8月。レオポルトは66才にして新たな愛人ウルシュラ...
&ref(レオポルト愛人.jpg);
&size(12){''好色ぶりは健在''};
**相続問題 [#dfe3fa9a]
> 1252年9月。バイエルン王国に激震が走る。王国の後継者ケ...
&ref(王子死去.jpg);
> 王子レオポルトの死去により、バベンベルグ家に大きな問題...
王子レオポルトには11才の長男レオポルトがおり、バイエル...
そして、王子レオポルトには母親の違う弟、15才のローター...
孫レオポルトの母親はクロアチア女王であり、ローターの母は...
ローターの母はレオポルトの母の主君にあたる関係であった。
果たして、この二人のどちらがバイエルン王国の後継者とし...
しかし。この時の評議会のメンバーには王国の趨勢を左右す...
家令はグラッツ市長であり、バベンベルグ家の内部のことには...
バベンベルグ家の内部としては、一族の重鎮としてレオポル...
当時破門されており、謹慎の身であった。そして、一番肝心な...
&ref(評議会_1252.jpg);
> 結論は国外からの情報によって導かれた。クロアチア女王シ...
一方的にウィーンの宮廷に伝えてきた。
レオポルトが有していたケルンテン公爵の称号は長女ウテに...
したがって、長男レオポルトは今後はクロアチア王国のザフ...
これに対し、バイエルン王国宰相インドリヒがバイエルン王...
クロアチア王国宰相ウソラ伯は、もらえるものなら頂きましょ...
その回答からは、孫のレオポルトが2つの王国の王となった場...
&ref(ウテ継承.jpg);
> その結果、評議会と重臣会議は、バイエルン王国の後継者は...
レオポルトは興味なさげに黙って頷いた。
レオポルトの内心は、自分がどちらかに肩入れして、それに...
それ故、あえて興味のないふりをしていたのだった。
&ref(ローター継承.jpg);
> 1253年3月。ルツィヤが身籠った。レオポルトはこの時66才...
&ref(ルツィヤ懐妊_2.jpg);
> 1254年2月。クロアチア女王シルヴィヤが闘病の末、37才で...
これにより、バベンベルグ家がクロアチア王となることとな...
> 1255年6月。レオポルトの妻、スロヴェニア女公爵ルツィヤ...
奇しくもクロアチア女王シルヴィヤと同い年での死去であっ...
&ref(ルツィヤ死去.jpg);
> 1257年1月。バイエルン王国の重臣である上ブルゴーニュ公...
長男ゲプハルト2世が上ブルゴーニュ公爵となった。
> 1257年6月。バイエルン国王レオポルト1世が闘病の末、70才...
その治世は62年に及び、歴代の当主の中で最長となった。二...
これ以後、バイエルン王家は、ローターの母の出身であるス...
&ref(レオポルト死去.jpg);
~続く~
**あとがき [#a72076e6]
これまでで一番長い治世となりました。
絶対的な権威法のため戦争は出来ず、皇帝の称号授与により
領土が2つ削られました。
せっかく長男とクロアチア王の後継者を結婚させたので
何とかクロアチア王国も取りたかったんですけど、相続では
一人に継承させることはできなかったみたいです。
終了行:
[[AAR/バべンベルグ家興亡史/王レオポルト1世の治世・前半]]
*七代目 バイエルン王レオポルト1世(後半) [#t5a9438b]
**レオポルトの再婚 [#vf7c2759]
> 1225年3月。レオポルトは、ハンガリー王国のエステルゴム...
イポルヤの年齢はわずか8才であった。イポルヤはエスターラ...
&ref(レオポルト婚約.jpg);
> 1225年5月。レオポルトは婚約はしたものの、妻エマのこと...
ウィーンの娼館から高級娼婦を呼ぶようになり、エマが生きて...
&ref(好色.jpg);
> 1226年8月。バイエルン王国の後継者であるレオポルトの長...
王子は外交能力に優れており、バイエルン王国の将来は安泰に...
&ref(王子レオポルト.jpg);
> 1226年9月。レオポルトの叔父カルロマンが家臣の手にかか...
> 1226年11月。上ブルゴーニュ公爵ゲプハルトがツェーリング...
**ローマ皇帝の陰謀と婚姻政策 [#d043fe93]
> 1227年2月。ローマ皇帝が王子レオポルトの暗殺を謀る。バ...
辺境の王と揶揄されてきたが、いよいよ皇帝もバベンベルグ家...
この陰謀について密偵頭グントラムは、非公式に皇帝に発覚し...
&ref(王子暗殺.jpg);
> 1227年4月。王女アグネスとチロル公爵であるラインフェル...
ディエトヴィンは優秀な人材であり、ウィーンに迎え厚く遇し...
> 1227年12月。領地を求めて来た長男レオポルトをケルンテン...
> 1228年6月、ディエトヴィンは暴動鎮圧に赴いた際、敵の攻...
そして、1232年7月、ボヘミア王から未亡人となったアグネス...
レオポルトは、既に父の分からない子を産み、夫を失い未亡...
これで、バベンベルグ家は当主レオポルトの妹をハンガリー...
二女をボヘミア王の後継者であるボヘミア王子に嫁がせること...
&ref(アグネス結婚.jpg);
> 1232年7月。フランコニア公爵の後継者でプレミスリド家の...
&ref(四女婚姻.jpg);
> 1233年2月。ヴェグリア州はバベンベルグ家の王女と婿養子...
バベンベルグ家の領土であったが、後を継いでヴェグリア伯と...
帝国北部のメクレンブルク州とメクレンブルク公爵の称号を皇...
これにより、ヴェグリア州もメクレンブルク公爵の領土とな...
今後、ローマ皇帝は手を変え品を変え、バイエルン王国から...
> 1233年2月。レオポルトの婚約者であるエステルゴム公爵家...
レオポルトは婚約破棄を一方的にエステルゴム公爵家に通告し...
ハンガリー王カロリィは勇猛ではあるが、人望に薄く、ハン...
&ref(ハンガリー内乱.jpg);
&size(12){''ハンガリー王国が有するのはわずか4州''};
> エステルゴム公爵家もそれは同様で、将来イポルヤが親から...
婚約破棄後、レオポルトはスロヴェニア女公爵であるクロア...
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> 婚姻したばかりのレオポルトの元にハンガリー内戦の情報が...
ハンガリー王の妹ギセラを妻に迎えていたクロアチア王フラニ...
ニトリア公爵軍との戦いで戦死したとのことであった。
これにより王位を継いだのは、王子レオポルトの婚約者シル...
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&size(12){''後継者はシルヴィヤのまま''};
> 1233年11月。レオポルトの結婚からわずか2か月後、ルツィ...
好色となっていたレオポルトは47才であったが若い妻の身体に...
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> 1234年2月。シルヴィヤが成人し、長男レオポルトと婚姻し...
ディエトポルト・ラポトネンに代わる宰相として評議会にも加...
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> 1234年8月。レオポルトは妻の身体だけでは飽き足らず、家...
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> 1234年12月。これまで陰謀に反乱を繰り返してきたツェーリ...
> 1235年2月。レオポルトは饗宴を開き、ケルンテン公として...
その夜、酒に酔ったレオポルトはシルヴィヤに城を案内し、...
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> 1235年5月。愛人ビンヒルデがレオポルトの子を産んだ。先...
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> 1236年6月。皇帝は、バイエルン王国の家臣であるパッソ―伯...
これにより、パッソ―州は皇帝の直臣たるブロヴェンス公爵家...
パッソー州は1124年にエルンスト2世がバヴァリア公爵と戦い...
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&size(12){''放棄したはずのブラウエン州はいつの間にか上ブ...
> 1236年9月。レオポルトとルツィヤとの間に初めての男の子...
これで二人の間では3人目の子供で、先妻、愛人との間の子も...
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> 1137年7月。皇帝レオポルト暗殺の陰謀が発覚。皇帝はレオ...
帝国と王国との間の権力闘争は直接的な争いは起こらないもの...
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> 1137年11月。皇帝が闘病の末、死亡した。皇帝が病気だった...
油断させるための策とも思えたほどであった。
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前皇帝の息子でレオポルトの孫ピーターははブルゴーニュ公...
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**クロアチア王家に対する陰謀 [#yd1b856d]
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ドラガン2世に子が産まれれば、長男レオポルトの妻シルヴィ...
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> グントラムはレオポルトにクロアチア王暗殺の決断を迫り、...
バベンベルグ家において暗殺は決して好まれるものではない...
躊躇なくこれを行う。実の弟と妻を暗殺した先々代のレオポル...
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> 1245年2月。レオポルトがオーストリア公となってから即位5...
バイエルン王国創設後は、帝国が家臣の戦争を禁じているこ...
バベンベルグ家の戦争はなく、平穏な日々が続いていた。
饗宴で、レオポルトは二人の義弟、上ブルゴーニュ公爵ゲプ...
&ref(オルドゥルフ2世.jpg);
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> 1245年11月。長く密偵頭を務めたグントラム・プレミスリド...
後任の密偵頭には、二女アグネスの父親の分からない不義の...
レオポルトは、これを機にウィドゥキントをがスタイン男爵...
&ref(グントラム死去.jpg);
> 1248年2月。長らく元帥を務めた上ブルゴーニュ公爵ゲプハ...
後任には、ゲプハルトの三男ゲプハルトをウィーンに迎え、...
> 1248年6月。レオポルトとルツィヤの長男ローターとヴェグ...
ヴェグリア州はメクレンブルク公爵の領土となっており、こ...
レオポルトの後継者はケルンテン公爵にしてバイエルン王国...
> 1248年9月。新たな上ブルゴーニュ公爵ジグフリート1世が破...
上ブルゴーニュ公爵であるレンツブルグ家は王国内で第一の...
レオポルト4世とエルメンガルトの婚姻以来、大事な盟友でもあ...
その当主を破門させた王子レオポルトの所業は王国内で問題...
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> 1252年3月。新ローマ皇帝がレオポルトと愛人との間の非嫡...
前皇帝とバイエルン王国との関係は悪化していたが、新皇帝...
レオポルトは父親としても、不名誉な子であるソフィーと皇...
&ref(ソフィー婚姻.jpg);
> 1252年8月。レオポルトは66才にして新たな愛人ウルシュラ...
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&size(12){''好色ぶりは健在''};
**相続問題 [#dfe3fa9a]
> 1252年9月。バイエルン王国に激震が走る。王国の後継者ケ...
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> 王子レオポルトの死去により、バベンベルグ家に大きな問題...
王子レオポルトには11才の長男レオポルトがおり、バイエル...
そして、王子レオポルトには母親の違う弟、15才のローター...
孫レオポルトの母親はクロアチア女王であり、ローターの母は...
ローターの母はレオポルトの母の主君にあたる関係であった。
果たして、この二人のどちらがバイエルン王国の後継者とし...
しかし。この時の評議会のメンバーには王国の趨勢を左右す...
家令はグラッツ市長であり、バベンベルグ家の内部のことには...
バベンベルグ家の内部としては、一族の重鎮としてレオポル...
当時破門されており、謹慎の身であった。そして、一番肝心な...
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> 結論は国外からの情報によって導かれた。クロアチア女王シ...
一方的にウィーンの宮廷に伝えてきた。
レオポルトが有していたケルンテン公爵の称号は長女ウテに...
したがって、長男レオポルトは今後はクロアチア王国のザフ...
これに対し、バイエルン王国宰相インドリヒがバイエルン王...
クロアチア王国宰相ウソラ伯は、もらえるものなら頂きましょ...
その回答からは、孫のレオポルトが2つの王国の王となった場...
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> その結果、評議会と重臣会議は、バイエルン王国の後継者は...
レオポルトは興味なさげに黙って頷いた。
レオポルトの内心は、自分がどちらかに肩入れして、それに...
それ故、あえて興味のないふりをしていたのだった。
&ref(ローター継承.jpg);
> 1253年3月。ルツィヤが身籠った。レオポルトはこの時66才...
&ref(ルツィヤ懐妊_2.jpg);
> 1254年2月。クロアチア女王シルヴィヤが闘病の末、37才で...
これにより、バベンベルグ家がクロアチア王となることとな...
> 1255年6月。レオポルトの妻、スロヴェニア女公爵ルツィヤ...
奇しくもクロアチア女王シルヴィヤと同い年での死去であっ...
&ref(ルツィヤ死去.jpg);
> 1257年1月。バイエルン王国の重臣である上ブルゴーニュ公...
長男ゲプハルト2世が上ブルゴーニュ公爵となった。
> 1257年6月。バイエルン国王レオポルト1世が闘病の末、70才...
その治世は62年に及び、歴代の当主の中で最長となった。二...
これ以後、バイエルン王家は、ローターの母の出身であるス...
&ref(レオポルト死去.jpg);
~続く~
**あとがき [#a72076e6]
これまでで一番長い治世となりました。
絶対的な権威法のため戦争は出来ず、皇帝の称号授与により
領土が2つ削られました。
せっかく長男とクロアチア王の後継者を結婚させたので
何とかクロアチア王国も取りたかったんですけど、相続では
一人に継承させることはできなかったみたいです。
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