AAR/バべンベルグ家興亡史/王レオポルト1世の治世・前半
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[[AAR/バべンベルグ家興亡史/レオポルト6世の治世]]
*七代目 バイエルン王レオポルト1世(前半) [#fe791c24]
**称号の授与 [#n1e78736]
> バイエルン王国成立後、レオポルトの最初の仕事は、王国の...
カルロマン「我が甥、いや、我が王よ。公爵領を持ちすぎで...
野心的な叔父の言葉を待つまでもなく、この封建の世におい...
> レオポルトは、すでにニュシャテル伯に封じていた義弟のゲ...
(ニュシャテル、ブルゴーニュ、シュウィッツ、アールガウ)...
&ref(ゲプハルト.jpg);
&size(12){''祖母エルメンガルトと祖父レオポルト4世との約束...
> 続いて、クレムス男爵であるオルドゥルフ・フォン・バベン...
オルドゥルフの母はチエムガウ家の出身であり、ヴァシュ伯...
そして、オルドゥルフの息子は同名のオルドゥルフといって...
&ref(オルドゥルフ.jpg);
&size(12){''能力は凡庸だけどチエムガウ家の血筋を引きアマ...
> ゲプハルトは20才、オルドゥルフ2世は18才、レオポルトは...
> さらに、パッソ―伯アマリアのいとこにあたるディエトポル...
&ref(評議会_1212.jpg);
> 最後に、反乱を起こしたアールガウ伯ヌンツィアは恩赦によ...
**四人の王たち [#d429cf4c]
> レオポルトがバイエルン王国となったことにより、ローマ帝...
しかも、四人の年は近く、皆若かった。
> クロアチア王はトリピミロヴィッチ家のフラスニスラヴ1世...
妻にはハンガリー王の妹ギゼラを迎えていた。
&ref(クロアチア王夫妻.jpg);
> ハンガリー王はアルパド家のカロリィ1世、20才。レオポル...
妻はレオポルトの妹ゲルヒルトである。
&ref(ハンガリー王夫妻.jpg);
> ボヘミア王はプレミスリド家のヴラティスラヴ2世、27才。...
そのせいもあり、ボヘミア王国の一部は異なるプレミスリド...
妻は、帝国北東に11州を有し、下ロレーヌ公爵、ブラバント...
&ref(ボヘミア王夫妻.jpg);
> レオポルトはこの三人の隣国の王たちと否が応にも覇を競う...
**安寧の日々 [#pcaa1ba0]
> 1213年5月。帝国法が及ばないハンガリーの地でぺクス公爵...
> 1214年9月。上ブルゴーニュ公爵に嫁がせていたハイルヴィ...
前宰相のハルトマン・ワギングの娘15才のアマルベルガを嫁が...
> 1215年8月。隣国バヴァリア公爵ルイ1世のレオポルト暗殺計...
かつて、バヴァリア公爵家といえば、バベンベルグ家にとっ...
> 1218年8月。フェイエール州をめぐる戦争でぺクス公爵が勝...
ローマ帝国はさらにハンガリーへ領土を拡げることとなった。
&ref(周辺状況_1218.jpg);
&size(12){''緑色がバイエルン王国''};
> 1218年11月。レオポルトは密偵頭のグントラムから奇妙な話...
バイエルン王国の北方の飛び地のブラウエン女伯であるが、夫...
二人の間には三人の子が産まれていたが、いずれも幼年で亡...
マルクヴァルト・フォン・メルセブルクによって殺されていた...
&ref(ブラウエン女伯.jpg);
> 王とはいえ、訴えがあればともかくとして、封建領主の家中...
レオポルトは背筋が冷たくなる思いであった。
&ref(マルクヴァルト.jpg);
> 1218年1月。レオポルトは、数か月前から宰相ディエトポル...
その目的は、昨年生まれたばかりのクロアチア王女シルヴィ...
二人の間に子が産まれれば、その子はバイエルンとクロアチ...
クロアチア王家は924年以来、トリピミロヴィッチ家が王位に...
しかし、この婚約は意外にも話を進めてみると相手も乗り気...
今後、息子が産まれれば、その子がクロアチア王を継ぐことに...
クロアチア王家の血を引く王女との婚姻は今後のバベンベルグ...
しかし、反対する声もあった。これまでバベンベルグ家の当...
クロアチア貴族との婚姻に拒否反応を示す家臣・廷臣も少なく...
長男レオポルトとのクロアチア王女シルヴィヤの婚約話を進め...
&ref(長男婚約.jpg);
> 1219年3月。レオポルトは、バイエルン王国内の伯爵の封建...
しかし、皇帝は55才ではあるが、すでに無能力者となってお...
かつてレオポルト暗殺を試みたバヴァリア公爵ルイであれば、...
なお、皇帝の妻はツェーリング家四姉妹の次女にしてシュウ...
&ref(皇帝拒絶.jpg);
> 1220年10月。レオポルトの長女ゲルヒルトとローマ皇帝の長...
今や、辺境であるとはいえ、領土の規模から言えば、帝国最...
エッツォネン家の未来の当主との婚姻は双方にメリットのある...
&ref(長女婚約.jpg);
> しかし、結婚からわずか1か月後、ゲルヒルトは闘病の末亡...
それから一年足らずのうちに、今度はレオポルトの三女ヌン...
&ref(三女婚約.jpg);
> 1221年12月。上ブルゴーニュ公爵の要求権をねつ造の陰謀を...
> 1222年1月。次女アグネスが父親の分からない子供を出産し...
バベンベルグ家の女に時折あらわれる才知を有するのはアグネ...
皇帝の息子と結婚したヌンツィアと我が身とを比べて自棄にな...
&ref(二女懐妊.jpg);
> 1222年3月。ブラウエン女伯エルメンガルトが反乱。飛び地...
レオポルトは、元帥である上ブルゴーニュ公爵ゲプハルトを...
しかし、ティエトマルは敵が寡兵な故に油断したか、前線に...
トリエステ家には娘しかなかったので、既に亡き妻との間に子...
ティエトマルの死に報いた。
&ref(ティエトマル戦死.jpg);
> 1223年6月。元摂政ベルトホルトは数年前に若い娘と結婚し...
ベルトホルトは前妻であるレオポルトの叔母ベアトリクスと...
&ref(トルーデ.jpg);
> 1224年6月。ブラウエン女伯との内戦に勝利。投獄した後、...
ブラウエン伯領を皇帝に返上した。そもそも遠方の領土は不要...
家臣にしておくことにメリットはなく、領土返上により皇帝の...
> 1224年8月。フランコニア公爵の後継者でプレミスリド家の...
> 1224年10月。ローマ皇帝が長期昏睡の上、死去。次の皇帝は...
レオポルトの三女ヌンツィアは皇妃となった。しかし、若干21...
帝国は内乱の季節を迎える。
&ref(内乱_1224.jpg);
> 1225年3月。レオポルトの妻エマ・ツェーリングが死去。享...
四女一男を残した妻の若すぎる死により、バベンベルグ家の将...
~続く~
**あとがき [#a70a4ef1]
前後編に分けることになりました。バイエルン王になる前も含...
前中後の大長編となってしまいました。
平和な日々ではありますが書きたいことはいろいろ出て来るん...
終了行:
[[AAR/バべンベルグ家興亡史/レオポルト6世の治世]]
*七代目 バイエルン王レオポルト1世(前半) [#fe791c24]
**称号の授与 [#n1e78736]
> バイエルン王国成立後、レオポルトの最初の仕事は、王国の...
カルロマン「我が甥、いや、我が王よ。公爵領を持ちすぎで...
野心的な叔父の言葉を待つまでもなく、この封建の世におい...
> レオポルトは、すでにニュシャテル伯に封じていた義弟のゲ...
(ニュシャテル、ブルゴーニュ、シュウィッツ、アールガウ)...
&ref(ゲプハルト.jpg);
&size(12){''祖母エルメンガルトと祖父レオポルト4世との約束...
> 続いて、クレムス男爵であるオルドゥルフ・フォン・バベン...
オルドゥルフの母はチエムガウ家の出身であり、ヴァシュ伯...
そして、オルドゥルフの息子は同名のオルドゥルフといって...
&ref(オルドゥルフ.jpg);
&size(12){''能力は凡庸だけどチエムガウ家の血筋を引きアマ...
> ゲプハルトは20才、オルドゥルフ2世は18才、レオポルトは...
> さらに、パッソ―伯アマリアのいとこにあたるディエトポル...
&ref(評議会_1212.jpg);
> 最後に、反乱を起こしたアールガウ伯ヌンツィアは恩赦によ...
**四人の王たち [#d429cf4c]
> レオポルトがバイエルン王国となったことにより、ローマ帝...
しかも、四人の年は近く、皆若かった。
> クロアチア王はトリピミロヴィッチ家のフラスニスラヴ1世...
妻にはハンガリー王の妹ギゼラを迎えていた。
&ref(クロアチア王夫妻.jpg);
> ハンガリー王はアルパド家のカロリィ1世、20才。レオポル...
妻はレオポルトの妹ゲルヒルトである。
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> ボヘミア王はプレミスリド家のヴラティスラヴ2世、27才。...
そのせいもあり、ボヘミア王国の一部は異なるプレミスリド...
妻は、帝国北東に11州を有し、下ロレーヌ公爵、ブラバント...
&ref(ボヘミア王夫妻.jpg);
> レオポルトはこの三人の隣国の王たちと否が応にも覇を競う...
**安寧の日々 [#pcaa1ba0]
> 1213年5月。帝国法が及ばないハンガリーの地でぺクス公爵...
> 1214年9月。上ブルゴーニュ公爵に嫁がせていたハイルヴィ...
前宰相のハルトマン・ワギングの娘15才のアマルベルガを嫁が...
> 1215年8月。隣国バヴァリア公爵ルイ1世のレオポルト暗殺計...
かつて、バヴァリア公爵家といえば、バベンベルグ家にとっ...
> 1218年8月。フェイエール州をめぐる戦争でぺクス公爵が勝...
ローマ帝国はさらにハンガリーへ領土を拡げることとなった。
&ref(周辺状況_1218.jpg);
&size(12){''緑色がバイエルン王国''};
> 1218年11月。レオポルトは密偵頭のグントラムから奇妙な話...
バイエルン王国の北方の飛び地のブラウエン女伯であるが、夫...
二人の間には三人の子が産まれていたが、いずれも幼年で亡...
マルクヴァルト・フォン・メルセブルクによって殺されていた...
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> 王とはいえ、訴えがあればともかくとして、封建領主の家中...
レオポルトは背筋が冷たくなる思いであった。
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> 1218年1月。レオポルトは、数か月前から宰相ディエトポル...
その目的は、昨年生まれたばかりのクロアチア王女シルヴィ...
二人の間に子が産まれれば、その子はバイエルンとクロアチ...
クロアチア王家は924年以来、トリピミロヴィッチ家が王位に...
しかし、この婚約は意外にも話を進めてみると相手も乗り気...
今後、息子が産まれれば、その子がクロアチア王を継ぐことに...
クロアチア王家の血を引く王女との婚姻は今後のバベンベルグ...
しかし、反対する声もあった。これまでバベンベルグ家の当...
クロアチア貴族との婚姻に拒否反応を示す家臣・廷臣も少なく...
長男レオポルトとのクロアチア王女シルヴィヤの婚約話を進め...
&ref(長男婚約.jpg);
> 1219年3月。レオポルトは、バイエルン王国内の伯爵の封建...
しかし、皇帝は55才ではあるが、すでに無能力者となってお...
かつてレオポルト暗殺を試みたバヴァリア公爵ルイであれば、...
なお、皇帝の妻はツェーリング家四姉妹の次女にしてシュウ...
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> 1220年10月。レオポルトの長女ゲルヒルトとローマ皇帝の長...
今や、辺境であるとはいえ、領土の規模から言えば、帝国最...
エッツォネン家の未来の当主との婚姻は双方にメリットのある...
&ref(長女婚約.jpg);
> しかし、結婚からわずか1か月後、ゲルヒルトは闘病の末亡...
それから一年足らずのうちに、今度はレオポルトの三女ヌン...
&ref(三女婚約.jpg);
> 1221年12月。上ブルゴーニュ公爵の要求権をねつ造の陰謀を...
> 1222年1月。次女アグネスが父親の分からない子供を出産し...
バベンベルグ家の女に時折あらわれる才知を有するのはアグネ...
皇帝の息子と結婚したヌンツィアと我が身とを比べて自棄にな...
&ref(二女懐妊.jpg);
> 1222年3月。ブラウエン女伯エルメンガルトが反乱。飛び地...
レオポルトは、元帥である上ブルゴーニュ公爵ゲプハルトを...
しかし、ティエトマルは敵が寡兵な故に油断したか、前線に...
トリエステ家には娘しかなかったので、既に亡き妻との間に子...
ティエトマルの死に報いた。
&ref(ティエトマル戦死.jpg);
> 1223年6月。元摂政ベルトホルトは数年前に若い娘と結婚し...
ベルトホルトは前妻であるレオポルトの叔母ベアトリクスと...
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> 1224年6月。ブラウエン女伯との内戦に勝利。投獄した後、...
ブラウエン伯領を皇帝に返上した。そもそも遠方の領土は不要...
家臣にしておくことにメリットはなく、領土返上により皇帝の...
> 1224年8月。フランコニア公爵の後継者でプレミスリド家の...
> 1224年10月。ローマ皇帝が長期昏睡の上、死去。次の皇帝は...
レオポルトの三女ヌンツィアは皇妃となった。しかし、若干21...
帝国は内乱の季節を迎える。
&ref(内乱_1224.jpg);
> 1225年3月。レオポルトの妻エマ・ツェーリングが死去。享...
四女一男を残した妻の若すぎる死により、バベンベルグ家の将...
~続く~
**あとがき [#a70a4ef1]
前後編に分けることになりました。バイエルン王になる前も含...
前中後の大長編となってしまいました。
平和な日々ではありますが書きたいことはいろいろ出て来るん...
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