AAR/バべンベルグ家興亡史/レオポルト4世の治世・後半
をテンプレートにして作成
[
トップ
] [
新規
|
一覧
|
検索
|
最終更新
|
ヘルプ
]
開始行:
[[AAR/バべンベルグ家興亡史/レオポルト4世の治世・前半]]
*五代目 オーストリア公レオポルト4世(後半) [#qb59981c]
**ツリンギア・バベンベルグ家との婚姻 [#m8d507ac]
> 1161年5月。レオポルトは悩んでいた。子を4人設けたが、全...
その思いはいつまで経っても消えなかった。
> そんな時家令のアルヌルフがレオポルトに進言した。
「帝国の北西部のナッサウの地のツリンギア公爵のフリードリ...
当家の長女ウルリケ様との婚姻を進めては如何でしょうか」
&ref(王朝図_1161.jpg);
> バベンベルグ家の家系図によれば、皇帝から初めてオースト...
長男ハインリヒがオーストリア公を継ぎ、二男エルンストはそ...
長男ハインリヒは子を為す前に亡くなったため、オーストリ...
ツリンギア公フリードリヒ1世は、レオポルト1世の二男エル...
レオポルトの長女ウルリケは10才で釣り合いもとれていた。
> しかし、問題は先方が婿養子婚を了承してくれるかであった...
家令と同じ名前のアルヌルフであった。レオポルトは半信半疑...
ツリンギア公フリードリヒは若干13才ではあったが、ナッサ...
自身の子をオーストリア公としたいという野心もあったのだ。
バベンベルグ家としても、約200年の時を超えて二つの家系が...
&ref(婚約.jpg);
&ref(婚約②.jpg);
> 1161年6月。めでたく公爵フリードリヒとウルリケとの婚約...
スワビア公エルンストを祖先とする系統とオーストリア公アダ...
しかし、婚約からわずか8日後、フリードリヒは不慮の事故死...
ツリンギア公爵家の婿養子婚を嫌う勢力が暗躍したものと思わ...
&ref(不審死.jpg);
&size(12){''バベンベルグ家統一の夢はならず・・・''};
**妻の暗殺とレンツブルグ家との連合 [#y581d192]
> 1163年1月。レオポルトは教皇に寄進を行い、長男を授かる...
&ref(教皇寄進.jpg);
> そして、この頃、レオポルトと妻エリスカとの間に軋轢が生...
&ref(妻との軋轢.jpg);
> 1163年12月。レオポルトは、パッソ―伯であるラポトネン家...
パッソ―伯からは丁重に断られてしまった。
&ref(婿養子婚失敗.jpg);
> 1165年1月。思いつめたレオポルトは妻の暗殺を決意した。...
キリスト者として非道な考えではあるが考え抜いた結果それ...
家令アルヌルフに自分の気持ちを打ち明けると、アルヌルフは...
この陰謀には宮廷の半数以上が加わったとされる。憤怒、残...
&ref(妻暗殺②.jpg);
&size(12){''参加者多数''};
> 実行犯となったのは元帥ブルノであった。ブルノは妻エリス...
暗殺とは判明せぬままエリスカは不審の事故死を遂げた。実行...
&ref(妻暗殺.jpg);
&ref(妻暗殺③.jpg);
> レオポルトは、僅かな期間に喪に服した後、婚姻相手を探す...
レンツブルグ家の上ブルゴーニュ女公爵エルメンガルトであっ...
エルメンガルトが16才になった直後、婚姻した。
&ref(エルメンガルト.jpg);
&size(12){''能力高っ''};
> 婚姻の夜、エルメンガルトはレオポルトに言った。
「私との間に子が産まれたら、その子はバベンベルグ家の名で...
その子はレンツブルグ家の名を継がせ、上ブルゴーニュ公爵の...
レオポルトが「もし断ったら」と聞くと、エルメンガルトは...
> こうして、オーストリア公爵家と上ブルゴーニュ公爵家の当...
慣習的領土の他にバイエルン王国の領土であるケンプテン州を...
その子が2人の領土を相続すれば、バイエルン王国は成立する。...
&ref(上ブルゴーニュ公爵領.jpg);
&size(12){''6州に及ぶ広大な領土''};
**婚姻政策と外征 [#n10d26b7]
> レオポルトは、立て続けに、娘たちの婿養子婚約も進めた。...
奇縁として、ルドヴィクの後見人はかつて反乱を起こした後、...
さらに、次女ベアトリクスはルクセンブルク公爵の庶子であ...
三女のイルザはクロアチアの第六王子で隣州ヴェグリアの後...
四女のエリザベトはローマ皇帝の長男でプラデツ伯のヴセボ...
> 1168年1月。ついにレオポルトとエルメンガルトとの間に長...
&ref(長男誕生.jpg);
&ref(レオポルト.jpg);
&size(12){''将来のバイエルン王となるべき王子・・・''};
> 1170年9月。レオポルトは父レオポルト3世が奪ったヴァシュ...
反乱を起こしたオットーにヴァシュ伯の地位を与えたことは、...
チエムガウ家に対する処遇について公式に誤りを認めたもので...
与えなかったものの、今後ハンガリーに領土を得た場合には、...
&ref(チエムガウ家.jpg);
> 1171年3月。フリースラントに亡命したオタカル・フォン・...
アダルベロをウィーンの宮廷に呼び寄せた。これもチエムガウ...
> 1171年11月。イストリア伯であったレオポルトの母が66才で...
> 1172年11月。レオポルトの摂政を務めたアルノボイノの息子...
さらに、長女ウルリケの婿であるルドウィク・ブルノベンに...
&ref(評議会_1173.jpg);
&size(12){''元帥にはヴァシュ伯オットー、家令は変わらずア...
> 1174年4月。ハンガリーの内乱に乗じて、介入を試みようと...
わずか1月でセーケシュフェヘールバール州の請求権のねつ造に...
&ref(請求権捏造.jpg);
> 1176年10月。戦争に勝利し、セーケシュフェペールバール伯...
&ref(称号簒奪.jpg);
> 1179年7月。長男にイストリア伯にセーケシュフェへールバ...
> 1179年1月。三女イルザの婿であるクロアチア王子ミルマン...
**相続法改正 [#ocbe1fc0]
> 1181年6月。帝国が王の権威法を改正し、王権は強力なもの...
&ref(権威法改正.jpg);
> これに伴い、家令アルヌルフは相続法を長子相続制への改正...
レオポルトの弟エルンストは幼い命を失わなければならなかっ...
「相続法を変えれば、もうあのようなことは起きないのだな」...
これに対し、アルヌルフは「当主の死後、身内が争うことは...
&ref(相続法改正.jpg);
1182年8月。極悪王と呼ばれたクロアチア王ブラニミル1世が肺...
ケルンテン伯のミルマンがヴェグリア州を相続し、オーストリ...
ヴェグリア州はローマ帝国においても初めてのクロアチア王...
クロアチア王国への進出の足掛かりとなるものであった。
&ref(領土_1182.jpg);
&size(12){''戦争と相続により9州から11州に''};
> 1184年7月。ぺクス公爵の称号を簒奪
&ref(称号簒奪②.jpg);
> 1185年12月。レオポルトは妻エレメンガルトとの約束を守り...
&ref(カルロマン婚約.jpg);
> 1186年8月。レオポルト4世は55才で四肢切断で死去。43年の...
&ref(レオポルト死去.jpg);
> レオポルトは死の直前、長男レオポルトを呼び寄せ言い残し...
「上ブルゴーニュ公領はレンツブルグ家に任せればよい。当家...
クロアチアとハンガリーを帝国の版図とすることをその使命と...
~続く~
&ref(世界情勢_1184.jpg);
&size(12){''フランス南部にローマ帝国が浸食''};
**あとがき [#qa31f63e]
長い治世となりました。
妻暗殺後、15才の上ブルゴーニュ女公爵が見つかったのは
ラッキーでした。
あと、ここまでリロードせずにきましたが今回初めてやりまし...
ヴェグリア州の後継者のクロアチア王子に相続でヴェグリア州を
得ようと思っていたんですけど、男爵領あげる前にクロアチア...
死んでしまったので、リロード後、授与して、その後相続しま...
もうしません・・・多分。
終了行:
[[AAR/バべンベルグ家興亡史/レオポルト4世の治世・前半]]
*五代目 オーストリア公レオポルト4世(後半) [#qb59981c]
**ツリンギア・バベンベルグ家との婚姻 [#m8d507ac]
> 1161年5月。レオポルトは悩んでいた。子を4人設けたが、全...
その思いはいつまで経っても消えなかった。
> そんな時家令のアルヌルフがレオポルトに進言した。
「帝国の北西部のナッサウの地のツリンギア公爵のフリードリ...
当家の長女ウルリケ様との婚姻を進めては如何でしょうか」
&ref(王朝図_1161.jpg);
> バベンベルグ家の家系図によれば、皇帝から初めてオースト...
長男ハインリヒがオーストリア公を継ぎ、二男エルンストはそ...
長男ハインリヒは子を為す前に亡くなったため、オーストリ...
ツリンギア公フリードリヒ1世は、レオポルト1世の二男エル...
レオポルトの長女ウルリケは10才で釣り合いもとれていた。
> しかし、問題は先方が婿養子婚を了承してくれるかであった...
家令と同じ名前のアルヌルフであった。レオポルトは半信半疑...
ツリンギア公フリードリヒは若干13才ではあったが、ナッサ...
自身の子をオーストリア公としたいという野心もあったのだ。
バベンベルグ家としても、約200年の時を超えて二つの家系が...
&ref(婚約.jpg);
&ref(婚約②.jpg);
> 1161年6月。めでたく公爵フリードリヒとウルリケとの婚約...
スワビア公エルンストを祖先とする系統とオーストリア公アダ...
しかし、婚約からわずか8日後、フリードリヒは不慮の事故死...
ツリンギア公爵家の婿養子婚を嫌う勢力が暗躍したものと思わ...
&ref(不審死.jpg);
&size(12){''バベンベルグ家統一の夢はならず・・・''};
**妻の暗殺とレンツブルグ家との連合 [#y581d192]
> 1163年1月。レオポルトは教皇に寄進を行い、長男を授かる...
&ref(教皇寄進.jpg);
> そして、この頃、レオポルトと妻エリスカとの間に軋轢が生...
&ref(妻との軋轢.jpg);
> 1163年12月。レオポルトは、パッソ―伯であるラポトネン家...
パッソ―伯からは丁重に断られてしまった。
&ref(婿養子婚失敗.jpg);
> 1165年1月。思いつめたレオポルトは妻の暗殺を決意した。...
キリスト者として非道な考えではあるが考え抜いた結果それ...
家令アルヌルフに自分の気持ちを打ち明けると、アルヌルフは...
この陰謀には宮廷の半数以上が加わったとされる。憤怒、残...
&ref(妻暗殺②.jpg);
&size(12){''参加者多数''};
> 実行犯となったのは元帥ブルノであった。ブルノは妻エリス...
暗殺とは判明せぬままエリスカは不審の事故死を遂げた。実行...
&ref(妻暗殺.jpg);
&ref(妻暗殺③.jpg);
> レオポルトは、僅かな期間に喪に服した後、婚姻相手を探す...
レンツブルグ家の上ブルゴーニュ女公爵エルメンガルトであっ...
エルメンガルトが16才になった直後、婚姻した。
&ref(エルメンガルト.jpg);
&size(12){''能力高っ''};
> 婚姻の夜、エルメンガルトはレオポルトに言った。
「私との間に子が産まれたら、その子はバベンベルグ家の名で...
その子はレンツブルグ家の名を継がせ、上ブルゴーニュ公爵の...
レオポルトが「もし断ったら」と聞くと、エルメンガルトは...
> こうして、オーストリア公爵家と上ブルゴーニュ公爵家の当...
慣習的領土の他にバイエルン王国の領土であるケンプテン州を...
その子が2人の領土を相続すれば、バイエルン王国は成立する。...
&ref(上ブルゴーニュ公爵領.jpg);
&size(12){''6州に及ぶ広大な領土''};
**婚姻政策と外征 [#n10d26b7]
> レオポルトは、立て続けに、娘たちの婿養子婚約も進めた。...
奇縁として、ルドヴィクの後見人はかつて反乱を起こした後、...
さらに、次女ベアトリクスはルクセンブルク公爵の庶子であ...
三女のイルザはクロアチアの第六王子で隣州ヴェグリアの後...
四女のエリザベトはローマ皇帝の長男でプラデツ伯のヴセボ...
> 1168年1月。ついにレオポルトとエルメンガルトとの間に長...
&ref(長男誕生.jpg);
&ref(レオポルト.jpg);
&size(12){''将来のバイエルン王となるべき王子・・・''};
> 1170年9月。レオポルトは父レオポルト3世が奪ったヴァシュ...
反乱を起こしたオットーにヴァシュ伯の地位を与えたことは、...
チエムガウ家に対する処遇について公式に誤りを認めたもので...
与えなかったものの、今後ハンガリーに領土を得た場合には、...
&ref(チエムガウ家.jpg);
> 1171年3月。フリースラントに亡命したオタカル・フォン・...
アダルベロをウィーンの宮廷に呼び寄せた。これもチエムガウ...
> 1171年11月。イストリア伯であったレオポルトの母が66才で...
> 1172年11月。レオポルトの摂政を務めたアルノボイノの息子...
さらに、長女ウルリケの婿であるルドウィク・ブルノベンに...
&ref(評議会_1173.jpg);
&size(12){''元帥にはヴァシュ伯オットー、家令は変わらずア...
> 1174年4月。ハンガリーの内乱に乗じて、介入を試みようと...
わずか1月でセーケシュフェヘールバール州の請求権のねつ造に...
&ref(請求権捏造.jpg);
> 1176年10月。戦争に勝利し、セーケシュフェペールバール伯...
&ref(称号簒奪.jpg);
> 1179年7月。長男にイストリア伯にセーケシュフェへールバ...
> 1179年1月。三女イルザの婿であるクロアチア王子ミルマン...
**相続法改正 [#ocbe1fc0]
> 1181年6月。帝国が王の権威法を改正し、王権は強力なもの...
&ref(権威法改正.jpg);
> これに伴い、家令アルヌルフは相続法を長子相続制への改正...
レオポルトの弟エルンストは幼い命を失わなければならなかっ...
「相続法を変えれば、もうあのようなことは起きないのだな」...
これに対し、アルヌルフは「当主の死後、身内が争うことは...
&ref(相続法改正.jpg);
1182年8月。極悪王と呼ばれたクロアチア王ブラニミル1世が肺...
ケルンテン伯のミルマンがヴェグリア州を相続し、オーストリ...
ヴェグリア州はローマ帝国においても初めてのクロアチア王...
クロアチア王国への進出の足掛かりとなるものであった。
&ref(領土_1182.jpg);
&size(12){''戦争と相続により9州から11州に''};
> 1184年7月。ぺクス公爵の称号を簒奪
&ref(称号簒奪②.jpg);
> 1185年12月。レオポルトは妻エレメンガルトとの約束を守り...
&ref(カルロマン婚約.jpg);
> 1186年8月。レオポルト4世は55才で四肢切断で死去。43年の...
&ref(レオポルト死去.jpg);
> レオポルトは死の直前、長男レオポルトを呼び寄せ言い残し...
「上ブルゴーニュ公領はレンツブルグ家に任せればよい。当家...
クロアチアとハンガリーを帝国の版図とすることをその使命と...
~続く~
&ref(世界情勢_1184.jpg);
&size(12){''フランス南部にローマ帝国が浸食''};
**あとがき [#qa31f63e]
長い治世となりました。
妻暗殺後、15才の上ブルゴーニュ女公爵が見つかったのは
ラッキーでした。
あと、ここまでリロードせずにきましたが今回初めてやりまし...
ヴェグリア州の後継者のクロアチア王子に相続でヴェグリア州を
得ようと思っていたんですけど、男爵領あげる前にクロアチア...
死んでしまったので、リロード後、授与して、その後相続しま...
もうしません・・・多分。
ページ名: