AAR/バべンベルグ家興亡史/レオポルト4世の治世・前半
をテンプレートにして作成
[
トップ
] [
新規
|
一覧
|
検索
|
最終更新
|
ヘルプ
]
開始行:
[[AAR/バべンベルグ家興亡史]]
*五代目 オーストリア公レオポルト4世(前半) [#p68e02f0]
**スタート時の状況 [#p287d038]
&ref(王朝図_1142.jpg);
&size(12){''レオポルト3世は三男一女を残した。''};
|領有州|保有する家名|
|エスターライヒ、シュタイアーマルク|バベンベルグ|
|ヴァシュ|チエムガウ|
|パッソ―|ラポトネン|
|ザルツブルグ|司教領|
&ref(周辺状況_1143.jpg);
&size(12){''バベンベルグ家の領地は、オーストリア公領とケ...
**アルボイノによる摂政政治 [#oc043a34]
&ref(摂政アルボイノ.jpg);
> バベンベルグ家分裂後、摂政アルボイノがまず行ったのは、...
元々ケルンテン州出身の貴族であるが故に、弟エルンストの宮...
かのアマデウス・フォン・メルクが自分をウィーンの宮廷に招...
アルボイノが見出したのは、帝国北部のゲルレ州のズッフェ...
&ref(アルヌルフ.jpg);
当初、ウィーンの宮廷では、彼が、同じ帝国内とはいえ遠い...
アルボイノは、かつて、アマデウスが言ったのと同じセリフを...
「この宮廷にアルヌルフ・アル・・・以上の人材はおらん」
こうして、アルヌルフはバベンベルグ家の家令に就任した。...
&ref(評議会_1143.jpg);
> 1144年9月。先のシュタイアーマルク伯の叔父のヴァシュ伯...
アルボイノは、先代のレオポルト3世のチエムガウ家に対する...
アルボイノは摂政政治開始直後から、ヴァシュ伯の反乱を阻...
アルボイノはスイス傭兵を雇うと共に、元帥ヒセルベルト、...
&ref(ヴァシュ州反乱①.jpg);
&ref(ヴァシュ州反乱②.jpg);
> 1145年7月。反乱を鎮圧。レオポルトは自らヴァシュ伯の称...
> 1146年2月。アルボイノはレオポルトの成人を待たずして、7...
そのほとんどの期間をオーストリア公家の密偵頭を務めていた...
政事の万事の引き継ぎを済ませた後、用は済んだとばかりに死...
不審な金の動きは一切なかったという。
**陰謀その1 [#z8e1bccf]
> 1146年10月。レオポルトは成人し、親政を開始した。この時...
&ref(レオポルト4世.jpg);
&size(12){''熟練の戦術家、正直、お人よし、忍耐、勤勉、策...
> この頃、廷臣たちの間で奇妙な噂が流れていた。「ここ数代...
現当主レオポルト4世の後は、弟君がオーストリア公の座をエル...
&ref(経歴.jpg);
> 宮廷の不穏な空気を察し動き始めたのは、祖父エルンスト2...
ハートヴィグは時の宰相エギノルフの娘と婚姻し、ルドヴィ...
ケルンテン公暗殺の陰謀を最初に計画したのはこのハートヴ...
ハートヴィグはまず、義父エギノルフに相談し、バベンベル...
「義父上、今やらなければなりません。時間が過ぎれば過ぎ...
エギノルフの賛同を得ると、次は家令アルヌルフに相談した...
それしかないと考えていたと答え、すぐにハートヴィグの考え...
&ref(弟暗殺①.jpg);
&size(12){''グントラムは獄中でしぶとく生きている''};
> 評議会の3人がこの陰謀を主君に伝えるべく、レオポルトの...
「バベンベルグ家の将来のため、亡きレオポルト3世閣下のバイ...
許可はいりません。失敗した時は、私の首を献上いたします」
レオポルトは動揺しも宰相エギノルフの顔を見た。エギノル...
ハートヴィグはケルンテン州のクラーゲンフルト市長でケル...
クリストファーから驚くべき事実を聞かされた。既にケルン...
1146年11月。レオポルトは事故死に見せかけて殺されそうに...
マイケル・フォン・バベンベルグだった。
&ref(暗殺阻止.jpg);
> 1146年12月。クリストファーがエルンストを狩猟旅行に連れ...
表向きは、流れ矢が当たったことにされ、エルンストの死因は...
&ref(弟暗殺②.jpg);
&ref(弟暗殺③.jpg);
> こうして、レオポルトは弟の死によりケルンテン公爵領をす...
&ref(ケルンテン相続.jpg);
> 今回の陰謀の中心人物たるハートヴィグは30代にして一線を...
後日、ハートヴィグは身内の者に「グントラムのようにはな...
&ref(周辺状況_1146.jpg);
**平穏な日々 [#z26ba1f1]
> 1147年5月。レオポルトは投獄していたヴァシュ伯エーレン...
既に遠くフリースラントへと去って行ったが、エーレンフリー...
> 1148年1月。レオポルトの義兄である下ロレーヌ公爵の要請...
元帥ヒセルベルトを大将としてブレーダへ遠征、翌年5月に終結...
> 1148年7月。レオポルトはかねてより婚約していたボヘミア...
> 1149年4月。レオポルトは元帥ベレンガル・ルトヴインゲル...
以後、レオポルトはバベンベルグ家の隆盛に功のあった廷臣...
> 1151年9月。レオポルトは成人してから5年が経ち、評議会の...
&ref(評議会_1151.jpg);
> 引退したエギノルフの後の宰相には、ウィーンにやって来た...
スタデン家は遡ればブランデンブルグ公爵家に続く名門であ...
ヴァスヴァル家は新興貴族で、ブルノはチエムガウ家の次女...
それぞれオランダ貴族のアルヌルフ・アルヌルフスズーン、ク...
宮廷司祭にはエリヒ・フォン・パッソー、35才でレオポルト...
> 1152年2月。グントラムが獄死。
&ref(グントラム獄死.jpg);
> 1153年8月。神聖ローマ帝国が標準的な国主の権威法が制定...
> 1157年1月。長く元帥を務めたヒセルベルト・ツェーリング...
> 1160年1月。バベンベルグ家の戦争において、常に一翼を担...
> 1161年2月。伝説的な家令アマデウス・フォン・メルクの末...
> レオポルトは31才。治世は安定しており、バイエルン王国再...
しかし、この治世には一つだけ不安材料があった。妻エリス...
オーストリア公爵家の相続法は伝統的に準親族制を採用して...
迎える相手は慎重に選ぶ必要がある。
レオポルトと家令アルヌルフは頭を悩ませるのだった。
~続く~
**あとがき [#ac0b4730]
前半です。初めての暗殺はうまくいくか不安でしたが
陰謀だったのでうまくいきました。相手の密偵頭が協力してく...
達成率は385%というとんでもない数字でした。
後半も地味展開ですが、引き続きお付き合い願います。
終了行:
[[AAR/バべンベルグ家興亡史]]
*五代目 オーストリア公レオポルト4世(前半) [#p68e02f0]
**スタート時の状況 [#p287d038]
&ref(王朝図_1142.jpg);
&size(12){''レオポルト3世は三男一女を残した。''};
|領有州|保有する家名|
|エスターライヒ、シュタイアーマルク|バベンベルグ|
|ヴァシュ|チエムガウ|
|パッソ―|ラポトネン|
|ザルツブルグ|司教領|
&ref(周辺状況_1143.jpg);
&size(12){''バベンベルグ家の領地は、オーストリア公領とケ...
**アルボイノによる摂政政治 [#oc043a34]
&ref(摂政アルボイノ.jpg);
> バベンベルグ家分裂後、摂政アルボイノがまず行ったのは、...
元々ケルンテン州出身の貴族であるが故に、弟エルンストの宮...
かのアマデウス・フォン・メルクが自分をウィーンの宮廷に招...
アルボイノが見出したのは、帝国北部のゲルレ州のズッフェ...
&ref(アルヌルフ.jpg);
当初、ウィーンの宮廷では、彼が、同じ帝国内とはいえ遠い...
アルボイノは、かつて、アマデウスが言ったのと同じセリフを...
「この宮廷にアルヌルフ・アル・・・以上の人材はおらん」
こうして、アルヌルフはバベンベルグ家の家令に就任した。...
&ref(評議会_1143.jpg);
> 1144年9月。先のシュタイアーマルク伯の叔父のヴァシュ伯...
アルボイノは、先代のレオポルト3世のチエムガウ家に対する...
アルボイノは摂政政治開始直後から、ヴァシュ伯の反乱を阻...
アルボイノはスイス傭兵を雇うと共に、元帥ヒセルベルト、...
&ref(ヴァシュ州反乱①.jpg);
&ref(ヴァシュ州反乱②.jpg);
> 1145年7月。反乱を鎮圧。レオポルトは自らヴァシュ伯の称...
> 1146年2月。アルボイノはレオポルトの成人を待たずして、7...
そのほとんどの期間をオーストリア公家の密偵頭を務めていた...
政事の万事の引き継ぎを済ませた後、用は済んだとばかりに死...
不審な金の動きは一切なかったという。
**陰謀その1 [#z8e1bccf]
> 1146年10月。レオポルトは成人し、親政を開始した。この時...
&ref(レオポルト4世.jpg);
&size(12){''熟練の戦術家、正直、お人よし、忍耐、勤勉、策...
> この頃、廷臣たちの間で奇妙な噂が流れていた。「ここ数代...
現当主レオポルト4世の後は、弟君がオーストリア公の座をエル...
&ref(経歴.jpg);
> 宮廷の不穏な空気を察し動き始めたのは、祖父エルンスト2...
ハートヴィグは時の宰相エギノルフの娘と婚姻し、ルドヴィ...
ケルンテン公暗殺の陰謀を最初に計画したのはこのハートヴ...
ハートヴィグはまず、義父エギノルフに相談し、バベンベル...
「義父上、今やらなければなりません。時間が過ぎれば過ぎ...
エギノルフの賛同を得ると、次は家令アルヌルフに相談した...
それしかないと考えていたと答え、すぐにハートヴィグの考え...
&ref(弟暗殺①.jpg);
&size(12){''グントラムは獄中でしぶとく生きている''};
> 評議会の3人がこの陰謀を主君に伝えるべく、レオポルトの...
「バベンベルグ家の将来のため、亡きレオポルト3世閣下のバイ...
許可はいりません。失敗した時は、私の首を献上いたします」
レオポルトは動揺しも宰相エギノルフの顔を見た。エギノル...
ハートヴィグはケルンテン州のクラーゲンフルト市長でケル...
クリストファーから驚くべき事実を聞かされた。既にケルン...
1146年11月。レオポルトは事故死に見せかけて殺されそうに...
マイケル・フォン・バベンベルグだった。
&ref(暗殺阻止.jpg);
> 1146年12月。クリストファーがエルンストを狩猟旅行に連れ...
表向きは、流れ矢が当たったことにされ、エルンストの死因は...
&ref(弟暗殺②.jpg);
&ref(弟暗殺③.jpg);
> こうして、レオポルトは弟の死によりケルンテン公爵領をす...
&ref(ケルンテン相続.jpg);
> 今回の陰謀の中心人物たるハートヴィグは30代にして一線を...
後日、ハートヴィグは身内の者に「グントラムのようにはな...
&ref(周辺状況_1146.jpg);
**平穏な日々 [#z26ba1f1]
> 1147年5月。レオポルトは投獄していたヴァシュ伯エーレン...
既に遠くフリースラントへと去って行ったが、エーレンフリー...
> 1148年1月。レオポルトの義兄である下ロレーヌ公爵の要請...
元帥ヒセルベルトを大将としてブレーダへ遠征、翌年5月に終結...
> 1148年7月。レオポルトはかねてより婚約していたボヘミア...
> 1149年4月。レオポルトは元帥ベレンガル・ルトヴインゲル...
以後、レオポルトはバベンベルグ家の隆盛に功のあった廷臣...
> 1151年9月。レオポルトは成人してから5年が経ち、評議会の...
&ref(評議会_1151.jpg);
> 引退したエギノルフの後の宰相には、ウィーンにやって来た...
スタデン家は遡ればブランデンブルグ公爵家に続く名門であ...
ヴァスヴァル家は新興貴族で、ブルノはチエムガウ家の次女...
それぞれオランダ貴族のアルヌルフ・アルヌルフスズーン、ク...
宮廷司祭にはエリヒ・フォン・パッソー、35才でレオポルト...
> 1152年2月。グントラムが獄死。
&ref(グントラム獄死.jpg);
> 1153年8月。神聖ローマ帝国が標準的な国主の権威法が制定...
> 1157年1月。長く元帥を務めたヒセルベルト・ツェーリング...
> 1160年1月。バベンベルグ家の戦争において、常に一翼を担...
> 1161年2月。伝説的な家令アマデウス・フォン・メルクの末...
> レオポルトは31才。治世は安定しており、バイエルン王国再...
しかし、この治世には一つだけ不安材料があった。妻エリス...
オーストリア公爵家の相続法は伝統的に準親族制を採用して...
迎える相手は慎重に選ぶ必要がある。
レオポルトと家令アルヌルフは頭を悩ませるのだった。
~続く~
**あとがき [#ac0b4730]
前半です。初めての暗殺はうまくいくか不安でしたが
陰謀だったのでうまくいきました。相手の密偵頭が協力してく...
達成率は385%というとんでもない数字でした。
後半も地味展開ですが、引き続きお付き合い願います。
ページ名: