AAR/バべンベルグ家興亡史/レオポルト3世の治世
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[[AAR/バべンベルグ家興亡史]]
*四代目 オーストリア公レオポルト3世 [#aab17b85]
**スタート時の状況 [#daa0981a]
&ref(王朝図_1138年.jpg);
&size(12){''エルンスト2世は、四男二女を残し、孫は11人。''};
&ref(レオポルト3世.jpg);
&size(12){''世間知らずの甘ちゃん、魅力的、鷹匠、狂信的、...
|領有州|保有する家名|
|エスターライヒ、ケルンテン|バベンベルグ|
|シュタイアーマルク、ヴァシュ|チエムガウ|
|パッソ―|ラポトネン|
|アキレア|司教領|
> 1136年12月に、オーストリア公及びケルンテン公を継いだ時...
既にケルンテン伯爵として領地経営にも実績を残しており、家...
ケルンテン州からウィーンに来たレオポルトがまず行ったの...
ケルンテン州の下級貴族の出であるカール・フォン・ヴィラッ...
これまでの家令であったグントラムは少なくとも表面上は静...
&ref(カール・フォン・ヴィラッヒ.jpg);
&ref(評議会_1136年.jpg);
> エルンスト2世の死から数日後、ウィーンにザルツブルグを...
レオポルトはこの勝利は父の墓前に報告した。ザルツブルグ司...
&ref(ザルツブルグめぐる戦争.jpg);
&size(12){''オーストリア公爵領は6州から7州に''};
**2州をめぐる戦争 [#r59006dd]
> 1137年1月。レオポルトは、父エルンスト2世の喪に服する間...
慣習的領土であるクライン州を得るために、妻アデルハイドの...
さらに、港町トリエステ市を有するイストリア州については...
妻アデルハイトの請求権を行使する形でサンマルティノ家のイ...
&ref(2州をめぐる戦争.jpg);
> レオポルトは戦争に着手しながら、さらに次の手を打ってい...
相手は、ボヘミア王子でズノーモ伯爵コンラッドの長女エリ...
うまく行けば、2人の間の子はズノーモ伯領を継承する可能性も...
&ref(レオポルトとエリスカ.jpg);
> ボヘミア王子の妻はレオポルトの姉であり、長男レオポルト...
このことを気にする者もいないではなかったが、ボヘミア王...
得ることのできなかったズノーモ州を継承できるかもしれない...
> 1137年7月。今後のバベンベルグ家の柱石となることが期待...
&ref(ジグフリート死去.jpg);
> 後任には先のシュタイアーマルク伯爵の孫にあたるオタカル...
エギノルフはかつての元帥ベレンガルの孫でサラッカ・マッ...
長くバベンベルグ家に仕える宿老であった。
> 1138年11月。イストリア伯に対する戦争に勝利。レオポルト...
&ref(イストリア伯.jpg);
> この勝利を祝うように二男エルンストが誕生する。
&ref(エルンスト王子誕生.jpg);
&size(12){''この王子の将来に悲劇が待っていることは、この...
> 1139年6月。フランコニア公爵家に対する戦争に勝利。クラ...
「今から200年以上前のカロリング朝の時代にこの地にはバイエ...
このバイエルン王国の旧領土があと1州でもバベンベルグ家の領...
オーストリア公のバイエルン王国の再興と国王即位を認めるこ...
&ref(周辺状況_1139年.jpg);
&size(12){''オーストリア公領は7州から9州へ。バイエルン王...
> バイエルン王国の残る領土を有するのは、バヴァリア公爵家...
唯一残ったズノーモ州を有するボヘミア王家であった。
いずれの国も強国であり、たとえあと1州であっても、そう簡...
バベンベルグ家の今後の方針としてバイエルン王国再興を目指...
**チエムガウ家との内戦 [#wfbc02a5]
> 1139年8月。レオポルトは、バイエルン王国再興の前に、自...
チエムガウ家は外様ながら2つの伯爵家を領有し、ヴァシュ伯...
しかし、バベンベルグ家との関係においては、常に面従腹背...
バベンベルグ家の領土を南北に分断する位置にあることからも...
&ref(チエムガウ家.jpg);
&size(12){''シュタイアーマルク伯はバベンベルグ家から仕え...
> レオポルトの父エルンスト2世は死ぬ直前までシュタイアー...
&ref(剥奪断念.jpg);
> この件に関して、レオポルトは評議会に諮ることなく密偵頭...
これに対し、評議会は粛々とレオポルトの方針に従った。
既にかつてバベンベルグ家を支えたアマデウス・フォン・メ...
宰相ジグフリートもいなかったために、結果的に、レオポルト...
> 「シュタイアーマルク伯の称号をチエムガウ家から剥奪する...
子たる私が果たすことが父への最大の孝行となるのだ。チエム...
レオポルトは評議会に対し、こう言い放った。
> 1139年9月。陰謀開始から一年後。ついに、レオポルトはシ...
シュタイアーマルク伯オタカルに送り、シュタイアーマルク州...
&ref(シュタイアーマルク剥奪①.jpg);
> 1140年3月。レオポルトは、戦争の最中、元帥ヒセルベルト...
&ref(一戦交える.jpg);
&size(12){''バベンベルグ家の悪しき伝統か・・・''};
> そして、二人の間にニコラウスが産まれたが、三代続けば特...
&ref(不義の子ニコラウス.jpg);
> 1141年5月。ウィゲリチェ家の下ロレーヌ公爵ルドヴィク1世...
1141年8月。宮廷司祭が戦争で囚われ、密偵頭ヘルマンは50才...
> 1141年8月。シュタイアーマルク州をめぐる戦争は、当初か...
シュタイアーマルク州の城を次々と陥落させていった。
最後の城も完全に包囲され、シュタイアーマルク伯オタカル...
前線の視察に訪れたレオポルトに突如暴漢が襲い掛かり、そ...
レオポルトにはすぐに治療が施されたこともあり、一命は取り...
話すことすらできなくなっていた。
&ref(レオポルト無能力.jpg);
**グントラムの横暴 [#wc97fd6b]
> レオポルトがこのような状態では摂政を立てる他なく、摂政...
&ref(摂政グントラム.jpg);
> 戦争はオタカルを投獄することは出来たものの、シュタイア...
&ref(シュタイアーマルク剥奪②.jpg);
> 1141年9月。オタカルは牢獄から逃亡し、シュタイアーマル...
オーストリア公軍は再び城を囲んだ。
&ref(オタカル脱獄.jpg);
&ref(シュタイアーマルク剥奪③.jpg);
> 戦争中もレオポルトは陣頭に立つことは出来ず、ウィーンの...
能力的にはグントラムは元々レオポルトの父エルンスト2世よ...
今回の不幸な事件を契機に事実上のオーストリア公として振...
置かれていたことに対する復讐であったのかもしれない。
グントラムの主君である甥レオポルトに対する態度は目に余...
&ref(グントラム侮辱.jpg);
> しかし、グントラムは非嫡出子であるとはいえ、レオポルト...
忠誠心に縛られた家臣たちは表立って物を申すことが出来なか...
> 密偵頭のアルボイノは男爵家の二男である自分を引き上げて...
しかし、グントラムもアルボイノの策略能力こそ最も警戒し...
外部の者と連絡を取ることが出来なかった。
アルボイノは元々バベンベルグ家の一族を妻にしていたが、...
アルボイノは若干21才の妻アルペラデにグントラムを亡き者...
忠実に従い、実行したが、すんでのところで失敗に終わってし...
&ref(アルペラデ失敗.jpg);
> 1141年11月。サラッカ・マッガが宮廷を訪れた。サラッカは...
しかし、この時、サラッカは視線でレオポルトの意思を察し...
その意味は解さなかった。サラッカが呟いた言葉は、彼女の国...
&ref(サラッカとの約束.jpg);
> 1141年12月。サラッカの訪問から約2週間後、宮廷にマッガ...
勇猛果敢なマッガ家の郎党にあっけなく討ち果たされ、グント...
&ref(サラッカとの約束②.jpg);
> 結局、グントラムの摂政政治は、わずか3ヶ月で終了し、グ...
摂政ヒセルベルトは、サラッカに褒美を与えると共に、先に...
> 1142年7月。第二次シュタイアーマルクをめぐる内戦は終結...
&ref(シュタイアーマルク剥奪④.jpg);
> 1143年1月。レオポルトの妻であるイストリア女伯爵アデル...
レオポルトの母インゲはかつて、夫に対する暗殺を計画した...
この陰謀は事前に判明したため、インゲの時と同じく、密偵...
&ref(妻の陰謀.jpg);
> 1143年9月。レオポルトは判断能力が回復することなく、長...
そして、帝国の法である分割相続により、レオポルトが有し...
ケルンテン州、クライン州及びケルンテン公爵の称号は4才の二...
レオポルトが抱いたバイエルン王国の夢は、公爵領が2分された...
&ref(レオポルト死去.jpg);
~続く~
&ref(世界情勢_1143年.jpg);
&size(12){''フランス南部はすっかりエジプトに''};
**あとがき [#p090a734]
7年足らずという短い治世の割には波乱万丈でした。
帝国の王権が一向に強化されなかったため、長子相続に
変更できぬまま、分割相続を迎えてしまいました。
次回はいよいよあれをやることになります。しかも、2回。
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[[AAR/バべンベルグ家興亡史]]
*四代目 オーストリア公レオポルト3世 [#aab17b85]
**スタート時の状況 [#daa0981a]
&ref(王朝図_1138年.jpg);
&size(12){''エルンスト2世は、四男二女を残し、孫は11人。''};
&ref(レオポルト3世.jpg);
&size(12){''世間知らずの甘ちゃん、魅力的、鷹匠、狂信的、...
|領有州|保有する家名|
|エスターライヒ、ケルンテン|バベンベルグ|
|シュタイアーマルク、ヴァシュ|チエムガウ|
|パッソ―|ラポトネン|
|アキレア|司教領|
> 1136年12月に、オーストリア公及びケルンテン公を継いだ時...
既にケルンテン伯爵として領地経営にも実績を残しており、家...
ケルンテン州からウィーンに来たレオポルトがまず行ったの...
ケルンテン州の下級貴族の出であるカール・フォン・ヴィラッ...
これまでの家令であったグントラムは少なくとも表面上は静...
&ref(カール・フォン・ヴィラッヒ.jpg);
&ref(評議会_1136年.jpg);
> エルンスト2世の死から数日後、ウィーンにザルツブルグを...
レオポルトはこの勝利は父の墓前に報告した。ザルツブルグ司...
&ref(ザルツブルグめぐる戦争.jpg);
&size(12){''オーストリア公爵領は6州から7州に''};
**2州をめぐる戦争 [#r59006dd]
> 1137年1月。レオポルトは、父エルンスト2世の喪に服する間...
慣習的領土であるクライン州を得るために、妻アデルハイドの...
さらに、港町トリエステ市を有するイストリア州については...
妻アデルハイトの請求権を行使する形でサンマルティノ家のイ...
&ref(2州をめぐる戦争.jpg);
> レオポルトは戦争に着手しながら、さらに次の手を打ってい...
相手は、ボヘミア王子でズノーモ伯爵コンラッドの長女エリ...
うまく行けば、2人の間の子はズノーモ伯領を継承する可能性も...
&ref(レオポルトとエリスカ.jpg);
> ボヘミア王子の妻はレオポルトの姉であり、長男レオポルト...
このことを気にする者もいないではなかったが、ボヘミア王...
得ることのできなかったズノーモ州を継承できるかもしれない...
> 1137年7月。今後のバベンベルグ家の柱石となることが期待...
&ref(ジグフリート死去.jpg);
> 後任には先のシュタイアーマルク伯爵の孫にあたるオタカル...
エギノルフはかつての元帥ベレンガルの孫でサラッカ・マッ...
長くバベンベルグ家に仕える宿老であった。
> 1138年11月。イストリア伯に対する戦争に勝利。レオポルト...
&ref(イストリア伯.jpg);
> この勝利を祝うように二男エルンストが誕生する。
&ref(エルンスト王子誕生.jpg);
&size(12){''この王子の将来に悲劇が待っていることは、この...
> 1139年6月。フランコニア公爵家に対する戦争に勝利。クラ...
「今から200年以上前のカロリング朝の時代にこの地にはバイエ...
このバイエルン王国の旧領土があと1州でもバベンベルグ家の領...
オーストリア公のバイエルン王国の再興と国王即位を認めるこ...
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&size(12){''オーストリア公領は7州から9州へ。バイエルン王...
> バイエルン王国の残る領土を有するのは、バヴァリア公爵家...
唯一残ったズノーモ州を有するボヘミア王家であった。
いずれの国も強国であり、たとえあと1州であっても、そう簡...
バベンベルグ家の今後の方針としてバイエルン王国再興を目指...
**チエムガウ家との内戦 [#wfbc02a5]
> 1139年8月。レオポルトは、バイエルン王国再興の前に、自...
チエムガウ家は外様ながら2つの伯爵家を領有し、ヴァシュ伯...
しかし、バベンベルグ家との関係においては、常に面従腹背...
バベンベルグ家の領土を南北に分断する位置にあることからも...
&ref(チエムガウ家.jpg);
&size(12){''シュタイアーマルク伯はバベンベルグ家から仕え...
> レオポルトの父エルンスト2世は死ぬ直前までシュタイアー...
&ref(剥奪断念.jpg);
> この件に関して、レオポルトは評議会に諮ることなく密偵頭...
これに対し、評議会は粛々とレオポルトの方針に従った。
既にかつてバベンベルグ家を支えたアマデウス・フォン・メ...
宰相ジグフリートもいなかったために、結果的に、レオポルト...
> 「シュタイアーマルク伯の称号をチエムガウ家から剥奪する...
子たる私が果たすことが父への最大の孝行となるのだ。チエム...
レオポルトは評議会に対し、こう言い放った。
> 1139年9月。陰謀開始から一年後。ついに、レオポルトはシ...
シュタイアーマルク伯オタカルに送り、シュタイアーマルク州...
&ref(シュタイアーマルク剥奪①.jpg);
> 1140年3月。レオポルトは、戦争の最中、元帥ヒセルベルト...
&ref(一戦交える.jpg);
&size(12){''バベンベルグ家の悪しき伝統か・・・''};
> そして、二人の間にニコラウスが産まれたが、三代続けば特...
&ref(不義の子ニコラウス.jpg);
> 1141年5月。ウィゲリチェ家の下ロレーヌ公爵ルドヴィク1世...
1141年8月。宮廷司祭が戦争で囚われ、密偵頭ヘルマンは50才...
> 1141年8月。シュタイアーマルク州をめぐる戦争は、当初か...
シュタイアーマルク州の城を次々と陥落させていった。
最後の城も完全に包囲され、シュタイアーマルク伯オタカル...
前線の視察に訪れたレオポルトに突如暴漢が襲い掛かり、そ...
レオポルトにはすぐに治療が施されたこともあり、一命は取り...
話すことすらできなくなっていた。
&ref(レオポルト無能力.jpg);
**グントラムの横暴 [#wc97fd6b]
> レオポルトがこのような状態では摂政を立てる他なく、摂政...
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> 戦争はオタカルを投獄することは出来たものの、シュタイア...
&ref(シュタイアーマルク剥奪②.jpg);
> 1141年9月。オタカルは牢獄から逃亡し、シュタイアーマル...
オーストリア公軍は再び城を囲んだ。
&ref(オタカル脱獄.jpg);
&ref(シュタイアーマルク剥奪③.jpg);
> 戦争中もレオポルトは陣頭に立つことは出来ず、ウィーンの...
能力的にはグントラムは元々レオポルトの父エルンスト2世よ...
今回の不幸な事件を契機に事実上のオーストリア公として振...
置かれていたことに対する復讐であったのかもしれない。
グントラムの主君である甥レオポルトに対する態度は目に余...
&ref(グントラム侮辱.jpg);
> しかし、グントラムは非嫡出子であるとはいえ、レオポルト...
忠誠心に縛られた家臣たちは表立って物を申すことが出来なか...
> 密偵頭のアルボイノは男爵家の二男である自分を引き上げて...
しかし、グントラムもアルボイノの策略能力こそ最も警戒し...
外部の者と連絡を取ることが出来なかった。
アルボイノは元々バベンベルグ家の一族を妻にしていたが、...
アルボイノは若干21才の妻アルペラデにグントラムを亡き者...
忠実に従い、実行したが、すんでのところで失敗に終わってし...
&ref(アルペラデ失敗.jpg);
> 1141年11月。サラッカ・マッガが宮廷を訪れた。サラッカは...
しかし、この時、サラッカは視線でレオポルトの意思を察し...
その意味は解さなかった。サラッカが呟いた言葉は、彼女の国...
&ref(サラッカとの約束.jpg);
> 1141年12月。サラッカの訪問から約2週間後、宮廷にマッガ...
勇猛果敢なマッガ家の郎党にあっけなく討ち果たされ、グント...
&ref(サラッカとの約束②.jpg);
> 結局、グントラムの摂政政治は、わずか3ヶ月で終了し、グ...
摂政ヒセルベルトは、サラッカに褒美を与えると共に、先に...
> 1142年7月。第二次シュタイアーマルクをめぐる内戦は終結...
&ref(シュタイアーマルク剥奪④.jpg);
> 1143年1月。レオポルトの妻であるイストリア女伯爵アデル...
レオポルトの母インゲはかつて、夫に対する暗殺を計画した...
この陰謀は事前に判明したため、インゲの時と同じく、密偵...
&ref(妻の陰謀.jpg);
> 1143年9月。レオポルトは判断能力が回復することなく、長...
そして、帝国の法である分割相続により、レオポルトが有し...
ケルンテン州、クライン州及びケルンテン公爵の称号は4才の二...
レオポルトが抱いたバイエルン王国の夢は、公爵領が2分された...
&ref(レオポルト死去.jpg);
~続く~
&ref(世界情勢_1143年.jpg);
&size(12){''フランス南部はすっかりエジプトに''};
**あとがき [#p090a734]
7年足らずという短い治世の割には波乱万丈でした。
帝国の王権が一向に強化されなかったため、長子相続に
変更できぬまま、分割相続を迎えてしまいました。
次回はいよいよあれをやることになります。しかも、2回。
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