AAR/バべンベルグ家興亡史/エルンスト2世の治世・前半
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[[AAR/バべンベルグ家興亡史]]
*三代目 オーストリア公エルンスト2世(前) [#l98b6fb2]
**スタート時の状況 [#cf0441f2]
&ref(王朝図_1091年.jpg);
&size(12){''レオポルト2世は二男二女を残して死んだ。''};
> アマデウスは危機感を持っていた。レオポルト2世が亡くな...
この緊迫した情勢下でまずはバベンベルグ家の地位の安定を図...
そこで、かねてより話のあったバヴァリア公爵家の次女イン...
&ref(エルンスト2世結婚.jpg);
> エルンストの姉であるコティルダには、遠縁にあたるスーザ...
ヘルマンは策略能力に長けており、摂政アマデウスはヘルマ...
エルンストの相談役とするつもりであった。そして、万が一、...
コティルダに婿を迎える必要があったのだ。
&ref(評議会_1091年.jpg);
&size(12){''5人中4人は変わらず''};
> 密偵頭をヘルマンに譲ったエックハルトはその直後、梅毒に...
&ref(エックハルト死去.jpg);
**親政開始 [#v0d34c40]
> 1092年2月。エルンストは16才となり、アマデウスの摂政政...
摂政アマデウスが横領したのではないかとエルンストに伝えた。
&ref(アマデウス横領.jpg);
これに対し、エルンストは「アマデウスはこれまでも、そし...
その程度の金は気にすることはない」と言って、一笑に付した。
&ref(エルンスト2世.jpg);
&size(12){''信仰心はそこそこ。不信心な司祭、親切、憤怒持...
> アマデウスは成人したエルンストに言った。「10年。10年は...
貴方のお父様レオポルト公が即位したのと同じ年です」
エルンストは凡庸ではあったが、その長所は待つことが出来...
しかし、エルンストが待つ期間は20年では済まなくなるとは...
> 1092年9月。エルンストの母ルイトガルトがアキレア司教領...
&ref(母再婚.jpg);
> エルンストの母ルイトガルトは亡夫レオポルトが不貞をして...
エルンストもその希望に応じた。一年後、エルンストの義弟...
&ref(義弟生まれる.jpg);
**三度、雌伏の時 [#c1abb927]
> アマデウスは密偵頭のヘルマンにチエムガウ家からシュタイ...
オーストリア公の家臣ではあるが、チエムガウ家はバベンベル...
&ref(シュタイアーマルクをめぐる陰謀.jpg);
&size(12){''一人でも賛同者が出れば実現できるのだが・・・'...
> 1094年。隣国ハンガリー王国の国境を接するヴァシュ伯爵が...
内乱続きのハンガリー王国はこの頃スロヴェニア公爵と戦争状...
&ref(ハンガリー状況_1094年.jpg);
> エスターライヒ州に入り込んでいたヴァシュ伯の宰相は暗殺...
神聖ローマ帝国と戦端を開いた場合、両国の和睦条件によって...
&ref(宰相暗殺.jpg);
> そこで、エルンストは事実上の人質としてまだ6歳の妹バル...
王国宰相を務めるイムレ1世の末弟と婚約をさせた。ヴァシュ伯...
&ref(人質婚.jpg);
> 1095年11月。後継者となるであろうレオポルト誕生。
&ref(レオポルト誕生.jpg);
&ref(周辺状況_1095年.jpg);
> 周辺状況は変わらず。関係する新たなプレーヤーとしては、...
北イタリアに割拠するエステ家のロンバルディア公とその西に...
東にはハンガリー王国のアルミド家のエステルゴム公領、ポト...
**平和な日々の裏側 [#o040bc31]
> 1097年1月。エルンストは、成人から5年が経過した記念に領...
シュタイアーマルク伯オタカルを招くことであった。チエムガ...
シュタイアーマルク伯がウィーンを訪れたのは10年ぶりのこと...
当時のシュタイアーマルク伯オタカルはすでに亡く、その後...
先々代のオタカルの孫のオタカルであり、エルンストより2才年...
エルンストの杯を受けることを拒否し、宴の途中で退室した。...
かえってその関係を悪化するものとなってしまった。
&ref(オタカルの侮辱.jpg);
> さらに、バベンベルグ家に激震が走る。密偵頭のヘルマンか...
レオポルトの暗殺の陰謀を図っていたとの報告がなされたのだ...
説得することにした。ヘルマンはコティルダを説得し陰謀を断...
&ref(コティルダの陰謀.jpg);
> 1197年11月。ケルンテン州に派遣されていた宰相オットーが...
ケルンテン州はシュタイアーマルク州の南、次にバベンベル...
評議会の中では宰相オットー、元帥ベレンガルは主戦派であ...
&ref(ケルンテン州の請求権捏造.jpg);
> この時、ケルンテン公は先代のクリームヒルトは既に亡く、...
ベアトリクスがその地位にあった。エルンストは、長男レオポ...
&ref(レオポルト振られる.jpg);
> 1098年2月。レオポルト暗殺を試みたエルンストの姉コティ...
&ref(コティルダ死去.jpg);
> 1101年4月。密偵頭であったヘルマンが妻コティルダの死か...
今後のバベンベルグ家を背負うであろう者が死んだことを深く...
オーストリア・バベンベルグ家とを繋げる二人の間の子が産ま...
&ref(ヘルマン死去.jpg);
> しかし、いつまでも悲しんでいる場合ではなかった。小国の...
アマデウスは自ら次の密偵頭に相応しい人物を探した。
> 白羽の矢が立ったのは、パドヴァの宮廷に居たイタリア貴族...
アルボイノはエステルゴム男爵家の次男であり、アマデウスの...
&ref(アルノボイノ招聘.jpg);
> 新参のイタリア貴族に密偵頭を任せることに抵抗がなかった...
アマデウスは居並ぶ廷臣を見回し、こう言い放った。「この宮...
アマデウスの娘でバベンベルグ家の親族であるゼルヒルダとの...
&ref(アルボイノ・ディ・エステルゴム.jpg);
&size(12){''策略能力高め''};
> 1102年12月。エルンストの長女ウルリケとボヘミア王国のモ...
政略結婚による同盟関係の構築は継続して行われていた。
&ref(ウルリケ婚約.jpg);
> 1106年、マッガ家の一族郎党がウィーンの宮廷に流れ着いた...
&ref(マッガ家がウィーンに.jpg);
> 彼らがなぜウィーンを訪れたのかは当初は不明であった。そ...
彼らはスカンジナビア半島のラップランドという地を領有して...
その後も、彼らは、ウィーンの宮廷にはめったに来ることは...
&ref(バイヤス・マッガ.jpg);
&size(12){''戦闘力高し''};
> 1106年9月、ストレスのため元帥ベレンガルが50才で死去し...
ローマ帝国軍人として戦地を転戦してきたが、バベンベルグ家...
めぐる戦争の一度のみであった。エルンストは自分が産まれる...
与えることが出来なかったことを悔やんだ。後任は、アマデウ...
&ref(ベレンガル死去.jpg);
> 1109年11月。エルンストは疲れていた。親政を開始してから...
シュタイアーマルク州剥奪の陰謀もヘルマンの死後、アルボ...
一時の迷いから叔父アダルベルドの後妻となっていたベルタ・...
&ref(一戦交える.jpg);
&size(12){''お前もか''};
> そして、父レオポルトと同じく親子二代、不義の子を設けて...
&ref(不義の子ハートヴィグ.jpg);
> 1110年12月。アマデウスとエルンストは長年の懸案事項だっ...
ケルンテン公爵家の家臣イストリア伯爵ウルリヒの長女で、...
&ref(レオポルト婚約.jpg);
> 1111年11月。レオポルトは成人した。
&ref(レオポルト・フォン・バベンベルグ.jpg);
&size(12){''世間知らずの甘ちゃん、魅力的、狂信的、公正、...
> エルンスト2世がオーストリア公爵となってから、20年。戦...
~続く~
&ref(世界状況_1111年.jpg);
&size(12){''ローマ帝国は比較的安定。''};
**あとがき [#sdc9a8d9]
戦争もなく派手なことは起きておりません。
それでも、書きようがあるのがCK2の面白いところかなと。
今後も大したことがなくても大げさにするAARを目指していきま...
ちなみに、治世の後半は躍進する予定です。
終了行:
[[AAR/バべンベルグ家興亡史]]
*三代目 オーストリア公エルンスト2世(前) [#l98b6fb2]
**スタート時の状況 [#cf0441f2]
&ref(王朝図_1091年.jpg);
&size(12){''レオポルト2世は二男二女を残して死んだ。''};
> アマデウスは危機感を持っていた。レオポルト2世が亡くな...
この緊迫した情勢下でまずはバベンベルグ家の地位の安定を図...
そこで、かねてより話のあったバヴァリア公爵家の次女イン...
&ref(エルンスト2世結婚.jpg);
> エルンストの姉であるコティルダには、遠縁にあたるスーザ...
ヘルマンは策略能力に長けており、摂政アマデウスはヘルマ...
エルンストの相談役とするつもりであった。そして、万が一、...
コティルダに婿を迎える必要があったのだ。
&ref(評議会_1091年.jpg);
&size(12){''5人中4人は変わらず''};
> 密偵頭をヘルマンに譲ったエックハルトはその直後、梅毒に...
&ref(エックハルト死去.jpg);
**親政開始 [#v0d34c40]
> 1092年2月。エルンストは16才となり、アマデウスの摂政政...
摂政アマデウスが横領したのではないかとエルンストに伝えた。
&ref(アマデウス横領.jpg);
これに対し、エルンストは「アマデウスはこれまでも、そし...
その程度の金は気にすることはない」と言って、一笑に付した。
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&size(12){''信仰心はそこそこ。不信心な司祭、親切、憤怒持...
> アマデウスは成人したエルンストに言った。「10年。10年は...
貴方のお父様レオポルト公が即位したのと同じ年です」
エルンストは凡庸ではあったが、その長所は待つことが出来...
しかし、エルンストが待つ期間は20年では済まなくなるとは...
> 1092年9月。エルンストの母ルイトガルトがアキレア司教領...
&ref(母再婚.jpg);
> エルンストの母ルイトガルトは亡夫レオポルトが不貞をして...
エルンストもその希望に応じた。一年後、エルンストの義弟...
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**三度、雌伏の時 [#c1abb927]
> アマデウスは密偵頭のヘルマンにチエムガウ家からシュタイ...
オーストリア公の家臣ではあるが、チエムガウ家はバベンベル...
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&size(12){''一人でも賛同者が出れば実現できるのだが・・・'...
> 1094年。隣国ハンガリー王国の国境を接するヴァシュ伯爵が...
内乱続きのハンガリー王国はこの頃スロヴェニア公爵と戦争状...
&ref(ハンガリー状況_1094年.jpg);
> エスターライヒ州に入り込んでいたヴァシュ伯の宰相は暗殺...
神聖ローマ帝国と戦端を開いた場合、両国の和睦条件によって...
&ref(宰相暗殺.jpg);
> そこで、エルンストは事実上の人質としてまだ6歳の妹バル...
王国宰相を務めるイムレ1世の末弟と婚約をさせた。ヴァシュ伯...
&ref(人質婚.jpg);
> 1095年11月。後継者となるであろうレオポルト誕生。
&ref(レオポルト誕生.jpg);
&ref(周辺状況_1095年.jpg);
> 周辺状況は変わらず。関係する新たなプレーヤーとしては、...
北イタリアに割拠するエステ家のロンバルディア公とその西に...
東にはハンガリー王国のアルミド家のエステルゴム公領、ポト...
**平和な日々の裏側 [#o040bc31]
> 1097年1月。エルンストは、成人から5年が経過した記念に領...
シュタイアーマルク伯オタカルを招くことであった。チエムガ...
シュタイアーマルク伯がウィーンを訪れたのは10年ぶりのこと...
当時のシュタイアーマルク伯オタカルはすでに亡く、その後...
先々代のオタカルの孫のオタカルであり、エルンストより2才年...
エルンストの杯を受けることを拒否し、宴の途中で退室した。...
かえってその関係を悪化するものとなってしまった。
&ref(オタカルの侮辱.jpg);
> さらに、バベンベルグ家に激震が走る。密偵頭のヘルマンか...
レオポルトの暗殺の陰謀を図っていたとの報告がなされたのだ...
説得することにした。ヘルマンはコティルダを説得し陰謀を断...
&ref(コティルダの陰謀.jpg);
> 1197年11月。ケルンテン州に派遣されていた宰相オットーが...
ケルンテン州はシュタイアーマルク州の南、次にバベンベル...
評議会の中では宰相オットー、元帥ベレンガルは主戦派であ...
&ref(ケルンテン州の請求権捏造.jpg);
> この時、ケルンテン公は先代のクリームヒルトは既に亡く、...
ベアトリクスがその地位にあった。エルンストは、長男レオポ...
&ref(レオポルト振られる.jpg);
> 1098年2月。レオポルト暗殺を試みたエルンストの姉コティ...
&ref(コティルダ死去.jpg);
> 1101年4月。密偵頭であったヘルマンが妻コティルダの死か...
今後のバベンベルグ家を背負うであろう者が死んだことを深く...
オーストリア・バベンベルグ家とを繋げる二人の間の子が産ま...
&ref(ヘルマン死去.jpg);
> しかし、いつまでも悲しんでいる場合ではなかった。小国の...
アマデウスは自ら次の密偵頭に相応しい人物を探した。
> 白羽の矢が立ったのは、パドヴァの宮廷に居たイタリア貴族...
アルボイノはエステルゴム男爵家の次男であり、アマデウスの...
&ref(アルノボイノ招聘.jpg);
> 新参のイタリア貴族に密偵頭を任せることに抵抗がなかった...
アマデウスは居並ぶ廷臣を見回し、こう言い放った。「この宮...
アマデウスの娘でバベンベルグ家の親族であるゼルヒルダとの...
&ref(アルボイノ・ディ・エステルゴム.jpg);
&size(12){''策略能力高め''};
> 1102年12月。エルンストの長女ウルリケとボヘミア王国のモ...
政略結婚による同盟関係の構築は継続して行われていた。
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> 1106年、マッガ家の一族郎党がウィーンの宮廷に流れ着いた...
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> 彼らがなぜウィーンを訪れたのかは当初は不明であった。そ...
彼らはスカンジナビア半島のラップランドという地を領有して...
その後も、彼らは、ウィーンの宮廷にはめったに来ることは...
&ref(バイヤス・マッガ.jpg);
&size(12){''戦闘力高し''};
> 1106年9月、ストレスのため元帥ベレンガルが50才で死去し...
ローマ帝国軍人として戦地を転戦してきたが、バベンベルグ家...
めぐる戦争の一度のみであった。エルンストは自分が産まれる...
与えることが出来なかったことを悔やんだ。後任は、アマデウ...
&ref(ベレンガル死去.jpg);
> 1109年11月。エルンストは疲れていた。親政を開始してから...
シュタイアーマルク州剥奪の陰謀もヘルマンの死後、アルボ...
一時の迷いから叔父アダルベルドの後妻となっていたベルタ・...
&ref(一戦交える.jpg);
&size(12){''お前もか''};
> そして、父レオポルトと同じく親子二代、不義の子を設けて...
&ref(不義の子ハートヴィグ.jpg);
> 1110年12月。アマデウスとエルンストは長年の懸案事項だっ...
ケルンテン公爵家の家臣イストリア伯爵ウルリヒの長女で、...
&ref(レオポルト婚約.jpg);
> 1111年11月。レオポルトは成人した。
&ref(レオポルト・フォン・バベンベルグ.jpg);
&size(12){''世間知らずの甘ちゃん、魅力的、狂信的、公正、...
> エルンスト2世がオーストリア公爵となってから、20年。戦...
~続く~
&ref(世界状況_1111年.jpg);
&size(12){''ローマ帝国は比較的安定。''};
**あとがき [#sdc9a8d9]
戦争もなく派手なことは起きておりません。
それでも、書きようがあるのがCK2の面白いところかなと。
今後も大したことがなくても大げさにするAARを目指していきま...
ちなみに、治世の後半は躍進する予定です。
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