AAR/デンマーク年代記/巻四 ヴァルデマ再興王 1355~1364
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[[AAR/デンマーク年代記]]
**若き教皇の肖像 [#e041488b]
&ref(無能教皇崩御.jpg,nolink);
主の受肉より1356年と5月と19日。第199代教皇シンマクス2世が...
彼は教皇庁開闢以来の悪教皇と生前より言われ、その生きざま...
&ref(若い教皇.jpg,nolink);
ポーランド王家ピアスト家の出身の第200代教皇、ゲラシウス3...
この教皇が即位している間、カトリック教会の権威はうなぎの...
王は新教皇選出を聞くとすぐさまP献金(PはPopeの略称)を...
&ref(義兄廃位.jpg,nolink);
1358年9月3日、王の義理の兄、神聖ローマ皇帝ルードヴィヒ5世...
王は義兄に帝位を争うのであれば義兄の側に立って参戦する旨...
&ref(義兄廃位2.jpg,nolink);
新皇帝レウナルド。王とは険悪であった
&ref(クリストファ.jpg,nolink);
劣化親父である
1359年、王の甥にしてスウェーデン王位継承者のオーゼル伯ク...
&ref(クリストファの母.jpg,nolink);
クリストファは母アウネス42歳の時の子である。
程なくしてクリストファはご成婚されたが、その相手ゴーゼヴ...
&ref(クリストファの嫁.jpg,nolink);
ミスティックで陰謀の値が高い。母親の面影でも求めてるのだ...
ゴーゼヴァイスはクリストファより22歳年上で、素性は明らか...
王は驚かれ、クリストファを宮廷に呼びつけた。
&ref(顔王中.jpg,[[AAR/デンマーク年代記/巻三 ヴァルデマ再...
&ref(顔クリストファ .jpg,nolink); 恐れながら陛下、臣の父...
&ref(顔王中.jpg,[[AAR/デンマーク年代記/巻三 ヴァルデマ再...
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&ref(顔王中.jpg,[[AAR/デンマーク年代記/巻三 ヴァルデマ再...
&ref(顔クリストファ .jpg,nolink); しかし臣は、愛する女性...
&ref(顔クリストファ .jpg,nolink); 陛下の思し召される事は...
王はクリストファの信念の硬いことを知り、これ以上クリスト...
**北方戦争 [#f375390f]
|LEFT:|CENTER:|LEFT:|CENTER:|c
|>|>|>|BGCOLOR(#C0C0C0):''北方戦争''|
|>|>|>|年月日:1355年1月7日-1362年9月18日|
|>|>|>|結果:デンマーク王冠の回復、デンマークの大国化|
|>|BGCOLOR(#C0C0C0):''デンマーク陣営''|>|BGCOLOR(#C0C0C0)...
|デンマーク王国|16000|ノルウェー王国|14000|
|スウェーデン王国|12000|チュートン騎士団   ...
|>|-|ノヴゴロド王国|5000|
|>|-|トロペツ公国|2800|
|>|-|ハンザ同盟|13000|
|>|ヴァルデマ4世|>|ハッランド伯クヌーズ|
|>|エストラント公オト|>|ベルヘイミル司教アルフ|
|>|スリースヴィ公ヴァルデマ5世|>|チュートン騎士団長ディー...
|>||>|ノヴゴロド王フョードル三世公正王|
|>|コリ|>|ハンザ同盟総裁ルートベルト|
|>|アケ|>|ブレーキンゲ伯オーゼン|
1355年から1362年までの一連の戦争を北方戦争と呼ぶ。
この間ヴァルデマ再興王は多くの方面に戦争を仕掛け、そして...
だが、複数の国と一度に戦争状態になったことはほとんどなか...
王は各国の情勢を巧みに判断し、一国のみと敵対するようにし...
この戦争の結果、デンマークはその国土をすべて回復し、また...
''第一次スコーネ戦争''1355/1/7~8/15
1月7日、王はハッランドを奪還する旨の詔を発し諸侯に軍を招...
&ref(第一次スコーネ戦争.jpg,nolink);
2月13日、デンマーク軍は船を多用しハッランドに大軍を揚陸し、
3月22日、未だ集結できていなかったノルウェー軍をレナの戦い...
&ref(第一次スコーネ戦争3.jpg,nolink);
8月13日、オスローの戦いで撃滅、和平を結んだ。
''コポリェ戦争''デンマークVSノヴゴロド王国 1356/6/12~2...
1356年6月12日、ノヴゴロド王国の所領であるコポリェを正当な...
王は発軍した。15000を引き連れノヴゴロド王国中に広がるもな...
&ref(ノヴゴロド戦争.jpg,nolink);
1月5日、南方で蠢動する3500の敵をトロペツにて破った。
&ref(ノヴゴロド戦争2.jpg,nolink);
チェルニゴフ公爵が2800を引き連れてやってきたが、此方への...
そのうちにノーテボリを陥落せしめ、ノヴゴロド王とその家族...
&ref(ノヴゴロド戦争3.jpg,nolink);
&ref(怪我と病気.jpg,nolink);
この戦争の最中、エストラント公オトは戦場で傷を負った上、...
王は今まで戦場で王に尽くしてきた兄弟に御厩長官の称号を賜...
&ref(第一次スコーネ戦争2.jpg,nolink);
後に公の容体が回復すると、王は大いに喜こばれた。
''フィヤトロンデラント戦争'' 1356~58
デンマークがハッランドを獲得したのち、スウェーデンも呼応...
初めはスウェーデン側が優勢であったが、
&ref(フィヤトロンデラント戦争.jpg,nolink);
サクスホルムにてスウェーデン軍8000がノルウェー軍6000に敗...
スウェーデンはノルウェーに賠償金を払っての大敗であった。
''スンニ派の反乱'' 1357/11/1~2/1
&ref(スンニ派の乱.jpg,nolink);
1357年11月1日、サラセン人が暴動を起こし、エルサレム駐留常...
1358年2月1日、王自ら一万の兵を持って出向き鎮圧された。
''アルゴットの乱'' 1358~59
1358年、スウェーデンでアルゴットを首魁とした農民反乱が発...
&ref(アルゴットの乱.jpg,nolink);
スウェーデン軍300とデンマーク軍170の兵力は農民軍の前に蹴...
王は新設した常備軍170を援軍として送ったが、思いの外農民軍...
&ref(アルゴットの乱2.jpg,nolink);
8月2日、スウェーデン軍が農民軍を殲滅した。
''チュートン戦争''デンマークVSチュートン騎士団 1358 ...
&ref(チュートン戦争.jpg,nolink);
海運を利用した各個撃破はデンマーク軍の最も得意とした戦法...
&ref(チュートン戦争2.jpg,nolink);
北方、南方双方の敵も救援に間に合わず、デンマーク軍の完勝...
1358年4月21日、王はチュートン騎士団の保有するイルムラント...
自身にその継承権があると主張し、チュートン騎士団に戦線を...
デンマーク軍と騎士団軍はほぼ同数であったが、騎士団側は傭...
これに対しデンマーク側は船団を利用しその兵力のほとんどを...
全く防戦準備を整えてなかった騎士団をウェフラウの戦いで各...
&ref(スリースヴィ公薨去.jpg,nolink);
1359年10月17日、スリースヴィ公ヴァルデマ5世は戦場での傷が...
かつては野心家だったが、いつしかその心は足るを知り、統治...
&ref(スリースヴィ公薨去2.jpg,nolink);
所領は三人の息子に分配されたが、唯一公爵位を継がなかった...
密偵頭を務めていたことと関係があるのかもしれない。
''ハンザ戦争'' 1360/9/18~1/6
デンマーク17000VSハンザ同盟4000+ブルガリア傭兵団9000
&ref(ハンザ戦争前.jpg,nolink);
神聖ローマ帝国はルードヴィヒ5世の退位後混乱が収まらず、ポ...
1360年9月18日、王はハンザ同盟の所属艦船を出港禁止・抑留さ...
&ref(ハンザ戦争.jpg,nolink);
ブルガリア傭兵団(ボゴミル派)を雇い万全を期したハンザ同...
&ref(ハンザ戦争2.jpg,nolink);
ボゴミリストを雇う者は福音に値しないという神の御意志であ...
11月25日、クルメイデクにて軍団は壊滅、ハンザ同盟総裁ルー...
12月30日、デンマーク王国軍はリューベクに入城。
王はリューベクの町で大きな空樽三つを置き、この中を金と財...
(画像)
翌年1月6日にはシュトラールズント条約が締結され、ハンザ同...
''第二次スコーネ戦争''
デンマーク16000VSスウェーデン14000・ノルウェー12000
2月15日、王は「未回収のデンマーク王冠」最後の土地、ブレー...
今や完全に斜陽のノルウェー王マグヌス七世に応戦できる能力...
だが、スウェーデン女王アウネスはノルウェー側に立って参戦...
王は未だ両国は迎撃準備が整っておらず、今のデンマークの国...
&ref(顔王中.jpg,[[AAR/デンマーク年代記/巻三 ヴァルデマ再...
&ref(顔王中.jpg,[[AAR/デンマーク年代記/巻三 ヴァルデマ再...
&ref(顔王中.jpg,[[AAR/デンマーク年代記/巻三 ヴァルデマ再...
&ref(第二次スコーネ戦争2.jpg,nolink);
スウェーデン・ノルウェーともにまったく兵力の集中はなって...
&ref(第二次スコーネ戦争3.jpg,nolink);
ステーイボリの戦い、レードゥセの戦い、カルマルスロットの...
&ref(第二次スコーネ戦争4.jpg,nolink);
これら各個撃破から幸運にも逃れたスウェーデン軍は徒党を組...
6月3日、デンマーク軍は持てる総力をしてこれを攻撃した。北...
撃破後、王は戦力の大半をエストラント公に預けノルウェー方...
王はヨンショーピングで残党を討伐したのち、ブレーキンゲを...
&ref(第二次スコーネ戦争5.jpg,nolink);
9月1日、ノルウェー軍6000が上陸し、王の軍勢を逆包囲し攻勢...
だが、王は二倍の戦力差を辛抱強く耐え、すでにカテガット海...
これにより今やデンマークの勝利は揺るぎないものとなり(戦...
王はプレマモルクにその存在が確認できたノルウェー最後の大...
&ref(第二次スコーネ戦争6.jpg,nolink);
12月の2日に始まり1月の12日まで行われたスキョアの戦いによ...
デンマーク固有の領土たるブレーキンゲが確かにデンマークの...
&ref(第二次スコーネ戦争7.jpg,nolink);
かくして1362年1月12日、長きにわたるデンマーク王冠の欠損は...
王はこの事に大いに満足され、恩赦を行うとともに夏に祭を、...
&ref(マグヌス死す.jpg,nolink);
7月21日、アイスランドに引き籠もっていたノルウェー王マグヌ...
幾多の戦争に敗北していたこの王を慕うものは少なく、暗殺者...
従姉弟にあたるスウェーデン女王アウネスがノルウェー王位を...
&ref(気が狂う.jpg,nolink);
&ref(気が狂う2.jpg,nolink);
1363年7月、王は突如意味の通らない言葉をのたまわれたり、何...
8月27日に王を支えたイベリンの伯爵、スオミ人のコリが卒去す...
&ref(気が狂う3.jpg,nolink);
死期が近い事を悟った王は10月27日に大学建立の詔をされた。
日が沈む時刻が早まるにつれ、王の大御心はますます悪化し
12月7日には体調を崩された。
&ref(気が狂う4.jpg,nolink);
&ref(気が狂う5.jpg,nolink);
&ref(汚いなさすがティムール汚い.jpg,nolink);
ティムールは13万ものイベント兵を持つ。
新年4日には東の果てからティムールという精強な戦士が現れた...
その者は足に障害があるということをベッドの上で廷臣から聞...
「まるで伝説の『骨なしイヴァル』のようだな」とのたまわれ...
闘病むなしく2月1日、主の御元に御帰天された。
&ref(再興王崩御.jpg,nolink);
王子イーレクは未だ年若く、王位は王兄、エストラント公オト...
*[[巻五 オト一世 1364~1370>AAR/デンマーク年代記/巻五 ...
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[[AAR/デンマーク年代記]]
**若き教皇の肖像 [#e041488b]
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主の受肉より1356年と5月と19日。第199代教皇シンマクス2世が...
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ポーランド王家ピアスト家の出身の第200代教皇、ゲラシウス3...
この教皇が即位している間、カトリック教会の権威はうなぎの...
王は新教皇選出を聞くとすぐさまP献金(PはPopeの略称)を...
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1358年9月3日、王の義理の兄、神聖ローマ皇帝ルードヴィヒ5世...
王は義兄に帝位を争うのであれば義兄の側に立って参戦する旨...
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新皇帝レウナルド。王とは険悪であった
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1359年、王の甥にしてスウェーデン王位継承者のオーゼル伯ク...
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程なくしてクリストファはご成婚されたが、その相手ゴーゼヴ...
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ミスティックで陰謀の値が高い。母親の面影でも求めてるのだ...
ゴーゼヴァイスはクリストファより22歳年上で、素性は明らか...
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**北方戦争 [#f375390f]
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|デンマーク王国|16000|ノルウェー王国|14000|
|スウェーデン王国|12000|チュートン騎士団   ...
|>|-|ノヴゴロド王国|5000|
|>|-|トロペツ公国|2800|
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1355年から1362年までの一連の戦争を北方戦争と呼ぶ。
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だが、複数の国と一度に戦争状態になったことはほとんどなか...
王は各国の情勢を巧みに判断し、一国のみと敵対するようにし...
この戦争の結果、デンマークはその国土をすべて回復し、また...
''第一次スコーネ戦争''1355/1/7~8/15
1月7日、王はハッランドを奪還する旨の詔を発し諸侯に軍を招...
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2月13日、デンマーク軍は船を多用しハッランドに大軍を揚陸し、
3月22日、未だ集結できていなかったノルウェー軍をレナの戦い...
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8月13日、オスローの戦いで撃滅、和平を結んだ。
''コポリェ戦争''デンマークVSノヴゴロド王国 1356/6/12~2...
1356年6月12日、ノヴゴロド王国の所領であるコポリェを正当な...
王は発軍した。15000を引き連れノヴゴロド王国中に広がるもな...
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1月5日、南方で蠢動する3500の敵をトロペツにて破った。
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チェルニゴフ公爵が2800を引き連れてやってきたが、此方への...
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この戦争の最中、エストラント公オトは戦場で傷を負った上、...
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後に公の容体が回復すると、王は大いに喜こばれた。
''フィヤトロンデラント戦争'' 1356~58
デンマークがハッランドを獲得したのち、スウェーデンも呼応...
初めはスウェーデン側が優勢であったが、
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サクスホルムにてスウェーデン軍8000がノルウェー軍6000に敗...
スウェーデンはノルウェーに賠償金を払っての大敗であった。
''スンニ派の反乱'' 1357/11/1~2/1
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1357年11月1日、サラセン人が暴動を起こし、エルサレム駐留常...
1358年2月1日、王自ら一万の兵を持って出向き鎮圧された。
''アルゴットの乱'' 1358~59
1358年、スウェーデンでアルゴットを首魁とした農民反乱が発...
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スウェーデン軍300とデンマーク軍170の兵力は農民軍の前に蹴...
王は新設した常備軍170を援軍として送ったが、思いの外農民軍...
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8月2日、スウェーデン軍が農民軍を殲滅した。
''チュートン戦争''デンマークVSチュートン騎士団 1358 ...
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海運を利用した各個撃破はデンマーク軍の最も得意とした戦法...
&ref(チュートン戦争2.jpg,nolink);
北方、南方双方の敵も救援に間に合わず、デンマーク軍の完勝...
1358年4月21日、王はチュートン騎士団の保有するイルムラント...
自身にその継承権があると主張し、チュートン騎士団に戦線を...
デンマーク軍と騎士団軍はほぼ同数であったが、騎士団側は傭...
これに対しデンマーク側は船団を利用しその兵力のほとんどを...
全く防戦準備を整えてなかった騎士団をウェフラウの戦いで各...
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所領は三人の息子に分配されたが、唯一公爵位を継がなかった...
密偵頭を務めていたことと関係があるのかもしれない。
''ハンザ戦争'' 1360/9/18~1/6
デンマーク17000VSハンザ同盟4000+ブルガリア傭兵団9000
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神聖ローマ帝国はルードヴィヒ5世の退位後混乱が収まらず、ポ...
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11月25日、クルメイデクにて軍団は壊滅、ハンザ同盟総裁ルー...
12月30日、デンマーク王国軍はリューベクに入城。
王はリューベクの町で大きな空樽三つを置き、この中を金と財...
(画像)
翌年1月6日にはシュトラールズント条約が締結され、ハンザ同...
''第二次スコーネ戦争''
デンマーク16000VSスウェーデン14000・ノルウェー12000
2月15日、王は「未回収のデンマーク王冠」最後の土地、ブレー...
今や完全に斜陽のノルウェー王マグヌス七世に応戦できる能力...
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これら各個撃破から幸運にも逃れたスウェーデン軍は徒党を組...
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撃破後、王は戦力の大半をエストラント公に預けノルウェー方...
王はヨンショーピングで残党を討伐したのち、ブレーキンゲを...
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9月1日、ノルウェー軍6000が上陸し、王の軍勢を逆包囲し攻勢...
だが、王は二倍の戦力差を辛抱強く耐え、すでにカテガット海...
これにより今やデンマークの勝利は揺るぎないものとなり(戦...
王はプレマモルクにその存在が確認できたノルウェー最後の大...
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12月の2日に始まり1月の12日まで行われたスキョアの戦いによ...
デンマーク固有の領土たるブレーキンゲが確かにデンマークの...
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かくして1362年1月12日、長きにわたるデンマーク王冠の欠損は...
王はこの事に大いに満足され、恩赦を行うとともに夏に祭を、...
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幾多の戦争に敗北していたこの王を慕うものは少なく、暗殺者...
従姉弟にあたるスウェーデン女王アウネスがノルウェー王位を...
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1363年7月、王は突如意味の通らない言葉をのたまわれたり、何...
8月27日に王を支えたイベリンの伯爵、スオミ人のコリが卒去す...
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死期が近い事を悟った王は10月27日に大学建立の詔をされた。
日が沈む時刻が早まるにつれ、王の大御心はますます悪化し
12月7日には体調を崩された。
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ティムールは13万ものイベント兵を持つ。
新年4日には東の果てからティムールという精強な戦士が現れた...
その者は足に障害があるということをベッドの上で廷臣から聞...
「まるで伝説の『骨なしイヴァル』のようだな」とのたまわれ...
闘病むなしく2月1日、主の御元に御帰天された。
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王子イーレクは未だ年若く、王位は王兄、エストラント公オト...
*[[巻五 オト一世 1364~1370>AAR/デンマーク年代記/巻五 ...
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