AAR/デンマーク年代記/巻六 ヴァルデマ聖帝 1370~1383
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*巻六 ヴァルデマ聖帝 [#q9cb5e47]
&ref(000ヴァルデマ聖帝.jpg,nolink);
ヴァルデマ帝は先帝オトの第二子である。
母はカルヴナ公爵ミハイル2世の娘ペンカである。
オト皇帝の崩御なされたのち、ブルガリアのカルヴァナからノ...
ヴァルデマ帝は全ノルドの守護者であったが未だ幼少であるた...
皇帝の祖母イヴァナが摂政として、ヴァルデマ再興王の息子イ...
&ref(000摂政イヴァナ.jpg,nolink);
&ref(000国王イーレク.jpg,nolink);
多民族国家と化したノルド帝国はその内部で軋轢も生んだ。
特に摂政兼密偵頭にして皇帝の祖母であるブルガリア人のイヴ...
侍従長にしてノルマン人のファラモンドは先帝の葬儀の時より...
ファラモンドが先帝を偲び太刀を佩いて奉ると、イヴァナが突...
&ref(顔イヴァナ.jpg,nolink); まるで矢の刺さった雀のようだ
と述べた。
イヴァナが諸臣を代表して表文を読み上げるときその手足が震...
&ref(顔ファラモンド.jpg,nolink); 鈴をつければ、よく鳴る...
と言い返した。
&ref(001即位.jpg,nolink);
1370年5月28日、皇帝は臣下より全ノルドの皇帝として推挙され...
即位式には官吏諸臣のほかに諸国の勅使も参列し、若き皇帝の...
その中で神聖ローマ皇帝ヴァルデマ5世の勅使は以下のように奏...
神により加冠されし至尊なる尊厳者、偉大にして平和的なる、...
ドイツ王、イタリア王、バイエルン公、オーストリア公、ブラ...
神により加冠されし至尊なる尊厳者、平和をもたらすローマの...
ノルウェー王、スウェーデン王、エルサレム王、エストラント...
かつて尊公の父にして我が兄弟、オトはその慈悲深い大御心に...
その勢いを継がれた尊公の叡智はアイスランドからインドにま...
尊公が東方正帝として、朕が西方正帝として、両ローマ帝国に、
誠実な近縁関係ならびに変わらぬ平和と友好の努力の習慣とが...
この表文を聞いたビザンツ皇帝ヨハネス5世の勅使は大いに怒り、
&ref(顔ビザンツ.jpg,nolink); 正当たるわがローマ帝国を差...
&ref(顔ビザンツ.jpg,nolink); 貴公らの姑息な行為は天に居...
これに対し、摂政イヴァナの答えて曰く、
&ref(顔イヴァナ.jpg,nolink); テッサロニキ専制侯、汝は今...
&ref(顔イヴァナ.jpg,nolink); 今やかつてのエピロス専制侯...
&ref(顔イヴァナ.jpg,nolink); その所領でなぜ皇帝と名乗る...
勅使は専制侯呼ばわりされたことに憤激し、そのまま退席して...
1371年1月1日、グズブランズダラーで農民が叛いた。
王はヴェスターゴトラント公爵アルンファストに7500の軍をも...
1371年9月28日、ビザンツ帝国はいよいよその権勢を傾け、皇帝...
&ref(002廃位.jpg,nolink);
10月22日、ヴァルデマ再興王の王妃ビアトリクスが崩御された。
1372年1月21日、皇帝はヴィングルモルクにて宴を催した。
&ref(003いかん危ない危ない.jpg,nolink);
宴会の一幕。誘う方も誘う方だが四歳児についていく方もつい...
6月17日、皇帝は夏祭りを開かれた。
&ref(004摂政死す.jpg,nolink);
1374年4月18日、侍従長ファラモンドは摂政兼密偵頭のイヴァナ...
皇帝はイヴァナの姿の見えないことをデンマーク国王イーレク7...
&ref(顔イーレク.jpg,nolink); イヴァナは国政を壟断し、皇...
&ref(顔イーレク.jpg,nolink); なぜ陛下を持ってイヴァナに...
&ref(005新摂政.jpg,nolink);
太皇母摂政兼密偵頭宮イヴァナは崩御された。
摂政はファラモンド、密偵頭にはオーゼル=ヴィク公ヴァルデ...
5月30日、摂政ファラモンドは宮廷長官(家令)サッカリア司教...
&ref(006チュートン戦争.jpg,nolink);
6月13日、イルビングで騎士団軍を破った。
1375年3月5日、チュートン騎士団は降伏し、ソロワを割譲した。
10月19日、テサロニカ専制侯イオアネスの長子、ヴァルデマ再...
彼女はそのままテサロニカ宮廷にとどまり、のちにアンドロニ...
&ref(010ソフィーイ.jpg,nolink);
父親とも愛人関係にある
1376年8月22日、皇帝はトランスヨルダンに対する聖戦を詔した。
摂政ファラモンドはほかのサラセン人が救援に駆けつけること...
&ref(019金帳汗国の没落.jpg,nolink);
金帳汗国の可汗、イナンチャはその無様な戦歴からIll-Ruler...
スンニ派の諸国はティムールに敗北を重ね、所領も威信も大き...
トランスヨルダン太守は誰からも支援を受けられず、孤立無援...
&ref(007ヨルダン戦争.jpg,nolink);
1376年9月12日、神聖ローマ皇帝ルードヴィヒ5世が崩御した。
先帝オトの姉、マルガレーテの夫にあたる。
ルードヴィヒ4世の長子として帝位を継ぎ、その所領をよく守っ...
奸臣により一時帝位を追放されるも、その公正かつ慈悲深い性...
&ref(040新皇帝.jpg,nolink);
長子コンラートがコンラート5世として即位した。
皇帝は勅使を遣し西方皇帝と追認した。
1378年8月27日、スウェーデンのアツンザラントがデンマーク文...
&ref(008デンマーク文化の拡大.jpg,nolink);
1378年12月4日、御前会議において通常の議案のすべて裁可され...
宰相アイスランド公スィモンは陛下の名代として摂政兼侍従長...
&ref(顔アイスランド公.jpg,[[AAR/デンマーク年代記/巻五 オ...
&ref(顔ファラモンド.jpg,nolink); 陛下の御高配におかれま...
宰相は話を続けた。
「また、男爵領の経営と侍従長、摂政の三つを兼務されるのは...
摂政職を解任し、新たにオーゼル=ヴィク公ヴァルデマ2世密偵...
ファラモンド、これに大いに驚きて
&ref(顔ファラモンド.jpg,nolink); なんと仰せられた。臣は...
&ref(顔ファラモンド.jpg,nolink); 次に摂政となるという密...
&ref(顔ファラモンド.jpg,nolink); 第一、陛下が取り決めら...
&ref(顔アイスランド公.jpg,[[AAR/デンマーク年代記/巻五 オ...
ファラモンドは言い返すことが出来ず、男爵領を賜ると同時に...
密偵頭オーゼル=ヴィク公ヴァルデマ2世が摂政に就いた。
&ref(009新摂政.jpg,nolink);
12月5日、顛末を知った皇帝はファラモンドを憐み帝国元帥に任...
デンマーク王イーレク7世とハンガリー女王アデリンデの間には...
1379年1月1日、イーレク7世はウトランデ総督夫人ビルントニス...
&ref(011庶子誕生.jpg,nolink);
この時、イーレク27歳
&ref(012庶子誕生2.jpg,nolink);
総督は反発している
&ref(013もはや権威はうなぎのぼり.jpg,nolink);
1380年1月1日、新年の公儀において宰相スィモンはカトリック...
1月16日、皇帝は国庫金の不足を怪しみ、摂政兼密偵頭ヴァルデ...
1月27日、ヴァルデマ再興王の三女イリザベトが肺炎のため薨去...
イリザベトはイングランド王ギルバートの王妃となり二男二女...
5月16日、またしても国庫の金の不足を知った皇帝はヴァルデマ...
&ref(014代を経るごとに劣化する摂政.jpg,nolink);
5月19日、皇帝はノヴゴロド大公領のイングリア分領公国(udel...
&ref(015イングリア戦争.jpg,nolink);
ヴァルデマ皇帝は慈悲に満ちた方であらせられる
|LEFT:|CENTER:|LEFT:|CENTER:|c
|>|>|>|BGCOLOR(#C0C0C0):''アンティオキア十字軍''|
|>|>|>|年月日:1380年9月26日-1381年12月26日|
|>|>|>|結果:アンティオキアの帝国領編入|
|>|BGCOLOR(#C0C0C0):''十字軍''|>|BGCOLOR(#C0C0C0):''サラ...
|ノルド帝国|36000|バフリ朝|27000|
|イングランド王国|34000|     ...
|ポーランド王国|16000|>|-|
|教皇庁|15000|>|-|
|アルバ王国|12000|>|-|
|マツォウヅェ公国|4000|>|-|
|キプロス公国|4000|>|-|
|>|>|>|BGCOLOR(#C0C0C0):''将軍''|
|>|教皇ゲラシウス3世|>|"スルタン"サバア|
|>|デンマーク王イーレク7世|>|アルウッドゥーン太守アライ|
|>|イルムラント伯ファラモンド|>|アラン騎士団長バズク|
|>|コポリェ伯カルル|>|マンスラ市長ムサ|
|>|リミゾル伯ピエール|>|>|
|>|バス司教ポール|>|>|
&ref(016アンティオキア十字軍.jpg,nolink);
9月26日、教皇ゲラシウス三世猊下はアンティオキアに対する十...
皇帝はエルサレムの直ぐ北のアンティオキアを領有されること...
&ref(017スオミの乱.jpg,nolink);
11月1日、スオミ人が反乱を起こした。皇帝は十字軍のために徴...
&ref(018アンティオキア十字軍2.jpg,nolink);
バフリ朝はティムール朝とも対立しており、主力は十字軍の前...
''ブイッセラの戦い''5000VS4000
&ref(020アンティオキア十字軍3.jpg,nolink);
1381年3月15日、ティムールに敗北後体勢を立て直したバフリ朝...
ディートウィンの子が将軍の帝国軍3000はヴェネツィア共和国...
&ref(021スオミ戦争2.jpg,nolink);
3月21日、スオミ人を誅した。
8月21日、ノヴゴロド大公はイングリア分領公国を帝国に割いて...
''ボトロンの戦い''10000VS3000
&ref(022アンティオキア十字軍4.jpg,nolink);
6月23日、サラセン人が3000の軍をもって北上してきたところを...
&ref(023アンティオキア十字軍5.jpg,nolink);
バイログリヴィン公爵トレがスルタン、サバアに一騎打ちを挑...
この頃になると各地の諸侯がアンティオキアにまいるようにな...
&ref(024ティムール死す.jpg,nolink);
8月27日、一代で大帝国を築きあげたティムールが没した。
''ベルサフの戦い''20000VS8000
10月24日、9000のサラセン人をベルサフで捕捉した。
教皇猊下御自ら指揮される8000の軍が到着するとサラセン人は...
&ref(025アンティオキア十字軍6.jpg,nolink);
&ref(026アンティオキア十字軍7.jpg,nolink);
12月28日、アンティオキアが陥落し、バフリ朝スルタンのサバ...
皇帝はアンティオキアの各地の伯爵に武に秀たデンマーク人を...
&ref(027ティムールの汚さ.jpg,nolink);
Misrはバフリ朝。ティムールは代替わりがあるとイベント兵が...
&ref(028続アンティオキア十字軍.jpg,nolink);
12月31日、コルシカの総督ヤコブが見え、アンティオキアの交...
公儀においては元帥ファラモンドがその意見に大いに賛同し、...
&ref(029続アンティオキア十字軍2.jpg,nolink);
1382年1月1日、東方正教系のアンティオキア総主教を追放し、...
&ref(030続アンティオキア十字軍3.jpg,nolink);
1月5日、教皇ゲラシウス3世はまたも叙任権を譲り渡すよう要求...
皇帝はこれを突っぱねた。
5月1日、ヘルシングラント公爵ニルスがアプロンドゥン公爵の...
&ref(031公爵策謀.jpg,nolink);
''カリカラの戦い''帝国軍2万VS共和国軍1万6千
&ref(032続アンティオキア十字軍4.jpg,nolink);
8月1日、ブルガリア領カリガラにて元帥ファラモンドの軍がジ...
帝国軍は数の優位を頼みに突撃をしたが、士気の高い共和国軍...
帝国軍の攻勢を面で受け、逆に押し返し始めた。
&ref(033続アンティオキア十字軍5.jpg,nolink);
8月29日、帝国軍は総崩れになり敗残兵は海上の舟に逃れた。
敗北の責任を取り大将ファラモンドは自刃した。
&ref(034続アンティオキア十字軍6.jpg,nolink);
帝国軍2万壊走、元帥自刃の報を受けた帝国大本営の諸官は激高...
皇帝はこれを認可されすぐさま諸侯の兵1万5千を集め、後任の...
''オヴェクの戦い''1万7千VS1万1千
&ref(035続アンティオキア十字軍7.jpg,nolink);
1383年5月9日、オヴェクにおいて帝国・コルシカ両軍はジェノ...
両翼を帝国封臣、中央をコルシカ人が担当したが、
&ref(036続アンティオキア十字軍8.jpg,nolink);
シナルカ伯爵はその戦闘の最中に稚拙な行動が目立ち、共和国...
両翼は数においては帝国軍が優位で、中央がもう少し持ちこた...
6月3日に中央突破を許したのち、5日には左翼、8日には右翼が...
&ref(037続アンティオキア十字軍9.jpg,nolink);
6月11日、帝国派遣軍大将オディンサルル男爵が戦死した。。
6月16日、皇帝は領内におけるジェノヴァ共和国の利権をコルシ...
&ref(038続アンティオキア十字軍10.jpg,nolink);
この戦争はデンマーク王国再興以来初の敗北であり、帝国中枢...
&ref(039ハンザ戦争の提案.jpg,nolink);
ハンブルク市長がハンザ同盟に対し戦を宣する事を奏上したが...
*[[巻七 ヴァルデマ聖帝 1384~1395>AAR/デンマーク年代記/...
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[[AAR/デンマーク年代記]]
*巻六 ヴァルデマ聖帝 [#q9cb5e47]
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ファラモンドが先帝を偲び太刀を佩いて奉ると、イヴァナが突...
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と述べた。
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即位式には官吏諸臣のほかに諸国の勅使も参列し、若き皇帝の...
その中で神聖ローマ皇帝ヴァルデマ5世の勅使は以下のように奏...
神により加冠されし至尊なる尊厳者、偉大にして平和的なる、...
ドイツ王、イタリア王、バイエルン公、オーストリア公、ブラ...
神により加冠されし至尊なる尊厳者、平和をもたらすローマの...
ノルウェー王、スウェーデン王、エルサレム王、エストラント...
かつて尊公の父にして我が兄弟、オトはその慈悲深い大御心に...
その勢いを継がれた尊公の叡智はアイスランドからインドにま...
尊公が東方正帝として、朕が西方正帝として、両ローマ帝国に、
誠実な近縁関係ならびに変わらぬ平和と友好の努力の習慣とが...
この表文を聞いたビザンツ皇帝ヨハネス5世の勅使は大いに怒り、
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1371年9月28日、ビザンツ帝国はいよいよその権勢を傾け、皇帝...
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宴会の一幕。誘う方も誘う方だが四歳児についていく方もつい...
6月17日、皇帝は夏祭りを開かれた。
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1374年4月18日、侍従長ファラモンドは摂政兼密偵頭のイヴァナ...
皇帝はイヴァナの姿の見えないことをデンマーク国王イーレク7...
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太皇母摂政兼密偵頭宮イヴァナは崩御された。
摂政はファラモンド、密偵頭にはオーゼル=ヴィク公ヴァルデ...
5月30日、摂政ファラモンドは宮廷長官(家令)サッカリア司教...
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6月13日、イルビングで騎士団軍を破った。
1375年3月5日、チュートン騎士団は降伏し、ソロワを割譲した。
10月19日、テサロニカ専制侯イオアネスの長子、ヴァルデマ再...
彼女はそのままテサロニカ宮廷にとどまり、のちにアンドロニ...
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父親とも愛人関係にある
1376年8月22日、皇帝はトランスヨルダンに対する聖戦を詔した。
摂政ファラモンドはほかのサラセン人が救援に駆けつけること...
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金帳汗国の可汗、イナンチャはその無様な戦歴からIll-Ruler...
スンニ派の諸国はティムールに敗北を重ね、所領も威信も大き...
トランスヨルダン太守は誰からも支援を受けられず、孤立無援...
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1376年9月12日、神聖ローマ皇帝ルードヴィヒ5世が崩御した。
先帝オトの姉、マルガレーテの夫にあたる。
ルードヴィヒ4世の長子として帝位を継ぎ、その所領をよく守っ...
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長子コンラートがコンラート5世として即位した。
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8月21日、ノヴゴロド大公はイングリア分領公国を帝国に割いて...
''ボトロンの戦い''10000VS3000
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8月27日、一代で大帝国を築きあげたティムールが没した。
''ベルサフの戦い''20000VS8000
10月24日、9000のサラセン人をベルサフで捕捉した。
教皇猊下御自ら指揮される8000の軍が到着するとサラセン人は...
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12月28日、アンティオキアが陥落し、バフリ朝スルタンのサバ...
皇帝はアンティオキアの各地の伯爵に武に秀たデンマーク人を...
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皇帝はこれを突っぱねた。
5月1日、ヘルシングラント公爵ニルスがアプロンドゥン公爵の...
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''カリカラの戦い''帝国軍2万VS共和国軍1万6千
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8月1日、ブルガリア領カリガラにて元帥ファラモンドの軍がジ...
帝国軍は数の優位を頼みに突撃をしたが、士気の高い共和国軍...
帝国軍の攻勢を面で受け、逆に押し返し始めた。
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8月29日、帝国軍は総崩れになり敗残兵は海上の舟に逃れた。
敗北の責任を取り大将ファラモンドは自刃した。
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帝国軍2万壊走、元帥自刃の報を受けた帝国大本営の諸官は激高...
皇帝はこれを認可されすぐさま諸侯の兵1万5千を集め、後任の...
''オヴェクの戦い''1万7千VS1万1千
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1383年5月9日、オヴェクにおいて帝国・コルシカ両軍はジェノ...
両翼を帝国封臣、中央をコルシカ人が担当したが、
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シナルカ伯爵はその戦闘の最中に稚拙な行動が目立ち、共和国...
両翼は数においては帝国軍が優位で、中央がもう少し持ちこた...
6月3日に中央突破を許したのち、5日には左翼、8日には右翼が...
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6月11日、帝国派遣軍大将オディンサルル男爵が戦死した。。
6月16日、皇帝は領内におけるジェノヴァ共和国の利権をコルシ...
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この戦争はデンマーク王国再興以来初の敗北であり、帝国中枢...
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ハンブルク市長がハンザ同盟に対し戦を宣する事を奏上したが...
*[[巻七 ヴァルデマ聖帝 1384~1395>AAR/デンマーク年代記/...
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