AAR/デンマーク年代記/巻八 ヴァルデマ聖帝 1396~1407
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*巻八 ヴァルデマ聖帝 [#z6ad4461]
1396年1月1日、皇帝は教会分裂修復を祝い宴を催した。
&ref(005評議会議員.jpg,nolink);
この頃の帝国の顧問団
1396年2月27日、皇帝は詔し、シチリア・ジハードに参戦すると...
5月29日、ウィツグロドの戦いでリトアニア軍を破り、せむしの...
6月7日、先の戦闘で敗走したリトアニア軍を追撃し、カルシュ...
皇帝は、敵の将軍が父の代まで異教に帰依していたことを御高...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 異教のままであるか、全き道を歩...
とのたまわれた。
&ref(001異教と異端.jpg,nolink);
左が父、右が息子
8月29日、サラセン人の一団6千がオリエントからコンスタンテ...
帝国近衛軍2千がこれに応戦したが、敗北した。
サラセン人は近隣の田畑を荒らして食料を収奪すると、コンス...
&ref(002サラセン人来る.jpg,nolink);
リトアニアにかまけてたら完全にやっちまった感がある光景
9月10日、ヴァルデマ再興王の長女マグダレーネが薨去した。58...
成人後、スウェーデンとノルウェーの王であったマグヌスの弟...
後にポーランド王子カジミエルツと再婚し一男一女を生んだが...
これで再興王の存命の子はデンマーク王イーレク7世のみとなっ...
9月27日、サラセン人の一団をテッサロニキ専制公領内で再発見...
皇帝は追撃軍8千に追撃を命じたが、兵力の集結に手間取り会敵...
&ref(003サラセン人来る2.jpg,nolink);
10月15日、サラセン人たちがドゥブロヴニク王領に侵入した。
11月19日、サラセン人たちはドゥブロヴニク王領を抜け、セル...
皇帝は追撃をとりやめた。
12月24日、異端リトアニアからプロイセンを奪還した。
&ref(004サラセン人来る3.jpg,nolink);
1397年6月17日、ジェノヴァ共和国軍とシチリア王国軍がサラセ...
1398年1月9日、皇帝はドゥブロヴニクとセルビアの合一を宣言...
1月27日、皇帝の娘、ヘレナが薨去した。0歳であった。
&ref(006セルビア戦争.jpg,nolink);
2月25日、マグリクにおいて5千のセルビア軍と交戦した。
&ref(007セルビア戦争2.jpg,nolink);
3月10日、皇帝はセルビア王の近習にして敵右翼指揮官のプルヴ...
&ref(顔敵.jpg,nolink); 遠からん者は耳にこそ聞け、近き者...
&ref(顔敵.jpg,nolink); 権勢を笠に着て我が祖地を荒らす非...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 朕は神の恩寵を賜りしノルドの皇...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); その朕に対し挑むとは軽慮浅謀の...
皇帝はこれを受け入れた。
皇帝は1合目でプルヴォアフの左腕を切り落とし、2合目でその...
&ref(008セルビア戦争3.jpg,nolink);
&ref(009セルビア戦争4.jpg,nolink);
セルビア軍は大いに動揺し、撃破を時間の問題だと考えられた...
&ref(010セルビア戦争5.jpg,nolink);
3月20日、中央を支えていたトルトサ伯爵レインベルンが壊走し...
3月29日、帝国軍は敗走した。
スコピエに下がっていた皇帝は帝国元帥からその報せを聞き、...
元帥の奏上するに、
&ref(顔コポリェ伯.jpg,nolink); 皇帝陛下御自ら出撃され、...
&ref(顔コポリェ伯.jpg,nolink); 中でもトルトサ伯は自らの...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 朕はかつて敗戦の度にイルムラン...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); ここでまたトルトサ伯爵や汝を失...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 汝らはいたずらに命をなげうつこ...
&ref(012金帳汗国の崩壊.jpg,nolink);
3月31日、金帳汗のイナンチャは全ての所領を差し出してティム...
ティムールの一封臣となった。
9月19日、プロシア等から徴兵された第二陣がセルビアに迫った。
&ref(034アデリンデ.jpg,nolink);
11月6日、デンマーク王イーレク7世の王妃にしてマジャール女...
アデリンデはthe accursed、"呪われた"アデリンデと呼ばれ、...
長子グレーテが王位を継いだ。
11月7日、ズィカにセルビアと同盟を結ぶブルガリア王国軍5千...
デンマーク王イーレク7世がこれを迎撃し、ブルガリア王子スヴ...
|LEFT:|CENTER:|LEFT:|CENTER:|c
|>|>|>|BGCOLOR(#C0C0C0):''第二次ティムール戦役''|
|>|>|>|年月日:1398年11月16日-1400年3月18日|
|>|>|>|結果:アル=ジャリル地方の失陥|
|>|BGCOLOR(#C0C0C0):''キリスト教徒''|>|BGCOLOR(#C0C0C0):'...
|ノルド帝国|74000|ティムール朝    ...
|テッサロニキ専制侯国|6500||-|
|マジャール王国|0|>|-|
|ワラキア王国|0|>|-|
|ポーランド王国|0|>|-|
|アルバ王国|0|>|-|
|ノヴゴロド大公国|0|>|-|
|キリキア・アルメニア公国|0|>|-|
|ポモルスク公国|0|>|-|
|>|>|>|将軍|
|>|ヴァルデマ聖帝|>|"可汗"ナクフ|
|>|デンマーク王イーレク7世|>|マクラン太守トグトガ|
|>|コポリェ伯カルル|>|アティル太守イェスゲイ|
※戦場に到達していない軍は計上していない
&ref(011ティムール来る.jpg,nolink);
11月16日、騎馬民族の皇帝、ティムールの子ナクフが使者を遣...
&ref(顔ティムール.jpg,nolink); 幸運な二つの星が交わると...
&ref(顔ティムール.jpg,nolink); 汝はノルド人の皇帝である...
&ref(顔ティムール.jpg,nolink); 正当なる皇帝である朕、ナ...
皇帝はこれを拒否し、すべての封臣に出兵させ、さらに聖ヨハ...
12月1日、マジャール女王グレーテ、ワラキア王ガヴリ、キリキ...
12月4日、ノヴゴロド大公イングヴァル賢公が参戦した。
12月14日、アルバ王アイリル大王が参戦した。
12月26日、ポモルスク公ヴラティスラフ3世が参戦した。
1399年3月14日、ポーランド王マツラヴが参戦した。
3月18日、黒海に展開した帝国軍ガレー船が、騎馬兵12万がコー...
&ref(013ティムール来る.jpg,nolink);
ティムール軍は10万人いても補給制限を受けない。どこまでも...
7月18日、皇帝の公妾であったマグダレーネが薨去した。40歳で...
皇帝との間に一児イリザベトを設けたが、イリザベトは7歳で両...
&ref(014公妾薨去.jpg,nolink);
8月7日、帝国軍がヒムスを落とした。
戦勝点13点に達し、皇帝は慈悲深く双方の主力が衝突し多くの...
ナクフはその残忍な性格と卑しい心持により拒否した。
&ref(015停戦.jpg,nolink);
9月8日、メシュタイェにおいて帝国軍6万がティムール軍11万と...
9月24日、この日デンマーク王イーレクの左翼軍は大いに奮戦し...
&ref(016激戦.jpg,nolink);
10月25日、帝国軍はメシュタイェから退却した。
11月15日、メシュタイェから退却した帝国軍はスィドンで追撃...
11月17日、シチリアへのジハードの失敗をカリフ、アフマド2世...
1400年1月21日、テッサロニキ専制侯ディオゲネスがティムール...
2月2日、神聖ローマ皇帝ルートベルトが参戦した、
3月4日、テッサロニキ専制侯は6500の兵力を揚陸したが、もは...
&ref(017遅いよ.jpg,nolink);
3月17日、皇帝はアル=ジャリル地方の統治権をナクフに譲った。
&ref(018敗戦.jpg,nolink);
3月18日、宰相スィモンは今回の戦役において教皇庁がなんら支...
&ref(顔アイスランド公.jpg,[[AAR/デンマーク年代記/巻五 オ...
&ref(顔アイスランド公.jpg,[[AAR/デンマーク年代記/巻五 オ...
&ref(顔アイスランド公.jpg,[[AAR/デンマーク年代記/巻五 オ...
&ref(顔アイスランド公.jpg,[[AAR/デンマーク年代記/巻五 オ...
皇帝の答えるに、
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 汝の奏上は尤もである。だが、フ...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 対立教皇を立てる機会はこれから...
とのたまわれた。
&ref(019教皇.jpg,nolink);
のちにこの決定を悔やむことになる
&ref(020兵力.jpg,nolink);
3月29日、帝国元帥コポリェ伯カルルが第二次ティムール戦役の...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); しかし、未だティムールの兵の方...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); さらに、我が国はノルドとオリエ...
&ref(帝国オリエント領.jpg,nolink);
外祖父からの継承でブルガリアの大部分を、十字軍でエルサレ...
皇帝がそうのたまわれると、隣に居られた皇后が仰せられた。
&ref(顔嫁.jpg,nolink); 畏れながら、皇帝陛下は今や権威も...
&ref(顔嫁.jpg,nolink); さらに、陛下はその叡智により東西...
&ref(顔嫁.jpg,nolink); ここで陛下が弱気になられ、聖地を...
&ref(顔嫁.jpg,nolink); また、先に申し上げましたように、...
&ref(顔嫁.jpg,nolink); オリエントを放棄しても、それは問...
&ref(顔嫁.jpg,nolink); 陛下はローマ皇帝として他のキリス...
&ref(顔嫁.jpg,nolink); すみやかにセルビアを併合なされ、...
&ref(顔コポリェ伯.jpg,nolink); 皇后陛下の仰せられるとお...
&ref(顔コポリェ伯.jpg,nolink); 臣らは国家と陛下のために...
皇帝は皇后と元帥の奏上を聞き入れられ、また、次のティムー...
第二皇女ビアギタをシチリア王太子オジェと、第三皇女アスタ...
&ref(021合一.jpg,nolink);
1401年7月8日、皇帝はセルビアを平定しドゥブロヴニク王ヴカ...
12月5日、皇帝は教皇フェリクス4世に親書を送られた。
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 神の恩寵による全ノルドの保護者...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); サラセン人の地であったアンティ...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); それであるのに、教皇猊下はロー...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); もし猊下に人の心がお有りであれ...
12月25日、フェリクス4世から返書が届いた。
&ref(顔フェリクス.jpg,nolink); 偉大なローマの皇帝陛下の...
&ref(顔フェリクス.jpg,nolink); 陛下と陛下の諸臣におかせ...
&ref(顔フェリクス.jpg,nolink); どうか皇帝陛下と私の間に...
&ref(022金.jpg,nolink);
皇帝は教皇が450グルデンを献じたため満足され、対立教皇を立...
その代わり、この後から度々教皇に上納を求めるようになった。
1402年3月5日、マジャール女王グレーテから勅使が参り、上表...
&ref(023参戦要請.jpg,nolink);
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 慈悲に満ちた最も聡明なるロ...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); カミロはその地位を利用して...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 臣はカミロを排するべく兵を...
皇帝は快諾し、兵力8千をもってマルケに上陸した。
&ref(024参戦.jpg,nolink);
11月22日、総督カミロはマジャール王国内における交易を諦め...
1月9日、マジャール女王グレーテから勅使が参り、上表した。
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 慈悲に満ちた最も聡明なるロ...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 我が国は皇帝陛下の慈悲に満...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); カミロの下で不当に利益に預...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 公爵らが万が一勝利し、また...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); どうか公爵どもを討ち果たす...
皇帝はこれを許可し、7千の征伐軍を編成した。
征伐軍の将軍を決める際になってトルトサ伯爵レインベルンが...
&ref(顔トルトサ伯.jpg,nolink); 臣は先のセルビア戦争での...
&ref(顔トルトサ伯.jpg,nolink); 願わくば、この度の戦の将...
皇帝はトルトサ伯の奏上を聞き入れ、伯を大将とした。
&ref(026マジャル.jpg,nolink);
主の受肉より1403年2月15日、第203代教皇フェリクス4世が崩御...
非常に怠惰的で、自らは何もせず、ティムールの侵略にも無関...
皇帝からの金銭の催促にはすぐ応じたので皇帝はこの者を廃す...
204代教皇にはアレラミシ家のイザーコがヨハネス23世として即...
この者の即位には皇帝の後援があった。
&ref(025教皇.jpg,nolink);
4月4日、マジャールの反乱は今やほとんど鎮められようとして...
皇帝はマジャール女王グレーテに親書を送られた。
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 全ノルド人の皇帝、エルサレムと...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 汝は朕と同じくエストリズセン家...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 汝の長男シグルドと朕の娘、カロ...
4月23日、グレーテからの勅使が参り、上表した。
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 慈悲に満ちた最も聡明なるロ...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 皇帝陛下の恩寵は臣の心にも...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 臣は父から受け継いだこの家...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 皇帝陛下の御高配により、マ...
8月27日、イングランド王ギルバートは教皇ヨハネス23世の帝国...
ギルバートは教皇庁の権威失墜を目論んだが、教皇の誠実な人...
&ref(027対立教皇.jpg,nolink);
帝国内の僧侶たちすら30年以上治めている皇帝より即位半年の...
1404年8月15日、南キプロスで異端を信奉する一団を改宗させる...
&ref(028南キプロス十字軍.jpg,nolink);
11月11日、キトロイでトルトサ伯率いる帝国軍4千が異端軍千を...
異端軍は王自ら出陣していたが、帝国軍の敵ではなかった。
12月15日、南キプロスは全き信仰に帰した。
1405年3月26日、イングリアの公ハンスが公領内のすべての土地...
皇帝はイングリア公領内の帝室領の国家経営における前線基地...
&ref(029ハンスエエグ.jpg,nolink);
イーイ家は代々武門に秀で、一族は多くの土地を賜った
5月7日、例年になく雨が降り、皇帝は民衆の心配をされた。
&ref(030長雨.jpg,nolink);
1406年2月5日、皇帝は免罪符を買われた。
6月28日、プロイセンのポゲサニア伯領がデンマーク文化になっ...
&ref(031宰相薨去.jpg,nolink);
9月23日、宰相アイスランド公スィモンが薨去した。60歳であっ...
スィモン・カシュマツはスコーネ大司教ペーザに仕えたユダヤ...
爵位はハーススル伯爵、のちにアイスランド公爵に昇った。オ...
宰相として長年あり、諸侯との執成しに非常に功があった。晩...
公位は長子クレスチャンが継ぎ、宰相はエストラント公ゴトフ...
&ref(032宰相薨去2.jpg,nolink);
クレスチャンは父と違い財務に長じた
10月1日、スリースヴィ公ヴァルデマ5世の長男の長男ヘンレク...
10月5日、皇后グレミスラヴァが双子を出生した。ベネディクデ...
&ref(033出生.jpg,nolink);
12月10日、アイスランド公クレスチャンが薨去した。33歳、不...
*[[巻九 ヴァルデマ聖帝 1408~1416>AAR/デンマーク年代記/...
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[[AAR/デンマーク年代記]]
*巻八 ヴァルデマ聖帝 [#z6ad4461]
1396年1月1日、皇帝は教会分裂修復を祝い宴を催した。
&ref(005評議会議員.jpg,nolink);
この頃の帝国の顧問団
1396年2月27日、皇帝は詔し、シチリア・ジハードに参戦すると...
5月29日、ウィツグロドの戦いでリトアニア軍を破り、せむしの...
6月7日、先の戦闘で敗走したリトアニア軍を追撃し、カルシュ...
皇帝は、敵の将軍が父の代まで異教に帰依していたことを御高...
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左が父、右が息子
8月29日、サラセン人の一団6千がオリエントからコンスタンテ...
帝国近衛軍2千がこれに応戦したが、敗北した。
サラセン人は近隣の田畑を荒らして食料を収奪すると、コンス...
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リトアニアにかまけてたら完全にやっちまった感がある光景
9月10日、ヴァルデマ再興王の長女マグダレーネが薨去した。58...
成人後、スウェーデンとノルウェーの王であったマグヌスの弟...
後にポーランド王子カジミエルツと再婚し一男一女を生んだが...
これで再興王の存命の子はデンマーク王イーレク7世のみとなっ...
9月27日、サラセン人の一団をテッサロニキ専制公領内で再発見...
皇帝は追撃軍8千に追撃を命じたが、兵力の集結に手間取り会敵...
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11月19日、サラセン人たちはドゥブロヴニク王領を抜け、セル...
皇帝は追撃をとりやめた。
12月24日、異端リトアニアからプロイセンを奪還した。
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皇帝は1合目でプルヴォアフの左腕を切り落とし、2合目でその...
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セルビア軍は大いに動揺し、撃破を時間の問題だと考えられた...
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ティムールの一封臣となった。
9月19日、プロシア等から徴兵された第二陣がセルビアに迫った。
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長子グレーテが王位を継いだ。
11月7日、ズィカにセルビアと同盟を結ぶブルガリア王国軍5千...
デンマーク王イーレク7世がこれを迎撃し、ブルガリア王子スヴ...
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|アルバ王国|0|>|-|
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|>|ヴァルデマ聖帝|>|"可汗"ナクフ|
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※戦場に到達していない軍は計上していない
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皇帝はこれを拒否し、すべての封臣に出兵させ、さらに聖ヨハ...
12月1日、マジャール女王グレーテ、ワラキア王ガヴリ、キリキ...
12月4日、ノヴゴロド大公イングヴァル賢公が参戦した。
12月14日、アルバ王アイリル大王が参戦した。
12月26日、ポモルスク公ヴラティスラフ3世が参戦した。
1399年3月14日、ポーランド王マツラヴが参戦した。
3月18日、黒海に展開した帝国軍ガレー船が、騎馬兵12万がコー...
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ティムール軍は10万人いても補給制限を受けない。どこまでも...
7月18日、皇帝の公妾であったマグダレーネが薨去した。40歳で...
皇帝との間に一児イリザベトを設けたが、イリザベトは7歳で両...
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8月7日、帝国軍がヒムスを落とした。
戦勝点13点に達し、皇帝は慈悲深く双方の主力が衝突し多くの...
ナクフはその残忍な性格と卑しい心持により拒否した。
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9月24日、この日デンマーク王イーレクの左翼軍は大いに奮戦し...
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10月25日、帝国軍はメシュタイェから退却した。
11月15日、メシュタイェから退却した帝国軍はスィドンで追撃...
11月17日、シチリアへのジハードの失敗をカリフ、アフマド2世...
1400年1月21日、テッサロニキ専制侯ディオゲネスがティムール...
2月2日、神聖ローマ皇帝ルートベルトが参戦した、
3月4日、テッサロニキ専制侯は6500の兵力を揚陸したが、もは...
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とのたまわれた。
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&ref(顔嫁.jpg,nolink); オリエントを放棄しても、それは問...
&ref(顔嫁.jpg,nolink); 陛下はローマ皇帝として他のキリス...
&ref(顔嫁.jpg,nolink); すみやかにセルビアを併合なされ、...
&ref(顔コポリェ伯.jpg,nolink); 皇后陛下の仰せられるとお...
&ref(顔コポリェ伯.jpg,nolink); 臣らは国家と陛下のために...
皇帝は皇后と元帥の奏上を聞き入れられ、また、次のティムー...
第二皇女ビアギタをシチリア王太子オジェと、第三皇女アスタ...
&ref(021合一.jpg,nolink);
1401年7月8日、皇帝はセルビアを平定しドゥブロヴニク王ヴカ...
12月5日、皇帝は教皇フェリクス4世に親書を送られた。
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 神の恩寵による全ノルドの保護者...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); サラセン人の地であったアンティ...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); それであるのに、教皇猊下はロー...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); もし猊下に人の心がお有りであれ...
12月25日、フェリクス4世から返書が届いた。
&ref(顔フェリクス.jpg,nolink); 偉大なローマの皇帝陛下の...
&ref(顔フェリクス.jpg,nolink); 陛下と陛下の諸臣におかせ...
&ref(顔フェリクス.jpg,nolink); どうか皇帝陛下と私の間に...
&ref(022金.jpg,nolink);
皇帝は教皇が450グルデンを献じたため満足され、対立教皇を立...
その代わり、この後から度々教皇に上納を求めるようになった。
1402年3月5日、マジャール女王グレーテから勅使が参り、上表...
&ref(023参戦要請.jpg,nolink);
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 慈悲に満ちた最も聡明なるロ...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); カミロはその地位を利用して...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 臣はカミロを排するべく兵を...
皇帝は快諾し、兵力8千をもってマルケに上陸した。
&ref(024参戦.jpg,nolink);
11月22日、総督カミロはマジャール王国内における交易を諦め...
1月9日、マジャール女王グレーテから勅使が参り、上表した。
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 慈悲に満ちた最も聡明なるロ...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 我が国は皇帝陛下の慈悲に満...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); カミロの下で不当に利益に預...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 公爵らが万が一勝利し、また...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); どうか公爵どもを討ち果たす...
皇帝はこれを許可し、7千の征伐軍を編成した。
征伐軍の将軍を決める際になってトルトサ伯爵レインベルンが...
&ref(顔トルトサ伯.jpg,nolink); 臣は先のセルビア戦争での...
&ref(顔トルトサ伯.jpg,nolink); 願わくば、この度の戦の将...
皇帝はトルトサ伯の奏上を聞き入れ、伯を大将とした。
&ref(026マジャル.jpg,nolink);
主の受肉より1403年2月15日、第203代教皇フェリクス4世が崩御...
非常に怠惰的で、自らは何もせず、ティムールの侵略にも無関...
皇帝からの金銭の催促にはすぐ応じたので皇帝はこの者を廃す...
204代教皇にはアレラミシ家のイザーコがヨハネス23世として即...
この者の即位には皇帝の後援があった。
&ref(025教皇.jpg,nolink);
4月4日、マジャールの反乱は今やほとんど鎮められようとして...
皇帝はマジャール女王グレーテに親書を送られた。
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 全ノルド人の皇帝、エルサレムと...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 汝は朕と同じくエストリズセン家...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 汝の長男シグルドと朕の娘、カロ...
4月23日、グレーテからの勅使が参り、上表した。
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 慈悲に満ちた最も聡明なるロ...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 皇帝陛下の恩寵は臣の心にも...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 臣は父から受け継いだこの家...
&ref(顔グレーテ.jpg,nolink); 皇帝陛下の御高配により、マ...
8月27日、イングランド王ギルバートは教皇ヨハネス23世の帝国...
ギルバートは教皇庁の権威失墜を目論んだが、教皇の誠実な人...
&ref(027対立教皇.jpg,nolink);
帝国内の僧侶たちすら30年以上治めている皇帝より即位半年の...
1404年8月15日、南キプロスで異端を信奉する一団を改宗させる...
&ref(028南キプロス十字軍.jpg,nolink);
11月11日、キトロイでトルトサ伯率いる帝国軍4千が異端軍千を...
異端軍は王自ら出陣していたが、帝国軍の敵ではなかった。
12月15日、南キプロスは全き信仰に帰した。
1405年3月26日、イングリアの公ハンスが公領内のすべての土地...
皇帝はイングリア公領内の帝室領の国家経営における前線基地...
&ref(029ハンスエエグ.jpg,nolink);
イーイ家は代々武門に秀で、一族は多くの土地を賜った
5月7日、例年になく雨が降り、皇帝は民衆の心配をされた。
&ref(030長雨.jpg,nolink);
1406年2月5日、皇帝は免罪符を買われた。
6月28日、プロイセンのポゲサニア伯領がデンマーク文化になっ...
&ref(031宰相薨去.jpg,nolink);
9月23日、宰相アイスランド公スィモンが薨去した。60歳であっ...
スィモン・カシュマツはスコーネ大司教ペーザに仕えたユダヤ...
爵位はハーススル伯爵、のちにアイスランド公爵に昇った。オ...
宰相として長年あり、諸侯との執成しに非常に功があった。晩...
公位は長子クレスチャンが継ぎ、宰相はエストラント公ゴトフ...
&ref(032宰相薨去2.jpg,nolink);
クレスチャンは父と違い財務に長じた
10月1日、スリースヴィ公ヴァルデマ5世の長男の長男ヘンレク...
10月5日、皇后グレミスラヴァが双子を出生した。ベネディクデ...
&ref(033出生.jpg,nolink);
12月10日、アイスランド公クレスチャンが薨去した。33歳、不...
*[[巻九 ヴァルデマ聖帝 1408~1416>AAR/デンマーク年代記/...
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