AAR/デンマーク年代記/巻七 ヴァルデマ聖帝 1384~1395
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*巻七 ヴァルデマ聖帝 [#i9f5ab48]
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1383年12月17日、皇帝ヴァルデマが成人された。
皇帝は詔し、成人祝いの宴を催された。
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すでにアンティオキアとエルサレムは領有しているので、あと...
宴の最中、皇帝はこうのたまわれた。
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この言葉に諸臣は皆賛同し、このように奏上した。
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皇帝は東ローマ皇帝の後裔たるゾンレトビト公国やテッサロニ...
これらの諸侯は婚姻に応じなかった。
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1384年3月9日、皇帝はテッサロニキ専制侯に勅された。
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テッサロニキ専制侯は皇帝の勅を拒み、兵を挙げた。
皇帝はデンマーク王イーレク7世を大将に任じ、3万5千の兵をも...
9月14日、ティリリェにて帝国軍は専制侯軍を会的した。
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11月28日、ティリリェの戦いで専制侯軍1万2千を破り、大勢は...
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12月28日、皇帝は御自ら出征され、残敵を掃射されている中で...
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1385年1月30日、テッサロニキ専制侯は自らの不明を恥じ、コン...
2月18日、皇帝は戦勝を祝い馬上槍試合を開かれた。
2月28日、ヴァルデマ再興王の四女ソフィーィが過食のため薨去...
イリザベトはセッサロニキ専制侯世子アンドロニコスとの間に...
秀明の聞こえが高く、一時は再興王も女系結婚で宮廷に残すつ...
その秀明さを買われテッサロニキ専制侯家においては密偵頭と...
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6月19日、馬上槍試合の最中、皇帝はエデッサ伯爵ポウルの剣の...
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8月9日、皇帝は食事の味に疑問を抱き、同行していたエデッサ...
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9月6日、エデッサ伯爵が奏上した。
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皇帝は承諾された。
9月25日、エデッサ伯爵が調査の結果を奏上した。
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親子二代で似たようなことをしている
1385年11月21日、宮廷女官マグダレーネがイリザベトを出生し...
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聡明であったが、身分の差から諸臣に反対され、皇后として立...
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秀麗である
11月29日、皇帝は巡礼の詔をし、摂政にデンマーク国王イーレ...
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12月29日、皇帝はカンタベリーに到着された。
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1月13日、皇帝は還幸された。
1386年3月10日、元帥デンマーク王イーレク7世は密偵頭オーゼ...
皇帝は大して関心を払わなかった。
1387年11月15日、皇帝はリューリク家のグレミスラヴァを皇后...
ノルドの家系で異教時代からの血統を伝える二つの氏の合一を...
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グレミスラヴァは一男五女を産み名を第一子がビアギタ、第二...
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1388年2月7日、皇帝はアンティオキア伯シニザを召して、こう...
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皇帝は2万8千の兵力を挙げてドゥブロヴニクに兵を向けた。
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8月11日、コポリェ伯カルルがベラトにおいて敵兵7千を破った。
8月22日、敗走する敵兵を追い、カニナにて敗残兵2千を破った。
9月15日、ドゥレスで850の敵を破り、敵兵を殲滅し、シニザを...
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12月28日、エデッサ伯ポウルが卒去した。50歳であった。
皇帝の友人として交友が深く、玉体の危機を救った。
娘のヨハネが跡を継いだ。
1389年7月16日、神聖ローマ皇帝コンスタンティノス5世が崩御...
嫡子ルートベルトが即位した。
1391年1月5日、皇帝はアレクサンドリアをサラセン人から奪還...
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''ダマスクの戦い''
3月28日、ダマスクにてサラセン人4500人を破った。
''ガラティエの戦い''
6月10日、ガラティエにおいて帝国軍1万8千とサラセン人1万3千...
7月11日、ガラティエにおいてサラセン人を破った。
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主の受肉より1391年と7月17日、第200代教皇ゲラシウス3世が崩...
前任の悪教皇から打って変わり、その敬虔にして慈しみあふれ...
この教皇の在位中、カトリックの権威は異教、異端を大きく突...
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後任は同じくピアスト家のアデオダトゥス3世である。
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11月4日、ティムールが国境を侵疆しエデッサ伯領の領有を宣言...
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皇帝は大いにこれに怒り、サラセン人との戦いを早急に終結さ...
12月3日、チュートン騎士団がティムールとの戦いに加勢した。
12月26日、マジャール女王アデリンデはティムールの横暴に義...
''マシャフの戦い''帝国軍5万VSティムール朝6万
1392年5月29日、マシャフにて両軍は会戦した。
帝国軍はティムールの騎射兵に大いに苦しめられたが、
&ref(026ティムール来る2.jpg,nolink);
6月14日、ドゥブロヴニク王シニザの軍が矢雨と潜り抜け敵に切...
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6月24日。騎射兵の弓を潜り抜けると意外と弱い
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7月2日、ティムールの別部隊が到着し、またも形勢は逆転した。
7月21日、皇帝は敗北を認め、エデッサはティムールの宗主下に...
&ref(エデッサ女伯.jpg,nolink);
わずか6歳のエデッサ女伯ヨハネはティムールの帝国に囚われ...
この敗北は、所詮一伯領の帰趨が変わっただけであったのでキ...
教皇アデオダトゥス3世は大いに怒り、皇帝を非難する文書を届...
その内容は多くがエデッサ失陥についてであったが、コンスタ...
今までの教皇の時と違い彼の教皇即位の時に皇帝が即位祝義を...
心外たる皇帝は対立教皇を立てることを思案されたが、元老院...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 朕は主と教会のためを思いノルド...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 教皇からこのような仕打ちを受け...
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同族のヴァルデマはスリースヴィ公ヘンリクの長子。白痴かつ...
8月16日、皇帝は内患外憂の排除を誓い詔し、手始めにノルウェ...
10月26日、自ら使徒であると名乗る等、権威の絶頂に居たアデ...
&ref(030教皇崩御.jpg,nolink);
即位期間は一年に満たなかったが、その間権威を落とすことは...
後任にはアスカニエン家のアダムがマルティウス2世として即位...
1393年1月8日、皇后グレミスラヴァが双子を出生し、そのうち...
皇帝はすでに子が4人いたが、すべて女子であり後継者たる男子...
皇帝は息子にオト、娘にはカロリーネと付けられた。
&ref(031オト出生.jpg,nolink);
しかも天才である
3月18日、202代皇帝マルティウス2世が崩御した。
在位5か月、事績は何もなかった。
203代教皇にはデンマーク領スコーネの大司教、スィヴェリーン...
&ref(032新教皇.jpg,nolink);
4月19日、皇帝の第一子イリザベトが薨去した。7歳であった。
1393年9月27日、密偵頭オーゼル=ヴィク公ヴァルデマ2世が薨...
ヴァルデマ再興王の時代から密偵頭として代々に仕え、大いに...
自らの力を過信し、国庫から金を不当に得たり、デンマーク王...
&ref(033密偵頭薨去.jpg,nolink);
12月12日、皇帝は宴を催した。
1395年1月2日、元老院はコンスタンティノポリスの守護ステフ...
ステファニア解任の決議を元老院に提出した。
決議の後、皇帝の元に宰相スィモンが参り以下のように奏上し...
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皇帝はそうのたまわれると、セルビア、アンティオキア、エル...
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帝国軍は2万の軍でコンスタンティノポリスを包囲した。
7月5日、ステファニアは降伏し、帝都コンスタンティノポリス...
7月7日、皇帝は全地総主教テオフィアクトスの追放を宣言した。
テオフィアクトスはわずか500の兵しか集めることはできなかっ...
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7月10日、今やアフリカにしか信奉者のいないスンニ派によりシ...
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8月11日、イル=ハン皇帝はすべての所領を失い、テオドシポリ...
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8月30日、全地総主教軍は降伏しコンスタンティノポリスの全区...
9月2日、宮廷長官エストラント公トルギルスが薨去した。63歳...
オト1世の御世に功ありてエストラント公を賜り、のちに宮廷長...
公爵位は息子ゴトフリドが継いだ。
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9月4日、皇帝は東西教会分裂の修復を宣言した。
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&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 神により加冠されし至尊なる尊厳...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 朕の百官諸寮、封土公民はみな心...
&ref(顔聖帝.jpg,nolink); 今、東方に大いなる帝国がまた生...
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とのたまわれた。
テッサロニキ専制侯、グルジア王、ノヴゴロド大公らはカトリ...
*[[巻八 ヴァルデマ聖帝 1396~1407>AAR/デンマーク年代記/...
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[[AAR/デンマーク年代記]]
*巻七 ヴァルデマ聖帝 [#i9f5ab48]
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イリザベトはセッサロニキ専制侯世子アンドロニコスとの間に...
秀明の聞こえが高く、一時は再興王も女系結婚で宮廷に残すつ...
その秀明さを買われテッサロニキ専制侯家においては密偵頭と...
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皇帝は2万8千の兵力を挙げてドゥブロヴニクに兵を向けた。
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3月28日、ダマスクにてサラセン人4500人を破った。
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''マシャフの戦い''帝国軍5万VSティムール朝6万
1392年5月29日、マシャフにて両軍は会戦した。
帝国軍はティムールの騎射兵に大いに苦しめられたが、
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皇帝はすでに子が4人いたが、すべて女子であり後継者たる男子...
皇帝は息子にオト、娘にはカロリーネと付けられた。
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しかも天才である
3月18日、202代皇帝マルティウス2世が崩御した。
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1393年9月27日、密偵頭オーゼル=ヴィク公ヴァルデマ2世が薨...
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1395年1月2日、元老院はコンスタンティノポリスの守護ステフ...
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帝国軍は2万の軍でコンスタンティノポリスを包囲した。
7月5日、ステファニアは降伏し、帝都コンスタンティノポリス...
7月7日、皇帝は全地総主教テオフィアクトスの追放を宣言した。
テオフィアクトスはわずか500の兵しか集めることはできなかっ...
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9月2日、宮廷長官エストラント公トルギルスが薨去した。63歳...
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公爵位は息子ゴトフリドが継いだ。
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*[[巻八 ヴァルデマ聖帝 1396~1407>AAR/デンマーク年代記/...
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