AAR/シチリアの晩祷/フィリップ 前編 1305~1317
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[[AAR/シチリアの晩祷]]
#ref(Philippe.jpg.jpg)
武の面はからっきしだが、父親譲りの人望があった
**慣れない戦 [#ee358bb6]
フィリップは考えていた。
ビザンツの1伯領を巡って争っても、休戦している間にビザンツ...
このままでは自分の生きている間はともかく、怪しげな学者が...
母がハンガリー王国の請求権を持っているとはいえ、ビザンツ...
ということで、ルームをあまり弱体化させすぎることは得策で...
#ref(won_Cibyrrhaeot.jpg)
1305年7月、聖戦に勝利はしたものの、フィリップは聖戦を控え...
#ref(claim_Epieros.jpg)
こちらの国で代替わりしているので、休戦期間は終了している。
というわけでビザンツへの宣戦布告の運びとなった。
ビザンツ皇帝は、シチリア国王の偏執狂的態度にうんざりとの...
家令「お手紙が届いていますよ」
フィリップ「息子への婚約の申し出だろうか? もう少し相手...
家令「いえ、ヴァンドーム伯領を求めての宣戦布告のようです...
#ref(declared_war.jpg)
フィリップ「イングランドとの二正面作戦は難しいだろう。今...
#ref(surrender.jpg)
家令「あの……イングランドと紋章が似ていますが、相手はノル...
フィリップ「それを早く言わんか。もう遅い」
生来の優柔不断を正そうと即断即決してみたものの、裏目に出...
結局、勘違いによって領土を失うことになるも、ビザンツとの...
**ローマとの暗闘 [#bed71be8]
***1309年8月 [#efcdd989]
家令「またお手紙が届いています」
フィリップ「差出人をまず言うんだ」
家令「教皇庁からです」
フィリップ「カトリックの布教への感謝のお手紙かな」
教皇「破門します」
#ref(excommunicated.jpg)
フィリップ「」
家令「教皇庁とはアブルッツォの支配権を巡っての争いがござ...
フィリップ「強欲司教どもめ、つけ上がりおって」
家令「そういうところですよ」
片時の間、フィリップは何事もないようにふるまっていたが、
破門によるせいか廷臣から漂ってくるよそよそしさに参り、ロ...
同時に、自身も神学に対する理解を深めようと、交流のあった...
存外にも信仰の道は奥深く、その追求はフィリップのライフワ...
~
次にフィリップは臣民の興味を他に移そうと、シチリア島奪還...
アラゴン王国はいまだ強勢であるが、シチリア島南部でトリナ...
#ref(claim_Girgenti.jpg)
フィリップ「シチリア島は我が王国の正当な領土である。故に...
家令「今回はシチリア島の『一部』だけですけど」
フィリップ「お前は一言多いな」
シチリア王国軍7千がトリナクリア王国軍3千を下馬評通り蹂躙...
#ref(return_sicily.jpg)
シチリア島には先々代の苛烈な統治を覚えている人間もまだ残...
フィリップは負担を増やさないことを公衆の前で誓うことで、...
すぐさまフィリップは意識をビザンツへと向ける。
皇帝が暗殺された(今回は関与なし)ことで、幼帝が継いでおり...
#ref(claim_phil.jpg)
フィリップが利用したclaimは領土を持っていない女性のもので...
ビザンツの領土が削れさえすればよいと執念を語る姿はまるで...
いつもの通りフィリップは出陣せず、ナポリで戦況の報告を聞...
将兵の間でも、王がいない方が指揮系統が混乱することもない...
家令「お手紙が届いています」
フィリップ「次はモンゴル帝国からの臣従のお誘いか?」
家令「しっかりしてください。差出人はクリュニー修道会です」
#ref(cluny.jpg)
フィリップ「ん? 招待状だな。まさか破門の身の私に送って...
家令「典礼を度を過ぎて豪華にしてしまった反動で、運転資金...
フィリップ「修道会ですら欲深いとはな」
とは言ったもののせっかくの招待を無碍にもできず、お招きに...
修道院では、まず壮麗な建物に魅了され、さらに華々しい儀式...
教皇の支配にない自由な気風もフィリップの気に入るところと...
滞在中、修道院の建築様式を学ぶために熱心に専門家に質問を...
帰り際にはいくらかの寄進を行い、破門解除のとりなしを修道...
~
修道院のとりなしのおかげか、はたまた大臣による工作がうま...
1314年1月にフィリップの破門は解除された。日記には「慈悲深...
#ref(Caelestinus_IV.jpg)
**大聖戦の時代 [#sea622af]
地元の王を「改心」させたことで足元を固めた教皇は、1314年1...
ビザンツとシチリアからの圧迫によって勢力を縮小していたル...
#ref(11th_crusade.jpg)
フィリップ「嫉妬深いパラノイアの教皇め。早く十字軍を宣言...
家令「そういう態度が問題なのですが」
フィリップ「ビザンツに派遣した兵を一部だけ動かして、半ば...
久々に王の出陣が行われたが、十字軍traitを取るとすぐさま引...
以後、十字軍での活躍の場を外交へと移すこととなる。
1915年1月にビザンツとの戦争に勝利するものの、再び兵を派遣...
十字軍の呼びかけに応じる諸侯も少なく、イスラム勢力の反撃...
そこで活躍したのが、フィリップを初めとする消極的参戦の諸...
そして1316年4月、停戦協定が結ばれることとなった。
#ref(end_crusade.jpg)
~
#ref(England.jpg)
十字軍の裏で勢力を拡張し、4王位を保持するイングランド国王
ビザンツとの休戦が明けるまでは腰を落ち着かせて内政ができ...
#ref(jihad_Anatolia.jpg)
中編に続く
終了行:
[[AAR/シチリアの晩祷]]
#ref(Philippe.jpg.jpg)
武の面はからっきしだが、父親譲りの人望があった
**慣れない戦 [#ee358bb6]
フィリップは考えていた。
ビザンツの1伯領を巡って争っても、休戦している間にビザンツ...
このままでは自分の生きている間はともかく、怪しげな学者が...
母がハンガリー王国の請求権を持っているとはいえ、ビザンツ...
ということで、ルームをあまり弱体化させすぎることは得策で...
#ref(won_Cibyrrhaeot.jpg)
1305年7月、聖戦に勝利はしたものの、フィリップは聖戦を控え...
#ref(claim_Epieros.jpg)
こちらの国で代替わりしているので、休戦期間は終了している。
というわけでビザンツへの宣戦布告の運びとなった。
ビザンツ皇帝は、シチリア国王の偏執狂的態度にうんざりとの...
家令「お手紙が届いていますよ」
フィリップ「息子への婚約の申し出だろうか? もう少し相手...
家令「いえ、ヴァンドーム伯領を求めての宣戦布告のようです...
#ref(declared_war.jpg)
フィリップ「イングランドとの二正面作戦は難しいだろう。今...
#ref(surrender.jpg)
家令「あの……イングランドと紋章が似ていますが、相手はノル...
フィリップ「それを早く言わんか。もう遅い」
生来の優柔不断を正そうと即断即決してみたものの、裏目に出...
結局、勘違いによって領土を失うことになるも、ビザンツとの...
**ローマとの暗闘 [#bed71be8]
***1309年8月 [#efcdd989]
家令「またお手紙が届いています」
フィリップ「差出人をまず言うんだ」
家令「教皇庁からです」
フィリップ「カトリックの布教への感謝のお手紙かな」
教皇「破門します」
#ref(excommunicated.jpg)
フィリップ「」
家令「教皇庁とはアブルッツォの支配権を巡っての争いがござ...
フィリップ「強欲司教どもめ、つけ上がりおって」
家令「そういうところですよ」
片時の間、フィリップは何事もないようにふるまっていたが、
破門によるせいか廷臣から漂ってくるよそよそしさに参り、ロ...
同時に、自身も神学に対する理解を深めようと、交流のあった...
存外にも信仰の道は奥深く、その追求はフィリップのライフワ...
~
次にフィリップは臣民の興味を他に移そうと、シチリア島奪還...
アラゴン王国はいまだ強勢であるが、シチリア島南部でトリナ...
#ref(claim_Girgenti.jpg)
フィリップ「シチリア島は我が王国の正当な領土である。故に...
家令「今回はシチリア島の『一部』だけですけど」
フィリップ「お前は一言多いな」
シチリア王国軍7千がトリナクリア王国軍3千を下馬評通り蹂躙...
#ref(return_sicily.jpg)
シチリア島には先々代の苛烈な統治を覚えている人間もまだ残...
フィリップは負担を増やさないことを公衆の前で誓うことで、...
すぐさまフィリップは意識をビザンツへと向ける。
皇帝が暗殺された(今回は関与なし)ことで、幼帝が継いでおり...
#ref(claim_phil.jpg)
フィリップが利用したclaimは領土を持っていない女性のもので...
ビザンツの領土が削れさえすればよいと執念を語る姿はまるで...
いつもの通りフィリップは出陣せず、ナポリで戦況の報告を聞...
将兵の間でも、王がいない方が指揮系統が混乱することもない...
家令「お手紙が届いています」
フィリップ「次はモンゴル帝国からの臣従のお誘いか?」
家令「しっかりしてください。差出人はクリュニー修道会です」
#ref(cluny.jpg)
フィリップ「ん? 招待状だな。まさか破門の身の私に送って...
家令「典礼を度を過ぎて豪華にしてしまった反動で、運転資金...
フィリップ「修道会ですら欲深いとはな」
とは言ったもののせっかくの招待を無碍にもできず、お招きに...
修道院では、まず壮麗な建物に魅了され、さらに華々しい儀式...
教皇の支配にない自由な気風もフィリップの気に入るところと...
滞在中、修道院の建築様式を学ぶために熱心に専門家に質問を...
帰り際にはいくらかの寄進を行い、破門解除のとりなしを修道...
~
修道院のとりなしのおかげか、はたまた大臣による工作がうま...
1314年1月にフィリップの破門は解除された。日記には「慈悲深...
#ref(Caelestinus_IV.jpg)
**大聖戦の時代 [#sea622af]
地元の王を「改心」させたことで足元を固めた教皇は、1314年1...
ビザンツとシチリアからの圧迫によって勢力を縮小していたル...
#ref(11th_crusade.jpg)
フィリップ「嫉妬深いパラノイアの教皇め。早く十字軍を宣言...
家令「そういう態度が問題なのですが」
フィリップ「ビザンツに派遣した兵を一部だけ動かして、半ば...
久々に王の出陣が行われたが、十字軍traitを取るとすぐさま引...
以後、十字軍での活躍の場を外交へと移すこととなる。
1915年1月にビザンツとの戦争に勝利するものの、再び兵を派遣...
十字軍の呼びかけに応じる諸侯も少なく、イスラム勢力の反撃...
そこで活躍したのが、フィリップを初めとする消極的参戦の諸...
そして1316年4月、停戦協定が結ばれることとなった。
#ref(end_crusade.jpg)
~
#ref(England.jpg)
十字軍の裏で勢力を拡張し、4王位を保持するイングランド国王
ビザンツとの休戦が明けるまでは腰を落ち着かせて内政ができ...
#ref(jihad_Anatolia.jpg)
中編に続く
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