AAR/オートヴィル家 1204年/ロジェ・ドートヴィル
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[[オートヴィル家 1204年>AAR/オートヴィル家 1204年]] [[ア...
*ロジェ・ドートヴィル [#p04bfe3a]
#ref(kriemhild.jpg,nolink)
主の1231年、シチリア女王クリームヒルト・フォン=ホーエン...
夫君ボードワンを連れて領国巡行の途中、サレルノ市に立ち寄...
#br
#ref(ScuolaMedicaMiniatura.jpg,nolink)
カンパーニア海岸の町サレルノには
キリスト教界最高の技術を誇る医学校があった
『病王』のあだ名で呼ばれるほど体が弱かったクリームヒルトは
祖父ハインリヒ6世帝が劫略したサレルノを復興させ、
ときおり訪れては施療を受けることにしていたのだ。
施療院の中庭に入ると、薬用植物の濃厚な香りが鼻を満たした。
中庭には午後の熱気がまだこもっている。
日陰を求めて回廊に足を踏み入れた女王は、
そこでレッチェ伯ロジェ・ドートヴィルが待っていることを知...
#ref(roger0.jpg,nolink)
>「陛下、よくお越しいただきました。先方もじきに」
ロジェの言葉に女王はうなずく。
女王が長椅子に横たわると、少年たちが駆けより大団扇であお...
アラブ人医師たちはよく冷やしたシナモン入りの葡萄酒を持っ...
サレルノの夏は暑いが、回廊のうちは過ごしやすい。
日陰でゆったりと薬酒を味わううちに、
女王の待っていた人物が中庭へ姿をあらわした。
#ref(honoriusIII.jpg,nolink)
キナルド家の若き教皇は頭巾をかぶった修道僧の姿をしていた。
[[ホノリウス3世:http://ja.wikipedia.org/wiki/%e3%83%9b%e3...
教皇庁異端審問官としてイタリア各地を巡回し、
『聖ペトロの串刺し人』の異名をとった苛烈な男である。
つい先年亡くなった教皇インノケンティウス3世の忠実な後継者...
ロジェ・ドートヴィルは進み出て、中庭の中央で二人の君主を...
>「それでは始めましょう。ここでの秘密は完全に守られます」
**分断作戦 [#w3baaf73]
#ref(househohenstaufen.jpg,nolink)
当時、ホーエンシュタウフェン家はドイツとシチリアを支配し、
その血族同盟の兵力はあわせて8万とも10万とも言われていた。
同盟はきわめて強固であり、刃向かう者は即座に抹殺されるの...
#br
#ref(philipthegreat.jpg,nolink)
ドイツでは[[フィリップ大帝:http://ja.wikipedia.org/wiki/%...
一方シチリアのフリードリヒは若死にし、
長女クリームヒルトはインノケンティウス3世によって破門され...
教皇領の南北をはさんだホーエンシュタウフェン家の動きに
聖庁はつねに神経を尖らさざるを得なかった。
#br
#ref(hohenstaufenfamilytree.jpg,nolink)
ところでクリームヒルト女王はラテン帝国皇子であるボードワ...
女系結婚ではないため、次の代にシチリア王国はラテン皇帝家...
ホーエンシュタウフェン血族同盟は崩壊する。
そこを見越して、ホノリウス3世は動いた。
彼は女王の破門取り下げを提案したのである。
そして秘密同盟をも。
#ref(houseflaanderen.jpg,nolink)
将来的にフランドル家がラテン帝国とシチリア王国の主となる
自分の死後、継承戦争を仕掛けてくるかもしれないドイツの同...
フランドルの子供を守りたいであろう女王の心理をついた、
あざやかなドイツ・シチリア分断作戦である。
仲介役にはレッチェ伯ロジェが選ばれた。
オートヴィル家は自他ともに認める教皇派であると同時に、
ロジェは女王の従兄弟でもあったからだ。
教皇はみずから女王に会うことを望んでいた。
そこでロジェは女王のサレルノ巡幸に合わせる形で、
この秘密会談を実現させたのだ。
#ref(liftexcommunication.jpg,nolink)
会談は成功したと伝えられている。
疑惑を避けるためにある程度の期間をおくこととされ、
1年半後、ホノリウス3世は約束通り女王の破門を取り消した。
#br
#ref(roger.jpg,nolink)
ロジェは仲介役の労を認められ、カラブリア公号を名乗ること...
カラブリアはアプリア公位とともにオートヴィル家伝統の称号...
一族の喜びはきわめて大きかった。
#ref(calabriahistory.jpg,nolink)
1194年の王国崩壊以来、カラブリア公位はホーエンシュタウフ...
1219年、公位は北アフリカに入植したドイツ人騎士ベレンガー...
1231年、ベレンガーがムスリムに滅ぼされ、代わってオートヴ...
#ref(highalmoner.jpg,nolink)
またロジェは女王によって王国宰相、王宮慈善官に任命された
**言葉 [#xd14076c]
#ref(tournament.jpg,nolink)
>"Essò è!(そこだ!)"
"Buona spintà, signore!(よい突きですぞ、殿!)"
主の1234年、大規模な馬上槍試合がレッチェで開催された。
新しいカラブリア公は身ごもっていた妃アンナのために戦うと...
イングランド人のウィンザー、フランス人のドンペール、
イタリア人のセラーノなど諸国の騎士が公に挑んだ。
会場に飛びかう声援のほとんどはナポリ語だった。
オートヴィル家に仕える騎士の半数と、領民のすべてはイタリ...
ロジェも宮廷ではほとんどナポリ語でしか話していない。
公妃アンナ・ディ=セラーノはフォッジアのイタリア貴族の娘...
そもそも何代も前からオートヴィル家の当主がナポリ語を話せ...
領地の経営もできず、お話にならなかったのである。
ロジェはノルマンフランス語を忘れないために
わざわざノルマン騎士を召し出して話をするくらいであったと...
#ref(imnorman.jpg,nolink)
オートヴィルはノルマンか、それとももはやイタリア人なのか
#ref(bornfrery.jpg,nolink)
だがロジェ・ドートヴィルの心に迷いはなかったらしい。
1234年7月、ロジェとアンナに長男が誕生した時、
その子はフレリーと名付けられた。
ノルマン語で「平和なる支配者」を意味する名だ。
ノルマンディーを出て200年、
いまだオートヴィル家はノルマンの血を忘れないでいる。
**アンコナ [#g0dcf258]
#ref(mediumcrownlaw.jpg,nolink)
主の1237年5月、クリームヒルト女王は王国内での私戦を禁止し...
王国宰相という立場上協賛せざるを得なかったが、
勢力を拡張したいロジェにとってあまり嬉しい知らせではない。
そんな折、教皇ホノリウス3世の使者がレッチェを訪れた。
カラブリア公の助力が必要なのだという。
#ref(ancona1237.jpg,nolink)
1237年、アンコナ
フェラーラはこの後まもなく神聖ローマ帝国に編入された
使者は言う。
ロマーニャの海岸沿いにあるアンコナ共和国は名目上は教皇領...
だが近くにあるフェラーラ共和国と同じく、ほぼ自立している。
神聖ローマ帝国と教皇領の緩衝国であるとも言える。
ところが最近になって、このアンコナの請求権を
ホーエンシュタウフェン家が主張し始めた。
これはいかにもまずい。
アンコナを回収すべしという声が聖庁内で高まった。
だが教皇領にはアンコナを確保するだけの余力がない。
そこでフィリップ大帝の機先を制して、
教皇派であるオートヴィルが当地を予防占領せよというのであ...
ロジェは教皇の使者に答えた。
>「仰せのままに。寸土たりと皇帝に渡しはしません」
兵7000、傭兵3000をもって遠征は粛々と進められた。
ロジェ公の父であるシラクサ伯ロジェが援軍2800を送ってくれ...
アンコナを攻める上で大きな力となった。
#ref(fatherssupport.jpg,nolink)
頼れる父親
#br
その冬、包囲に耐えかねた共和国元老院は降伏を決意し、
カラブリア公軍は無傷のアンコナ市に進駐した。
敵の海将ラファエロはロジェに市門の鍵を差し出した。
だがロジェはこう言った。
>「鍵はとっておかれるがよい。
カラブリアはアンコナ共和国の従前の地位を保障する」
#ref(Repubbliche_marinare_-_fondachi_anconitani.jpg,nolink)
当時、[[アンコナ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%e3%82%a2%e...
活気ある海洋共和国として成長しつつあった。
都市の統治権を商人たちから奪うことで
成長中の海外交易を損なってはならないとロジェは考えたので...
>「貴国からは税金を徴収するが、見返りも与えよう。
今後カラブリア公領に建設する新都市はすべてアンコナ商人団...
よろしく開発に励むように」
#ref(lordmayorancona.jpg,nolink)
アンコナ市長ラファエロ 伯級1都市、男爵級2都市、年税97万...
資金を貯めこみがちな市長に新都市を与え、自力開発させよう...
調査によると1市長が保持できるのは4都市までらしい。
まずは開発済2+新都市1でバランスを試すことにする。
ロジェの考えたこの仕組みはうまくいくのだろうか?
#br
#ref(court1239.jpg,nolink)
1239年の宮廷顧問団
密偵頭の公妃アンナなど顧問団のほとんどはイタリア人
アンコナの海将ラファエロは宮廷顧問団にも加わった。
その豊富な経験はカラブリア艦隊の技量を大幅に引き上げたと...
**海峡戦争 [#r25fb268]
#ref(venetiangalley.jpg,nolink)
爆発物を投擲するヴェネツィアの重ガレー
オートヴィル家にとってヴェネツィアは鬼門である。
[[ロベール・ギスカールも、ロジェ2世も、ギヨーム2世も:http...
みなビザンツ帝国の奥深く侵攻しておきながら
帝国と同盟したヴェネツィア艦隊によって背後を突かれ、敗北...
だがそんな時代も終わる。
アンコナを手に入れたロジェ・ドートヴィルはヴェネツィアの...
アドリア海の両岸をわがものにしようと動き出していた。
王国内私戦が不可能になった今、公領は外へ膨張するしかない。
エピロス、テッサリア、マケドニア……
その先にはコンスタンティノープルが見えていた。
#br
#ref(inheritsiracusa.jpg,nolink)
主の1240年3月、父であるシラクサ伯ロジェが亡くなった。
母アルビニアの計画通り、ロジェはシラクサとジェルジェンテ...
#ref(calabria1240.jpg,nolink)
1240年のカラブリア公領
依然、王領は大きい
オートヴィル家の直轄領は7州におよび、
約1万の兵を保有する大領となった。
この兵力をもってすればヴェネツィアの要塞地帯を抜けるはず...
#ref(adriansea124006.jpg,nolink)
アンコナ船をアドリア海に出して情報を収集させたところ、
ヴェネツィアの南部領土にほとんど兵はなく、
本国とイストリアに主力9600が駐屯するのみであることがわか...
常に兵数13000は下らなかったヴェネツィアの兵力だが、
前年ハンガリー王国と戦ってダルマティアのザダル港を喪失し...
陸軍はその敗戦の痛手から立ち直っていなかったのだ。
今こそ好機である。傭兵を5000も雇えば勝てる。
ロジェ公は決断した。
オトラント海峡を押し渡り、要港ドゥラッツォを奪取する。
#br
#ref(adriansea124101.jpg,nolink)
1241年1月、カラブリア公軍は海峡対岸に展開し、
ドゥラッツォとモドーネの包囲を開始した。
ヴェネツィアは即座に反応、艦隊を使って野戦軍をアンコナに...
エピロスの防衛は強固な要塞網に頼り、
イタリア本土へ戦線を拡大させるという戦術に出たのだ。
#ref(adriansea124203.jpg,nolink)
1242年3月11日、フェラーラの会戦
ノルマン式重歩兵の突撃がヴェネツィアの傭兵たちを潰走させた
カラブリア公軍は包囲を中断してアドリア海を渡った。
ドイツ領フェラーラでヴェネツィア軍主力を捕捉、これを殲滅...
こうしてヴェネツィア野戦軍の脅威を取り除いた公軍は
あらためてドゥラッツォ包囲に入った。
#br
#ref(badtermconstance.jpg,nolink)
7月、戦線にあるロジェのもとに一通の手紙が届く。
先王フリードリヒに嫁いだ叔母コンスタンスからのものだった。
>「シチリア王太后であるコンスタンスから、カラブリア公ロジ...
>王国ではキレナイカに対する聖戦の準備が進んでいます。
おまえは王国宰相という重職にあるにもかかわらず、
なにをキリスト教徒相手の私戦にかまけているの?
さっさと帰ってきて準備をなさい」
ロジェは苛々しながら返事を書いた。
>「親愛なる叔母上、わたしも聖なる戦列に馳せ参じたいと思う...
まずはこのヴェネツィア戦を終わらせねばなりません。
なに、すぐにでもよい知らせをお伝えできることと思います」
だがロジェは間違っていた。
**連鎖する誤算 [#c4ff74ae]
開戦から4年が過ぎた。
まだドゥラッツォは落ちない。
さすがはヴェネツィアの誇る要塞地帯というべきか。
ロジェの顔にも焦りが濃くなってきた。
#ref(med124505.jpg,nolink)
1245年5月の戦線
これまで二度、ヴェネツィア軍に包囲を破られている
海峡ではヴェネツィア艦隊が新たな傭兵軍を上陸させようとし...
/
キレナイカではシチリア王軍が展開中
コンスタンティノープルは1244年ビザンツが奪還した
しかも1245年春、シチリア王国のキレナイカ聖戦が始まった。
王国宰相であるロジェは兵を率いてキレナイカへ転進しなくて...
ドゥラッツォ包囲部隊を海将ラファエロに託し、
「かならず落とせ」と言い残してロジェは南へ旅立った。
しかし物事が一度悪い方に振れはじめると
つくづく最悪まで振れてしまうのが世の中の恐ろしさである。
1246年1月、ひとつの知らせがレッチェ宮廷を恐慌に陥れた。
#ref(incapableroger.jpg,nolink)
>「ロジェ公、キレナイカ戦線で負傷!」
土民の槍に引きずられて落馬し、昏睡したまま意識が戻らない...
帰国はおろか戦陣から動かすこともできない。
#ref(regentanna.jpg,nolink)
緊迫する空気のなか、公妃アンナ・ディ=セラーノが摂政につ...
アンナは顧問団を呼んで状況の把握につとめたが、
ある重大な事実が発覚したため卒倒しそうになった。
>''「公領が分割継承になっている!」''
説明を要する。
1231年、ロジェ・ドートヴィルはレッチェ伯からカラブリア公...
それにともない''選挙法''に定められていた継承法はいったん...
''分割継承''に戻ってしまう。
昇格から10年を経た1241年に法改正可能になるが、
そこで始まったのが1240年からのヴェネツィア戦争だ。
戦争中は継承法を変更できないため、
1246年現在まで''分割継承''のままで来てしまったということ...
ロジェにはフレリー、オスウィン、フランクの3男子がある。
つまり今のままでは公領は3分されてしまうのだ。
すぐに戦争を終え、法改正をしなくてはいけない。
#br
#ref(adriansea12460129.jpg,nolink)
キレナイカの悲報から間もない1246年1月29日、
ドゥラッツォ近郊でカラブリア・ヴェネツィア両軍による決戦...
ヴェネツィアは財力にものを言わせて新手の傭兵隊を補充、
兵12000の大部隊をそろえた敵軍にカラブリアは完敗した。
#ref(whitepeacevenezia.jpg,nolink)
3月、摂政アンナはヴェネツィアのドージェ・ヴァシアーノに使...
屈辱の白紙和平を乞うた。
>「以後、これに懲りて他国の正当な持ち物に食指を伸ばさぬこ...
アンナは唇を噛み締め、耐えるしかなかった。
やはりヴェネツィア共和国はオートヴィル家の鬼門なのか……。
「歴史は繰り返す」とは考えたくないが、
その思いがこみあげてくるのを押さえられない。
#br
だがまだ危機は終わっていない。
和平後、アンナはさっそく継承法の変更を試みる。
しかし摂政という立場がそれを難しくしていた。
特にドイツ人司教、ドイツ人市長たちが法改正を拒む。
>「摂政が法を変えるなど言語同断」
>「オートヴィル家の弱体化につながる? むしろ君主権力の適...
40年におよぶシチリア王国のホーエンシュタウフェン支配は強...
都市の市長や司教にはドイツから派遣されてきた者が多かった。
当然彼らは皇帝派(ギベリン)であり、
教皇派(ゲルフ)のオートヴィル家との関係は常に緊張をはら...
#ref(succonditions.jpg,nolink)
ドイツ人家臣の反対に加え、
摂政による法改正そのものが不可能であることが判明
#br
#ref(rogerdeath.jpg,nolink)
1ヶ月後、ロジェはキレナイカの地で死んだ。
40歳だった。
亡骸はオリーブ油に浸けて本国へ運ばれ、しめやかに葬儀が行...
そして、何もできないままカラブリア公領は分割された。
#ref(calabria1246.jpg,nolink)
1246年、分割されたカラブリア公領
カラブリア公フレリー(アンナ後見)2伯領
レッチェ伯オスウィン(ドイツ人市長エーリヒ後見)3伯領
フォッジア伯フランク(ドイツ人司教ルートヴィヒ後見)2伯領
喪服をまとったアンナは平静を保っているように見えた。
だがその心には戦慄と不安が渦巻いている。
>「どうすればいい?
わたしが手塩にかけて育ててきた子供たちと、
国の半分以上がドイツ人の手に渡ってしまうなんて。
>……わかっている。どうすればいいのか、わかっている。
だがその手段だけは絶対にとりたくない!」
アンナは跪いてしばらく主に祈りを捧げていたが、
やがて思いを決したようにきっぱりと顔を上げ、礼拝堂から出...
#br
[[フレリー・ドートヴィル>AAR/オートヴィル家 1204年/フレリ...
[[オートヴィル家 1204年>AAR/オートヴィル家 1204年]]
終了行:
[[オートヴィル家 1204年>AAR/オートヴィル家 1204年]] [[ア...
*ロジェ・ドートヴィル [#p04bfe3a]
#ref(kriemhild.jpg,nolink)
主の1231年、シチリア女王クリームヒルト・フォン=ホーエン...
夫君ボードワンを連れて領国巡行の途中、サレルノ市に立ち寄...
#br
#ref(ScuolaMedicaMiniatura.jpg,nolink)
カンパーニア海岸の町サレルノには
キリスト教界最高の技術を誇る医学校があった
『病王』のあだ名で呼ばれるほど体が弱かったクリームヒルトは
祖父ハインリヒ6世帝が劫略したサレルノを復興させ、
ときおり訪れては施療を受けることにしていたのだ。
施療院の中庭に入ると、薬用植物の濃厚な香りが鼻を満たした。
中庭には午後の熱気がまだこもっている。
日陰を求めて回廊に足を踏み入れた女王は、
そこでレッチェ伯ロジェ・ドートヴィルが待っていることを知...
#ref(roger0.jpg,nolink)
>「陛下、よくお越しいただきました。先方もじきに」
ロジェの言葉に女王はうなずく。
女王が長椅子に横たわると、少年たちが駆けより大団扇であお...
アラブ人医師たちはよく冷やしたシナモン入りの葡萄酒を持っ...
サレルノの夏は暑いが、回廊のうちは過ごしやすい。
日陰でゆったりと薬酒を味わううちに、
女王の待っていた人物が中庭へ姿をあらわした。
#ref(honoriusIII.jpg,nolink)
キナルド家の若き教皇は頭巾をかぶった修道僧の姿をしていた。
[[ホノリウス3世:http://ja.wikipedia.org/wiki/%e3%83%9b%e3...
教皇庁異端審問官としてイタリア各地を巡回し、
『聖ペトロの串刺し人』の異名をとった苛烈な男である。
つい先年亡くなった教皇インノケンティウス3世の忠実な後継者...
ロジェ・ドートヴィルは進み出て、中庭の中央で二人の君主を...
>「それでは始めましょう。ここでの秘密は完全に守られます」
**分断作戦 [#w3baaf73]
#ref(househohenstaufen.jpg,nolink)
当時、ホーエンシュタウフェン家はドイツとシチリアを支配し、
その血族同盟の兵力はあわせて8万とも10万とも言われていた。
同盟はきわめて強固であり、刃向かう者は即座に抹殺されるの...
#br
#ref(philipthegreat.jpg,nolink)
ドイツでは[[フィリップ大帝:http://ja.wikipedia.org/wiki/%...
一方シチリアのフリードリヒは若死にし、
長女クリームヒルトはインノケンティウス3世によって破門され...
教皇領の南北をはさんだホーエンシュタウフェン家の動きに
聖庁はつねに神経を尖らさざるを得なかった。
#br
#ref(hohenstaufenfamilytree.jpg,nolink)
ところでクリームヒルト女王はラテン帝国皇子であるボードワ...
女系結婚ではないため、次の代にシチリア王国はラテン皇帝家...
ホーエンシュタウフェン血族同盟は崩壊する。
そこを見越して、ホノリウス3世は動いた。
彼は女王の破門取り下げを提案したのである。
そして秘密同盟をも。
#ref(houseflaanderen.jpg,nolink)
将来的にフランドル家がラテン帝国とシチリア王国の主となる
自分の死後、継承戦争を仕掛けてくるかもしれないドイツの同...
フランドルの子供を守りたいであろう女王の心理をついた、
あざやかなドイツ・シチリア分断作戦である。
仲介役にはレッチェ伯ロジェが選ばれた。
オートヴィル家は自他ともに認める教皇派であると同時に、
ロジェは女王の従兄弟でもあったからだ。
教皇はみずから女王に会うことを望んでいた。
そこでロジェは女王のサレルノ巡幸に合わせる形で、
この秘密会談を実現させたのだ。
#ref(liftexcommunication.jpg,nolink)
会談は成功したと伝えられている。
疑惑を避けるためにある程度の期間をおくこととされ、
1年半後、ホノリウス3世は約束通り女王の破門を取り消した。
#br
#ref(roger.jpg,nolink)
ロジェは仲介役の労を認められ、カラブリア公号を名乗ること...
カラブリアはアプリア公位とともにオートヴィル家伝統の称号...
一族の喜びはきわめて大きかった。
#ref(calabriahistory.jpg,nolink)
1194年の王国崩壊以来、カラブリア公位はホーエンシュタウフ...
1219年、公位は北アフリカに入植したドイツ人騎士ベレンガー...
1231年、ベレンガーがムスリムに滅ぼされ、代わってオートヴ...
#ref(highalmoner.jpg,nolink)
またロジェは女王によって王国宰相、王宮慈善官に任命された
**言葉 [#xd14076c]
#ref(tournament.jpg,nolink)
>"Essò è!(そこだ!)"
"Buona spintà, signore!(よい突きですぞ、殿!)"
主の1234年、大規模な馬上槍試合がレッチェで開催された。
新しいカラブリア公は身ごもっていた妃アンナのために戦うと...
イングランド人のウィンザー、フランス人のドンペール、
イタリア人のセラーノなど諸国の騎士が公に挑んだ。
会場に飛びかう声援のほとんどはナポリ語だった。
オートヴィル家に仕える騎士の半数と、領民のすべてはイタリ...
ロジェも宮廷ではほとんどナポリ語でしか話していない。
公妃アンナ・ディ=セラーノはフォッジアのイタリア貴族の娘...
そもそも何代も前からオートヴィル家の当主がナポリ語を話せ...
領地の経営もできず、お話にならなかったのである。
ロジェはノルマンフランス語を忘れないために
わざわざノルマン騎士を召し出して話をするくらいであったと...
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オートヴィルはノルマンか、それとももはやイタリア人なのか
#ref(bornfrery.jpg,nolink)
だがロジェ・ドートヴィルの心に迷いはなかったらしい。
1234年7月、ロジェとアンナに長男が誕生した時、
その子はフレリーと名付けられた。
ノルマン語で「平和なる支配者」を意味する名だ。
ノルマンディーを出て200年、
いまだオートヴィル家はノルマンの血を忘れないでいる。
**アンコナ [#g0dcf258]
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主の1237年5月、クリームヒルト女王は王国内での私戦を禁止し...
王国宰相という立場上協賛せざるを得なかったが、
勢力を拡張したいロジェにとってあまり嬉しい知らせではない。
そんな折、教皇ホノリウス3世の使者がレッチェを訪れた。
カラブリア公の助力が必要なのだという。
#ref(ancona1237.jpg,nolink)
1237年、アンコナ
フェラーラはこの後まもなく神聖ローマ帝国に編入された
使者は言う。
ロマーニャの海岸沿いにあるアンコナ共和国は名目上は教皇領...
だが近くにあるフェラーラ共和国と同じく、ほぼ自立している。
神聖ローマ帝国と教皇領の緩衝国であるとも言える。
ところが最近になって、このアンコナの請求権を
ホーエンシュタウフェン家が主張し始めた。
これはいかにもまずい。
アンコナを回収すべしという声が聖庁内で高まった。
だが教皇領にはアンコナを確保するだけの余力がない。
そこでフィリップ大帝の機先を制して、
教皇派であるオートヴィルが当地を予防占領せよというのであ...
ロジェは教皇の使者に答えた。
>「仰せのままに。寸土たりと皇帝に渡しはしません」
兵7000、傭兵3000をもって遠征は粛々と進められた。
ロジェ公の父であるシラクサ伯ロジェが援軍2800を送ってくれ...
アンコナを攻める上で大きな力となった。
#ref(fatherssupport.jpg,nolink)
頼れる父親
#br
その冬、包囲に耐えかねた共和国元老院は降伏を決意し、
カラブリア公軍は無傷のアンコナ市に進駐した。
敵の海将ラファエロはロジェに市門の鍵を差し出した。
だがロジェはこう言った。
>「鍵はとっておかれるがよい。
カラブリアはアンコナ共和国の従前の地位を保障する」
#ref(Repubbliche_marinare_-_fondachi_anconitani.jpg,nolink)
当時、[[アンコナ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%e3%82%a2%e...
活気ある海洋共和国として成長しつつあった。
都市の統治権を商人たちから奪うことで
成長中の海外交易を損なってはならないとロジェは考えたので...
>「貴国からは税金を徴収するが、見返りも与えよう。
今後カラブリア公領に建設する新都市はすべてアンコナ商人団...
よろしく開発に励むように」
#ref(lordmayorancona.jpg,nolink)
アンコナ市長ラファエロ 伯級1都市、男爵級2都市、年税97万...
資金を貯めこみがちな市長に新都市を与え、自力開発させよう...
調査によると1市長が保持できるのは4都市までらしい。
まずは開発済2+新都市1でバランスを試すことにする。
ロジェの考えたこの仕組みはうまくいくのだろうか?
#br
#ref(court1239.jpg,nolink)
1239年の宮廷顧問団
密偵頭の公妃アンナなど顧問団のほとんどはイタリア人
アンコナの海将ラファエロは宮廷顧問団にも加わった。
その豊富な経験はカラブリア艦隊の技量を大幅に引き上げたと...
**海峡戦争 [#r25fb268]
#ref(venetiangalley.jpg,nolink)
爆発物を投擲するヴェネツィアの重ガレー
オートヴィル家にとってヴェネツィアは鬼門である。
[[ロベール・ギスカールも、ロジェ2世も、ギヨーム2世も:http...
みなビザンツ帝国の奥深く侵攻しておきながら
帝国と同盟したヴェネツィア艦隊によって背後を突かれ、敗北...
だがそんな時代も終わる。
アンコナを手に入れたロジェ・ドートヴィルはヴェネツィアの...
アドリア海の両岸をわがものにしようと動き出していた。
王国内私戦が不可能になった今、公領は外へ膨張するしかない。
エピロス、テッサリア、マケドニア……
その先にはコンスタンティノープルが見えていた。
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主の1240年3月、父であるシラクサ伯ロジェが亡くなった。
母アルビニアの計画通り、ロジェはシラクサとジェルジェンテ...
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1240年のカラブリア公領
依然、王領は大きい
オートヴィル家の直轄領は7州におよび、
約1万の兵を保有する大領となった。
この兵力をもってすればヴェネツィアの要塞地帯を抜けるはず...
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アンコナ船をアドリア海に出して情報を収集させたところ、
ヴェネツィアの南部領土にほとんど兵はなく、
本国とイストリアに主力9600が駐屯するのみであることがわか...
常に兵数13000は下らなかったヴェネツィアの兵力だが、
前年ハンガリー王国と戦ってダルマティアのザダル港を喪失し...
陸軍はその敗戦の痛手から立ち直っていなかったのだ。
今こそ好機である。傭兵を5000も雇えば勝てる。
ロジェ公は決断した。
オトラント海峡を押し渡り、要港ドゥラッツォを奪取する。
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1241年1月、カラブリア公軍は海峡対岸に展開し、
ドゥラッツォとモドーネの包囲を開始した。
ヴェネツィアは即座に反応、艦隊を使って野戦軍をアンコナに...
エピロスの防衛は強固な要塞網に頼り、
イタリア本土へ戦線を拡大させるという戦術に出たのだ。
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1242年3月11日、フェラーラの会戦
ノルマン式重歩兵の突撃がヴェネツィアの傭兵たちを潰走させた
カラブリア公軍は包囲を中断してアドリア海を渡った。
ドイツ領フェラーラでヴェネツィア軍主力を捕捉、これを殲滅...
こうしてヴェネツィア野戦軍の脅威を取り除いた公軍は
あらためてドゥラッツォ包囲に入った。
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7月、戦線にあるロジェのもとに一通の手紙が届く。
先王フリードリヒに嫁いだ叔母コンスタンスからのものだった。
>「シチリア王太后であるコンスタンスから、カラブリア公ロジ...
>王国ではキレナイカに対する聖戦の準備が進んでいます。
おまえは王国宰相という重職にあるにもかかわらず、
なにをキリスト教徒相手の私戦にかまけているの?
さっさと帰ってきて準備をなさい」
ロジェは苛々しながら返事を書いた。
>「親愛なる叔母上、わたしも聖なる戦列に馳せ参じたいと思う...
まずはこのヴェネツィア戦を終わらせねばなりません。
なに、すぐにでもよい知らせをお伝えできることと思います」
だがロジェは間違っていた。
**連鎖する誤算 [#c4ff74ae]
開戦から4年が過ぎた。
まだドゥラッツォは落ちない。
さすがはヴェネツィアの誇る要塞地帯というべきか。
ロジェの顔にも焦りが濃くなってきた。
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1245年5月の戦線
これまで二度、ヴェネツィア軍に包囲を破られている
海峡ではヴェネツィア艦隊が新たな傭兵軍を上陸させようとし...
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キレナイカではシチリア王軍が展開中
コンスタンティノープルは1244年ビザンツが奪還した
しかも1245年春、シチリア王国のキレナイカ聖戦が始まった。
王国宰相であるロジェは兵を率いてキレナイカへ転進しなくて...
ドゥラッツォ包囲部隊を海将ラファエロに託し、
「かならず落とせ」と言い残してロジェは南へ旅立った。
しかし物事が一度悪い方に振れはじめると
つくづく最悪まで振れてしまうのが世の中の恐ろしさである。
1246年1月、ひとつの知らせがレッチェ宮廷を恐慌に陥れた。
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>「ロジェ公、キレナイカ戦線で負傷!」
土民の槍に引きずられて落馬し、昏睡したまま意識が戻らない...
帰国はおろか戦陣から動かすこともできない。
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緊迫する空気のなか、公妃アンナ・ディ=セラーノが摂政につ...
アンナは顧問団を呼んで状況の把握につとめたが、
ある重大な事実が発覚したため卒倒しそうになった。
>''「公領が分割継承になっている!」''
説明を要する。
1231年、ロジェ・ドートヴィルはレッチェ伯からカラブリア公...
それにともない''選挙法''に定められていた継承法はいったん...
''分割継承''に戻ってしまう。
昇格から10年を経た1241年に法改正可能になるが、
そこで始まったのが1240年からのヴェネツィア戦争だ。
戦争中は継承法を変更できないため、
1246年現在まで''分割継承''のままで来てしまったということ...
ロジェにはフレリー、オスウィン、フランクの3男子がある。
つまり今のままでは公領は3分されてしまうのだ。
すぐに戦争を終え、法改正をしなくてはいけない。
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キレナイカの悲報から間もない1246年1月29日、
ドゥラッツォ近郊でカラブリア・ヴェネツィア両軍による決戦...
ヴェネツィアは財力にものを言わせて新手の傭兵隊を補充、
兵12000の大部隊をそろえた敵軍にカラブリアは完敗した。
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3月、摂政アンナはヴェネツィアのドージェ・ヴァシアーノに使...
屈辱の白紙和平を乞うた。
>「以後、これに懲りて他国の正当な持ち物に食指を伸ばさぬこ...
アンナは唇を噛み締め、耐えるしかなかった。
やはりヴェネツィア共和国はオートヴィル家の鬼門なのか……。
「歴史は繰り返す」とは考えたくないが、
その思いがこみあげてくるのを押さえられない。
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だがまだ危機は終わっていない。
和平後、アンナはさっそく継承法の変更を試みる。
しかし摂政という立場がそれを難しくしていた。
特にドイツ人司教、ドイツ人市長たちが法改正を拒む。
>「摂政が法を変えるなど言語同断」
>「オートヴィル家の弱体化につながる? むしろ君主権力の適...
40年におよぶシチリア王国のホーエンシュタウフェン支配は強...
都市の市長や司教にはドイツから派遣されてきた者が多かった。
当然彼らは皇帝派(ギベリン)であり、
教皇派(ゲルフ)のオートヴィル家との関係は常に緊張をはら...
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ドイツ人家臣の反対に加え、
摂政による法改正そのものが不可能であることが判明
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1ヶ月後、ロジェはキレナイカの地で死んだ。
40歳だった。
亡骸はオリーブ油に浸けて本国へ運ばれ、しめやかに葬儀が行...
そして、何もできないままカラブリア公領は分割された。
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1246年、分割されたカラブリア公領
カラブリア公フレリー(アンナ後見)2伯領
レッチェ伯オスウィン(ドイツ人市長エーリヒ後見)3伯領
フォッジア伯フランク(ドイツ人司教ルートヴィヒ後見)2伯領
喪服をまとったアンナは平静を保っているように見えた。
だがその心には戦慄と不安が渦巻いている。
>「どうすればいい?
わたしが手塩にかけて育ててきた子供たちと、
国の半分以上がドイツ人の手に渡ってしまうなんて。
>……わかっている。どうすればいいのか、わかっている。
だがその手段だけは絶対にとりたくない!」
アンナは跪いてしばらく主に祈りを捧げていたが、
やがて思いを決したようにきっぱりと顔を上げ、礼拝堂から出...
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[[オートヴィル家 1204年>AAR/オートヴィル家 1204年]]
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