AAR/葡萄の枝/エルベール一世
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[[AAR/葡萄の枝]] *エルベール一世 [#c9a53ea4] **聖都解放 [#va2bfa30] &ref(./herbert1_16.jpg); ブルゴーニュ家四代目フランス王エルベール一世(16歳当時) エルベール一世は、父ティエリー一世、母エフィーとの間に、1348年4月10日を以て生まれた。 彼は感情を表に出すことをよしとせず、蛇に噛まれたときにも臆くことなく、痛みを耐え忍んでいた。黙々と読書をすることを好み、一度手に付けたものは最後まで通さないと気が済まない性質であった。 3歳にして、父ティエリー一世の勅を受けてプッリャ公ジョスランの妹エレンベルガと婚約した。彼女もまた才媛であったが、長じて同性を愛するようになった。後嗣を得られるかという危惧を父王は抱きつつも、これを以て婚約破棄せず、正式に妻として迎え入れさせた。このときも、エルベールは鉄面皮を保っていたという。 &br; &ref(./eremberga_balliol_16.jpg); 婚約相手のエレンベルガ(16歳当時)。同性愛に目を瞑れば適任 1389年2月18日、父が崩ずるに及び、エルベール一世はフランス王に即位した。 1390年10月24日、エレンベルガとの間に男児が産まれ、フィルマンと名付けた。神童の誕生に夫婦ともども欣然とした。 &br; &ref(./firmin_0.jpg); 遂に天才降臨 1394年8月、エルベール一世はカタリ派からの解放を求めてシャンパーニュに進軍した。妹マファルダの夫たるヨーク公ロバート三世にも呼びかけ、共同戦線を張った。 このときの神聖ローマ皇帝は、ウェルフ泥酔帝の子ディーターであった。対外折衝に優れる青年皇帝であるが、悪魔憑きのバイエルン公ベルンハルトに叛かれ、その対応に追われていた。 &br; &ref(./dieter_von_meissen.jpg); 政治能力に優れる神聖ローマ皇帝ディーター 1396年1月、スカンジナビアからニダロス国王スクルが帝国の救援を申し出るが、大勢は概ね決していた。同年5月、ディーターがシャンパーニュ公領のランス、トロワ、サンスと引き換えに停戦を申し出、エルベール一世はこれに応じた。 &br; &ref(./13960531.jpg); 神聖ローマ皇帝からの降伏申し入れ 最も喜色に満ちていたのは、宮廷司祭ジョンであった。メロヴィング朝クロヴィスの戴冠以来、フランスにとっては縁のある聖都ランスに正しき信仰を取り戻さんと欲した彼は、ランスでの布教活動をエルベール一世に懇願した。 1399年3月、ジョンはランスの民を集めてノートルダム大聖堂に弁を振るった。民は、父と子と聖霊の御名における恩恵に浴していった。 1401年8月、フランコニア王オーブリーが71歳で薨去した。彼は明敏にして諸学に広く通じ、飛び地でありながらも大聖堂を擁するルーアンを篤く保護した、熱狂的なクリスチャンでもあった。 &br; &ref(./aubrey_fitzbeatrice.jpg); フランコニア王国の名君オーブリー(67歳当時) この老王の後を継いだ子のベルナトアロンは、数勘定もできないという暗君であった。エルベール一世はルーアンの解放を求め、慣習的なフランス王国の領地たることを理由にフランコニア王へ宣戦した。東のフランコニア本隊がヨーク公ロバート三世の軍勢と争っている間に、フランス軍はルーアンを包囲攻撃した。 &br; &ref(./bernat-aron.jpg); 明敏な親から産まれた痴愚の子 1403年6月、エルベール一世はベルナトアロンからルーアンを解放した。 **財政赤字 [#d9f1e9a8] 1406年8月、宰相オトンがアキテーヌ王領リムーザンの要求権を拵えることを進言した。エルベール一世は承認し、アキテーヌ王エドワードとの間に戦端を開いた。ロバート三世とみたび連携し、アキテーヌ軍に勝利を重ねていったが、一万余の軍勢を率いながら戦を続けていくうちに国庫の資金は枯渇していった。 &br; &ref(./14080404.jpg); 2年足らずで500金を消耗して赤字に。要求権の捏造にも費用が嵩んだ 1410年7月、エルベール一世はエドワードを漸く屈服させてリムーザンを割譲したが、以後は財政を旧に復するべく出征を差し控えるようになった。 1413年7月の良く晴れたある日のことである。 エルベール一世は妻エレンベルガとともにディジョン城外のエティエンヌ庭園にて寛いでいた。このとき、一匹の小さい猫が、王の足許に縋って嬌声を上げた。その主なきことを察して惻隠の情が湧いてきた王は、宮城に連れ帰ってこれを養育することにした。 &br; &ref(./14130713.jpg); 蹴って追い払うことはさすがにできない 1416年3月、トゥールーズにてカタリ派のロイスが蜂起した。エルベール一世はプロヴァンスら近隣の兵をトゥールーズに向かわせ、四か月でこれを鎮圧した。 同年10月、エルベール一世が拾った例の猫が獰猛なる態を顕した。ブルターニュ公ヴァレランの息子オンフロワが愛でていた兎の命を奪ったのである。 ヴァレランは大いに怒り、エルベール一世に詰め寄った。王は、飼い主たる己に罪があるとし、オンフロワの為に新しい愛玩動物を贖うことで宥めた。 &br; &ref(./14161010.jpg); 肉食動物を飼うことで起こりうる悲劇 1417年3月10日、エルベール一世は宮中にて崩じた。68歳であった。神から祝福を受けた君、すなわち祝福王の綽名をとった。晩年に『アルス・モリエンディ』なる書物を読んで衝撃を受け、命を縮めたともいわれている。 妻エレンベルガとの間に長女エロイーズ、次女メリザンド、長男フィルマンの三人を儲けた。 &br; &ref(./14170310.jpg,70%); エルベール一世の崩御 &br; &ref(./14170311_map1.jpg,70%); エルベール一世崩御時点のフランス周辺地図 &br; &ref(./14170311_map2.jpg,70%); エルベール一世崩御時点のイベリア半島周辺地図 &br; &ref(./14170311_map3.jpg,70%); エルベール一世崩御時点の東欧周辺地図 &br; [[前:ティエリー一世>AAR/葡萄の枝/ティエリー一世]] [[次:フィルマン一世>AAR/葡萄の枝/フィルマン一世]]
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[[AAR/葡萄の枝]] *エルベール一世 [#c9a53ea4] **聖都解放 [#va2bfa30] &ref(./herbert1_16.jpg); ブルゴーニュ家四代目フランス王エルベール一世(16歳当時) エルベール一世は、父ティエリー一世、母エフィーとの間に、1348年4月10日を以て生まれた。 彼は感情を表に出すことをよしとせず、蛇に噛まれたときにも臆くことなく、痛みを耐え忍んでいた。黙々と読書をすることを好み、一度手に付けたものは最後まで通さないと気が済まない性質であった。 3歳にして、父ティエリー一世の勅を受けてプッリャ公ジョスランの妹エレンベルガと婚約した。彼女もまた才媛であったが、長じて同性を愛するようになった。後嗣を得られるかという危惧を父王は抱きつつも、これを以て婚約破棄せず、正式に妻として迎え入れさせた。このときも、エルベールは鉄面皮を保っていたという。 &br; &ref(./eremberga_balliol_16.jpg); 婚約相手のエレンベルガ(16歳当時)。同性愛に目を瞑れば適任 1389年2月18日、父が崩ずるに及び、エルベール一世はフランス王に即位した。 1390年10月24日、エレンベルガとの間に男児が産まれ、フィルマンと名付けた。神童の誕生に夫婦ともども欣然とした。 &br; &ref(./firmin_0.jpg); 遂に天才降臨 1394年8月、エルベール一世はカタリ派からの解放を求めてシャンパーニュに進軍した。妹マファルダの夫たるヨーク公ロバート三世にも呼びかけ、共同戦線を張った。 このときの神聖ローマ皇帝は、ウェルフ泥酔帝の子ディーターであった。対外折衝に優れる青年皇帝であるが、悪魔憑きのバイエルン公ベルンハルトに叛かれ、その対応に追われていた。 &br; &ref(./dieter_von_meissen.jpg); 政治能力に優れる神聖ローマ皇帝ディーター 1396年1月、スカンジナビアからニダロス国王スクルが帝国の救援を申し出るが、大勢は概ね決していた。同年5月、ディーターがシャンパーニュ公領のランス、トロワ、サンスと引き換えに停戦を申し出、エルベール一世はこれに応じた。 &br; &ref(./13960531.jpg); 神聖ローマ皇帝からの降伏申し入れ 最も喜色に満ちていたのは、宮廷司祭ジョンであった。メロヴィング朝クロヴィスの戴冠以来、フランスにとっては縁のある聖都ランスに正しき信仰を取り戻さんと欲した彼は、ランスでの布教活動をエルベール一世に懇願した。 1399年3月、ジョンはランスの民を集めてノートルダム大聖堂に弁を振るった。民は、父と子と聖霊の御名における恩恵に浴していった。 1401年8月、フランコニア王オーブリーが71歳で薨去した。彼は明敏にして諸学に広く通じ、飛び地でありながらも大聖堂を擁するルーアンを篤く保護した、熱狂的なクリスチャンでもあった。 &br; &ref(./aubrey_fitzbeatrice.jpg); フランコニア王国の名君オーブリー(67歳当時) この老王の後を継いだ子のベルナトアロンは、数勘定もできないという暗君であった。エルベール一世はルーアンの解放を求め、慣習的なフランス王国の領地たることを理由にフランコニア王へ宣戦した。東のフランコニア本隊がヨーク公ロバート三世の軍勢と争っている間に、フランス軍はルーアンを包囲攻撃した。 &br; &ref(./bernat-aron.jpg); 明敏な親から産まれた痴愚の子 1403年6月、エルベール一世はベルナトアロンからルーアンを解放した。 **財政赤字 [#d9f1e9a8] 1406年8月、宰相オトンがアキテーヌ王領リムーザンの要求権を拵えることを進言した。エルベール一世は承認し、アキテーヌ王エドワードとの間に戦端を開いた。ロバート三世とみたび連携し、アキテーヌ軍に勝利を重ねていったが、一万余の軍勢を率いながら戦を続けていくうちに国庫の資金は枯渇していった。 &br; &ref(./14080404.jpg); 2年足らずで500金を消耗して赤字に。要求権の捏造にも費用が嵩んだ 1410年7月、エルベール一世はエドワードを漸く屈服させてリムーザンを割譲したが、以後は財政を旧に復するべく出征を差し控えるようになった。 1413年7月の良く晴れたある日のことである。 エルベール一世は妻エレンベルガとともにディジョン城外のエティエンヌ庭園にて寛いでいた。このとき、一匹の小さい猫が、王の足許に縋って嬌声を上げた。その主なきことを察して惻隠の情が湧いてきた王は、宮城に連れ帰ってこれを養育することにした。 &br; &ref(./14130713.jpg); 蹴って追い払うことはさすがにできない 1416年3月、トゥールーズにてカタリ派のロイスが蜂起した。エルベール一世はプロヴァンスら近隣の兵をトゥールーズに向かわせ、四か月でこれを鎮圧した。 同年10月、エルベール一世が拾った例の猫が獰猛なる態を顕した。ブルターニュ公ヴァレランの息子オンフロワが愛でていた兎の命を奪ったのである。 ヴァレランは大いに怒り、エルベール一世に詰め寄った。王は、飼い主たる己に罪があるとし、オンフロワの為に新しい愛玩動物を贖うことで宥めた。 &br; &ref(./14161010.jpg); 肉食動物を飼うことで起こりうる悲劇 1417年3月10日、エルベール一世は宮中にて崩じた。68歳であった。神から祝福を受けた君、すなわち祝福王の綽名をとった。晩年に『アルス・モリエンディ』なる書物を読んで衝撃を受け、命を縮めたともいわれている。 妻エレンベルガとの間に長女エロイーズ、次女メリザンド、長男フィルマンの三人を儲けた。 &br; &ref(./14170310.jpg,70%); エルベール一世の崩御 &br; &ref(./14170311_map1.jpg,70%); エルベール一世崩御時点のフランス周辺地図 &br; &ref(./14170311_map2.jpg,70%); エルベール一世崩御時点のイベリア半島周辺地図 &br; &ref(./14170311_map3.jpg,70%); エルベール一世崩御時点の東欧周辺地図 &br; [[前:ティエリー一世>AAR/葡萄の枝/ティエリー一世]] [[次:フィルマン一世>AAR/葡萄の枝/フィルマン一世]]
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