AAR/石田丸/第二回
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[[AAR/石田丸]] #contents #br ** ''関ケ原'' [#s6d6c44f] 780年 三成公は東軍を影で操る世良田二郎三郎を討つべく挙兵 三成軍は1200に減っていたが世良田軍もまた長年の戦いで傷ついていた さらに世良田は内応の約束をした小早川が動かなかったため籠城を余儀なくされた &ref(10.jpg,nolink,100%); 782年 世良田二郎三郎は敗北し、兄徳川家康の元に逃げ落ちた &ref(1.jpg,nolink,100%); やったぞ東軍は壊滅した これで豊臣家も安泰じゃ &ref(2.jpg,nolink,100%); おめでとうございます これで国内は一枚岩となりましょう &ref(3.jpg,nolink,100%); 兄者 武田、織田が当家を狙ってござる油断は禁物ですぞ &ref(1.jpg,nolink,100%); うぬ 戦いはこれからじゃ 左近、刑部頼んだぞ ** ''厄災'' [#h5de3431] 782年 三成は秀吉を王にせんがため浅井領に攻め入った、 三成は蓄財を全てなげうって兵を募りその数は4000を超えた 浅井軍主力2400は決戦に敗れ籠城したが徐々に追い詰められていった &ref(11.jpg,nolink,100%); 785年 浅井家は滅び豊臣秀吉公が王(アフガニスタンの)になる領土を確保した だが厄災?も訪れた &ref(5.jpg,nolink,100%); おほほほ サル久しぶりじゃな &ref(4.jpg,nolink,100%); なんと茶々様では!? &ref(5.jpg,nolink,100%); サルそなたの跡継ぎはわらわが産んでやろう &ref(4.jpg,nolink,100%); はっ? なんで? そう言うと茶々は勝手に側室になってしまった &ref(12.jpg,nolink,100%); ** ''風林火山'' [#p0db1061] 788年 秀吉公は織田信長の誘いに乗り武田討伐に乗り出した &ref(13.jpg,nolink,100%); &ref(6.jpg,nolink,100%); サルついて参れ &ref(4.jpg,nolink,100%); うっき~ (こいつまだ家臣扱いかよ) 信長連合軍は武田領奥深くまで侵入し野戦におよんだ だが野戦で武田軍に勝てるハズもなく敗れ去った さらに山本勘助率いる別働隊が豊臣家に宣戦布告した &ref(4.jpg,nolink,100%); ど~すっだぎゃ 半兵衛、官兵衛よ! &ref(1.jpg,nolink,100%); 親父様! 三成に策あり! &ref(4.jpg,nolink,100%); よ~言った三成 申してみよ! &ref(1.jpg,nolink,100%); 今こそ王になり国の結束を固めるのです! かくして791年 豊臣秀吉は王となった &ref(14.jpg,nolink,100%); だがそんな事で勝てるハズも無く... 信長連合は敗北し信長は兵を引いたため、 秀吉公は単独で武田軍別働隊(山本)と戦う事になった 武田軍は野戦で豊臣軍を破ると秀吉の長浜城を包囲した 三成は自分の居城で兵を集め長浜城を目指した &ref(1.jpg,nolink,100%); 親父様が待っておる道中の武田軍を蹴散らすのじゃ &ref(2.jpg,nolink,100%);&ref(3.jpg,nolink,100%); お任せあれ! 三成軍は長浜城に行くため必死に武田軍と戦った だが.... &ref(5.jpg,nolink,100%); サル!! &ref(4.jpg,nolink,100%); 茶々 ど~したぎゃ &ref(5.jpg,nolink,100%); サルの子を身ごもったぞ &ref(4.jpg,nolink,100%); うっき~ 立派な男子を生むだぎゃ &ref(5.jpg,nolink,100%); なら降伏して! こんな状況で安心して産めないでしょ! 秀吉は茶々の一言で降伏し領土を割譲した、その中には石田領も含まれていた。 797年 &ref(15.jpg,nolink,100%); その後、武田信玄は勝頼にヒヴァ王国を与え分国を作った 勝頼はすぐさま豊臣家に攻め入った、武田信玄はこれに呼応し4州の割譲を求め攻め込んできた &ref(5.jpg,nolink,100%); 早く降伏して! &ref(4.jpg,nolink,100%); あほか! 本当に滅んでしまうだぎゃ &ref(5.jpg,nolink,100%); 降伏してよ! 降伏!降伏! &ref(4.jpg,nolink,100%); ...... (あかんわこの女) &ref(17.jpg,nolink,100%); &ref(1.jpg,nolink,100%); 出陣するぞ! &ref(2.jpg,nolink,100%); 殿死ぬ気ですな &ref(3.jpg,nolink,100%); お供つかまつる &ref(1.jpg,nolink,100%); ...... しかし、三成が向かったのは斎藤家であった 豊臣家を守るため秀吉公を見捨てる必要があったのである 三成は心で泣いた 第二回 完
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[[AAR/石田丸]] #contents #br ** ''関ケ原'' [#s6d6c44f] 780年 三成公は東軍を影で操る世良田二郎三郎を討つべく挙兵 三成軍は1200に減っていたが世良田軍もまた長年の戦いで傷ついていた さらに世良田は内応の約束をした小早川が動かなかったため籠城を余儀なくされた &ref(10.jpg,nolink,100%); 782年 世良田二郎三郎は敗北し、兄徳川家康の元に逃げ落ちた &ref(1.jpg,nolink,100%); やったぞ東軍は壊滅した これで豊臣家も安泰じゃ &ref(2.jpg,nolink,100%); おめでとうございます これで国内は一枚岩となりましょう &ref(3.jpg,nolink,100%); 兄者 武田、織田が当家を狙ってござる油断は禁物ですぞ &ref(1.jpg,nolink,100%); うぬ 戦いはこれからじゃ 左近、刑部頼んだぞ ** ''厄災'' [#h5de3431] 782年 三成は秀吉を王にせんがため浅井領に攻め入った、 三成は蓄財を全てなげうって兵を募りその数は4000を超えた 浅井軍主力2400は決戦に敗れ籠城したが徐々に追い詰められていった &ref(11.jpg,nolink,100%); 785年 浅井家は滅び豊臣秀吉公が王(アフガニスタンの)になる領土を確保した だが厄災?も訪れた &ref(5.jpg,nolink,100%); おほほほ サル久しぶりじゃな &ref(4.jpg,nolink,100%); なんと茶々様では!? &ref(5.jpg,nolink,100%); サルそなたの跡継ぎはわらわが産んでやろう &ref(4.jpg,nolink,100%); はっ? なんで? そう言うと茶々は勝手に側室になってしまった &ref(12.jpg,nolink,100%); ** ''風林火山'' [#p0db1061] 788年 秀吉公は織田信長の誘いに乗り武田討伐に乗り出した &ref(13.jpg,nolink,100%); &ref(6.jpg,nolink,100%); サルついて参れ &ref(4.jpg,nolink,100%); うっき~ (こいつまだ家臣扱いかよ) 信長連合軍は武田領奥深くまで侵入し野戦におよんだ だが野戦で武田軍に勝てるハズもなく敗れ去った さらに山本勘助率いる別働隊が豊臣家に宣戦布告した &ref(4.jpg,nolink,100%); ど~すっだぎゃ 半兵衛、官兵衛よ! &ref(1.jpg,nolink,100%); 親父様! 三成に策あり! &ref(4.jpg,nolink,100%); よ~言った三成 申してみよ! &ref(1.jpg,nolink,100%); 今こそ王になり国の結束を固めるのです! かくして791年 豊臣秀吉は王となった &ref(14.jpg,nolink,100%); だがそんな事で勝てるハズも無く... 信長連合は敗北し信長は兵を引いたため、 秀吉公は単独で武田軍別働隊(山本)と戦う事になった 武田軍は野戦で豊臣軍を破ると秀吉の長浜城を包囲した 三成は自分の居城で兵を集め長浜城を目指した &ref(1.jpg,nolink,100%); 親父様が待っておる道中の武田軍を蹴散らすのじゃ &ref(2.jpg,nolink,100%);&ref(3.jpg,nolink,100%); お任せあれ! 三成軍は長浜城に行くため必死に武田軍と戦った だが.... &ref(5.jpg,nolink,100%); サル!! &ref(4.jpg,nolink,100%); 茶々 ど~したぎゃ &ref(5.jpg,nolink,100%); サルの子を身ごもったぞ &ref(4.jpg,nolink,100%); うっき~ 立派な男子を生むだぎゃ &ref(5.jpg,nolink,100%); なら降伏して! こんな状況で安心して産めないでしょ! 秀吉は茶々の一言で降伏し領土を割譲した、その中には石田領も含まれていた。 797年 &ref(15.jpg,nolink,100%); その後、武田信玄は勝頼にヒヴァ王国を与え分国を作った 勝頼はすぐさま豊臣家に攻め入った、武田信玄はこれに呼応し4州の割譲を求め攻め込んできた &ref(5.jpg,nolink,100%); 早く降伏して! &ref(4.jpg,nolink,100%); あほか! 本当に滅んでしまうだぎゃ &ref(5.jpg,nolink,100%); 降伏してよ! 降伏!降伏! &ref(4.jpg,nolink,100%); ...... (あかんわこの女) &ref(17.jpg,nolink,100%); &ref(1.jpg,nolink,100%); 出陣するぞ! &ref(2.jpg,nolink,100%); 殿死ぬ気ですな &ref(3.jpg,nolink,100%); お供つかまつる &ref(1.jpg,nolink,100%); ...... しかし、三成が向かったのは斎藤家であった 豊臣家を守るため秀吉公を見捨てる必要があったのである 三成は心で泣いた 第二回 完
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