AAR/世界征服の野望(アイスランド編)/第七回
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[[AAR/世界征服の野望(アイスランド編)]] #contents ** &ref(hat.jpg); ''お知らせ'' &ref(hat.jpg); [#aff0aec8] 今回から当主の代でなく第7回と言う風に変更しました ** &ref(hat.jpg); ''新帝'' &ref(hat.jpg); [#sa75acf5] 891年 3代皇帝に即位したヒューイ2世は能力に定評があり将来を期待されていた 管理者向きのようだが慣例により教育係は不世出の将軍が務めた &ref(1.jpg,nolink,100%); 891年 デンマーク聖戦に勝利する 892年 摂政により王権が最低にされる 894年 皇帝は成人し不世出の将軍となり親政が始まった そして征服戦争が再開された &ref(2.jpg,nolink,100%); 間もなく、皇帝はいい土地が欲しいと思うようになったが世界は安定期を迎えており大国にはつけ入る隙なかった 兵力図 &ref(3.jpg,nolink,100%); ** &ref(hat.jpg); ''フランス侵攻'' &ref(hat.jpg); [#e7693efc] 896年 幾度かの征服戦争の後、皇帝は遂にフランス侵攻を決意した 当時フランスは戦争中で軍事力は一時的だが当家が上回っていた 皇帝は傭兵を雇い大軍で攻め入る決断をした。buritagne聖戦の開戦である &ref(4.jpg,nolink,100%); 開戦後すぐに傭兵を呼ぼうとしたが首都アイスランドは傭兵を呼ぶことができない場所だったのである。 唯一存在する傭兵はビザンツ帝国の家臣であり招集不可能であった。 帝国の将兵は動揺した! 皇帝も焦った! (作者も焦った!) 既に開戦している以上戦うしかないと皇帝は9000の軍勢を従え南下していった 897年 いくつかの都市を陥落させ小競り合いにも勝利した そして遂にフランス軍主力との決戦が始まった 戦争は優位にすすみアイスランドの勝利と思われたその時イタリア軍が乱入してきた 皇帝は瞬時に敗北をさとり停戦の申し入れをし壊滅を免れた &ref(5.jpg,nolink,100%); 898年 皇帝に長男が誕生した明敏な子供であった、だが皇帝はまだ19歳 いつまで彼は皇太子でいられるのだろうか ** &ref(hat.jpg); ''フィルキル家 最大の悲劇の始まり'' &ref(hat.jpg); [#d77f13d2] 899年 邪魔な一族の者を暗殺した事が発覚してしまい一族の反発を買い、 選帝侯制度を要求されるが当然の拒否により内乱が勃発した &ref(6.jpg,nolink,100%); しかしアイスランドに傭兵はいないため反乱軍に敗北 (※作者は内戦や大規模戦争は苦手です) これを機に大内乱期を迎える、詳細は記録にない (※リセットできるなら絶対しました) ヒューイ2世皇帝は退位させられ帝位は女系の親族(他家)の手に渡った さらにヒューイ2世は当主の座も追われ異母兄が当主となった フィルキル家は当主の座を巡り簒奪、譲位、殺戮が始まった (投獄失敗、降伏や処刑によりヒィーイ2世を当主に戻すための行動) この混乱はヒューイ2世こそ真の当主とする者がいる限り続くものと思われた 903年 女系の親族である5代皇帝は暗殺され帝位は分家(男系)の手に渡った &ref(7.jpg,nolink,100%); ** &ref(hat.jpg); ''フィルキル家の真の当主誕生'' &ref(hat.jpg); [#ofbe3164] 910年 何人もの当主とその子供たちは死にヒューイ2世の異母兄(ヒューイ6世)が当主となった ヒューイ2世は時の皇帝に処刑され既になく遺児ヒューイ(明敏持ち)を残すのみであった 新当主ヒューイ6世の母はヒューイ2世の母の姉妹である、 つまりアスラン王と初代皇帝ヒューイの血を引いている。 一族はヒューイ6世を真の当主と認める事にした。 なおヒューイ6世は24代フィルキル及びスコットランド王である (フィルキルでなければ単なる伯爵の当主もいた) 10年に及ぶ大混乱の経歴と現在の領土(光ってるところ) &ref(8.jpg,nolink,100%); ** &ref(hat.jpg); ''皇太子の帰還'' &ref(hat.jpg); [#j366bd4d] 910年 アイスランド帝国はフランスに敗れデンマーク領を失う 914年 ヒューイ6世が家臣に敗北し相続制度が選帝侯に強制変更される、 またしても傭兵を雇えない首都アイスランドのせいである 916年 2回崩れの変が起こる ヒューイ6世が退位し一族のイングランド王が当主となる 新当主はスコットランド王及びイングランド王並びに25代フィルキルである しかし、次の後継者を押す声が多くすぐに退位させられる そしてイングランド王及びスコットランド王並びに26代フィルキルに即位した人物は 皆さま御存知のヒューイ2世の遺児ヒューイ7世(明敏持ち)である 彼が皇太子の身分を追われ父の死後どのように生きてきたかは明らかではない またこの頃に首都のアイスランドは別の一族が継いでおり首都はイギリスに移っている さらに現時点でヒューイ7世は次期アイスランド皇帝に選ばれている &ref(9.jpg,nolink,100%); ** &ref(hat.jpg); ''真の皇帝の帰還'' &ref(hat.jpg); [#of56abc7] 918年 帝国に異変が起こった皇帝が38歳の若さで崩御した アイスランド帝国7代皇帝にヒューイ7世が即位したのである 実に17年ぶりにドレイク宗家(フィルキル家)に帝位が返還されたのである しかしアイスランド皇帝は暗殺される事が多かった 新皇帝の治世も短いのではないかと言う噂が流れた 噂は事実となりかけ数年後に皇帝は事故により欠損となるが命は取り止めている &ref(10.jpg,nolink,100%); 925年 多くの分家作成のため愛人を囲った皇帝が性病に掛かった、以後帝国に性病が蔓延する 934年 安定した政治により分割相続制度が承認される(以前は選帝侯制度) 937年 皇帝は現在の仮の首都であるヨーク州を気に入り世界征服のため 傭兵の雇えないアイスランドに戻らず帝国が最強となるまで現在の首都に留まると宣言した また分家を増やすために愛人が産んだ6人の非嫡出子に領地を分け与えた &ref(11.jpg,nolink,100%); 時は流れ958年世界は常に戦争状態であったが大国に大きな動乱はなかった &ref(12.jpg,nolink,100%); ヒューイ7世の治世は40年に及び、長い治世と安定した政治で技術力が飛躍的に向上していた (あと10年もすれば法律レベルが4になり総督制度が可能になるかもしれない) 近年は小国に攻め入り東部に勢力を拡大しつつあった しかし、皇帝は未だフランス遠征を諦めていなかった先代が失ったデンマーク領を回復し フランス帝国を滅亡させる事を夢としていた 960年 フランスとの戦争の機会を得られないままヒューイ7世は崩御した 後を継いだ息子のヒューイ8世は外交手腕に優れていたがホモと言う噂があった アイスランド帝国第8代皇帝及び27代フィルキル ヒューイ8世の治世の始まりである &ref(13.jpg,nolink,100%); 964年 皇太子が14歳で病死、残る男子は1人のみとなり皇帝は嘆いた 966年 13歳の皇太子がホモになって皇帝は喜んだ、間違いなく朕の息子と誉めそやした 976年 ヒューイ8世崩御 息子のヒューイ9世が後を継ぐ アイスランド帝国第9代皇帝及び28代フィルキル ヒューイ9世の治世の始まりである 978年 総督制度(王)が実施される(以後安定力が飛躍的に増す) 981年 ヒューイ9世が29歳で崩御 誕生したばかりの息子のヒューイ10世(0歳)が後を継いだ アイスランド帝国第10代皇帝及び29代フィルキル ヒューイ10世の治世の始まりである 997年 ヒューイ10世が無事成人した、外交能力に見るべきものはあるが他は物足りない感じである 一族の力により帝国は拡大を続けていた、だがもはや小国は存在せず いずれかの大国と雌雄を決するのは時間の問題となっていた &ref(14.jpg,nolink,100%); 1000年 アイスランド帝国の相続制度が長子相続に変更された この年、王権がHighになったことで帝国の総動員兵力は36000に至った これはフランス帝国の24000を超えるものである。 ヒューイ10世皇帝は決戦の時か否か悩むようになった。(考え中) 第七回 完
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[[AAR/世界征服の野望(アイスランド編)]] #contents ** &ref(hat.jpg); ''お知らせ'' &ref(hat.jpg); [#aff0aec8] 今回から当主の代でなく第7回と言う風に変更しました ** &ref(hat.jpg); ''新帝'' &ref(hat.jpg); [#sa75acf5] 891年 3代皇帝に即位したヒューイ2世は能力に定評があり将来を期待されていた 管理者向きのようだが慣例により教育係は不世出の将軍が務めた &ref(1.jpg,nolink,100%); 891年 デンマーク聖戦に勝利する 892年 摂政により王権が最低にされる 894年 皇帝は成人し不世出の将軍となり親政が始まった そして征服戦争が再開された &ref(2.jpg,nolink,100%); 間もなく、皇帝はいい土地が欲しいと思うようになったが世界は安定期を迎えており大国にはつけ入る隙なかった 兵力図 &ref(3.jpg,nolink,100%); ** &ref(hat.jpg); ''フランス侵攻'' &ref(hat.jpg); [#e7693efc] 896年 幾度かの征服戦争の後、皇帝は遂にフランス侵攻を決意した 当時フランスは戦争中で軍事力は一時的だが当家が上回っていた 皇帝は傭兵を雇い大軍で攻め入る決断をした。buritagne聖戦の開戦である &ref(4.jpg,nolink,100%); 開戦後すぐに傭兵を呼ぼうとしたが首都アイスランドは傭兵を呼ぶことができない場所だったのである。 唯一存在する傭兵はビザンツ帝国の家臣であり招集不可能であった。 帝国の将兵は動揺した! 皇帝も焦った! (作者も焦った!) 既に開戦している以上戦うしかないと皇帝は9000の軍勢を従え南下していった 897年 いくつかの都市を陥落させ小競り合いにも勝利した そして遂にフランス軍主力との決戦が始まった 戦争は優位にすすみアイスランドの勝利と思われたその時イタリア軍が乱入してきた 皇帝は瞬時に敗北をさとり停戦の申し入れをし壊滅を免れた &ref(5.jpg,nolink,100%); 898年 皇帝に長男が誕生した明敏な子供であった、だが皇帝はまだ19歳 いつまで彼は皇太子でいられるのだろうか ** &ref(hat.jpg); ''フィルキル家 最大の悲劇の始まり'' &ref(hat.jpg); [#d77f13d2] 899年 邪魔な一族の者を暗殺した事が発覚してしまい一族の反発を買い、 選帝侯制度を要求されるが当然の拒否により内乱が勃発した &ref(6.jpg,nolink,100%); しかしアイスランドに傭兵はいないため反乱軍に敗北 (※作者は内戦や大規模戦争は苦手です) これを機に大内乱期を迎える、詳細は記録にない (※リセットできるなら絶対しました) ヒューイ2世皇帝は退位させられ帝位は女系の親族(他家)の手に渡った さらにヒューイ2世は当主の座も追われ異母兄が当主となった フィルキル家は当主の座を巡り簒奪、譲位、殺戮が始まった (投獄失敗、降伏や処刑によりヒィーイ2世を当主に戻すための行動) この混乱はヒューイ2世こそ真の当主とする者がいる限り続くものと思われた 903年 女系の親族である5代皇帝は暗殺され帝位は分家(男系)の手に渡った &ref(7.jpg,nolink,100%); ** &ref(hat.jpg); ''フィルキル家の真の当主誕生'' &ref(hat.jpg); [#ofbe3164] 910年 何人もの当主とその子供たちは死にヒューイ2世の異母兄(ヒューイ6世)が当主となった ヒューイ2世は時の皇帝に処刑され既になく遺児ヒューイ(明敏持ち)を残すのみであった 新当主ヒューイ6世の母はヒューイ2世の母の姉妹である、 つまりアスラン王と初代皇帝ヒューイの血を引いている。 一族はヒューイ6世を真の当主と認める事にした。 なおヒューイ6世は24代フィルキル及びスコットランド王である (フィルキルでなければ単なる伯爵の当主もいた) 10年に及ぶ大混乱の経歴と現在の領土(光ってるところ) &ref(8.jpg,nolink,100%); ** &ref(hat.jpg); ''皇太子の帰還'' &ref(hat.jpg); [#j366bd4d] 910年 アイスランド帝国はフランスに敗れデンマーク領を失う 914年 ヒューイ6世が家臣に敗北し相続制度が選帝侯に強制変更される、 またしても傭兵を雇えない首都アイスランドのせいである 916年 2回崩れの変が起こる ヒューイ6世が退位し一族のイングランド王が当主となる 新当主はスコットランド王及びイングランド王並びに25代フィルキルである しかし、次の後継者を押す声が多くすぐに退位させられる そしてイングランド王及びスコットランド王並びに26代フィルキルに即位した人物は 皆さま御存知のヒューイ2世の遺児ヒューイ7世(明敏持ち)である 彼が皇太子の身分を追われ父の死後どのように生きてきたかは明らかではない またこの頃に首都のアイスランドは別の一族が継いでおり首都はイギリスに移っている さらに現時点でヒューイ7世は次期アイスランド皇帝に選ばれている &ref(9.jpg,nolink,100%); ** &ref(hat.jpg); ''真の皇帝の帰還'' &ref(hat.jpg); [#of56abc7] 918年 帝国に異変が起こった皇帝が38歳の若さで崩御した アイスランド帝国7代皇帝にヒューイ7世が即位したのである 実に17年ぶりにドレイク宗家(フィルキル家)に帝位が返還されたのである しかしアイスランド皇帝は暗殺される事が多かった 新皇帝の治世も短いのではないかと言う噂が流れた 噂は事実となりかけ数年後に皇帝は事故により欠損となるが命は取り止めている &ref(10.jpg,nolink,100%); 925年 多くの分家作成のため愛人を囲った皇帝が性病に掛かった、以後帝国に性病が蔓延する 934年 安定した政治により分割相続制度が承認される(以前は選帝侯制度) 937年 皇帝は現在の仮の首都であるヨーク州を気に入り世界征服のため 傭兵の雇えないアイスランドに戻らず帝国が最強となるまで現在の首都に留まると宣言した また分家を増やすために愛人が産んだ6人の非嫡出子に領地を分け与えた &ref(11.jpg,nolink,100%); 時は流れ958年世界は常に戦争状態であったが大国に大きな動乱はなかった &ref(12.jpg,nolink,100%); ヒューイ7世の治世は40年に及び、長い治世と安定した政治で技術力が飛躍的に向上していた (あと10年もすれば法律レベルが4になり総督制度が可能になるかもしれない) 近年は小国に攻め入り東部に勢力を拡大しつつあった しかし、皇帝は未だフランス遠征を諦めていなかった先代が失ったデンマーク領を回復し フランス帝国を滅亡させる事を夢としていた 960年 フランスとの戦争の機会を得られないままヒューイ7世は崩御した 後を継いだ息子のヒューイ8世は外交手腕に優れていたがホモと言う噂があった アイスランド帝国第8代皇帝及び27代フィルキル ヒューイ8世の治世の始まりである &ref(13.jpg,nolink,100%); 964年 皇太子が14歳で病死、残る男子は1人のみとなり皇帝は嘆いた 966年 13歳の皇太子がホモになって皇帝は喜んだ、間違いなく朕の息子と誉めそやした 976年 ヒューイ8世崩御 息子のヒューイ9世が後を継ぐ アイスランド帝国第9代皇帝及び28代フィルキル ヒューイ9世の治世の始まりである 978年 総督制度(王)が実施される(以後安定力が飛躍的に増す) 981年 ヒューイ9世が29歳で崩御 誕生したばかりの息子のヒューイ10世(0歳)が後を継いだ アイスランド帝国第10代皇帝及び29代フィルキル ヒューイ10世の治世の始まりである 997年 ヒューイ10世が無事成人した、外交能力に見るべきものはあるが他は物足りない感じである 一族の力により帝国は拡大を続けていた、だがもはや小国は存在せず いずれかの大国と雌雄を決するのは時間の問題となっていた &ref(14.jpg,nolink,100%); 1000年 アイスランド帝国の相続制度が長子相続に変更された この年、王権がHighになったことで帝国の総動員兵力は36000に至った これはフランス帝国の24000を超えるものである。 ヒューイ10世皇帝は決戦の時か否か悩むようになった。(考え中) 第七回 完
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