AAR/フレイヤの末裔/盟主ギュリド(前編)
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盟主ギュリド(前編)
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[[AAR/フレイヤの末裔]] [[AAR/フレイヤの末裔/盟主インガ(後編)]] **幕間「ヘルギ」 [#r14567ce] '''「あんたの言う事は嘘ばっかりね。その毒舌を止めないなら、短気な神様達があんたをここから叩き出す事になるわ」''' '''「でかい口を叩くなよフレイヤ、罪深い狂女め。お前が実の兄と何をしていたのか神々に知らせてやろうか」''' '''――「古エッダ」神話詩のうち「ロキの口論」''' &ruby(バールホール){火の間};。私はここが好き。暖かくて、明るいから。 それに、とても解り易い。いつだって「&ruby(バール){火};」の絶やされない「&ruby(ホール){広間};」、だから「&ruby(バールホール){火の間};」。 炎はその明るさで、暗い世界を照らし出してくれる。人の眼は暗闇の中では働かないから、世界は常に炎を中心に作られる。 光の無い場所は、そこに何があるのかも解らない。 &ruby(トステ){雷の石};は解り難い。爺やは雷じゃないし石でもない。 &ruby(スヴェルケル){黒い槍};、解り難い。大臣は肌も髪も白くて、槍を持ってる所なんて見た事がない。 &ruby(ベルシ){熊};、解り難い。人なのに変だ。 &ruby(ステュルカル){激情と強情};、解り難い。いつも笑っているし、そんな風には見えない。 &ruby(インガ){女神};。お母様は解り易かった。本当に、女神様みたいに美しい人だったから。 でも、ご先祖様達もやっぱり解り難い。 &ruby(アンラウフ){始める者};。解り難い。フローニの最初は&ruby(フレイヤ){美の女神};様だって聞いた。 &ruby(カルル){自由民};。解り難い。&ruby(ヤルル){王様};なのに&ruby(カルル){臣民};だなんておかしい。 &ruby(フレイ){美の男神};。解り難い。残ってる絵はどれもお爺ちゃんで、奇麗かどうかなんて解らない。 私は&ruby(ギュリド){神の美};、妹は&ruby(アルフリド){エーシルの美};。 解り難い。「エーシル」も神様って意味だって聞いた。それじゃ区別がつかない。どっちがどっちの名前だったのか、時々わからなくなる。 &ref(Helgi.png);「ギュリド……」 &ref(Gyrid.png);「……」 ヘルギ叔父様。&ruby(ヘルギ){聖なる人};。解り易い。お母様に似て、とても奇麗な人だから。 一年振りに合っても直ぐに解るくらい奇麗な顔と、奇麗な名前。 &ref(Helgi.png);「……そんなに見詰められると、少し話し難いのだが」 &ref(Gyrid.png);「ん……」 私は叔父様を玉座に座らせて、そのマントに包まれながら、炎で照らされる叔父様の顔を眺めていたんだった。 でも、叔父様が困るみたいだから、私は眼を、火の間を&ruby(バールホール){火の間};にしてくれる、&ruby(バール){火};に向けた。 &ref(Helgi.png);「ギュリドは、私の事が好きか?」 &ref(Gyrid.png);「ん……」 叔父様は奇麗で、解り易いから、好き。誰かわかる。憶えられる。だから眺めるのが好き。 &ref(Helgi.png);「じゃあ、少しお願いをしても良いかな?」 &ref(Gyrid.png);「なに……?」 &ref(Helgi.png);「少し難しい話をするぞ。姉様が……つまり、ギュリドのお母様が、沢山の決まりごとを作った」 &ref(Helgi.png);「姉様はとても賢い人だった、だから、この国の仕事を全部自分でしようとした。そのために必要な、沢山の決まりごとだった」 頭の後ろを叔父様の声がとんとん叩く。それが気持ち良くて、私は踊る炎を見ながら、ぼんやりした気持ちになってくる。 &ref(Helgi.png);「でも、姉様が死んでしまったから、今では姉様の代わりをできる人がいないんだ」 &ref(Gyrid.png);「爺やとか、スクルドは……?」 &ref(Helgi.png);「確かに賢い人達だ。でも、姉様ほどじゃあない。だから、お願いというのはね、この国の仕事を、皆で分けてできる様にして欲しいんだ」 &ref(Helgi.png);「姉様ほど賢い人は今この国にはいない。でも、皆で分け合えば、できない仕事じゃあない」 私を包むマントの中、叔父様が私を抱き締める力が強くなる。少し、苦しい。 &ref(Helgi.png);「その為には……ギュリドがそう決めた、って言って欲しいんだ」 &ref(Gyrid.png);「……いつ?」 &ref(Helgi.png);「もう直ぐさ。直ぐに来る」 叔父様がそう言うと、扉を乱暴に開いて、誰かが入って来た。 &ref(Toste.png);「玉座から降りられませよ」 爺やだ。 &ref(Helgi.png);「よく見ろ摂政殿、これは盟主猊下の御命だ」 &ref(Toste.png);「…………。では、何の御用でホーセンスへ? 一報も無く来られては迎賓の準備も適いませんぞ」 &ref(Helgi.png);「不要だ。ヴォルガストからベルゲンの道中に姪の顔が見たくなっただけだからな」 &ref(Toste.png);「それで門兵に口止めまでしての入城とは……戯言をッ」 爺やは嫌いだ。私が叔父様とくっついていると、いつも離そうとする。 &ref(Helgi.png);「お前から報せられると、再会の驚きが減るだろう? ……所で、ついさっき御諚を賜ったぞ、トステよ」 &ref(Helgi.png);「盟主猊下は帝権を一時縮小し、諸族長による自治と連携によって、前盟主・インガの天才が喪われたのを埋めよと勅められた」 &ref(Toste.png);「……っ!?」 &ref(Helgi.png);(ギュリド、言うんだ) 叔父様の指が耳を撫でる。それが心地よくて、私の口は勝手に動く。 &ref(Gyrid.png);「命じる……」 &ref(Toste.png);「……言わせたな、ヘルギッッ!!」 &ref(Helgi.png);「私が去ってから勅令を覆すか? 摂政の専横など枚挙に暇もないぞ、お前もやってみてはどうだ」 叔父様は両腕で私を抱えて立ち上がると、私をゆっくりと玉座に座らせた。なぜか爺やは怒っている様に見える。 どうでも良かった。ただ、また叔父様から離れなければいけない事が切なかった。 &ref(Gyrid.png);「ヘルギ……」 &ref(Helgi.png);「また逢いに来るぞギュリド。美人に育てよ」 叔父様は、私の左手を取って、指の背に口付けた。「大陸風」のキスだと知ったのは後の事。 &ref(Helgi.png);「……その時、お前の&ruby(ハイル){天恵};は私のものになるのだからな」 *盟主ギュリド 10.18.1006~[#yd71ac48] **亀裂だらけの再統一 [#g7232e9c] &ref(戴冠式.png); ギュリドの盟主就任式と戴冠式は聖地ウプサラに程近いスヴィヨッドの王都・ハートゥナで壮麗に行われた。 アスビョルンの変以降、二代(スヴィヨッド側からすれば五代!)・42年もの期間を帝国から分離していたスヴィドヨッドが帝国に再統合される事もあり、この式典はインガのものにも増して豪壮に行われた。 居並ぶ&ruby(ヤルル){族長};の視線を浴びながら、ギュリドはただぼんやりと言われた通りの所作を行い、辛うじて…… &ref(Gyrid.png);「&ruby(サンティクト){承る};……」 と、その意味を理解する事も無いまま、&ruby(ことば){詞};を発して践祚を受けた。 ともかく、父・ハルステンの死で既にスヴィドヨッド女王であったギュリドである。6歳という幼さで即位した彼女の治世は当然、摂政政治に始まる。 &ref(摂政トステ.png); 摂政トステ。あらゆる分野に高い能力を発揮した天才である。 老練の元帥でもあったが、摂政に指名されていた実際の理由はその優れた陰謀眼でギュリドの暗殺を防ぐ事であったと言われている。 摂政はハルステンによって指名されていたベルグスラーゲン大族長・ヘーデ氏族のトステ。ギュリドが盟主座に就いてからも大権を代行した。 トステが先ず行った事は…… &ref(クロターレ!?.png); なんとクロターレの釈放である((牢屋の中にこいつを見つけた時はびっくりしすぎてバグかと思いました。))。「オランダ聖戦」の最中、クロターレはスヴィドヨッド兵によって捕虜となっていたのである。その莫大な身代金の支払いは、中フランクの経済にとどめを差した。 それにしても、「ネヘレニア戦争」に始まって幾度もノルドによって国土を蹂躙され、遂には王も捕らえられ、国庫歳入に倍する身代金を支払わされ……中フランクはこの時代、ノルドの最大の犠牲者であったといえるだろう。 続けて、ギュリドの継承した領土の整理である。というのも、ギュリドはスヴィドヨッド女王として父から継承したスヴィドヨッド大族領を直轄地としており、これにインガから継承したデンマーク領やゼーラントが加わる事は明らかに宮廷の管理限界を超えていたのである。 因みに、フィンランド王・ヘルギはポメラニア王位を継承した事で、カルルの代で家臣から剥奪されて(なぜ剥奪したのかは資料が無い為に不明((もう随分前のプレイでスクショもセーブも消してしまっていました……確か何か陰謀してたから逮捕→剥奪した様な気がします。)))皇帝の直轄地となっていたヴォルガストに転封され、代わりにフィンランド族領がギュリドには継承されている((継承時に自動的にそうなりましたが、なぜこんな処理が起こったのか良く解っていません。ヘルギにはフィンランド伯領に対するClaimも残っていませんでした。))。 先ず、フィンランド族領は&ruby(デジュリ){慣習領土};通りにフィンランド大族長・ホラーネ2世に下賜し、ゼーラントにはギュリドの従兄・インゲマルを封じている(「トーレンのリンダ」の長子である)。そしてスヴィドヨッド大族長位を、インリング氏族のグリムなる人物に与えた様である。 &ref(グリム.png); 1015年頃のグリム。残酷且つ好色なヴァイキングとして名の知れた人物であったという。 スヴィドヨッドの直轄地をあっさりと手放したこの授封は、「フロージの平和」の頃にウプサラを統べたというインリング家の伝説を尊重する形で行われたが、同時に、「デンマーク王」と「スカンジナヴィア帝」の同一性を強くアピールするものだった。戴冠式こそハートゥナで行われたが、家祖・フレイヤの覇業発祥の地であるユランこそが最も正当な「ノルドを統べる場所」であり、権威に於いてウプサラに優越する、という事を示すセレモニーでもあっただろう。 &ref(リトアニー.png); &ref(ハフリド.png); また、スヴィドヨッドの統合によって大半が帝国版図となったリトアニアの大族長位をコーリガイラなる者から剥奪し、シグルド2世の曽孫に当たるヤッヴャーギ族長・ハフリド(彼女も若くして父を肺炎で亡くし、この時10代であったという)に与えている。 &ref(王権低下.png); &ref(ヘルギの要求.png); そして、幼い女盟主に対する不安と不満を少しでも和らげようと、帝権の縮小を宣言した。これに便乗し、自分の勢力を背景にヘルギ王は更なる縮小を要求。私闘禁止法や異教弾圧法といった、カルルとインガによって定められた多くの帝国法がこの時代に撤回させられている。 これらの処理が終わると、トステは「できる限り何もしない」事を選んだ。戴冠式でこそ&ruby(ヤルル){族長};達はギュリドの継承を歓迎する態度を取ったが、殆どの族長達にとって、それが心底からのもので無い事は明らかで、いつ起こるとも知れない叛乱に備える必要があったからである。 二代続いての&ruby(フィルクヤ){女盟主};、しかも余りにも幼い。その上ギュリドの精神的な発達の遅さも専ら噂になっていて、インガの頃には全族長が長子相続に賛成してこそいたが、その中には買収によって一時的に口を噤んだに過ぎない反対派の者達も多かった。また、特に帝国東部ではこれを機と見て独立を求める派閥も形成されていた。 トステはそれら派閥にヘルギが手を貸さぬように、大臣・スヴェルケルをヴォルガストに送り、懸命な説得も行っている。 &ref(スヴェルケル.png); 大臣であるノールランド大族長・スヴェルケル。リンダ妃の出身氏族であるステンボックの当代当主である。 ステンボック氏族は代々交渉術の秘伝を継承しており、歴代大臣の中にはその出身者が少なくない。 帝国内は、いつ、どこで、誰が、何の名目で盟主に弓を引いてもおかしくない状況だったのである。 常駐軍は中フランクに残って略奪を続けて、軍資金を掻き集めていた。 それを率いていたのはホルムガルド大族長・アストリドの元帥、リュキ族長・ゴルムである。 &ref(ゴルム.png); スロヴェンスキー氏族のゴルム。謙虚で野心を持たない、純粋な武人であったという。 &ref(略奪2.png); &ref(略奪1.png); ゴルムはカリスマ的な指揮官で、略奪隊の規模に倍する討伐隊を幾度も難なく返り討ちにして恐れられた。彼の号令は常に「進み、殺し、進め」という簡潔極まるものであったというが、どんな場合も軍団を後ろに従えて先陣を切り、それを体現して見せたと伝えられている。彼に従った兵士達は「&ruby(ゴルム){竜神};の気迫が死を退ける」と信じ、恐怖を忘れて突進したという。 クロターレの身代金と合わせて、帝国の国庫には大量の金塊が詰め込まれていたが、これらは全て有事の備えとして手付かずで保管された。 **盟主教育 [#v95e6775] ギュリドはフローニ氏族の特質ともいえる美貌を幼少の頃から備えていたが、前述の通り、その精神の発達は非常に遅れていた。7歳になって漸く単語で意思を伝える事を始めたが、極端に無口で、非常に内向的な気性であったという。両親を幼くして喪い、物心もつかないうちから玉座に就いていた事から考えれば無理からぬ事であったかも知れない。 彼女の妹・アルフリドも内向的だったというが、容姿に際立ちは無く、逆に3歳で法律を理解する天才を発揮したと言われており、臣民達は「インガの魂が二人に分かれて宿った」と噂したという。 ともかく、ギュリドの教育をインガから引き継いだのは、ナッドオオア氏族のスクルドである。 &ref(スクルド.png); ナッドオオア氏族のスクルド。その政務能力を買われての教育係任命である。 この女性は二代目盟主・フレイが妃・ギュリドの死後に娶った後妻である。しかしその時にフレイは既に老齢であったし、この再婚は政務の補佐役を求めての事、つまり実質の「引き抜き」だったと考えられている。身分的には皇太后であるが、結婚してからフレイの崩御までは半年もなく、彼女の忠誠はインガに向けられており、遺命に従って熱心にギュリドを教育した。 &ref(内気.png); &ref(しかられた…….png); &ref(短気.png); スクルドは優れた教師ではあった。彼女を強く律しながらも、民会の主宰者に相応しくない内気さを問題視し、何とか感情表現を身に付けさせようと試みた。しかし、それは却って彼女の気性を短気なものにしてしまい、言葉ではなく、極端な(時に暴力的な)行動で意思を示す人物に育たせてしまっていった。 帝国内の緊張が高まる中、スクルドは何とかギュリドを盟主に相応しい人物に育てようと全力を尽くした。トステが十分な時間を稼ぐ事ができたなら、ギュリド自身の成長によって族長達の忠誠を得て、内乱を回避できないかと考えてもいた。 しかし、1010年11月下旬、ギュリドが盟主座について4年と1ヵ月……内乱の火蓋は切って落とされてしまうのである。 **ヴァニル戦争 [#t3058a58] &ref(Hrane.png);「&ruby(ヘリグ・フィルクヤ){盟主猊下};に申し上げる。我らが古き信仰は強き者を、&ruby(ハイル){天恵};に優る者を尊ぶものである筈」 &ref(Hrane.png);「かのカルル帝がそれを認め、定められた選挙相続法こそ、その理念に相応しいものと存じ上げる」 &ref(Hrane.png);「反して、長子相続は&ruby(ハイル){天恵};を競う事を厭い、氏族の怠惰を呼ぶ悪法。母の情を拭えずに遺した、前盟主唯一の過ちと存じます」 &ref(Hrane.png);「エーシルとヴァニルの仲介者として、盟約を然るべき形へ戻されませよ」 &ref(Hrane.png);「これは叛意に非ず、猊下の&ruby(ハイル){天恵};を信仰すればこそ。その証を伴う法を行われよ!」 &ref(Toste.png);「ハイコネンの若き長よ、ギュリド猊下の御聖言を享けるが良い」 &ref(Toste.png);「『&ruby(ハイル){天恵};とは氏族の魂であり、一人間によって比較されるべきものに非ず』」 &ref(Toste.png);「『盟約は優れる氏族を尊ぶ。これを違える者は、&ruby(フローニ){フレイヤの末裔};の&ruby(ハイル){天恵};を窺う者と心得よ』」 &ref(Hrane.png);「然れば、氏族の幼き長に申し伝えよ。『戦いよ在れ。我が兵を討ち果たしてその証とせよ』と!」 &ref(Toste.png);「良かろう、戦いよ在るべし! あの姦夫にもそう伝えるが良い!!」 &ref(内乱開始.png); &ref(ホラーネ.png); 要求の声明と、派閥の頭目・ホラーネ。ホルムガルド大族長・アストリドの四人目の夫でもある。 1010年10月下旬、フィンランド大族長・ホラーネ2世を中心にした派閥が、スカンジナヴィア帝位と盟主座の選挙相続制への変更を要求。摂政・トステがギュリドの名でこれを却下した。選挙相続法に戻れば、幼いギュリドは暗殺の危機に晒されるのだ。 こうして、派閥はそのまま叛乱軍として挙兵した。このホラーネ2世の軍に与していたのは、オネガ族長・グドフリド、スコーネ族長・セームンド、ハラン族長・ダグ…… &ref(ヘルギ.png); ヘルギ王。妻の外に1人の愛妾と、何と5人もの恋人を持つ色男である。狩りの名人としても知られ、いろいろな意味で凄腕の「狩人」である。 そして、ノルウェー=フィンランド=ポメラニア王にしてギュリドの叔父・ヘルギだった。 いや、この内乱の実際の仕掛け人がこの男であった事はほぼ間違いないだろう。 &ref(反乱地図.png); 叛乱軍の支配する版図は南と東からユラン~シェランを包囲する形となっていた。 &ref(ユラン周り.png); しかしトステも流石に古強の元帥である。ユランとスヴィドヨッド南部の徴集兵で軍団を編成し、それでスコーネの軍を挟み撃ちにして討ってデンマークとスカンジナヴィアの通路を確保した後、中フランクから呼び戻したゴルム率いる常備軍をユランで合流させ、7500名を超える主力部隊とする。版図が散っている事で合流に手間取る叛乱軍を各個撃破しながら、スヴィヨッド北部やリトアニア~ロシアの徴集軍を集結させていった。 大きな損失も無くゴルムの快進撃は続き、内乱が始まって半年もした頃には大勢は決まった……かと思われていた。 しかし、叛乱者達は、想像以上に強かであった。 &ref(Tryggve.png);「幼きギュリドよ、その小さな手にこの広大な帝国は手に余ろう」 &ref(Tryggve.png);「その帝冠はスカジの地に収め、我ら&ruby(ヴァリヤーグ){東方ノルド};を解くが良い」 &ref(Tryggve.png);「或いは、三つのフローニが争い流れる血で&ruby(オステルセン){バルト海};は染まる事となろう!」 &ref(反乱拡大.png); 1011年6月、東方領域の派閥が内乱に乗じて独立を求めたのである。トステはこれを認めるべきか大いに悩んだというが、最終的には却下している。 決め手となったのは…… &ref(トリュッヴェ.png); 独立派閥頭目・トリュッヴェ。ハルステンにエストニア大族長位を与えられたスウェーデン系フローニである。 独立派の版図には、スカンジナヴィア帝国の&ruby(デジュリ){慣習領土};と看做されている、ナルヴァ族領が含まれていた事である。 慣習領土の回収はインガによって完遂され、帝国領土は漸く完成を見たとされていたのである。これを欠かす事は、ギュリドの治世に汚痕を残す事となり得たのである。 しかし、これは危険な勝負であった。独立派はエストニア大族長・トリュッヴェを頭目に、ロシア領域の族長達、そして誰よりも…… &ref(アストリド.png); インガの寵愛を享け、帝国の持つロシア領域の大部分を与えられているホルムガルド大族長・アストリドが盟していたのである。アストリドはインガの紹介で結婚した二人の夫を亡くした後、ホラーネと結婚している。そして、ホラーネ2世に唆されて独立派に加わったが、インガの娘を陥れる企みに心を病む程苦悩していたという。 しかも、前述した大将軍・ゴルムはリュキ族長……つまり、アストリドの家臣であり、これはゴルム無しでの戦いを帝軍に強いる事にもなるのである。 ともかく、スカンジナヴィア帝国は、二つの大規模な叛乱軍と戦わねばならなくなった。 王権の縮小による帝軍の弱体化と、この独立派の決起……ホラーネ2世とヘルギは、初めからこれに賭けて兵を挙げていたのだ。 &ref(反乱地図2.png); &ref(反乱地図3.png); 叛乱軍の版図は帝国領土の半分近くにも及び、兵力の総数ではついに帝軍を上回るに到ったという。 **ヴァン神族の系譜 [#o002cf84] この戦いは「ヴァニル戦争」と呼ばれる。それというのも、各陣営の主要人物4名が「ヴァニルの末裔」を名乗る氏族であった事による。 &ref(家系図.png); ついでにフローニ家の系譜を整理してみよう。 家祖・フレイヤには四人の子がいた。第一子(長女)・リンダ、第二子(次女)・ギュラ、第三子(長男)・アンラウフ、そして第四子(次男)・アルンビョルンである。 男系優先の相続によって家督を継いだのは長男のアンラウフで、アルンビョルンは成人せぬまま彼に暗殺されている。 長女・リンダはホルムガルドのリューリク家に嫁いだが、男系は彼女の孫の代で断絶してしまい、女子は何れも他氏族に嫁いでいる。 次女・ギュラは女系結婚によってムンソ家の婿を取り、彼女の子・ビョルン2世以降、スヴィドヨッドはフローニ家のものになっている。 つまり、この世代まで系譜を繋いでいるのはアンラウフとギュラに続くもの、という事になる。 アンラウフの系譜は「直系フローニ」または「アンラウフ氏族」、そしてギュラの系譜は(「アスビョルンの変」によって一時的に離れはしたものの)ハートゥナ城砦を宮廷とし続けた事で「スウェーデン系フローニ」または「ギュラ氏族」や「ビョルン氏族」と呼ばれる場合がある。 直系フローニの長・インガとスウェーデン系フローニの長・ハルステンの結婚と、二人の子であるギュリドの継承は、フローニのこの二潮流を合流させたものだったわけだが、かといって全てのフローニの血筋が一つになったわけではない。……というより、その合流がギュリドの継承による以上、まだ生まれてもいない「ギュリドの末裔」以外のフローニはいずれも「アンラウフ氏族」であるか「ギュラ氏族」である事になる。 ここで、この内乱の主要人物3人の系譜について考えてみると面白い。 先ず、二大フローニの合流点であるギュリド。 そして、男系によれば「アンラウフ氏族」の直系子であるヘルギ。 最後に、ビョルン2世の三男・インギャルドの子、つまりスウェーデン系フローニの男系末流に当たるトリュッヴェ。 これは「三人のフローニの戦い」であるだけでなく、「三種のフローニの戦い」でもあったのだ。 そしてもう一人…… **意外過ぎる乱入者 [#kac61748] 独立派が挙兵した翌月、二つの叛乱軍へ対応するべく議論の続いていた帝国宮廷に意外過ぎる報せが届いた。 &ref(Sveinn.png);「アフ・ハイコネンのホラーネよ、盟約者の剣にして盾、インリングにしてヨームの&ruby(ウォーチーフ){戦長};、スヴェインが申し渡す」 &ref(Sveinn.png);「逆臣・ヘルギの臣下に置かれた事で、自らも盟主に弓引く事を強要されたシグルドの悲劇、見過ごすには余りある」 &ref(Sveinn.png);「我が優れた戦士の一人にしてオストランデ大族長・シグルドの叔父、ハーラルの名によって宣戦布告する」 &ref(Sveinn.png);「オストランデをユート氏族に返上せよ。&ruby(サンダラー){雷神};の鉄槌が汝らの頭蓋を残らず打ち砕く、その前に」 &ref(ハーラル.png); ヨムスヴァイキングの戦長、インリング氏族のスヴェインが、ホラーネの叛乱軍に宣戦布告したのだ。ノルド同士の戦いにヨムスが介入するというのは全く異例の事である。 磐石な盟主体制はヨムスにとって重要な関心事である。スヴェインはこの内乱に介入し、盟主を援護する口実を探していたが、そこで名乗り出たのが一人のユート氏族、ハーラルであった。彼は自分の持つオストランデ大族長位への強力な請求権を行使する事を具申したのである。 オストランデ大族長は彼の甥・シグルドで、前大族長はシグルドの祖父でありハーラルの父である、バグセク3世((初代とは所領が異なるので、実際のゲーム中には3世の表記はありませんが。))であった。バグセク3世の長男でありシグルドの父・バルデルは大族長位の継承予定者であったが、ヴァリヤーギ親衛隊に参加し、地中海の戦場で捕虜となって、眼球を刳り貫かた上に去勢されて獄死していた。そして、バグセク3世の死によってバルデルの子・シグルドが大族長位を継承したが、ハーラルには第二継承権としてこの請求権が残ったのである((オストランデの相続法はAgnatic-Cognatic Gavelkindだったのですが、実は何でハーラルに大族長位が継承されなかったのか良く解っていません。長子が死んだ時、第一継承権は第二子に移るのが通常の挙動だと思うんですが……ヨムスに参加していると継承が見送られる?))。 この誰にとっても予想外だったスヴェインの参戦は、ホラーネを動転させた。二つの叛乱軍で帝軍と戦う予定だったのが、まさか自分も二対一の状況に陥るとは考えてもいなかったのである。 &ref(講和の提案.png); ホラーネは慌ててホーセンスに使者を送り、白紙停戦を提案した。相続法についての議論を白紙に戻し、改めて臣従を誓う事で、ヨムスの宣戦事由を無効化して欲しい、という事だった。この講和が成れば帝軍は戦力を増強した上で独立派閥との戦いに集中できる、という事もあって、摂政・トステをはじめとした宮廷はこの申し出を喜んだ。 &ref(Gyrid.png);「……続けて」 しかし……ギュリドはゆるゆると首を横に振り、経戦を求めたのである。これにはトステも顧問団も大いに困惑し、何かの間違いかと考えて何度も確認し、意思を改めさせようと説得を試み、独立派閥との戦いにどれほど彼らの(というより主にヘルギの)兵員と税収が必要かを説明した。 だが、ギュリドは頑として首を縦に振らなかった。それは、これまで政務を完全に摂政と顧問団に任せ、一切口出しする事の無かったギュリドの、11歳にして行った、最初の明確な「スカンジナヴィア皇帝」としての決定であった。停戦・経戦の決定権は民会ではなく、国体の化身である皇帝にある。如何に摂政とは言え、それをトステに覆す事は不可能だった。 &ref(カオス.png); &ref(オストランデ.png); こうして、ヨムスヴァイキングが挙兵し、艦隊でノルウェー南端につけ、オストランデの占領を開始。ホラーネ軍は帝軍との戦いどころではなくなったのである。 **ロシアの戦い [#b87efa30] トステはギュリドの決定に頭を痛ませながらも、ホラーネ軍とヨムスの戦いに巻き込んで主力軍団9000名を消耗させたりしないよう戦いを避け、慎重に東方へ進めた。 因みにこの頃に、戦費として溜め込まれていた国庫は完全に枯渇。ギュリドの決定によってヘルギから税を取れない帝国の財政は完全に破綻していた。 &ref(ロシアン.png); &ref(スモレンスク.png); 1012年の年末から1013年の年始頃、帝軍はフィンランドに到着。トリュッヴェの叛乱軍8000名はレヴァルを完全に掌握し、イングリアの占領も終了目前だったが、交戦を避けてそれを放棄し南下。スモレンスクの占領を開始する。結局、1013年の9月中旬頃に野戦となる。帝軍はこれに辛うじて勝利するが、員数の有利で勝ったに過ぎず、給料も満足に支払われない状況でロシア奥地で戦わせられる兵員の士気は低下し続けており、実際には痛み分けといった有様になっていた。 十分な余力を持って撤退したトリュッヴェの軍は更に南方に姿を隠す。補給線の伸び切っていた帝軍は深入りせず、トリュッヴェの居城があるナルヴァの占領に方針を切り替えた。そこで、軍団を悲劇が襲う。 &ref(疫病.png); 1015年3月、フィンランド南部で、発疹チフスが流行したのである。別名「戦争熱」とも呼ばれるこの疫病はシラミやダニを媒介に感染を拡大する熱病で、軍団内の被害者は実に2000名を超え、主力軍の残存兵力はついに5000名を割ったという。 &ref(撤退!.png); そして、「首都」奪還の為に、未だ7000名以上を残す叛乱軍がレヴァルの南に現れた頃…… *1015年3月9日 盟主ギュリド、成人。 [#i73462e8] &ref(ギュリド成人.png); 因みに、摂政トステはこの前年に老死している。帝国と盟主座に忠心を尽くしたトステであったが、最期を看取るギュリドの美貌は全くの無表情で、トステは不利な戦況と、訪れつつあるこの女帝による治世に失望しながら絶息したという。 敵にも味方にも最も恐れられた女盟主の親政は、こうして開始されたのである。 |[[AAR/フレイヤの末裔/盟主ギュリド(中編)]]に続いて欲しい。……欲しくない?|
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[[AAR/フレイヤの末裔]] [[AAR/フレイヤの末裔/盟主インガ(後編)]] **幕間「ヘルギ」 [#r14567ce] '''「あんたの言う事は嘘ばっかりね。その毒舌を止めないなら、短気な神様達があんたをここから叩き出す事になるわ」''' '''「でかい口を叩くなよフレイヤ、罪深い狂女め。お前が実の兄と何をしていたのか神々に知らせてやろうか」''' '''――「古エッダ」神話詩のうち「ロキの口論」''' &ruby(バールホール){火の間};。私はここが好き。暖かくて、明るいから。 それに、とても解り易い。いつだって「&ruby(バール){火};」の絶やされない「&ruby(ホール){広間};」、だから「&ruby(バールホール){火の間};」。 炎はその明るさで、暗い世界を照らし出してくれる。人の眼は暗闇の中では働かないから、世界は常に炎を中心に作られる。 光の無い場所は、そこに何があるのかも解らない。 &ruby(トステ){雷の石};は解り難い。爺やは雷じゃないし石でもない。 &ruby(スヴェルケル){黒い槍};、解り難い。大臣は肌も髪も白くて、槍を持ってる所なんて見た事がない。 &ruby(ベルシ){熊};、解り難い。人なのに変だ。 &ruby(ステュルカル){激情と強情};、解り難い。いつも笑っているし、そんな風には見えない。 &ruby(インガ){女神};。お母様は解り易かった。本当に、女神様みたいに美しい人だったから。 でも、ご先祖様達もやっぱり解り難い。 &ruby(アンラウフ){始める者};。解り難い。フローニの最初は&ruby(フレイヤ){美の女神};様だって聞いた。 &ruby(カルル){自由民};。解り難い。&ruby(ヤルル){王様};なのに&ruby(カルル){臣民};だなんておかしい。 &ruby(フレイ){美の男神};。解り難い。残ってる絵はどれもお爺ちゃんで、奇麗かどうかなんて解らない。 私は&ruby(ギュリド){神の美};、妹は&ruby(アルフリド){エーシルの美};。 解り難い。「エーシル」も神様って意味だって聞いた。それじゃ区別がつかない。どっちがどっちの名前だったのか、時々わからなくなる。 &ref(Helgi.png);「ギュリド……」 &ref(Gyrid.png);「……」 ヘルギ叔父様。&ruby(ヘルギ){聖なる人};。解り易い。お母様に似て、とても奇麗な人だから。 一年振りに合っても直ぐに解るくらい奇麗な顔と、奇麗な名前。 &ref(Helgi.png);「……そんなに見詰められると、少し話し難いのだが」 &ref(Gyrid.png);「ん……」 私は叔父様を玉座に座らせて、そのマントに包まれながら、炎で照らされる叔父様の顔を眺めていたんだった。 でも、叔父様が困るみたいだから、私は眼を、火の間を&ruby(バールホール){火の間};にしてくれる、&ruby(バール){火};に向けた。 &ref(Helgi.png);「ギュリドは、私の事が好きか?」 &ref(Gyrid.png);「ん……」 叔父様は奇麗で、解り易いから、好き。誰かわかる。憶えられる。だから眺めるのが好き。 &ref(Helgi.png);「じゃあ、少しお願いをしても良いかな?」 &ref(Gyrid.png);「なに……?」 &ref(Helgi.png);「少し難しい話をするぞ。姉様が……つまり、ギュリドのお母様が、沢山の決まりごとを作った」 &ref(Helgi.png);「姉様はとても賢い人だった、だから、この国の仕事を全部自分でしようとした。そのために必要な、沢山の決まりごとだった」 頭の後ろを叔父様の声がとんとん叩く。それが気持ち良くて、私は踊る炎を見ながら、ぼんやりした気持ちになってくる。 &ref(Helgi.png);「でも、姉様が死んでしまったから、今では姉様の代わりをできる人がいないんだ」 &ref(Gyrid.png);「爺やとか、スクルドは……?」 &ref(Helgi.png);「確かに賢い人達だ。でも、姉様ほどじゃあない。だから、お願いというのはね、この国の仕事を、皆で分けてできる様にして欲しいんだ」 &ref(Helgi.png);「姉様ほど賢い人は今この国にはいない。でも、皆で分け合えば、できない仕事じゃあない」 私を包むマントの中、叔父様が私を抱き締める力が強くなる。少し、苦しい。 &ref(Helgi.png);「その為には……ギュリドがそう決めた、って言って欲しいんだ」 &ref(Gyrid.png);「……いつ?」 &ref(Helgi.png);「もう直ぐさ。直ぐに来る」 叔父様がそう言うと、扉を乱暴に開いて、誰かが入って来た。 &ref(Toste.png);「玉座から降りられませよ」 爺やだ。 &ref(Helgi.png);「よく見ろ摂政殿、これは盟主猊下の御命だ」 &ref(Toste.png);「…………。では、何の御用でホーセンスへ? 一報も無く来られては迎賓の準備も適いませんぞ」 &ref(Helgi.png);「不要だ。ヴォルガストからベルゲンの道中に姪の顔が見たくなっただけだからな」 &ref(Toste.png);「それで門兵に口止めまでしての入城とは……戯言をッ」 爺やは嫌いだ。私が叔父様とくっついていると、いつも離そうとする。 &ref(Helgi.png);「お前から報せられると、再会の驚きが減るだろう? ……所で、ついさっき御諚を賜ったぞ、トステよ」 &ref(Helgi.png);「盟主猊下は帝権を一時縮小し、諸族長による自治と連携によって、前盟主・インガの天才が喪われたのを埋めよと勅められた」 &ref(Toste.png);「……っ!?」 &ref(Helgi.png);(ギュリド、言うんだ) 叔父様の指が耳を撫でる。それが心地よくて、私の口は勝手に動く。 &ref(Gyrid.png);「命じる……」 &ref(Toste.png);「……言わせたな、ヘルギッッ!!」 &ref(Helgi.png);「私が去ってから勅令を覆すか? 摂政の専横など枚挙に暇もないぞ、お前もやってみてはどうだ」 叔父様は両腕で私を抱えて立ち上がると、私をゆっくりと玉座に座らせた。なぜか爺やは怒っている様に見える。 どうでも良かった。ただ、また叔父様から離れなければいけない事が切なかった。 &ref(Gyrid.png);「ヘルギ……」 &ref(Helgi.png);「また逢いに来るぞギュリド。美人に育てよ」 叔父様は、私の左手を取って、指の背に口付けた。「大陸風」のキスだと知ったのは後の事。 &ref(Helgi.png);「……その時、お前の&ruby(ハイル){天恵};は私のものになるのだからな」 *盟主ギュリド 10.18.1006~[#yd71ac48] **亀裂だらけの再統一 [#g7232e9c] &ref(戴冠式.png); ギュリドの盟主就任式と戴冠式は聖地ウプサラに程近いスヴィヨッドの王都・ハートゥナで壮麗に行われた。 アスビョルンの変以降、二代(スヴィヨッド側からすれば五代!)・42年もの期間を帝国から分離していたスヴィドヨッドが帝国に再統合される事もあり、この式典はインガのものにも増して豪壮に行われた。 居並ぶ&ruby(ヤルル){族長};の視線を浴びながら、ギュリドはただぼんやりと言われた通りの所作を行い、辛うじて…… &ref(Gyrid.png);「&ruby(サンティクト){承る};……」 と、その意味を理解する事も無いまま、&ruby(ことば){詞};を発して践祚を受けた。 ともかく、父・ハルステンの死で既にスヴィドヨッド女王であったギュリドである。6歳という幼さで即位した彼女の治世は当然、摂政政治に始まる。 &ref(摂政トステ.png); 摂政トステ。あらゆる分野に高い能力を発揮した天才である。 老練の元帥でもあったが、摂政に指名されていた実際の理由はその優れた陰謀眼でギュリドの暗殺を防ぐ事であったと言われている。 摂政はハルステンによって指名されていたベルグスラーゲン大族長・ヘーデ氏族のトステ。ギュリドが盟主座に就いてからも大権を代行した。 トステが先ず行った事は…… &ref(クロターレ!?.png); なんとクロターレの釈放である((牢屋の中にこいつを見つけた時はびっくりしすぎてバグかと思いました。))。「オランダ聖戦」の最中、クロターレはスヴィドヨッド兵によって捕虜となっていたのである。その莫大な身代金の支払いは、中フランクの経済にとどめを差した。 それにしても、「ネヘレニア戦争」に始まって幾度もノルドによって国土を蹂躙され、遂には王も捕らえられ、国庫歳入に倍する身代金を支払わされ……中フランクはこの時代、ノルドの最大の犠牲者であったといえるだろう。 続けて、ギュリドの継承した領土の整理である。というのも、ギュリドはスヴィドヨッド女王として父から継承したスヴィドヨッド大族領を直轄地としており、これにインガから継承したデンマーク領やゼーラントが加わる事は明らかに宮廷の管理限界を超えていたのである。 因みに、フィンランド王・ヘルギはポメラニア王位を継承した事で、カルルの代で家臣から剥奪されて(なぜ剥奪したのかは資料が無い為に不明((もう随分前のプレイでスクショもセーブも消してしまっていました……確か何か陰謀してたから逮捕→剥奪した様な気がします。)))皇帝の直轄地となっていたヴォルガストに転封され、代わりにフィンランド族領がギュリドには継承されている((継承時に自動的にそうなりましたが、なぜこんな処理が起こったのか良く解っていません。ヘルギにはフィンランド伯領に対するClaimも残っていませんでした。))。 先ず、フィンランド族領は&ruby(デジュリ){慣習領土};通りにフィンランド大族長・ホラーネ2世に下賜し、ゼーラントにはギュリドの従兄・インゲマルを封じている(「トーレンのリンダ」の長子である)。そしてスヴィドヨッド大族長位を、インリング氏族のグリムなる人物に与えた様である。 &ref(グリム.png); 1015年頃のグリム。残酷且つ好色なヴァイキングとして名の知れた人物であったという。 スヴィドヨッドの直轄地をあっさりと手放したこの授封は、「フロージの平和」の頃にウプサラを統べたというインリング家の伝説を尊重する形で行われたが、同時に、「デンマーク王」と「スカンジナヴィア帝」の同一性を強くアピールするものだった。戴冠式こそハートゥナで行われたが、家祖・フレイヤの覇業発祥の地であるユランこそが最も正当な「ノルドを統べる場所」であり、権威に於いてウプサラに優越する、という事を示すセレモニーでもあっただろう。 &ref(リトアニー.png); &ref(ハフリド.png); また、スヴィドヨッドの統合によって大半が帝国版図となったリトアニアの大族長位をコーリガイラなる者から剥奪し、シグルド2世の曽孫に当たるヤッヴャーギ族長・ハフリド(彼女も若くして父を肺炎で亡くし、この時10代であったという)に与えている。 &ref(王権低下.png); &ref(ヘルギの要求.png); そして、幼い女盟主に対する不安と不満を少しでも和らげようと、帝権の縮小を宣言した。これに便乗し、自分の勢力を背景にヘルギ王は更なる縮小を要求。私闘禁止法や異教弾圧法といった、カルルとインガによって定められた多くの帝国法がこの時代に撤回させられている。 これらの処理が終わると、トステは「できる限り何もしない」事を選んだ。戴冠式でこそ&ruby(ヤルル){族長};達はギュリドの継承を歓迎する態度を取ったが、殆どの族長達にとって、それが心底からのもので無い事は明らかで、いつ起こるとも知れない叛乱に備える必要があったからである。 二代続いての&ruby(フィルクヤ){女盟主};、しかも余りにも幼い。その上ギュリドの精神的な発達の遅さも専ら噂になっていて、インガの頃には全族長が長子相続に賛成してこそいたが、その中には買収によって一時的に口を噤んだに過ぎない反対派の者達も多かった。また、特に帝国東部ではこれを機と見て独立を求める派閥も形成されていた。 トステはそれら派閥にヘルギが手を貸さぬように、大臣・スヴェルケルをヴォルガストに送り、懸命な説得も行っている。 &ref(スヴェルケル.png); 大臣であるノールランド大族長・スヴェルケル。リンダ妃の出身氏族であるステンボックの当代当主である。 ステンボック氏族は代々交渉術の秘伝を継承しており、歴代大臣の中にはその出身者が少なくない。 帝国内は、いつ、どこで、誰が、何の名目で盟主に弓を引いてもおかしくない状況だったのである。 常駐軍は中フランクに残って略奪を続けて、軍資金を掻き集めていた。 それを率いていたのはホルムガルド大族長・アストリドの元帥、リュキ族長・ゴルムである。 &ref(ゴルム.png); スロヴェンスキー氏族のゴルム。謙虚で野心を持たない、純粋な武人であったという。 &ref(略奪2.png); &ref(略奪1.png); ゴルムはカリスマ的な指揮官で、略奪隊の規模に倍する討伐隊を幾度も難なく返り討ちにして恐れられた。彼の号令は常に「進み、殺し、進め」という簡潔極まるものであったというが、どんな場合も軍団を後ろに従えて先陣を切り、それを体現して見せたと伝えられている。彼に従った兵士達は「&ruby(ゴルム){竜神};の気迫が死を退ける」と信じ、恐怖を忘れて突進したという。 クロターレの身代金と合わせて、帝国の国庫には大量の金塊が詰め込まれていたが、これらは全て有事の備えとして手付かずで保管された。 **盟主教育 [#v95e6775] ギュリドはフローニ氏族の特質ともいえる美貌を幼少の頃から備えていたが、前述の通り、その精神の発達は非常に遅れていた。7歳になって漸く単語で意思を伝える事を始めたが、極端に無口で、非常に内向的な気性であったという。両親を幼くして喪い、物心もつかないうちから玉座に就いていた事から考えれば無理からぬ事であったかも知れない。 彼女の妹・アルフリドも内向的だったというが、容姿に際立ちは無く、逆に3歳で法律を理解する天才を発揮したと言われており、臣民達は「インガの魂が二人に分かれて宿った」と噂したという。 ともかく、ギュリドの教育をインガから引き継いだのは、ナッドオオア氏族のスクルドである。 &ref(スクルド.png); ナッドオオア氏族のスクルド。その政務能力を買われての教育係任命である。 この女性は二代目盟主・フレイが妃・ギュリドの死後に娶った後妻である。しかしその時にフレイは既に老齢であったし、この再婚は政務の補佐役を求めての事、つまり実質の「引き抜き」だったと考えられている。身分的には皇太后であるが、結婚してからフレイの崩御までは半年もなく、彼女の忠誠はインガに向けられており、遺命に従って熱心にギュリドを教育した。 &ref(内気.png); &ref(しかられた…….png); &ref(短気.png); スクルドは優れた教師ではあった。彼女を強く律しながらも、民会の主宰者に相応しくない内気さを問題視し、何とか感情表現を身に付けさせようと試みた。しかし、それは却って彼女の気性を短気なものにしてしまい、言葉ではなく、極端な(時に暴力的な)行動で意思を示す人物に育たせてしまっていった。 帝国内の緊張が高まる中、スクルドは何とかギュリドを盟主に相応しい人物に育てようと全力を尽くした。トステが十分な時間を稼ぐ事ができたなら、ギュリド自身の成長によって族長達の忠誠を得て、内乱を回避できないかと考えてもいた。 しかし、1010年11月下旬、ギュリドが盟主座について4年と1ヵ月……内乱の火蓋は切って落とされてしまうのである。 **ヴァニル戦争 [#t3058a58] &ref(Hrane.png);「&ruby(ヘリグ・フィルクヤ){盟主猊下};に申し上げる。我らが古き信仰は強き者を、&ruby(ハイル){天恵};に優る者を尊ぶものである筈」 &ref(Hrane.png);「かのカルル帝がそれを認め、定められた選挙相続法こそ、その理念に相応しいものと存じ上げる」 &ref(Hrane.png);「反して、長子相続は&ruby(ハイル){天恵};を競う事を厭い、氏族の怠惰を呼ぶ悪法。母の情を拭えずに遺した、前盟主唯一の過ちと存じます」 &ref(Hrane.png);「エーシルとヴァニルの仲介者として、盟約を然るべき形へ戻されませよ」 &ref(Hrane.png);「これは叛意に非ず、猊下の&ruby(ハイル){天恵};を信仰すればこそ。その証を伴う法を行われよ!」 &ref(Toste.png);「ハイコネンの若き長よ、ギュリド猊下の御聖言を享けるが良い」 &ref(Toste.png);「『&ruby(ハイル){天恵};とは氏族の魂であり、一人間によって比較されるべきものに非ず』」 &ref(Toste.png);「『盟約は優れる氏族を尊ぶ。これを違える者は、&ruby(フローニ){フレイヤの末裔};の&ruby(ハイル){天恵};を窺う者と心得よ』」 &ref(Hrane.png);「然れば、氏族の幼き長に申し伝えよ。『戦いよ在れ。我が兵を討ち果たしてその証とせよ』と!」 &ref(Toste.png);「良かろう、戦いよ在るべし! あの姦夫にもそう伝えるが良い!!」 &ref(内乱開始.png); &ref(ホラーネ.png); 要求の声明と、派閥の頭目・ホラーネ。ホルムガルド大族長・アストリドの四人目の夫でもある。 1010年10月下旬、フィンランド大族長・ホラーネ2世を中心にした派閥が、スカンジナヴィア帝位と盟主座の選挙相続制への変更を要求。摂政・トステがギュリドの名でこれを却下した。選挙相続法に戻れば、幼いギュリドは暗殺の危機に晒されるのだ。 こうして、派閥はそのまま叛乱軍として挙兵した。このホラーネ2世の軍に与していたのは、オネガ族長・グドフリド、スコーネ族長・セームンド、ハラン族長・ダグ…… &ref(ヘルギ.png); ヘルギ王。妻の外に1人の愛妾と、何と5人もの恋人を持つ色男である。狩りの名人としても知られ、いろいろな意味で凄腕の「狩人」である。 そして、ノルウェー=フィンランド=ポメラニア王にしてギュリドの叔父・ヘルギだった。 いや、この内乱の実際の仕掛け人がこの男であった事はほぼ間違いないだろう。 &ref(反乱地図.png); 叛乱軍の支配する版図は南と東からユラン~シェランを包囲する形となっていた。 &ref(ユラン周り.png); しかしトステも流石に古強の元帥である。ユランとスヴィドヨッド南部の徴集兵で軍団を編成し、それでスコーネの軍を挟み撃ちにして討ってデンマークとスカンジナヴィアの通路を確保した後、中フランクから呼び戻したゴルム率いる常備軍をユランで合流させ、7500名を超える主力部隊とする。版図が散っている事で合流に手間取る叛乱軍を各個撃破しながら、スヴィヨッド北部やリトアニア~ロシアの徴集軍を集結させていった。 大きな損失も無くゴルムの快進撃は続き、内乱が始まって半年もした頃には大勢は決まった……かと思われていた。 しかし、叛乱者達は、想像以上に強かであった。 &ref(Tryggve.png);「幼きギュリドよ、その小さな手にこの広大な帝国は手に余ろう」 &ref(Tryggve.png);「その帝冠はスカジの地に収め、我ら&ruby(ヴァリヤーグ){東方ノルド};を解くが良い」 &ref(Tryggve.png);「或いは、三つのフローニが争い流れる血で&ruby(オステルセン){バルト海};は染まる事となろう!」 &ref(反乱拡大.png); 1011年6月、東方領域の派閥が内乱に乗じて独立を求めたのである。トステはこれを認めるべきか大いに悩んだというが、最終的には却下している。 決め手となったのは…… &ref(トリュッヴェ.png); 独立派閥頭目・トリュッヴェ。ハルステンにエストニア大族長位を与えられたスウェーデン系フローニである。 独立派の版図には、スカンジナヴィア帝国の&ruby(デジュリ){慣習領土};と看做されている、ナルヴァ族領が含まれていた事である。 慣習領土の回収はインガによって完遂され、帝国領土は漸く完成を見たとされていたのである。これを欠かす事は、ギュリドの治世に汚痕を残す事となり得たのである。 しかし、これは危険な勝負であった。独立派はエストニア大族長・トリュッヴェを頭目に、ロシア領域の族長達、そして誰よりも…… &ref(アストリド.png); インガの寵愛を享け、帝国の持つロシア領域の大部分を与えられているホルムガルド大族長・アストリドが盟していたのである。アストリドはインガの紹介で結婚した二人の夫を亡くした後、ホラーネと結婚している。そして、ホラーネ2世に唆されて独立派に加わったが、インガの娘を陥れる企みに心を病む程苦悩していたという。 しかも、前述した大将軍・ゴルムはリュキ族長……つまり、アストリドの家臣であり、これはゴルム無しでの戦いを帝軍に強いる事にもなるのである。 ともかく、スカンジナヴィア帝国は、二つの大規模な叛乱軍と戦わねばならなくなった。 王権の縮小による帝軍の弱体化と、この独立派の決起……ホラーネ2世とヘルギは、初めからこれに賭けて兵を挙げていたのだ。 &ref(反乱地図2.png); &ref(反乱地図3.png); 叛乱軍の版図は帝国領土の半分近くにも及び、兵力の総数ではついに帝軍を上回るに到ったという。 **ヴァン神族の系譜 [#o002cf84] この戦いは「ヴァニル戦争」と呼ばれる。それというのも、各陣営の主要人物4名が「ヴァニルの末裔」を名乗る氏族であった事による。 &ref(家系図.png); ついでにフローニ家の系譜を整理してみよう。 家祖・フレイヤには四人の子がいた。第一子(長女)・リンダ、第二子(次女)・ギュラ、第三子(長男)・アンラウフ、そして第四子(次男)・アルンビョルンである。 男系優先の相続によって家督を継いだのは長男のアンラウフで、アルンビョルンは成人せぬまま彼に暗殺されている。 長女・リンダはホルムガルドのリューリク家に嫁いだが、男系は彼女の孫の代で断絶してしまい、女子は何れも他氏族に嫁いでいる。 次女・ギュラは女系結婚によってムンソ家の婿を取り、彼女の子・ビョルン2世以降、スヴィドヨッドはフローニ家のものになっている。 つまり、この世代まで系譜を繋いでいるのはアンラウフとギュラに続くもの、という事になる。 アンラウフの系譜は「直系フローニ」または「アンラウフ氏族」、そしてギュラの系譜は(「アスビョルンの変」によって一時的に離れはしたものの)ハートゥナ城砦を宮廷とし続けた事で「スウェーデン系フローニ」または「ギュラ氏族」や「ビョルン氏族」と呼ばれる場合がある。 直系フローニの長・インガとスウェーデン系フローニの長・ハルステンの結婚と、二人の子であるギュリドの継承は、フローニのこの二潮流を合流させたものだったわけだが、かといって全てのフローニの血筋が一つになったわけではない。……というより、その合流がギュリドの継承による以上、まだ生まれてもいない「ギュリドの末裔」以外のフローニはいずれも「アンラウフ氏族」であるか「ギュラ氏族」である事になる。 ここで、この内乱の主要人物3人の系譜について考えてみると面白い。 先ず、二大フローニの合流点であるギュリド。 そして、男系によれば「アンラウフ氏族」の直系子であるヘルギ。 最後に、ビョルン2世の三男・インギャルドの子、つまりスウェーデン系フローニの男系末流に当たるトリュッヴェ。 これは「三人のフローニの戦い」であるだけでなく、「三種のフローニの戦い」でもあったのだ。 そしてもう一人…… **意外過ぎる乱入者 [#kac61748] 独立派が挙兵した翌月、二つの叛乱軍へ対応するべく議論の続いていた帝国宮廷に意外過ぎる報せが届いた。 &ref(Sveinn.png);「アフ・ハイコネンのホラーネよ、盟約者の剣にして盾、インリングにしてヨームの&ruby(ウォーチーフ){戦長};、スヴェインが申し渡す」 &ref(Sveinn.png);「逆臣・ヘルギの臣下に置かれた事で、自らも盟主に弓引く事を強要されたシグルドの悲劇、見過ごすには余りある」 &ref(Sveinn.png);「我が優れた戦士の一人にしてオストランデ大族長・シグルドの叔父、ハーラルの名によって宣戦布告する」 &ref(Sveinn.png);「オストランデをユート氏族に返上せよ。&ruby(サンダラー){雷神};の鉄槌が汝らの頭蓋を残らず打ち砕く、その前に」 &ref(ハーラル.png); ヨムスヴァイキングの戦長、インリング氏族のスヴェインが、ホラーネの叛乱軍に宣戦布告したのだ。ノルド同士の戦いにヨムスが介入するというのは全く異例の事である。 磐石な盟主体制はヨムスにとって重要な関心事である。スヴェインはこの内乱に介入し、盟主を援護する口実を探していたが、そこで名乗り出たのが一人のユート氏族、ハーラルであった。彼は自分の持つオストランデ大族長位への強力な請求権を行使する事を具申したのである。 オストランデ大族長は彼の甥・シグルドで、前大族長はシグルドの祖父でありハーラルの父である、バグセク3世((初代とは所領が異なるので、実際のゲーム中には3世の表記はありませんが。))であった。バグセク3世の長男でありシグルドの父・バルデルは大族長位の継承予定者であったが、ヴァリヤーギ親衛隊に参加し、地中海の戦場で捕虜となって、眼球を刳り貫かた上に去勢されて獄死していた。そして、バグセク3世の死によってバルデルの子・シグルドが大族長位を継承したが、ハーラルには第二継承権としてこの請求権が残ったのである((オストランデの相続法はAgnatic-Cognatic Gavelkindだったのですが、実は何でハーラルに大族長位が継承されなかったのか良く解っていません。長子が死んだ時、第一継承権は第二子に移るのが通常の挙動だと思うんですが……ヨムスに参加していると継承が見送られる?))。 この誰にとっても予想外だったスヴェインの参戦は、ホラーネを動転させた。二つの叛乱軍で帝軍と戦う予定だったのが、まさか自分も二対一の状況に陥るとは考えてもいなかったのである。 &ref(講和の提案.png); ホラーネは慌ててホーセンスに使者を送り、白紙停戦を提案した。相続法についての議論を白紙に戻し、改めて臣従を誓う事で、ヨムスの宣戦事由を無効化して欲しい、という事だった。この講和が成れば帝軍は戦力を増強した上で独立派閥との戦いに集中できる、という事もあって、摂政・トステをはじめとした宮廷はこの申し出を喜んだ。 &ref(Gyrid.png);「……続けて」 しかし……ギュリドはゆるゆると首を横に振り、経戦を求めたのである。これにはトステも顧問団も大いに困惑し、何かの間違いかと考えて何度も確認し、意思を改めさせようと説得を試み、独立派閥との戦いにどれほど彼らの(というより主にヘルギの)兵員と税収が必要かを説明した。 だが、ギュリドは頑として首を縦に振らなかった。それは、これまで政務を完全に摂政と顧問団に任せ、一切口出しする事の無かったギュリドの、11歳にして行った、最初の明確な「スカンジナヴィア皇帝」としての決定であった。停戦・経戦の決定権は民会ではなく、国体の化身である皇帝にある。如何に摂政とは言え、それをトステに覆す事は不可能だった。 &ref(カオス.png); &ref(オストランデ.png); こうして、ヨムスヴァイキングが挙兵し、艦隊でノルウェー南端につけ、オストランデの占領を開始。ホラーネ軍は帝軍との戦いどころではなくなったのである。 **ロシアの戦い [#b87efa30] トステはギュリドの決定に頭を痛ませながらも、ホラーネ軍とヨムスの戦いに巻き込んで主力軍団9000名を消耗させたりしないよう戦いを避け、慎重に東方へ進めた。 因みにこの頃に、戦費として溜め込まれていた国庫は完全に枯渇。ギュリドの決定によってヘルギから税を取れない帝国の財政は完全に破綻していた。 &ref(ロシアン.png); &ref(スモレンスク.png); 1012年の年末から1013年の年始頃、帝軍はフィンランドに到着。トリュッヴェの叛乱軍8000名はレヴァルを完全に掌握し、イングリアの占領も終了目前だったが、交戦を避けてそれを放棄し南下。スモレンスクの占領を開始する。結局、1013年の9月中旬頃に野戦となる。帝軍はこれに辛うじて勝利するが、員数の有利で勝ったに過ぎず、給料も満足に支払われない状況でロシア奥地で戦わせられる兵員の士気は低下し続けており、実際には痛み分けといった有様になっていた。 十分な余力を持って撤退したトリュッヴェの軍は更に南方に姿を隠す。補給線の伸び切っていた帝軍は深入りせず、トリュッヴェの居城があるナルヴァの占領に方針を切り替えた。そこで、軍団を悲劇が襲う。 &ref(疫病.png); 1015年3月、フィンランド南部で、発疹チフスが流行したのである。別名「戦争熱」とも呼ばれるこの疫病はシラミやダニを媒介に感染を拡大する熱病で、軍団内の被害者は実に2000名を超え、主力軍の残存兵力はついに5000名を割ったという。 &ref(撤退!.png); そして、「首都」奪還の為に、未だ7000名以上を残す叛乱軍がレヴァルの南に現れた頃…… *1015年3月9日 盟主ギュリド、成人。 [#i73462e8] &ref(ギュリド成人.png); 因みに、摂政トステはこの前年に老死している。帝国と盟主座に忠心を尽くしたトステであったが、最期を看取るギュリドの美貌は全くの無表情で、トステは不利な戦況と、訪れつつあるこの女帝による治世に失望しながら絶息したという。 敵にも味方にも最も恐れられた女盟主の親政は、こうして開始されたのである。 |[[AAR/フレイヤの末裔/盟主ギュリド(中編)]]に続いて欲しい。……欲しくない?|
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Toste.png
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反乱拡大.png
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スモレンスク.png
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クロターレ!?.png
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Tryggve.png
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オストランデ.png
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Hrane.png
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しかられた…….png
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地図2.png
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略奪1.png
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撤退!.png
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アストリド.png
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講和の提案.png
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ホラーネ.png
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Helgi.png
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摂政トステ.png
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グリム.png
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スクルド.png
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内気.png
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気分屋.png
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リトアニー.png
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ユラン周り.png
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ダゴーの戦い.png
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ゴルム.png
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疫病.png
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Gyrid.png
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Sveinn.png
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ハフリド.png
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