AAR/まったりホーエンシュタウフェン家/Duke Friedrich II of Swabiaの時代
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Duke Friedrich II of Swabiaの時代
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[[AAR]] [[AAR/まったりホーエンシュタウフェン家]] *Duke Friedrich II of Schwabenの時代 [#i66af205] 無事に領土が継承されたところで現状の確認をしたい。 継承法であるが、先にBaden公爵になっていたためGavelkindとなっている。なるべく早 期にElectiveに変更する予定。 現在、第一称号がBaden公爵になっているがSwabia公爵に戻す。これは気分的な問題。 Africa戦線はほぼ勝利することが確実。早期に終結をはかりたい。 &ref(http://art64.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129748208.jpg); 当主は既に妻子持ちLegitimized Basterd持ちの長男が推定相続人となっている。でき れば名家の令嬢と再婚したい。(ただし王国法により私戦不可であるので領土拡張の 助けにはあまりならないだろう。) &ref(http://art56.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129748411.jpg); というわけで当面の目標は以下の通り。 1.Africa戦線の終結 2.嫁を××して新しい嫁をむかえる。 3.継承法をElectiveへ 1123年9月 妻Calora死亡、Alsace公爵家の令嬢と婚約 12月 Sultan of Africaが降伏、Tunis公爵領の東半分を押さえたことにより、Tunis 公爵位を創設した。 &ref(http://art61.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129751146.jpg); 1124年6月 Alsace公爵家令嬢Benedictaと結婚 ほぼ同時にEmir of Sicilyが他国と戦争していたのでSalernoの獲得を目指し宣戦 &ref(http://art48.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129748535.jpg); 1125年10月 戦争は特に波乱なくSalernoを獲得 さて、タイトルにまったりとかつけておきながらひたすら戦争していたような気が する。今回の戦争の終結で少しは内政パワーを割けるようになるかもしれない。と りあえずは当面の目標の1つである継承法の変更を目指すとする。 1127年7月 次男Friedrich誕生、ゆくゆくはこの子を後継者として育てたい。 &ref(http://art46.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129758842.jpg); 1127年10月 皇帝からKairwanの支配権を譲渡される。 さて、結果的にはKairwanを得たことにより、Afria王位へ大きく近づくことにな った。 &ref(http://art57.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129748876.jpg); というのもKabylia公爵領を獲得できればAfrica王位を名乗ることが出来るから である。 しかも、そこを治めているEmir of Kabyliaはクロアチア王国と戦争中である。 というわけで1127年10月宣戦する。 1128年10月 皇帝よりMedjerdaの支配権を譲渡される。 1130年3月 三男Heinrich誕生 1030年8月 皇帝がKabyliaを狙いEmir of Kabyliaへ宣戦。味方が増えたのはあ りがたいが、どちらが早く占領できるかの競争になりそうだ。 1032年8月 四男Reinhard誕生 1034年初の戦況、いつ間にかクロアチア王国と講和していた。泥沼になりつつ ある情勢 &ref(http://art45.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129749118.jpg); スコア上は優勢であるものの敵の残存兵力も多いほか、皇帝に先に占領されて しまうと領土獲得できなくなる。 1034年10月 ヴェネチアの請求権を獲得。この戦争が終わったら機を見て攻め たい。 1136年10月 開戦から10年弱、戦況は完全に泥沼化していた。というのも敵の 同盟国としてEmir of Valenciaが参戦しており、しかもかなりの兵力を要して いるほか、皇帝がその国とは戦争状態にないため皇帝が勝手につぶしてくれる ことも期待できない。よって一計を投じることにした。 &ref(http://art48.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129749175.jpg); 暗殺である。これによりEmir of Valenciaは自動的に戦線を離脱することになる。 さて、いよいよ戦争終結も近いと思った矢先、皇帝のほうが先に講和してしまう。 これでアフリカ王位からかなり遠のいたようだ。 &ref(http://art62.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129749226.jpg); その後は苦戦らしい苦戦もなく、1137年9月に勝利を収め、AnnabaとTell Atlas の支配権を獲得。 &ref(http://art57.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129768854.jpg); 1137年12月 継承法をElectiveに変更し、次男のFriedrichを後継者に指名。な ぜわざわざ次男を後継指名するのかというと、長男が私生児だからってだけでそ んなに深い意味はありません。 自分の戦争が終わりましたので、ここでスクショ用いて各地の情勢を紹介した いと思います。 &ref(http://art55.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129759870.jpg); 第3回十字軍の様子。ちなみに第1回と第2回は本AARでは完全にスルーしており ます。 &ref(http://art59.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129750171.jpg); &ref(http://art60.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129750421.jpg); フランス、ポーランド、ハンガリーは内戦状態になっている模様 &ref(http://art48.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129750629.jpg); イベリア情勢、ナバラ王国が若干がんばっているといえるのでしょうか。 1141年9月 前回の戦争終結から約4年、そろそろヴェネチアの請求権を回収 するときが来たかなということでヴェネチアに宣戦。 開戦から2年ほどたった1141年6月当主Friedrichは突然病に倒れる。とここ まではよくあることなので特筆すべきことでもないのだが、直後に亡くなっ てしまう。 &ref(http://art53.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129750692.jpg); 晩年に妻の暗殺計画が失敗し、露見したりしたのがいけなかったのでしょうかね。 結果的にはぎりぎりのタイミングでヴェネチアに宣戦したことになりました。
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[[AAR]] [[AAR/まったりホーエンシュタウフェン家]] *Duke Friedrich II of Schwabenの時代 [#i66af205] 無事に領土が継承されたところで現状の確認をしたい。 継承法であるが、先にBaden公爵になっていたためGavelkindとなっている。なるべく早 期にElectiveに変更する予定。 現在、第一称号がBaden公爵になっているがSwabia公爵に戻す。これは気分的な問題。 Africa戦線はほぼ勝利することが確実。早期に終結をはかりたい。 &ref(http://art64.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129748208.jpg); 当主は既に妻子持ちLegitimized Basterd持ちの長男が推定相続人となっている。でき れば名家の令嬢と再婚したい。(ただし王国法により私戦不可であるので領土拡張の 助けにはあまりならないだろう。) &ref(http://art56.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129748411.jpg); というわけで当面の目標は以下の通り。 1.Africa戦線の終結 2.嫁を××して新しい嫁をむかえる。 3.継承法をElectiveへ 1123年9月 妻Calora死亡、Alsace公爵家の令嬢と婚約 12月 Sultan of Africaが降伏、Tunis公爵領の東半分を押さえたことにより、Tunis 公爵位を創設した。 &ref(http://art61.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129751146.jpg); 1124年6月 Alsace公爵家令嬢Benedictaと結婚 ほぼ同時にEmir of Sicilyが他国と戦争していたのでSalernoの獲得を目指し宣戦 &ref(http://art48.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129748535.jpg); 1125年10月 戦争は特に波乱なくSalernoを獲得 さて、タイトルにまったりとかつけておきながらひたすら戦争していたような気が する。今回の戦争の終結で少しは内政パワーを割けるようになるかもしれない。と りあえずは当面の目標の1つである継承法の変更を目指すとする。 1127年7月 次男Friedrich誕生、ゆくゆくはこの子を後継者として育てたい。 &ref(http://art46.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129758842.jpg); 1127年10月 皇帝からKairwanの支配権を譲渡される。 さて、結果的にはKairwanを得たことにより、Afria王位へ大きく近づくことにな った。 &ref(http://art57.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129748876.jpg); というのもKabylia公爵領を獲得できればAfrica王位を名乗ることが出来るから である。 しかも、そこを治めているEmir of Kabyliaはクロアチア王国と戦争中である。 というわけで1127年10月宣戦する。 1128年10月 皇帝よりMedjerdaの支配権を譲渡される。 1130年3月 三男Heinrich誕生 1030年8月 皇帝がKabyliaを狙いEmir of Kabyliaへ宣戦。味方が増えたのはあ りがたいが、どちらが早く占領できるかの競争になりそうだ。 1032年8月 四男Reinhard誕生 1034年初の戦況、いつ間にかクロアチア王国と講和していた。泥沼になりつつ ある情勢 &ref(http://art45.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129749118.jpg); スコア上は優勢であるものの敵の残存兵力も多いほか、皇帝に先に占領されて しまうと領土獲得できなくなる。 1034年10月 ヴェネチアの請求権を獲得。この戦争が終わったら機を見て攻め たい。 1136年10月 開戦から10年弱、戦況は完全に泥沼化していた。というのも敵の 同盟国としてEmir of Valenciaが参戦しており、しかもかなりの兵力を要して いるほか、皇帝がその国とは戦争状態にないため皇帝が勝手につぶしてくれる ことも期待できない。よって一計を投じることにした。 &ref(http://art48.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129749175.jpg); 暗殺である。これによりEmir of Valenciaは自動的に戦線を離脱することになる。 さて、いよいよ戦争終結も近いと思った矢先、皇帝のほうが先に講和してしまう。 これでアフリカ王位からかなり遠のいたようだ。 &ref(http://art62.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129749226.jpg); その後は苦戦らしい苦戦もなく、1137年9月に勝利を収め、AnnabaとTell Atlas の支配権を獲得。 &ref(http://art57.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129768854.jpg); 1137年12月 継承法をElectiveに変更し、次男のFriedrichを後継者に指名。な ぜわざわざ次男を後継指名するのかというと、長男が私生児だからってだけでそ んなに深い意味はありません。 自分の戦争が終わりましたので、ここでスクショ用いて各地の情勢を紹介した いと思います。 &ref(http://art55.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129759870.jpg); 第3回十字軍の様子。ちなみに第1回と第2回は本AARでは完全にスルーしており ます。 &ref(http://art59.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129750171.jpg); &ref(http://art60.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129750421.jpg); フランス、ポーランド、ハンガリーは内戦状態になっている模様 &ref(http://art48.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129750629.jpg); イベリア情勢、ナバラ王国が若干がんばっているといえるのでしょうか。 1141年9月 前回の戦争終結から約4年、そろそろヴェネチアの請求権を回収 するときが来たかなということでヴェネチアに宣戦。 開戦から2年ほどたった1141年6月当主Friedrichは突然病に倒れる。とここ まではよくあることなので特筆すべきことでもないのだが、直後に亡くなっ てしまう。 &ref(http://art53.photozou.jp/pub/111/2515111/photo/129750692.jpg); 晩年に妻の暗殺計画が失敗し、露見したりしたのがいけなかったのでしょうかね。 結果的にはぎりぎりのタイミングでヴェネチアに宣戦したことになりました。
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