[[AAR/VSYD]] *King Oluf I of Denmark [#p1c9660e] &ref(http://kura2.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180160595_org.v1371347754.jpg,nolink); キイイイン &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); [[やるぞ!!(ジャキィッ:http://www.youtube.com/watch?v=xF9WkTgbkOo#t=6m7s]] &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); [[やるぞ!!(ジャキィッ:http://www.youtube.com/watch?v=xF9WkTgbkOo#t=6m8s]] ドドドドッ タッタラタータータータタター♪ &ref(AAR/VSYD/chancellor_face.png,nolink); 情報を集めております ▼ 先王Erikの拡張政策によりデンマーク王国はHRE,ビザンツにつぐ世界第三位の領土(realm size)を持つに至りました &ref(AAR/VSYD/VSYD_1/1137_territory.jpg,nolink); CENTER:''1137年の国力'' |国名|領土|兵力| |神聖ローマ帝国|435|133k| |ビザンツ帝国|318|89k| |''デンマーク王国''|317|52k| |ペルシア王国|301|171k| |エジプト王国|204|50k| CENTER:(兵力は臣下との関係によって変動するので参考程度) スカンジナビア帝国de jure69プロビンスのうち、38プロビンス55%を手中に収めています 帝国成立にはde jureの80%56プロビンスが必要であり、あと18プロビンス獲得の必要があります 先王陛下により王位を追われた元スウェーデン王とその元臣下たちの領土はあわせても6プロビンスであり、 のこり12プロビンス獲得のためにはノルウェー王国と矛を交える事は避けられません 王位継承の結果、9の公爵位を得た陛下に対する諸侯のやっかみは相当なものです(-70 opinion) &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); お、おう…簡単そうなのからやろうか 公爵位を適当に臣下に下賜して保有公爵位を3まで減らした結果、やっかみは-10 opinionに軽減した。 スウェーデン王国残党3勢力を攻め立て帝国de jureを3回収する。 そして次に、ノルウェー王国に宣戦をしようかという時、 &ref(AAR/VSYD/chancellor_face.png,nolink); 陛下、こちらを御覧ください! &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180160582_org.v1371347747.jpg,nolink); &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); ノルウェー王は若くて天才か…羨ましいです…中年で凡人でごめんなさい… &ref(AAR/VSYD/chancellor_face.png,nolink); そうではありません!このままいけば次のノルウェー王はEstrid家の人間なのです &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); ほ、ほんとだーーー!!でもこのG,G…Gnie…なんとかさんって誰? &ref(AAR/VSYD/chancellor_face.png,nolink); 名前は…どうお読みするのでしょうね…まあとにかく陛下の甥にあたる方です。 &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); マジで!?ちょっと家系図持ってきてくれ &ref(http://kura2.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180160568_org.v1371347739.jpg,nolink,); ノルウェー王位の継承法は封建選挙から男子優先長子継承(Agnatic-cognatic Primogeniture)になっていたが、 Yngling家にはもう直系の男子がいない為、王女の息子であるGnieなんとかさんが第一継承者となったのだった。 第二位以下の継承者はYngling家の王女、つまりノルウェー王Hakon IIの妹達である。 &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); よーしよし、Gnieなんとかにデンマーク王位を継承させれば労せずしてノルウェー王国が手に入るのだな。ノルウェー遠征は取りやめだ &ref(AAR/VSYD/chancellor_face.png,nolink); そう思惑通りに行くでしょうか?Gnie殿下がノルウェー王になる前に暗殺される可能性もございます &ref(AAR/VSYD/chancellor_face.png,nolink); なったとしても子をもうける前に暗殺されてしまえばYngling家の王女達が王位を継いでしまいます &ref(AAR/VSYD/chancellor_face.png,nolink); ここは王位継承によるノルウェー獲得を狙いつつも、武力によってノルウェー領を削っていくべきではありませんか? &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); 先王のように外征と内乱鎮圧に明け暮れるのはオレはいやだ。そんなのは真の王者のする事ではない &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); 「やってやれないことはない。やらずにできたら超ラッキー」がオレの王道だ &ref(AAR/VSYD/chancellor_face.png,nolink); スポ根JKが言いそうな王道ですね…ですが陛下がそう仰るのなら有無はございません &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); ところでGnieはどこにいるのだ? &ref(AAR/VSYD/chancellor_face.png,nolink); 陛下の父君、ポーランド王の宮殿におられます &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); ポーランドの宮殿か…ポーランド人になってるな。まだ7歳のようだから教育でデーン人にすることも不可能ではない。うちの宮殿に招聘できないか? &ref(AAR/VSYD/chancellor_face.png,nolink); Gnie殿下は未成年ですから、殿下本人を招聘はできません。父親であるBenedikt殿下を招聘して一緒に来てもらいましょう ・ ・ ・ &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); Gnieはポーランドに残して、弟者夫婦だけ来ちゃったぞ! &ref(AAR/VSYD/chancellor_face.png,nolink); ポーランド人ではスカンジナビア帝国はつくれませんが、ヴェンド帝国はつくれます…まあ我慢しましょう ---- 1140年10月 同族のHwice公を中心にした独立反乱がおこる 1142年1月 反乱を鎮圧 ノルウェー王Hakon IIに娘が生まれていたので暗殺plotを仕掛けておく。その後も子供が生まれるたびに暗殺する 1148年5月 父、ポーランド王Kazimierzが74歳で自然死。ポーランド王国を継承。即座にポーランド王位を廃する 継承したポーランド国内の直轄領はGnieに与える &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); オヤジに毒婦の計を仕掛けていたが、その外交力のまえに送り込んだ毒婦が心酔して誰ひとり暗殺協力者にならなかったのは秘密だ &ref(AAR/VSYD/chancellor_face.png,nolink); 外交君主万能論を地で行かれる方でしたな &ref(http://kura2.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180634337_org.v1371905015.jpg,nolink); ---- 1149年 イタリア半島でトスカナ公がHREから独立していた。マチルダちゃんに婿入りしたKnudの曾孫である &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180630457_org.v1371902923.jpg,nolink); &ref(http://kura3.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180630466_org.v1371902931.jpg,nolink); ---- 1152年 ノルウェーで王位簒奪の反乱が勃発。ここで王位を奪われるとGnieが継承する目は無くなるので、ノルウェー王Hakonの側で参戦。これを鎮圧 1154年6月 独立を求める諸侯が反乱。 1155年7月 反乱鎮圧。 1156年11月 アラゴン十字軍の布告がだされる。参加する 1157年11月 十字軍勝利。ノルウェー王がアラゴンの王位を得て守護につく &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); なんで戦勝点貢献第一位のうちじゃなくてノルウェーなんだ… 1159年10月 ノルウェー王Hakon IIの暗殺に成功する。Hakonの息子Pal(1歳)が王位を継承する &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); ポカーン &ref(AAR/VSYD/chancellor_face.png,nolink); ちょっと目を話した隙に子供が生まれていたようですね… &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); 既に4人の子供を葬っていたからな…油断したわー &ref(AAR/VSYD/chancellor_face.png,nolink); 長子相続でしたから第二位のGnie殿下がstrong claimを獲得されています &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); やはり流血で購ってこその王位! &ref(AAR/VSYD/chancellor_face.png,nolink); … Hakon IIの子供、3女1男を葬ったが、女は皆Hakondatter、男はHakonssonという名前だった。安直すぎませんかね 1160年2月 Gnieのノルウェー王位へのStrong claimにより宣戦 1160年6月 勝利。Gnieがノルウェー王になる 1162年 スウェーデン王位の封建選挙でGniewomirを第一位につけられないため、王位を廃する 威信値-400、スウェーデン諸侯に-50 opinion 跡目争いで内乱状態のクマン族から聖戦で領地を分捕り、スウェーデン領主に与えてなだめる 1162年 ノルウェー王Gniewomirに王位簒奪を狙う反乱が発生。即日同盟参戦してGniewomirの支援にまわる &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); 幽閉されている臣下以外のほぼ全員が反乱に加担してるぞ… &ref(AAR/VSYD/chancellor_face.png,nolink); ポーランド人のノルウェー王ですから 1165年 ノルウェー王が反乱を鎮圧 &ref(http://kura1.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180161823_org.v1371348714.png,nolink); アフターケアって大事よね ---- 1166年 商業共和国の交易所開設が遅く首都まで届いていない &ref(http://kura3.photozou.jp/pub/852/3012852/photo/180633149_org.v1371904466.png,nolink); Trade Practice技術で交易所の上限数に補正がかかる。 1で-100%、2で-50%、3で+-0%…という具合に低いうちはかなり制限される。 EstoniaとBjarmiaはどちらも技術が低く(1.5ぐらい)、Dehaubarthは高い(3)。 Estonia商業共和国にバルト海を牛耳らせる算段だったが首都進出まで50年はかかりそうなので、 首都のお隣Fyn島にGotland商業共和国を設立させる。王国首都の隣なので技術も高い(3)。 ---- 1167年10月 独立反乱 1168年12月 反乱鎮圧 1172年10月 75歳で自然死。 指名により甥のノルウェー王Gniewomirがデンマーク王国を継承した。 King Gniewomir I of Denmark(作成中) //[[King Gniewomir I of Denmark>../VSYD_4]] TIME:"2013-08-28 (水) 10:20:21"