[[AAR/歴史資料集 図説 ローマ帝国の再興と拡大]]

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**11世紀後半 [#z364cdf9]

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さらなる攻勢を続けるイシドロス帝は1061年、モーリタニア属州を復活、

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地中海を再び「内海」とし、
余勢を駆って3年後、400年にわたって帝国を悩ませてきたイスラム教の聖地・
メッカを陥落させます。

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敵は最早無いように見える帝国ですが、それを未だ恐れず攻撃を仕掛けてくる勢力がありました。

北の海賊達です。

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ヴァリャーギ親衛隊とも相談したところ、彼らの信奉する北の神々の名の下には正当化されるとのことです。
つまり彼らの信仰を捨てさせなければ、この海賊から帝国が解放されることはあり得ない。

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かつてアリウス派の伝道師がゲルマンへの伝道を達成させ、ある程度なりとも話の通じる相手にした経緯はありました。
しかし現在、それを行いそうなカトリックは弱体化しています。帝国が弱体化させたからです。

即ち帝国が海賊から自由になるには方法は一つしかありません。
北の民族の闊歩する土地全てを支配下とすることです。
古代においては蛮族は徒歩で、あるいは騎馬でくるものであり、大河を固めていれば事足りた時代もありましたが、
1000年の経過した現在においては状況が異なるのでした。彼らは優れた航海術と船を使い、
いつでも、どこでも、彼らの望む所に出没します。

…ここにおいて帝国の今後取るべき道が決定しました。
それは、あるいは望まぬことであったのかもしれませんが、国民に仇なすものを放置する道は存在しませんでした。

皇帝は彼ら北の民を征伐するために2つのルートを策定しました。
一つは現在進行中の「ブリタニア再征服」を成し、さらにヒベルニア、カレドニアを経て北へ、東へ向かうルート。
もう一つは、こちらは地中海海賊に比べれば頻度は低いのですが、
黒海に現れる海賊のルートを逆にたどって行くこと-即ちドニエプル川を遡上し、北海に出で、周辺を打ち平らげていくことです。

その後の帝国は、この戦略に則り、帝国領の再征服を進めながら、同時に「北伐」も行ってゆくようになります。

また、イシドロス帝の治世下で
イェルサレム、アフリカ地方が帝国の慣習的領土に復帰、アラニアが新たに加入しました。

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&ref(アフリカ復帰.jpg);
&ref(アラニア加入.jpg);

帝国の北伐は思わぬ結果を産みました。圧迫を感じた、カトリックに改宗していたポーランド女王は
何とフランク皇帝と婚姻していたのです。

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このままいくと残されたフランク~ポーランドの巨大なゲルマニアが団結して帝国に抵抗するでしょう。
順風満帆であった帝国の覇業に障碍が増えたこととなりました。

イシドロス帝没後、長男コンスタンティノス4世の2年に満たぬ治世を経て、さらにその長男イシドロス2世帝が立ちます。

イシドロス2世帝は早速このフ・ポ合同を邪魔すべく、
内乱に陥ったフランク帝国の与党を攻めつつ、夫を支援しようとするポーランドをも攻撃しました。
結果としてフランク皇帝は引きずり降ろされる形となり、
フ・ポ合同は一旦立ち消えとなしました。
しかしフ・ポ合同を潰されたカトリックは1090年、次なる策を打ち出しました。
「十字軍」です。

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十字軍は、神の名の下に複数の諸侯を束ね、特定地域を征服してカトリックの土地としようという運動でした。
彼らが標的とした場所はリトアニアであり、これに下手に介入して一層在地国を弱らせてはいけないと、
また、帝国が聖戦の名前でもって同地を攻めてもいちおう同じキリストを崇める聖戦である以上、
彼ら十字軍と敵対することもできず、
結果イシドロス2世はこれに直接は手出しができない状態になってしまいました。

イシドロス2世は結局これまでの方針を継続するに留まります。
イタリアにいまだフランク帝国が保持していた土地の攻略にかかり、
1089年、ついにローマの本国たる全イタリアの回復に成功します。

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次いで1099年には全ヒスパニアの回復にも成功、イスラム教徒の諸侯を西方から駆逐します。
次いで1099年には全ヒスパニアの回復にも成功、
また砂漠の彼方のマリでは再び在地の宗教による解放がなされており、
結果としてイスラム教徒の諸侯を西方から駆逐したこととなります。

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またこの期間、エジプト・ナヴァラが帝国慣習領域に復帰、タウリカが新たに加入しました。

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&ref(ナヴァラ復帰.jpg);
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このころの慣習領土

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TIME:"2014-06-29 (日) 22:08:45"

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