[[AAR/武田家の野望]]
** &ref(hat.jpg); 陰謀 就任式前夜 &ref(hat.jpg); [#i7ad3a3a]
3代目当主の旧伯爵屋敷にて
&ref(3ta.jpg); この度武田家3代目当主になったHarunobuでござる
猿よこたびの活躍忘れはせぬぞ
&ref(saruo.jpg); 恐れ入ります、Harunobu様にお仕えできて猿は幸せでご猿
&ref(3ta.jpg); ははは言うではないか猿、そなたが勝頼兄の行軍経路を
今川に流してくれたおかげで当主になれた、これからは密偵頭として仕えよ
&ref(saruo.jpg); ありがたき幸せ
** 躑躅カ崎城 [#seb6b50e]
&ref(su.jpg); 勘助、真田、何とか勝頼の弟を武田家当主にできぬか?
&ref(ya.jpg); あと数年、勝頼様が御存命ならば公爵である弟君が当主となられたはず、無念でござる
&ref(sa.jpg); 次の第一後継者は弟君でございまする、ご安堵なされませ
&ref(ya.jpg); それに今弟君が当主となるのは非常にまずい
&ref(su.jpg); 何故です
&ref(ya.jpg); 弟君は公爵、武田家当主も公爵ゆえに今当主となられると弟君の本拠地
が武田家当主の本拠地になります、さすがにあの田舎はまずい
&ref(su.jpg); 勘助! その田舎にわらわはこれより身を寄せるのじゃぞ
&ref(sa.jpg); 弟君に早く子を作るよう急かして下され、勝頼様は亡くなられる事を考えておられなかった為
側室を置かず、結局20歳の若さで娘2人を残されたのみ
&ref(ya.jpg); さよう現在武田家に男子は4人滅亡の危機でござる、互いに暗殺を仕向ければ..
&ref(sa.jpg); 山本殿不謹慎でござるぞ、武田家に内輪もめなどない!
&ref(su.jpg); ともかく、わらわの子が無事当主となれるよう頼みましたよ
&ref(ya.jpg);&ref(sa.jpg); かしこまりました、3代目をしかと監視いたします
** &ref(hat.jpg); 就任式 &ref(hat.jpg); [#zb16e255]
&ref(3ta.jpg); この度3代目当主となったHarunobuである、先代勝頼の異母弟ゆえ、通称 仁科盛信とする
&ref(su.jpg); それは立派な心がけじゃ、側室の子が武田を名乗るなどおこがましい
&ref(3ta.jpg); そうでござろうW、ついでに正室を紹介しよう、入りなさい
&ref(yo.jpg); この度正室になりました、皆様よろしくお願いします
&ref(su.jpg); なっ なにゆえ
&ref(ya.jpg); あなたは先代の正室様!
&ref(3ta.jpg); 諏訪御料人、わが正室をよしなにW
あと山本、真田では心もとないので新たな家臣を2人紹介しましょう。
&ref(saruo.jpg); この度、密偵頭となりました猿でござる
&ref(ym.jpg); 三代目赤備え親衛隊隊長 山県昌景でござる
&ref(sa.jpg); (山県まで三代目に...)
&ref(ya.jpg); (先手を取られたな...いったい何時から)
&ref(su.jpg); その変な生き物はともかく、山県どういう了見じゃ
&ref(ym.jpg); 武田家に忠誠あるのみ、誰であろうと武田家当主を守るのが役目でござる
&ref(yo.jpg); 諏訪御料人様、本日は三代目もお疲れのもよう、お引取りを
&ref(su.jpg); 三代目ようわかりました、それでは!
&ref(3ta.jpg); 諏訪御料人! 荷物に御金蔵の金がまぎれておりましたので降ろしときました
&ref(su.jpg); キッ
** &ref(hat.jpg); 第二次川中島の戦い &ref(hat.jpg); [#fd282e2f]
1年後ようやく武田家に落ち着きが出てきた頃の事
&ref(saruo.jpg); 吉報で御猿!
&ref(3ta.jpg); ついに来たか!
&ref(saruo.jpg); 英文ゆえ理由不明で(戦争理由がないとなってた)
侵攻できなかった上杉家に侵攻可能となりました
&ref(3ta.jpg); 家臣を招集せよ!
&ref(3ta.jpg); この度いよいよ越後を我が武田のものとする!
宿敵、上杉との雌雄をかけた有無を言わさぬ一戦である。
我が父を唯一負かした上杉家を滅亡させることが、この仁科盛信が宿命
此度は武田の軍勢如何なるものか天下に示す! 御旗・楯無御照覧あれ!!
**&ref(saruo.jpg);&ref(ym.jpg);&ref(ya.jpg);&ref(sa.jpg); 御旗・楯無御照覧あれ!! [#s3269c97]
&ref(yo.jpg); 武運長久をお祈りいたします。
この戦いが後に武田の運命を変える事になるとは、この時知る由もなかった。
そして躑躅カ崎より総勢七千を越える軍勢が決戦の地川中島に向った。
そして躑躅カ崎より総勢七千を越える軍勢が決戦の地、川中島に向った。
795年05月の勢力図
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第二次川中島の戦い
TIME:"2015-07-07 (火) 07:19:04"