[[AAR/教皇は太陽、皇帝は月]] **北イタリア戦争 [#j225c448] 1116年、トスカナ公マチルダの息子クニク公爵に、トスカナ・モデナ公位を求めて宣戦。 反乱で弱体化したトスカナ公は最早敵ではなかった。 アウソニオは戦争の結果トスカナ・モデナ公爵位の他にトスカナ公直轄領のルッカ・シエナ州を獲得、またモデナ伯を臣下に収める。 トスカナ公はトスカナ公爵位を失い、以後スポレト公として細々と生き延びることになる。更に陰謀を使いモデナ伯爵を追放、モデナ州を直轄領とする。 同年、帝国の王権がmediumに引き上げられる。 これによって帝国内の諸侯同士の戦争は不可能になり、北イタリアでの領土拡大は一旦打ち止めとなった。 一方で王権強化により異端者の追放が可能になり、翌年には異端に染まった臣下のニース司教と男爵を追放、ニース司教領を伯領に鞍替えし直轄領とされた。 1124年、内乱で荒れるアフリカ王国の隙をつき、聖戦でベネベント公領・サレルノ公領を獲得。 ジェノバ公の南方進出の足がかりとなる。 1130年、ヴェネツィアに派遣していた廷臣から、ジェノバ籍の商船がアドリア海沖でヴェネツィアの軍船に沈められたとの知らせが入る。 ヴェネツィアは反乱で神聖ローマから独立したトレヴィーゾ伯を併合したことで、二州国家になっていた。 そこへトレヴィーゾ州のDe jureを持つ帝国の公爵アルザス公が宣戦。 戦争はあくまで一公爵とヴェネツィア共和国との戦いで、直接帝国と戦争を行ったわけではなかった。 しかし多くの帝国諸侯がアルザス公について参戦したため、ヴェネツィア領内を通行する帝国籍の船舶は全て臨検、場合によっては問答無用で攻撃するとの通達がなされていた。 これを利用しない手は無い。 アウソニオは船員の国葬を行い、ヴェネツィアの行為を強く非難すると同時に、挙兵の準備を始めた。 ヴェネツィア軍その精強さで知られていたが、そのほとんどは戦争でアルザスへ出兵しており、ヴェネツィア本島はわずかな守備兵が守るのみであった。 アウソニオはジェノバ商船の保護を名目にヴェネツィアに宣戦し、火事場泥棒的に併合。更には息子のいない男爵を暗殺してヴェネツィアを共和国から伯領へ鞍替えさせる。 ヴェネツィアの編入によって北イタリアは全て帝国の支配下に置かれた。 >&ref(parma013.jpg,nolink); **サルディーニャ戦争 [#efdb1df3] 1133年、モロッコ王国は南フランスに聖戦を発動し、一進一退の攻防を続けていた。 アウソニオはこの隙を突いてモロッコ王国配下にあったサルディーニャ島を求めて宣戦、ついでに内戦で弱ってたュニジアにも宣戦を行う。 アウソニオはこの隙を突いてモロッコ王国配下にあったサルディーニャ島を求めて宣戦、ついでに内戦で弱っていたチュニジアにも宣戦を行う。 直轄兵力5000に加え、聖ヨハネ騎士団とテンプル騎士団を合わせた計2万1千の兵を引っさげ、パルマ家始まって以来最大規模の戦争が始まった。 1134年、目立った抵抗もなくチュニジアを併合する。 1136年、アウソニオの元にフランス降伏の報が入る。 フランスとモロッコが和平、20年以上断続的に続いたフランス=モロッコ戦争が、モロッコ王国の南仏獲得という最悪の結果に終わったのだ。 モロッコとの正面対決を予想していなかったアウソニオにとって、フランスの敗北は完全に誤算であった。 戦争の終結によって数千単位のモロッコ兵が次々とサルディーニャ島に上陸。 一方開戦時2万近くいたはずのジェノバ兵は既に5千を切っていた。 >&ref(parma014.jpg,nolink); 兵数に劣るアウソニオは、幾つもの傭兵団を送り込んだが徐々に追い詰められてゆく。 1138年、1万の兵がサルディーニャに上陸し、これを撃退する戦力を持たないアウソニオは国庫が200ダカットを下回ったこともあり、更なる傭兵の派遣を断念。 戦勝点は87%に達したにも拘らず、1万8千対8千と依然倍近くの兵力差があったため白紙講和となった。 1137年にはサルディーニャ島で死闘を繰り広げている間にシチリア十字軍が発動し、南イタリアが丸ごと教皇に接収される。 この報を聞いたアウソニオは臍をかんで悔しがったという。 **服従でも戦争でもなく [#mfe43059] 1141年、神聖ローマの王権がHighに引き上げられる。 アウソニオの統治する北イタリアは、帝国のDe jureではないために皇帝の選挙にも法改正の投票にも一切参加できず、その結果のみが通達される。 王権がlimitedまで下がるのを待ち、北イタリアの弱小諸侯を併合してイタリア王国を建国するという望みが潰えた以上、もはや帝国に世話になる義理は無い。 とはいえジェノバ公に帝国から独立する力はないのが現実である。 '''そこで私ははかねてから暖めていた計画、東ローマ帝国への臣従を実行に移すことにした。''' '''計画を思い立ったのは5年前、弟の葬儀で妹が久々にパルマに戻ってきた時のこと。''' '''妹は皇帝の妻にも関わらず、未だカトリックであることに私は驚いた。''' '''元々東ローマ皇帝とは、妹を皇帝の嫁に出した18歳の時から数えて30年来のつきあい。''' '''これならば私が臣従したとして帝国に改宗を強制されることもあるまい。''' '''私の最大の懸念であった信仰の問題が解消されたことで、計画は順調んだ。''' '''De Jureを持たない神聖ローマよりも、私が部分的に統治する南イタリアにDe jureを持つ東ローマへの臣従は法に合致する、という神学者のお墨付きをも得た。''' '''今や機は熟した。''' ―アウソニオの手記 >&ref(parma015.jpg,nolink); **世界情勢 [#t9f7e8b0] >&ref(parma016.jpg,left,50%); 教皇が南イタリアを掌握。またジェノバ公の離反でイタリアの一部が東ローマへ。 スペインは完全にイスラム化し、ポルトガル、アッバーシド、デュヌニド三王国が鼎立。 フランスでは継承戦争がようやく終結。 エジプト、モロッコでは王権低下を要求する大規模な内乱が勃発している。 TIME:"2014-03-28 (金) 22:52:26"