[[AAR/レリジョン☆ウォーズ〜泣き虫一族の700年戦争〜]]




時は前回から20年後の800年。キリスト教グループには影がさしていた。
特にフランスには異端の王が現れ混乱の兆しがあった。

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824年の事。2代当主athsanasiosはずっと独身を通してきたが数年前に一族の要望を受け入れ結婚。嫡男誕生が期待されるなか治世45年目67歳で他界、20歳の若い妻を残しての悲しい死であった。後を継いだのは初代当主のPhilemonの死後に生まれた四男のAseop(イソップ)45歳であった。
なお2代当主athsanasiosは治世中、造船技術、蓄財に励み当家の礎を築いた。

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3代目のAseopは2代目と違い野心が大きかった。ビザンツ帝国の帝位継承権第二位の長女に目をつけたのである。

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Aseopは考えた。皇太子の弟が死ねば長女が帝位を継承するは必然、ぜひ当家の子を産んでいただこう。
Aseopの行動は早かった兄の死から1年もたたないうちに皇女と恋仲になったのである。しかも箱入り娘の皇女は実家を飛び出しAseopの宮廷に入り込んだのである。
しかし、問題が発生したこれに激怒した人物がいたのである。

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次期当主の実母で、わが国の母SETAである。
AseopはSETAに問い詰められ考えた。こいつがいなくなれば皇女を正式な妻にできるではないか!
離婚はできそうにないので一族会議を開いた。一族満場一致でわが国の母SETAに死んでもらうことになった。
(当家において国母は所詮は赤の他人であり某国のように権力を与え垂簾政治を任せるなどありえず、多少尊重する程度の存在である。)
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さらば愛しき妻よ、できるなら2人の子供も連れて行っておくれ。皇女が立派な世継ぎを産んでくれるから。などと心の中で思うAseopであった。

ビザンツ帝国皇女を正式にわが国の母として迎え当家に何やらよき風が吹き始めたようだ。

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風はいっそう当家に向いてきたようだ!!

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これはいける!絶対やれる!Aseopは思った俺がビザンツ帝国女帝の夫や皇帝の父になるのは天命に違いない! そう思ったのもつかの間であった。
これはいける!絶対やれる!Aseopは思った俺がビザンツ帝国女帝の夫や皇帝の父になるのは天命に違いない! 
そう考えると笑いがでてしかたなかった。
しかし、その夢もつかの間であった。

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Aseopは僅か3年の在位で夢を見ながらあっけなく逝ってしまった。
後は長男のTepodon(テポドン)が受け継いだ。

4代目Tepodon(テポドン)には既に妻がいたため、皇女は一族の未成年と婚約をさせ当家にとどめおくことになった。
まもなく皇女が出産したが産み落としたのは残念ながら女子であった。
しかし、この子もまた女帝となる可能性は十分にある生まれたばかりの子だが次期継承者の息子と婚約をさせた。

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さらに当家に逆風が吹く


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産後の肥立ちが悪く皇女が亡くなってしまったのだ。

2年後の829年、悲しいかなビザンツ帝国皇太子が成人してしまった。
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さらに7年後の836年。皇太子が嫁を迎えていた。
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ここで4代目Tepodon(テポドン)が動いた。 皇太子妃に世継ぎを産ませてはならない!
皇太子妃を愛人にし、さらに皇太子妃に向けてテポドンが発射!見事命中し懐妊することになる。

またこの頃、長年の造船計画が進行し、渡航が可能となる。これにより遠征計画が持ち上がり要求権の捏造が始まった。
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836年の12月 皇太子妃がTepodon(テポドン)の子を産むが姪の帝位を望むテポドンはこれ以上ビザンツ帝国の怒りを買うことを恐れ認知をしなかった。
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840年 捏造が進まぬうちに近隣諸国は巨大化していた。特にABYSSINIAの巨大化は当家にとって目障りであった。(しかし、婚姻関係が2組ほどあり婚戚ではある)
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841年 ビザンツ帝国皇太子が2子を得ていた。もし皇太子妃との子を認知していれば皇太子妃と皇太子が和解することはなかったかもしれない、テポドンは悔いた。
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もはや皇女が産んだ当家の女児が女帝になることはないであろう。一族会議で後継者と女児の婚約は解消されることとなった。この女児は後に政略結婚でABYSSINIA王国の王族で伯爵に嫁ぐが夫の失脚で一般市民となっている、王家の子を産んでいるため運がみかたすれば子孫が重要な役割をするかもしれない。

同年 ついに要求権の捏造が成功し当家が拡大する機会を得る。
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**愛すればこそ [#wd368b83]
sanaa公爵への就任権の予選と言っていい戦いである。しかし相手が悪かった皇族Abbasid一族でありアラビア帝国から独立を勝ち取ったツワモノで通称 相模一公と言われる。(相模で一番の公子)
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当家はそれでも権力に恋焦がれ賭けに出た。謀反人の相模一公を討つという大義名分を抱え用兵を雇い出陣。この大義名分の前に相模一公には同盟軍が集まらなかった。(真偽は怪しく援軍を送るには遠かったか別の戦争があったものと思われるが史書には大義名分とのみ残る)
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相模一公は当家にワンサイドで攻められ、100対0で完敗した。相模一公は、悔しくて泣いた。そして、その悔しさが怒りに変わり死んでしまった。
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Tepodonは新たに臣下となったイスラム教徒の粛清を始めた。
傭兵を主力とする軍勢が次々と襲い掛かった。一族は皆殺しにされ財産は没収されていった。
Tepodonの悪名がなりひびいてしまったが莫大な軍資金を得た。暴君度-240(opinion-240)

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金の亡者のイスラム教徒の臣下
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数年後の850年時の勢力図
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キリスト教グループは大混乱の最中であり野蛮な異民族がEUに迫りつつあった
当家も新たな展開を迎え軍資金も得たが回りは強国であり前途は多難である。

TIME:"2015-11-17 (火) 19:36:27"

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