[[AAR/レリジョン☆ウォーズ〜泣き虫一族の700年戦争〜]]
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** それは涙で始まった [#x167f249]
926年 前回イソップ3世は諸侯の尻を掘り尽くし、皆は悔しくて泣いた
この時の諸侯を血盟士、穴盟士、ケツメイシ(お通じを良くする)と呼ばれる
皆と心に誓った打倒相模一公に向けイソップ3世は大改革に着手した、
まず自分が考案したライジングサンをトレードマークとする青い軍服を採用した。
そして、ローマ帝国再興の暁には国名をKawahama帝国とし、
性をTakigawaに変更すると宣布した。
これは一族の伝説を信じたからである。
伝説では川浜という地より滝沢真司と言う教師(伝道し?)が来たりて当家を興す、
その子孫がやがて滝沢姓に復姓し川浜帝国を興し世界制覇を成し遂げるであろうと言う予言である。
さらに新兵を募集し猛特訓を始めた。
927年 長男をギリシャ総督王に封じ、皇后を総督女王に封じた
さらに打倒相模一公に向け帝国復興戦争を開始した。
929年
戦に勝利し皇帝はビザンツ帝国が荒廃から立ち直りつつあるのを感じていた
だがライバル相模一公の皇帝マフディは聖なるカリフと呼ばれ一族の生存者300人を抱えながらも退廃を100%から31%まで下げ、その指揮力は31と言う伝説にふさわしい男に成長していた。
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またこの年相続制度の変更が可能となり分割相続か末子相続かでイソップ3世は悩んだ
途中選帝侯制度を継続しようかとも考えるほどの接戦だったが分割相続制度に決定した。
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** 930年 イタリア王 [#ed2b0676]
イタリアの弱い請求権をもつ女性を迎えいれ代理戦争を開始した
彼女の息子は帝国の伯爵に封じられ娘は皇帝の愛人となっていた
勝てばイタリア王国はいずれ帝国の手に落ちる手はずであった。
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しかし、同年イタリアに侵入した頃、彼女は病死してしまい戦争は中断された。
幸い息子が弱い請求権を引き継いでおりすぐにイタリア王に宣戦布告した。
931年 イタリア主力部隊は壊滅し更に首都の一角が陥落すると降伏した。
帝国復興に向けての大きな一歩であった
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同年931年 邪教のカリスマ的存在、第二の花園を支配するローマ法王を討つため挙兵
ローマ法王は暴力的傭兵組織の川浜乱世会を雇い対抗するも敗北し降伏した
花園御三家 第一はコンスタンチンノーブル 第二はローマ 第三はエルサレム
** 934年 不良教師と言われはじめる [#w8fd3cd8]
イソップ3世は荒廃した邪教正教会の本拠地コンスタンチンノーブルの教会を没収した
正教会は報復にでた、川浜乱世会に命じイソップ3世の忠臣であるネストリウス派のイタリア王を退位に追い込んだ
正教会の挑発を感じたが激怒したイソップ3世は我慢できなかった、つい手が出てしまった。
新イタリア王の投獄に失敗、正教会の思惑どおり諸侯はイタリア王に味方をし大内乱に発展した。
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帝国は真っ二つに割れイタリア王は2万を超える大軍勢を擁し戦いは熾烈を極めるかに見えた。
イタリア王は地方では勝ったがイソップの電撃作戦により本拠地を含む周辺都市が陥落し降伏した。
素早い決着のため決戦と呼ばれる戦いは存在しなかった。
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イソップ3世はイタリア王の王位を没収した
また一歩打倒相模一公に向け内なる力を付けたのであった。
** 935年 エジプト遠征 [#c4141b07]
イソップ3世はかつての直轄領を取り戻すべく兵をあげた、
35000を率いての堂々たる出征であった。対するエジプト軍は1万であった。
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936年 戦いは完勝しエジプト王は降伏した。聖戦ではないため相模一公も手出しができず悔しがった。
ビザンツ強しの声が全国に鳴り響き始めた。
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** 936年 キリスト教絶対絶命 [#sbaa534f]
もはやキリスト教で最も安全と言われた地域が悪魔達の手に落ちようとしていた
東からは野蛮人が西からはイスラムが押し寄せていた
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イソップ3世と諸侯は一刻も早く打倒相模一公を達成する必要に迫られ、再び猛特訓に励んだ
イソップ3世は休む間もなく出兵と訓練に明け暮れる兵たちに心を痛めた
** 937年 外堀を埋める [#g6dd0248]
次に打倒相模一公を成し遂げるため、その盾と言うべきシリア公爵討伐に出陣した
イスラム教がビザンツ帝国の喉元に突き付けた刃をへし折る時が来たのである。
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** 939年 エジプト奪還 [#bc22be9c]
シリア地方を平定
同年エジプトを完全に支配下に置くためエジプト王位を狙い侵攻を開始した
940年 エジプト王は大軍に責められ滅亡した
同年 22歳の名門カロリング家の令嬢の要求権(bavaria王位)を行使し代理戦争を始めた
彼女は皇帝の愛人で皇帝との間に1子を成していたが、嫡男の嫁となった。
943年の地図
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**打倒相模一公 [#p9efbdaa]
944年 遂に待ちに待った相模一公との戦いが始まった。
第一回戦はチェニス聖戦である、だがイソップ3世は正体不明の病にかかり狂気に走っていた、
帝国復興のため病の身を押してチェニス聖戦に出陣した、イソップの寿命は長くないのかもしれない。
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945年 相模一公との戦に勝利しチェニス公爵領を手に入れた
しかしその直後性病までも患いもはや死は免れそうにない
**力の限り生きた! [#t13c969d]
946年 余命3日と言われながらも半年以上生きながらえたイソップ3世だが命は残りわずか。
そしてある日の戦争中、ついに恐れていた事態が起こる。
イソップ3世が戦場で血を吐いて倒れ意識不明となったのである。
ローマ帝国復興まであとわずかのところでイソップ3世の命の火は消えてしまった。
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テポドン3世
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** 947年 いざ最後の花園へ [#r892ec9d]
あとを継いで半年、テポドン3世は病に侵されていたが遂に第三の花園(エルサレム)への進撃を開始した
対するマフディ率いる相模一公はイソップ3世との戦いから未だ回復していなかった
テポドン3世の軍はエルサレムまで来ていた
テポドン3世はこう言いながら眠りに就いた 「明日は花園だな ふふふ」
だがテポドン3世に明日は無かった
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あとを継いだメリッサ1世はカロリング家の血を引く由緒ただしき少女である
今、数々の苦難と栄光を手にする女帝メリッサ1世の旅が始まった
TIME:"2015-12-10 (木) 21:03:05"