[[AAR/ラテン帝国を取り戻せ!]]

*モーリタニア王ルイージ1世 後編 [#l77ee0fb]

**1345年 決断の時 [#m145a5ed]

45年、皇帝の代替わり・長期化した聖戦といった不安定要素が積み重なり、
ついに始まった帝国を二分する大戦。
皇帝軍はアナトリアから取って返し、傭兵も資金限界まで積み上げて約40000。対する反乱軍は諸侯合計35000。
反乱軍の要求は、評議会の権限をより拡大すること・・・その程度のために大反乱して割に合うのか? と疑問を抱く。

ここは悩みどころだった。モーリタニア王軍は総勢20000以上。また、皇帝軍のうち10000以上がモーリタニア王国領からの徴収軍だ。我々が独立宣言すればこれは消滅する。
今独立戦争すれば間違いなく勝てる。それは確かだ。
さらに都合の良いことに、東方の大敵アイユーブは、現在同盟相手のアッバース家のカリフと共に、ペルシアと交戦している。
こちらに横やりを入れてくる可能性はまず無い。

&ref(2枚目.jpg);

 ユヌス55歳。ストレスに冒されているがこのあと快癒。55歳を過ぎて尚意気軒高に、各地の戦争に介入している。
 彼が在位中、戦争してなかった時期は無いのではないか、と思うくらい常時どこかと戦争している。
 
だが、ここで独立したとして、その後、反乱を鎮圧した後のHREの攻勢を受け止めきれるだけの力があるか・・・?
また、せっかく上ブルグンド公国の継承乗っ取りが確定しているのに、ここで独立してこの機会を逃していいのか・・・?

色々考えたが、これほど絶好の機会はもう滅多に無いであろうことも確か。
&size(25){まあなんとかなるだろ。};と、

&ref(1枚目.jpg);

モーリタニアは帝国からの分離独立を宣言。絶賛大反乱中の帝国に対し宣戦を布告した。

ちなみにこの単独宣戦前、independence派閥を立ち上げてしばらく様子を見てみたが、誰も乗ってこなかった。
ボヘミア王あたりが乗ってきてくれたら楽しかったんだが。

なおこれと同時期。

&ref(3枚目.jpg);

ブリテン島のど真ん中に翩翻と翻るフランス王旗。
イングランドがこの先どうなるものか、もはや全く想像できない。

**1346年 帝国最大の乱 [#b7233b85]

46年6月、モーリタニア王の分離独立と、帝国軍主力の壊滅を見て、次はボヘミア王が動いた。

&ref(4枚目.jpg);

 野心多きボヘミア王ミクロス。帝国に反乱、ボヘミア王単独でカルパチア、さらにポーランドへ宣戦、と多くの戦争を起こし、
 その全てで敗戦した、野心と能力が釣り合っていなかった悲しい王。

&size(30){俺を皇帝にしろ};と宣言したボヘミア王が、数名の同調者を引き連れ、12000で挙兵。
この頃皇帝軍は、チロルで戦われた反乱軍との決戦に大敗した結果、手持ちの兵力は僅か4600にまで減じており、
12000での挙兵は勝算が無い訳ではなかった。

&ref(5枚目.jpg);

 ラートボト帝35歳。皇帝軍は壊滅、資金も底を付いている。
 即位時7ヵ所あった直轄領が5ヵ所に減じており、諸侯の機嫌取りに必死だったのが分かる。

まあここまで乱れてしまっては、モーリタニアの独立を止められるわけがない。
1347年1月、王国は帝国との戦争に勝利し、正式に独立を宣言した。
皇帝が持っている、&size(25){モーリタニア・ギリシャ王位他多数の強い請求権};については見なかったことにしたい。

**1348年 帝国を凌駕せよ [#i32a1f34]

見なかったことにしたいといっても現実は変えられない。
ボヘミア王が皇帝に即位してくれれば良いが、情勢を見るにどうも望み薄((ボヘミア王軍はロクに戦勝点を稼げていなかった))なので、
ならば、再統合された帝国をもってしても、この国には簡単には攻め込めないぞ、というくらいまで更に国力を嵩上げするのみである。

&ref(6枚目.jpg);

というわけで、独立1年後、48年8月、ホーリーウォー・アレクサンドリア。
アイユーブのカリフ支援戦争は見事なまでに長期化しており、
さらに、長らく結ばれてきたルームセルジュークとの婚姻同盟が、この7月にルーム側の代替わりによって消滅していた。
絶好機を逃す手は無いと、独立戦争のクールダウンもそこそこに、チュートン騎士団と傭兵隊一つ雇って30000を超える兵をエジプトへ向ける。

アレクサンドリアまでくれば、紅海まであと少し。シルクロードボーナスで潤う、アイユーブの支柱に手がかかる・・・

**1348年 歴史的非常事態 [#m7ea0de8]

と、ここで我が四女が、ビザンツ帝国に去っていったとの知らせが届く。

&ref(7枚目.jpg);

四女といえば、ビザンツ女帝の三男と女系結婚させて、宮廷で子作り待ちしていた娘である。
いったい何があったのかと思って見れば。

&ref(8枚目.jpg);

&size(30){ウチの娘がビザンツ皇后になってる!?};

本来、継承に関係なかったはずの三男坊。
しかし、長男・次男が何があったものか、皇位継承前に次々死亡したため、皇位継承順の一位に躍り出てしまった・・・ようだ。
髑髏マークが白いから、病死もしくは露見しなかった暗殺・・・? 私は何も手を下していないのにこんな奇跡が・・・

そして何度も言うが、&size(30){この結婚は女系結婚である。};よって、次のビザンツ皇帝は、二人の間に子が産まれさえすれば、

&size(40){我がアレラミチ家の一員となる。};

空いた口が塞がらないとはまさにこのことであった。

**1349年 エジプト進出 [#p8be81c3]

ビザンツで起きた奇跡に目を白黒させつつ、エジプトに兵を展開させる。
敵野戦軍は出払っているため、スエズ地峡を抑えつつ各地で攻城戦を開始。

&ref(9枚目.jpg);

消耗を抑えたいことと、敵野戦軍との決戦に備え、城の強襲は避けてじっくりと落としていく。
7000ほどの敵勢を、常備パイク兵団を主力とした地峡封鎖部隊でもって、2度蹴散らしたところで勝利確定。
アレクサンドリアの4州を獲得し、孫の1人をアレクサンドリア公に任じた。

記述が少ないのは、本当に余裕の勝利だったから。アイユーブの主力は結局戻ってこなかった。

**1351年 長男の死 [#heb36168]

さて・・・この戦争の裏で、ひとつとんでもないことが起こっていた。

&ref(10枚目.jpg);

ルイージ大王の後継者、トレムセン公にしてフェズ伯たる長男ルジェーロ、&size(25){戦死。};
一族の1人との戦闘中に起きた事変であった。

・・・いったい何が起きたのか。長い話になるが、プレイヤーの反省も込めて記す。

元々トレムセン公領は、4つの州を4人の伯が分割し、その上にフェズ伯領のみを直轄領として持つ長男がいる、という形だった。動員力は2000余り。
ところが、配下の伯の1人が、突如として伯領3つを他所から継承、4領を有する大伯爵となりおおせ、
挙句、トレムセン公の地位を簒奪せんと、ルジェーロに宣戦を布告していたのである。


「突然他所から継承した伯領3つ」とはどこなのか? というと、だいぶ前、
[[モーリタニア王グリエルモ1世>AAR/ラテン帝国を取り戻せ!/モーリタニア王グリエルモ1世]] の項で、テッサロニキ公を獲得した際、
「何故かこのカルキディケ伯家は「年長者相続」になっていた。これが、彼の死後大きな事件の発端となるのだが・・・」と書いたが、
&size(20){これである。};

カルキディケ伯家が、テッサロニキ公傘下として持っていた伯領3つが、「年長者相続」によって一族最年長の伯に引き継がれた。
その引き継いだ伯はたまたまトレムセン公の傘下にあり、しかも「野心家」持ちであった。
結果、4伯領から上がる6000の兵をもって、トレムセン公の地位を狙って宣戦した、というわけだった。

さて、話がさらにややこしくなるのはここからだ。
&br;

アレクサンドリア攻略直後、国内の様子を見回り、この事態に気づいたプレイヤーはどうしたか? 

トレムセン公位を長男が失い、他の一族に流出することは、モーリタニア王選挙に不確定要素を加えるため、容認できない。
しかし、私戦にはたとえ仕掛けられている対象が息子であっても介入できない。
ならば搦め手で、私戦を仕掛けている馬鹿者を始末すればいいのだ、と考えた。

&ref(11枚目.jpg);

暗殺自体は簡単に成功した。元々悪い特性にばかり恵まれていた彼は、Plot power300%越えであっけなく死去。
しかし、暗殺の共謀者がよりによって長男ルジェーロ本人であり、
しかも、その実行犯が露見したことで、ルイージ・ルジェーロ親子そろって「親類殺し」の汚名を被る羽目になってしまった。

挙句、予想に反し、トレムセン公位簒奪の私戦は終わらず、暗殺された伯の長男が領土も私戦も全て引き継いで、
父を暗殺した我ら親子に対して殺気を漲らせている始末である。

さあどうするか? ここでプレイヤーは考えた。
ルジェーロに6000の敵を撃退できるほどの直轄領を与える? 
いやいや、そんなに土地に余裕は無い。

これ以上介入せずトレムセン公位を諦めるか? 
いやいや、直轄の伯領を4つも持っている、王をライバル認定している公爵なんて、国内の安定のためには存在してはならない。

・・・そもそも「親類殺し」が付いてしまった長男を後継にする必要があるか?
・・・一代飛ばしてしまっても良いのではないか?
ルイージは60歳も見えている高齢、そう長くはない。臣下のオピニオンに響こうと、多少の無茶は許容される・・・

結論。

&ref(12枚目.jpg);

&size(25){暗殺の罪によって長男ルジェーロを投獄。}; この行為に臣下からのオピニオンペナルティは発生しない。

ルジェーロは投獄を回避し、トレムセン公として反乱を起こした。
もし投獄できていれば「処刑」するつもりだったが、反乱したのならそれも良し。
これで、「トレムセン公臣の起こした簒奪戦争」は無効化された。

後は反乱を鎮圧し、トレムセン公を逮捕、称号剥奪の後、孫にトレムセン公位を渡して新たな後継者とする・・・
と草案を作っていたところ、反乱鎮圧中の野戦でルジェーロが戦死した。というのが一部始終である。

結果。
スーザとサルデーニャの公にしてコルシカとアルボレアとサルッツォの伯である直系の孫・セヴェリオが、
父の持っていたトレムセン公とフェズ伯を継承。公爵位3つと伯爵位4つを持つ大公爵となった。

&ref(13枚目.jpg);

 次期当主セヴェリオ。ステータスは全般にパッとしないが、「正直」「勇敢」「社交的」「公正」と良特性に恵まれている。
 吃音が無ければより良かったのだが・・・なお祖父・父とやっぱりそっくり。ちなみに弟も瓜二つ。

ルイージの死後はセヴェリオがモーリタニアとギリシャの王他の称号を継承する。
即位後、持ちすぎている称号を整理するのが面倒だが、まあ結果としては上出来だろう・・・と胸をなでおろしたところで、

&ref(14枚目.jpg);

conclaveの追加システムの1つ、私戦の強制停止を宣言すれば良かったのだ、と、完全に事が終わってから思い出したのであった。
後の祭りとはまさにこのことであった。

**1353年 請求権を行使せよ [#e1ecd447]

過ぎたことを悔やんでも仕方がない。後継騒動も片付いたところで、領土拡大を続けよう。

ゲーム開始から150年。この頃になると、我がアレラミチ家は、プレイヤーのあずかり知らぬところでも分家を増やしていっており、

&ref(15枚目.jpg);

ちょっとどういう経路によるものか、家系図を紐解くのが面倒なので省略するが、
カルパチア帝国領ダルマチア公への強い請求権を持つ一族の老女を、男爵家の家臣の中に発見。
カルパチア帝国はちょうど、皇帝の代替わりに伴う内乱が起きており、これ幸いと、ダルマチア公を請求して宣戦を布告する。

なお、その代替わりした皇帝というのが・・・

&ref(16枚目.jpg);

&size(30){ラテン帝国の皇后でもあった。};

これも、婚姻当時はそんなつもりはなかったのが、あれよあれよとカルパチア皇帝位が回ってきてしまった、というパターンらしい。
で、この女帝に反発して、帝国内の有力諸侯、クロアチア王・エステルゴム公・ニトラ公の三者を中心とし、
アルパード帝家の1人でもある現クロアチア王を帝位につけよ、と請求する反乱が起きた、ということのようだった。

もしラテン皇帝とカルパチア皇帝の合同が成立していれば、死に体のラテン帝国にあってはまさに起死回生の一手となったのだが、
この女帝と反乱軍の戦いは今後10年続いた末、女帝が敗北、退位となり、二帝国の合同はあえなく夢と消えることになる。

**1354年 ポーランド(ノルウェー) [#c855d654]

一方そのころ北欧では、豪快に地図が塗り替わり、爆笑を禁じ得なかった。

&ref(17枚目.jpg);

&size(30){ポーランド・ノルウェー連合王国。};
アイスランドまでポーランド色に染まる正体不明の光景が広がっていた。
ポーランド王とノルウェー女王の婚姻により成立したこの同君連合であるが、王・女王が揃って30代の若さで世を去り、
後継者はわずか8歳の、ポーランド人の幼王。

当然ノルウェーが治まるはずもなく、この夢のような光景は、実際に一時の夢に終わる。
この後ノルウェーは四分五裂の大乱となり、ポーランド王は早々にノルウェー王位を放り出し、手に負えない混乱の中に叩き込まれることになるのだ。

**1356年 シチリア攻め [#q58b0aaa]

さて、上の北欧地図の下の方、HRE領内のど真ん中に、色の違う領土があるのが見えるのが分かるだろうか。
実はこれ何がどうしたものか、帝国の伯を継承乗っ取りに成功した結果発生したシチリア領なのだ。
これには当然皇帝激おこ、dejure宣戦を仕掛けてシチリア王と戦争状態に突入している。

皇帝家は称号の国外流出を禁じていたはずだが、何か抜け道があるのだろうか。

この戦争によって、56年6月時点でシチリア王軍はその過半を損耗。
そして都合の良いことに、シチリア公に仕えていた、シチリア公爵位請求権第2位を持つ一門の女性を、54歳未婚の一門男性と婚姻させて廷臣に引き込むことが出来た。
カルパチアからダルマチア公位を確保した後、我が軍は手空きの状態で戦力補充も充分。

&ref(18枚目.jpg);

ということで、即座にシチリア公位を請求しての宣戦を布告。シチリア王は南北から地獄のサンドイッチを喰らう羽目になった。
なお、このために54歳男と39歳女の婚姻という無茶をしたが、なんとこの一年後に無事継嗣が誕生。
とにかく自領にしとけば後でどうとでもなるわ、という見切り発車だったが、これでシチリア公位も一門で確保できるだろう。

&size(30){と。};

**1357年 西欧大戦 [#l2e783e2]

&ref(19枚目.jpg);

57年10月。
シチリア王との戦争にケリを付けたラートボト帝が、モーリタニア・ギリシャ王位他、
とにかく我が家が帝国を離脱した際に発生したすべての請求権をもって、宣戦を布告してきたのである。
皇帝の兵力は46000を超え、一方我がモーリタニア王家は30000がやっとこというところ。
普通にやれば劣勢は否めない・・・が・・・

&size(30){馬鹿め! 準備をしていないとでも思っていたのか!};

&ref(20枚目.jpg);

ラートボト帝がいずれその請求権を行使してくるのは予想できたこと。
ルイージ大王は4男3女に恵まれ、孫世代も産まれつつあって、政略結婚のタマは充分。イングランド王、フランス王とはいつでも同盟可能な状態にしておいたのだ。
さらにビザンツ皇帝がこの同盟に加わることで、この戦争は、

神聖ローマ帝国 VS モーリタニア王国・ビザンツ帝国・イングランド王国・フランス王国

という、凄まじいの一言に尽きる情勢となったのである。

皇帝軍は怒涛の勢いでアルプスを越え、モーリタニア王の本貫であるモンフェラート周辺の北イタリア領へと進出。
これに対応して、フランス軍・ビザンツ軍がイタリアに展開。さらにイングランド軍がホラントあたりに上陸、南下を開始した。

&ref(21枚目.jpg);

北イタリアで皇帝軍VS同盟軍の、両軍合計90000にも達する、中世最大級の死闘が展開されるのを横目に、
我がモーリタニア王軍は、シチリア島をめぐる戦争を、強襲連打で手早く終わらせシチリア公位をゲットすると、
そのまま北イタリアの戦いには一切介入せず、全軍をアフリカに展開させる。
血みどろの野外決戦は同盟軍に任せ、我々は手軽に、無防備な北アフリカを取って占領点を稼ぐのだ。

**1360年 終戦 [#y30a855d]

59年末、皇帝軍と同盟軍は、北イタリアに留まらず、フランス・帝国国境全域にて作戦を展開している。

&ref(22枚目.jpg);

アフリカ各地に展開した我が軍は順調に占領地を増やしているものの、
野外決戦で同盟軍が豪快に負けてくれたため、戦勝点自体はさほど伸びていない。
皇帝軍の兵力自体は順調に削れているため、これはどこかのタイミングで一度決戦し、野戦の点を稼がないとダメか・・・? 
と思い始めた矢先。

&ref(23枚目.jpg);

60年4月、ラートボト帝が没したことで、この戦争はCBを失い終戦となった。
なんというか拍子抜けする終わり方ではある。まあ、フランスイングランド引き込んでタコ殴りを図ったこちらが言うことではないが。

そしてこの直後始まった戦争に、思わずわが目を疑った。

&ref(24枚目.jpg);

モーリタニア王配下のテッサロニキ・エピルスの公、ポリカルポスが、ラテン帝国に対し、
&size(30){Holy War};を宣言したのである。

なんでラテン帝国に聖戦ブチ込んでるねん!? と大慌てで彼の国の様子を見てみると。

&ref(25枚目.jpg);

&size(25){悪魔憑きの皇帝が異端に染まっていた。};
そりゃアカンわ。

この時点でラテン帝国領は残り4つ。この聖戦で大陸に残る領土を全て喪失し、島嶼国家に転落することになる。

**1360年 開戦 [#a5868549]

もうラテン帝国はどうしようもないので無視しつつ、フランス・イングランド・ビザンツの3ヶ国と共に、

&ref(26枚目.jpg);

アイユーブの中枢部、アスワンを狙って聖戦を布告した。アイユーブは例によって2つの戦争を同時にこなしており、そこを横からブン殴る形だ。
かのスルタンはついに70歳。こちらのルイージ大王は67歳。お互いにストレス持ちでいつ死んでもおかしくない。
ここで素早く勝利できれば、死去に伴う停戦消滅で連続攻撃を狙える・・・!

が、軍団がエジプト各地に展開しつつあった60年の年の瀬。

&ref(27枚目.jpg);

ルイージ大王、67歳にして、ついにその長い治世を終えた。
アスワン攻略は、王位を継いだ直系の孫たるセヴェリオ1世に引き継がれることになる。
アスワン攻略は、王位を継いだ直系の孫たるセヴェリーノ1世に引き継がれることになる。

**1360年 総括 [#m23b871d]

ルイージ1世大王は、先代のペストによる急死に伴いわずか12歳で即位した。
彼が即位したころのモーリタニア王家の動員力は、およそ15000。彼はその50年を超える治世において、その兵力を倍にした。

大王の代で、モーリタニア王家は北西アフリカからイスラムを完全に排除し、スンニ派ジハードを退けた。
ヴェネチア領セルビアを奪取し、ギリシャ十字軍の手中を担い、HREから独立を果たし、また皇帝の服属要求を退けた。
アイユーブと3度戦い、キレナイカ・アレクサンドリアを奪取し、また、カルパチアからダルマチア公、シチリアからシチリア公位をそれぞれ獲得した。
その一方で婚姻政策を駆使し、大勢の娘・孫からビザンツ皇后、フランス王妃、イングランド王弟妃、ボヘミア王妃を出した。
王の治世はまさに、大王の名にふさわしい、栄光と勝利の時代であったと言えよう。



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TIME:"2016-08-23 (火) 13:52:44"

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