[[AAR/マゾヴィエツキー家の華麗なる年代記]]
*ドロゴヴィト1世(2) [#a61cc516]
**マウォポルスカ遠征 [#j9a00af4]
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ドロゴヴィトの結婚後すぐ、弟ゴチミルが獄死し、領地チェルスクを継承した。
妻がホモであるため、子供が出来ない場合の保険として生かす択もあったのだが、
意外と早く死んでしまったため、マゾヴィエツキー家の男子は自分のみに。
その後4年間妻は妊娠することなく・・・
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唐突に事故死した。(!?)
おそらく密偵頭と仲が悪かったことによる暗殺と思われる。
妻がホモであることに絶望した私の差し金ではありません(強調)
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仕方がないので、また同じ宗教の女子を探すことに。
今度はブレナブルグ首長の娘であるカミラちゃそ(10歳)と婚約。
また幼女との婚約かよ・・・。
成長した後のステータスがわからない博打感、たまんねえぜ!
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いつの間にかピャストは死んでいた。
画像は息子のヴィエルコポルスカ大部族長シェモヴィト(17歳)
880年、宰相が捏造してきたクレームを元に、マウォポルスカ地方への遠征を開始。
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まずはチェルスクの南、サンドミエシュ首長へ宣戦。
1州のみの小国であるため、特に何もなく叩き潰す。
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領地なし元帥ストイグニェフ・ブラスキーに
獲得したサンドミエシュを封土として与える。
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さらに南のレヒ大部族長へ宣戦。
4州を領する大部族であるが、内乱の影響でろくな兵力が揃っておらず
傭兵を雇うまでもなく圧倒できた。
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ソンチを獲得し、領地なし家令スカルビミル・ブラニツキーに封土として与える。
なお領地なし閣僚に封土を分け与えるのは単純に気分の問題ですだ。
マウォポルスカ地方の3分の2を獲得したため、
満を持してマウォポルスカ大部族長の称号を名乗る。
これにより二つの大部族長位を得たため、直轄領の限界値がひとつ上がった。
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マウォポルスカ遠征の成功により、ドロゴヴィト1世、賢公の二つ名を得る。
883年、婚約者カミラが成人したため正式に結婚。
このころ義父のブレナブルグ首長は既に死んでいたため、
カミラの弟(5歳)が首長の座についていた。
他に男子の兄弟がおらず、妻が継承順位1位のため、暗殺プロットを用意したところ
相手の密偵頭が暗殺計画に加わったので、即100%超に。
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ブレナブルグ首長(5歳)、城の欄干から落ちて死亡!
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弟の跡を継いで、妻カミラがブレナブルグの女首長に。
うまく後継者が産まれればこちらの領地も転がり込んでくる寸法である。
期待期待☆
**クヤヴィ攻略戦 [#o3a56221]
885年、代替わりによって国力を落とした(であろう)ヴィエルコポルスカより
クヤヴィを奪うべく宣戦布告。互いに傭兵を雇って数千規模の兵力での争いになった。
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プロツクの戦い。
紋章が似通っているためわかりづらいが、防衛側がマゾヴィア。攻撃側がヴィエルコポルスカである。
白鷲の首が左を向いているのがマゾヴィア、右向きがヴィエルコポルスカという見分け方。
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約1年の戦いの末、クヤヴィを獲得。
クヤヴィア公国の法的領域を完全掌握したマゾヴィアUC
ポーランド情勢はマゾヴィア・ヴィエルコポルスカ・大モラヴィアの三つ巴の様相を呈してきた。
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なかなか子供が出来ず気を揉んでいたが、888年にカミラ夫人が妊娠し、
ドロゴヴィト賢公、インポでないことを証明。
産まれたのは女子だったが・・・
**クラクフ攻略戦 [#m43224c1]
889年、大モラヴィア王国が東フランク王国などの諸勢力と同時に戦争状態に入る。
隣国ヴィエルコポルスカも、シレジアの領土を目的に戦争を開始した。
マゾヴィアも乗るしかない、このビッグウェーブに。
マウォポルスカ地方に残るクラクフ割譲を求めて戦争開始。
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多数の勢力と同時に戦争を行っている大モラヴィア王国の軍勢はボロボロだったので、
ほぼ抵抗のないままクラクフ州の全拠点を攻略した。
大モラヴィアの残る軍勢をオストラヴァの戦いで撃破し、戦勝ポイントを稼ぎつつ、講和。
新たに獲得したクラクフはポーランド文化ではあるが、宗教がカトリックだったため、
直轄地とするには旨味が少なく、また統治効率も限界だったため、適当な家臣に封土として与えた。
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上は新クラクフ首長ウニェドログ・スレザニエ。
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ヴィエルコポルスカも大モラヴィア王国からシレジア地方の一部を奪った。
国力的にはマゾヴィア+ヴィエルコポルスカ>大モラヴィアくらいだろうか。
うまいこと領土を増やしてイケイケのマゾヴィエツキー家であるが、
男が産まれないという大問題を抱えていた。
そろそろ妻のカミラも20代半ばなのに、女子を2人産んだきりである。
いっぽう当主ドロゴヴィトは40代後半にさしかかり、このままでは一族男系断絶という絶望の状況は不可避。
後継者獲得にブーストをかけるため、ちょうど牢獄に入っていた若い女性を側室にすることにした。
レヒ族との戦いの途中、ソンチ攻略戦で捕らえたまま11年間牢に繋がれていたが、
この頃には18歳と子供を産むにはちょうどいい年齢に育っていたのだ。
これぞ異教ならではの特権である。えろい。妄想が捗る・・・。
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側室、ルツィヤ・レホヴィツ
こうして側室となったルツィヤは首尾よく妊娠した。
同時期に正室のカミラも妊娠したのだが、
子供を産むことなくそのまま27歳の若さで自然死してしまい、結局男子は産まれずじまいに。
長女ヤドヴィガ(6歳)がブレナブルグの幼女首長の位についた。うれしくない・・・
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895年、側室ルツィヤが男の子を出産。名前は父親と同じドロゴヴィト。
待望の男子を産んでくれたためと、ちょうど正室がいなくなってしまったため、
正式な結婚を行い正室に格上げしておく。
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産まれたドロゴヴィト(幼児)は"妾腹"の特質がついてしまったが、
今後男子が産まれた場合は後から産まれたほうが優先して相続人になるのだろうか。
ともあれ男系断絶のおそれは(とりあえず)去ったのであった。
[[AAR/マゾヴィエツキー家の華麗なる年代記]]
TIME:"2013-09-21 (土) 23:10:23"