[[AAR/デンマーク年代記]] *帝室系図 [#o4e3a5ac] &ref(帝室.jpg,nolink); **デンマーク王クリストファ二世 [#vc9dd868] &ref(親父.jpg,nolink); デンマーク王クリストファ二世は、を王妃に立て三男一女をもうけられた。 第一皇子イーレク、この方は1334年に農民反乱の討伐の折悪漢の手に罹り薨去された。 第一皇女マルグレーテ、この方は神聖ローマ皇帝ルードヴィヒ五世の皇后となられた。 第二皇子オト、この方は弟君の後をついて王位を継ぎ、ノルド帝位を創設された。 第三皇子ヴァルデマ、この方はデンマークとエルサレムの王国を再興された。 **オト帝 [#fa502da6] &ref(兄貴.jpg,nolink); オト一世、スウェーデン女王アウネスを王妃に立て一男をもうけられた。 第一皇子クリストファ、この方はノルウェーとスウェーデンの王であった。 アウネスの崩御後、カルヴナ公爵令嬢ペンカを皇后に立て、一男をもうけられた。 第二皇子ヴァルデマ、この方は帝位を継承され聖帝と称せられた。 **ヴァルデマ聖帝 [#q82b0c93] &ref(聖.jpg,nolink); ヴァルデマ聖帝は宮廷女官マグダレーネとの間に 第一皇女イリザベト、この方は夭逝された。 リューリク家のグレミスラヴァを皇后に立て一男六女をもうけられ、 第二皇女ビアギタ、 第三皇女アスタ、この方はヌビアの王マツルウォフィロスの王妃となられた。 第四皇女カロリーネ、この方はマジャール王シグルドの王妃となられた。 第一皇子オト、この方は帝位を継ぎ公正帝と称せられた。 第五皇女ヒリーナ、この方は夭逝された。 第六皇女ベネディクテ、この方はイングランド王第三王子ケント伯ロバート夫人となられた。 第七皇女グレーデ、この方はポルトガル王ピャオ二世の王妃となられた。 **オト公正帝 [#i3c1ad22] &ref(公正.jpg,nolink); オト公正帝はピャスト家のポーランド王マツラウの第一王女ヤドヴィカを皇后に立て、五男一女をもうけられた。 第一皇子ヴァルデマ、この方は帝位を継ぎ賢帝と称せられた。 第二皇子クヌーズ、この方はジェノヴァの総督となられた。また、アラゴン王の祖である。 第一皇女マルグレーデ、この方は歳十六で夭逝された。 第三皇子スヴェン、この方はカスティーリャ王、ドゥブロヴニク王の祖である。 第四皇子クリストファ、この方はヴァリャーギ隊に入隊された。 ヤドヴィカの崩御の後、皇后スィスィーリェとの間に一男もうけられた。 第五皇子ヨルン、この方はエジブトとマグレブの王となられた。 また、宮廷女官のスィーネとの間に一女をもうけられ、 第二皇女アセ、この方の御生誕の時公正帝はすでに崩御され、嫡出認知がされなかった。フランス王ルボーの王妃となられ、フランス王女アウスタシアをもうけた。 **ヴァルデマ賢帝 [#gab36df9] &ref(賢.jpg,nolink); ヴァルデマ賢帝はメクレンブルク女公アデリンデを皇后に立て、四男三女をもうけられた。 第一皇子オト、この方はメクレンブルク公と帝位を継がれ、大胆帝と称せられた 第二皇子ヤコブ、この方は教皇になられ、ボニファシウス七世と称せられた。 第一皇女ルナ、セルビア王ヴラスティミルの王妃となられた。 第二皇女エステル、この方は神聖ローマ皇帝の長子ア・スドレイム家のコルベンと婚姻された。 第三皇子ハルヴォル、この方はレオン王であったが嫡子無くして戦死された。 第四皇子フローゼ、この方はコエヌガルドル王である。 第五皇子エストリズ、この方は尼となられた。 アデリンデの崩御後、ライン男爵家のイルムガルドを皇后に立てた。子はいなかった。 イルムガルドの崩御後、宮廷女官スィーネを皇后に立てられた。二男一女をもうけられ、 第六皇女マーサ、この方は尼となられた。 第六皇子ロルフ、ティロルの伯であった。 第八皇子イーレク、サムラントの伯であった。 また、皇帝は公妾四人との間に三男一女をもうけられた。 宮廷女官ヘレナとの子、 第五皇子イーナル、この方はレオン王、アキテーヌ王の祖である。 宮廷女官シャンナとの子、 第七皇子ヴィクトーリン、この方はポーランド王である。 ユダヤ人ヤコブの娘リヴカフとの子、 第九皇子エスベンこの方はニーダーロードリンゲン大公である。 ラメリア男爵夫人ファリンダとの子、 第七皇女ビントは夭逝された。 **オト大胆帝 [#f485b326] &ref(大胆.jpg,nolink); オト大胆帝、ヴェネツィア総督バルトロメオの娘カテリーナを皇后に立て、一男二女をもうけられた。 第一皇女ルイトガルト、この方はパルテスキ王ウィンセンティの王妃となられた。 第一皇子エアンスト、この方は今上の帝である。 第二皇女ウィンフリダ、この方はアラゴン王フローゼと婚約されておられる。 **エアンスト帝 [#d65051dd] &ref(エアンスト.jpg,nolink); エアンスト帝、ジョリー家のフィリパを皇后に立て、一男一女をもうけられた。 第一皇女イリザベト、 第一皇子オトと申し上げる。 *デンマーク王系 [#s740ba55] &ref(デンマーク系.jpg,nolink); **ヴァルデマ再興王 [#gf7e815c] &ref(再興.jpg,nolink); クリストファ二世第三皇子デンマーク王ヴァルデマ四世はザクセン選帝侯ルドルフの娘ビアトリクスを王妃に立て、 第一皇女マグダレーネ、ポーランド王子カジミエルツの王妃となられ、一男一女をもうけられた。 第二皇女スィスィーリェ、ブルガリア皇太子モムチルと成婚された。 第三皇女イリザベト、イングランド王ギルバートの王妃となられ、二男二女をもうけられた。 第四皇女ソフィーイ、テッサロニキ専制侯アンドロニコスと一女、その弟ディオゲネスと一女をもうけられた。 第一皇子イーレク、この方は王位を継がれイーレク七世と称された。武勇に秀でたという。 **イーレク七世 [#g8e7fab3] &ref(イレ7.jpg,nolink); デンマーク王イーレク七世はマジャール王アデリンデを王妃に立て二女をもうけられた。 第一皇女グレーデ、母親のマジャール王位を継承した。ア・スドレイム家のヨンを王配とし、その長子シグルドはヴァルデマ聖帝第四皇女カロリーネの婚姻相手である。 第二皇女カタリナ、 また、ウトランデ総督夫人ビルントニスとの間に 第一皇子バヴォ、この者の子がデンマーク王位を継承した。 また、アデリンデの薨去後、アスタを王妃に立て一男三女をもうけられた。 第三皇女イーリカ、この方はロタリア伯ギリーゴスと成婚された。 第二皇子ヴァルデマ、この方はワラキア王となられた。また、ヴラディミール王の祖である。 第四皇女エスターヒルド、子の方はカスティーリャ王ガリンドの王妃となられた。 第五皇女スィーネ、この方はコリントス伯ニールスと成婚された。 **デンマーク王太子バヴォ [#a535dba0] &ref(太子.jpg,nolink); デンマーク王太子バヴォ、ミンスク伯リンガウダスの娘ヴィガイリを王太子妃に立て三男一女をもうけられた。 第一皇子イーレク、この方はデンマーク王イーレク八世として即位されたが、子を残さず夭逝された。 第二皇子ゴズフレズ、この方は兄の薨去後デンマーク王ゴズフレズとして即位された。 第一皇女ヘレナ、この方はバルセロナ公ジョアンと成婚された。 第三皇女スヴェン、この方は歳17で夭逝された。 **ゴズフレズ [#ecf96604] &ref(ゴズ.jpg,nolink); デンマーク王ゴズフレズ、ブレートラント王オーブレーの娘ジョアンを王妃に立て一男三女をもうけられた。 第一皇女カタリナ、ヴァルダイ家のミクロスと成婚された。 第一皇子バヴォ、この方はデンマーク王位をついてデンマーク王バヴォと称された。野心が強く、独力でブレートラント王に即位した。のちに増長し帝室一門に害をなしたためヴァルデマ賢帝により投獄され、デンマーク王位を剥奪された。以後、デンマーク王位は皇帝が兼ねた。 第一皇子バヴォ、この方はデンマーク王位をついてデンマーク王バヴォと称された。野心が強く、独力でブレートラント王に即位した。 のちに増長し帝室一門に害をなしたためヴァルデマ賢帝により投獄され、デンマーク王位を剥奪された。 以後、デンマーク王位は皇帝が兼ねた。 第二皇女イリザベト、中アングルの公マウリスと成婚された。 **デンマーク廃王バヴォ [#f5ac8449] &ref(バヴォ.jpg,nolink); デンマーク廃王バヴォ、プレンダロー公ハーコン三世の娘ユナを王妃に立てて二男一女をもうけた。 デンマーク廃王、ブレートラント王バヴォ、プレンダロー公ハーコン三世の娘ユナを王妃に立てて二男一女をもうけた。 第一皇女アスタ、この方はヴィッテン家のルートベルトと成婚された。 第一皇子ゴズフレズ、この方は夭逝された。 第二皇子ルズヴィグ、この方はブレートラント王、その第一皇子バヴォはイングランド王である。 また、王宮女官スィーネとの間に 第二皇女グレーデ、この方はユーリィチ=クレフ=ベルク公オト二世と成婚された。 *[[AAR/デンマーク年代記]] [#ibb1d987] TIME:"2015-07-13 (月) 20:15:20"