#author("2020-09-10T15:59:37+00:00","","") _最近_5_ち_ゃ_ん_ね_る_の_書き込み_が_できない件について な_ん_で_も_な_い_書き込み_が_NG_ワード_に_引っ掛_り_即_B_B_Q_されるのは_欠_陥_品_ア_ド_バ_ン_ス_ド_大_戦_略_で_おなじみ_の *_株式会社_チ_キ_ン_ヘ_ッ_ド_の_南_人_彰_という [#x8db047e] いかにも_通_名_な_人物_が_5_ち_ゃ_ん_ね_る_運営_に_関わ_ってい_て_NG_ワード_など_いたずらに_設定_して_私_物_化_している_から という_噂_がある_けど_本当_だろうか また_南_人_彰_は_PS2_で_出た_セガエイジス_2500_版_ア_ド_バ_ン_ス_ド_大_戦_略_の_開_発_時_に_前_金_で_開発費_を_受け_取った_まま 納期_を_守ら_ず、セガエイジス_担当_から_の_連絡_を_ずっと_居留守_を_使って_逃亡_し_つづ_け_ *_横領_未遂_を_図った_事でも_知られている [#q796722d] 警察_に_被害_届_を_出す_と_言われて_観念_して_ようやく_姿を_現した_時も 当時の_セガエイジス_担当_に_逆恨み_を_し、彼に_恥を_かかせる_目的_で _マスター_ロムに_ゲーム_に_ならない_致命_的_な_欠陥_プログラム_を_故意に_入れて_渡した_容疑も_かけられている_いわく_つき_の_人物_である この事件以降、賠償という形でアドバンスド大戦略は新作が出せなくなり今年2020年暮れで丸16年が経過しようとしている そして_極め_つけ_は_第_二_次_世界大戦_を_背景_にした_大戦略_「_大東亜興亡史_」_を_本家_本元_の_システムソフト_が_発売した_事_だろう_か 「_自分の_縄_張_り_が_侵_さ_れ_た_」_「_裏切られた_」_など_と_勝手に_憤_り ゲーム_が_作れ_なく_なって_から_の_1_5_年_の_空白_を_ろく_に_働き_も_せず_2_ち_ゃ_ん_ね_る_(_現_5_ちゃ_ん_ね_る_)_で_ずっと システムソフト_と_セガ_を_攻撃_し_続_け、_ *_あ_ま_つ_さ_え_殺害_予告_を_書_く_にまで_発展_した_ので_ある [#a013a5d6] 実際_5_ち_ゃ_ん_の_ゲ_ー_ム_関_連_ス_レ_で 「_株式会社_チ_キ_ン_ヘ_ッ_ド_の_南_人_彰_」や_共犯_と_される「_鈴_木_ド_イ_ツ_」_これらに_「横_領_犯_」_など_と_書くと_一発_NG_で_B_B_Q されて_しまう。サンダーフォース6_の_開発者_だった 岡野哲_という_人物_を_執拗_に_誹_謗_中_傷_している_事_でも_有名_だが 「_岡野哲_」や_それら_に_関する_誹_謗_中_傷_文_は_どんなに_書いても_決して_NG_にされたり_はしない *_ゲームカタログ_内_でも_同様_「_南_人_彰_」_「鈴木ドイツ」は_即_NG_登録_された_ようだが [#u2e0fb7e] *_「岡野哲」だけは_絶対_に_NG_に_設定_はしない_だろう [#q07c16df] *_なぜ_なら_この_「_ゲームカタログ_」_と_「_クソゲーオブザイヤー_」という_サイト_は [#zf57243e] *_ゲームに_か_こ_つ_け_て_岡野哲_氏_などの_同業_ライバル_や_、_システムソフト_など [#l40580f5] *_個人的_に_恨_み_の_あ_る_特定_人物_や_企業_を_誹謗_中傷_する_た_め_に_立てた_サイト_だから_で_ある [#qee6ffc9] *_だいいちクソゲーオブザイヤーが始まった同年に [#e71a0707] *_PS2_史上_最悪_の_欠_陥_品「_セガエイジス_2500_ア_ド_バ_ン_ス_ド_大_戦_略_」_が_発売されて_いるのに [#scd7dacd] *_クソゲーリストにノミネートされていないのはおかしいだろう [#yc8a0b9f] 犯人_は *_株式会社_チ_キ_ン_ヘ_ッ_ド_の_南人彰(58歳) [#vf86ac30] と_疑_わ_ざ_る_を_得_な_い *_麻雀_天鳳の_角_田_氏_に_殺害_予告_文を_書いた_容疑_も_踏まえて [#fd28aa30] そろそろ_この男_を_表に_引き_ずり_出す_必要_が_出てきた_ようだ #author("2020-09-11T03:29:52+00:00","","") [[AAR/ターヒル家は傷つかない]] アボルハサンはバルバラ公国出身の黒人の母を持つ。 母は公国内では有名な才女で、先王バフティヤルの妻となってからはこれをよく支え、第一夫人を凌ぐ寵愛を受けた(先王の子6人中4人までが彼女との間に生まれている)。 アボルハサンも母の才能を多く受け継ぎ、成人してからは先王の家宰として活躍した。 アボルハサンはまずサーマーン朝に先王との間に結ばれていた軍事同盟の更新を求め、受け入れられると962年初頭にメルブ公領内に進軍、第2次ブハラの戦いでこれを破った。 #ref(ck2_150.jpg) 963年にはメルブ公は降伏し、サーマーン朝は危機を乗り切っている。 964年には王権を引き下げるように要求する派閥のリーダーであったギーラーン伯を奇襲、追放し派閥を立ち枯れにした。 サッファール朝は大王ヤアクーブ2世が老齢により衰弱しており、王国内でも一族が内乱を起こし王軍がこれを打ち破れないなど混乱に見舞われていた。 966年ヤアクーブ2世が死ぬと、24歳のモザッファがこれを継いだ。 これによりサーマーン朝とサッファール朝との間に同盟関係がなくなり、いよいよサッファール朝は弱体化した。 969年にはアッバース朝のカリフ、ムバラクが力を持ちすぎていた臣下ファーティマ公に宣戦。ターヒル家に対抗すべく王権の強化を狙っていることは明白であった。 同時期にアボルハサンもサッファール朝からケルマーン伯領を奪い、いよいよアッバース朝との決戦の準備を始めた。 共に1万ほどの動員兵力を用意したと言われるが、事態は彼らの思わぬ方向に推移していった。 サーマーン朝領内カスピ海北方にはテュルク系に属する遊牧民が住んでいた。 彼らはいつしかイスラム化しサーマーン朝辺境の傭兵として活躍していたのだが、人口増による食糧事情によって南下。 略奪を行いながらサーマーン朝の主要地域に達しようとしていた。彼らの統率者の名を #ref(ck2_133.jpg) セルジュークという。 総勢は2万という大軍であった。 ペルシャ王国ではセルジュークに対する主戦派と非戦派で2分された。 しかし非戦派のリーダーで、王の動き次第では独立すると公言して憚らなかったビールジャンド伯が不審死すると、アボルハサンは即座に全軍を招集しサーマーン朝内に渡った。 971年サーマーン・ターヒル連合軍はセルジューク本軍と戦い辛勝。 #ref(ck2_154.jpg) この時アボルハサン生涯の盟友となるシャーヤー2世王が元服し初陣となっている。 さらに同年冬カングリの戦いでセルジュークを捕縛しこれを自らの手で処刑した。 これで自信を深めたアボルハサンは、ついに973年メソポタミアを要求しアッバース朝に宣戦布告。 #ref(ck2_157.jpg) クウェートの戦いで兵数がほぼ同じながら圧勝し、ペルシャ軍の精強さが中東一帯に広まった。 両者は976年に和議を結び、アボルハサンはメソポタミア全土は手に入れられなかったものの南部バスラ一帯を掌握した。 #ref(ck2_159.jpg) アッバース朝は首都を一旦アルメニアに移転したが、王朝の中心地バスラが奪われたことで著しく弱体化していくことになる。 アボルハサンは遊牧民やアッバース朝を圧倒したことでこの頃から賢王と呼ばれるようになる。 #ref(ck2_161.jpg) その後10年はアッバース朝と対峙しながらクルド人の独立国家アルターキー公やサッファール朝の領土を奪っていった。 989年、宿敵であったカリフ・ムバラクが反乱軍兵士によって殺され、少年のムバラク2世が跡を継ぐ。もはやアボルハサンを止められるものはいなくなった。 この間軍備に金を費やし、直轄動員兵力は8000を超えた。 994年アボルハサンは再度メソポタミアを要求しアッバース朝に宣戦。 #ref(ck2_169.jpg) ムバラク2世は非常に気弱であり、またターヒル軍が圧倒的であったこともあり995年に全面降伏。 #ref(ck2_173.jpg) 穀倉地帯メソポタミア(一部を除く)を手に入れたアボルハサンに対する諸国の恐怖はついにペルシャ包囲網として結実する。 #ref(ck2_174.jpg) 黄:アルターキー公、橙:サッファール朝、青:シリア王、紫:アッバース朝 この包囲網はアルターキー公によって主導され結成された。 しかしアッバース朝カリフムバラク2世に軍を動員する力がないと見たアボルハサンは、シリア王と結んでこの包囲網を崩壊させる。 995年、打つ手を失ったアルターキー公に対しアボルハサンは「懲罰」を開始。アボルハサン死後、後継のシャバーズ王の時代に公は滅亡させられ、クルド人は長い間独立を失うこととなる。 その後997年にはアッバース朝カリフとシリア王、ペルシャ王アボルハサンの間で3国同盟を締結。 2国がアボルハサンの小国に対する侵略活動を是認する代わりに彼に安全保障をしてもらうという内容で、事実上のアッバース家からターヒル家への中東における主導権移譲であった。 999年のトゥールーン朝によるアッバース領ペトラ侵攻の際にはペルシャ王自らこれを打ち破っている。 アバルハサンは国外情勢が一旦落ち着くと国内改革を行った。 ペルシャ王としては始めて公爵位を家臣に授与し、肥大化した領土支配の効率化を図り、さらに在地の土豪たちから権力を次々取り上げてペルシャ人に統治を任せた。 そして多くの支持を集めると1000年自らこそがメソポタミア王であると宣言。これに異を唱える国はいなかった。 1000年に義理の弟サーマーン朝のシャーヤー2世が死んだが、サーマーン朝にもはや価値はないと思っていたのか、同盟更新はしなかった。 #ref(ck2_176.jpg) 1007年、アボルハサンは68歳で自然死。ペルシャ王及びメソポタミア王は長男シャバーズが継いだ。 #ref(ck2_179.jpg) アボルハサンは改革によって手に入れた強大な軍と、サーマーン朝との同盟を後ろ盾にしており、これによって連年戦争を行っても国家が破綻しなかったとされる。 巨大となった領地を元にした革新的な内政改革はアボルハサンの治世の間絶えることなく行われ、アボルハサン即位時動員兵力は1万だったが、治世末期には2万5千を超えており、中東にはこれに対抗できる国家は存在しなかった。 彼の治世にメソポタミア一帯と北ペルシャが完全にターヒル家のものとなり、さらに3国同盟によって外交政策も破綻することはなかった。 またアボルハサンは宗教的権威ではなく、家臣や領民による圧倒的支持によって自らの行動を正当化した。ムバラク1世によるイスラーム帝国再興は失敗に終わり、人々は少しづつカリフから離れ、各地域における政権に希望を見出し始めた。 これに自信をつけたターヒル家はついにササン朝以来のペルシャ皇帝位を夢想するようになる。 彼の治世を契機に一つの時代が終わろうとしていたのである。 [[第五回 シャバーズの治世>AAR/ターヒル家は傷つかない/シャバーズの治世]]へ