[[AAR/グランドクロス・クロニクル]]

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1181:
サラディンは直ちに三軍をもって侵攻を開始した。
南東から少数の軍隊がきたかと思うと、彼らはシナイで合流して大軍となり、すぐさまレイモンドのケラク砦が包囲された。
別の軍はダマスカスからやってきて、北東から侵入し、サフェが包囲される。

ボードワン4世はこの脅威に対抗して全軍を徴兵したが、彼の軍勢はまだ非常に劣勢にように見えた。
その主要な理由はまもなく明らかになった。ティベリアス伯レイモンドが書状を寄越して、王の招集を拒否する旨伝えてきた。
レイモンドの軍はマスシャフ((意味不明))の攻撃に巻き込まれており、あの忌まわしいハッシンの砦の近郊にいたため、どのような軍隊もおくることができなかったのだ。


サラセン人たちを無視するべきだという助言を特使で伝え、ティベリアスは怒れるサラディンを避けて行動することを決めた。
ゲームでは、彼は絶え間なく軍を徴集し続けているように思える。
しかしながら興味深いことに、彼は自分の領地以上に兵力を増強するのに成功していない。

私にとって幸運なことに、シビルの常備軍はアスカロンの小規模な反論を野戦で鎮圧していた最中だった。すでに挙兵していたために私は自分の兵のコントロールを失わずにすんだ。
ボードワン1世はただ、ジャッファ・アスカロンの男爵と司教の兵を徴兵できたにすぎなかった。
自分の軍の指揮権がなければ、シビルの広大な領土を守ることはできなかっただろう。
さらに私は軍事メニューをひらいて傭兵のリストを見た。しかし悲しいことに、都合のつく傭兵はいなかった。
とはいえイェルサレムには二つの頼もしい軍団がある。ボードワン4世は敬虔な君主だったので、豊富な信仰を消費してテンプル騎士団とロードス騎士団を雇用することができた。
どちらもボードワン4世の軍のなかでは突出した戦力である。イェルサレム王国の軍隊は彼らの到着によって三倍にもなった。

というわけで、イェルサレム王国軍は、ジャッファ・アスカロンと騎士団の軍をもってレイモンド・デ・シャティヨンの自業自得の窮地を助けるために進撃した。
私は、半分は、サラディンの復讐はほおっておいてシビルが女王になるために軍をもちいることを考えていたが、しかしサラディンがレイモンドから自分にターゲットを変更するとまずいことを知っていた。

私は王の軍勢を待つことに決めた。
ボードワン4世の軍はケラクの敵軍を避けて南に行き、サラディンの軍に対抗するためシナイに向かった。
サラセン人たちはシビルの城の一つであるダラムを包囲していた。包囲を動揺させるため、ボードワンはペールシェバにあるバリアンの城のほうに向かって陽動作戦を行った。
サラセン人たちは、我々がケラクを離れてダラムの包囲を開囲させると考えているだろう。そう私は読んだので、ボードワンに付き従った。

ペールシェバの戦いで、私は初めてリチャード獅子心公の戦闘を見た。
私がジャッファ・アスカロン軍の中央に彼を割り振ったのは、どうやら適切だったようだ。彼は私を失望させはしなかった。
両軍は、リチャードが軍勢を引き連れて戦場に到着するまで互角の戦いを見せていたが、リチャードの到着後、戦闘のながれは一挙に変わった。

しかしその間にダマスクスの大軍が南方にあらわれ、包囲に参加した。
サラセン人たちの軍隊が十字軍戦士たちより多いのを見て、私は恐れたが、それは杞憂に終わった。

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われわれの心配にもかかわらず、リチャードと彼の部隊はサラセン人たちを打ち破った。
続いてケラクの門が開かれ、守備隊たちが鬨の声をあげながら出撃してき、戦闘になった。
おなじみの紺色の陣羽織に身を包み、敵の返り血を浴びながら戦うリチャードの雄姿が印象的だった。
リチャードと彼の部隊の活躍が転換点となり、敵の攻勢は徐々に弱まっていった。

状況は変化した。戦闘はキリスト教徒たちにとってよいように推移した。
敵たちはまだわれわれを数の上ではまさっていたが、テンプル騎士団とロードス騎士団の重騎兵を計算にいれれば、サラディンの農奴兵数千とは質でまさっている。

なにより決定的だったのは、右翼の側面攻撃を重視したリチャードの冴えある戦術だった。
彼はサラセン人たちの左翼を攻撃し、ついで、バリアン・イベリンと協力して中央の敵を挟撃した。
これによってサラセン人たちの右翼は孤立し、ついに敵は潰走しはじめた。

イェルサレム王国の勝利は決定的になった。しかしサラディンは彼の帝国からまだ増援の部隊をおくりこもうとしていた。これに対して、十字軍側は増援の見込みなどなかった。
したがってサラディンが白紙和平を提案したとき、わたしは喜んでこれに応じた。
わたしはまだ戦闘能力をのこしていたが、サラディンはそれ以上の資金と兵力を有していたのだ。
このまま戦い続ければ、サラディンは最終的には勝利をおさめ、イェルサレムはいくばくかの領土を失っただろう。
だから我々は和平をうけるのがよかったのだ。

ボードワン4世は平和に関するサラディンの議論に応じ、二人は数時間会談した。
サラセン人たちは無言で撤退していった。同じように、十字軍たちはケラクの砦から帰って行った。

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サラディンの怒りの原因になったレイモンドは厳しく処分された。
ボードワン4世はレイモンドを譴責し、レイモンドは地下牢に閉じ込められる屈辱をあじわったが、財産没収でなんとかゆるされた。
ボードワン4世は戦争による疲弊でへとへとになっていた。彼は消耗し、数か月間寝込んでしまった。

***

1182
サラディンとの戦争はとても危なっかしいものだった。
最終的には敵は領内から撤退したが、我々が勝利したというわけではなかった。
世間の者はみな、イェルサレムはまったく打ち負かされ、痛々しい姿をさらしていると見ていた。
さらに、リチャードは戦闘のたびにボードワン4世を窮地から救っていたが、それが長期的にみて適切な戦略だったかどうかは疑問が残る。

そこでシビルは、より強引な手段をとることにした。

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シビルが、自分の弟を除こうという陰謀の罪の意識にさいなまれていただろうことは疑いない。
しかし問題は、よりよい王国のためだという目的によって正当化された。
ボードワンはもはや長くは生きられないだろう。イェルサレム王国もまた、あまりもたもたしていると破滅してしまうだろう。

しかしながら陰謀の共謀者を誘う段になって、これが当初予想していたより簡単なことではないことが明らかになった。
陰謀に誘えそうな貴族たちのほとんどはまだハンセン氏病の王に忠誠を誓っていた。
体制転覆に興味を示すものは誰もおらず、シビルの母アグネス・デ・コートニーも同様だった。
彼女は領土をもっていなかっただけではなく、彼女自身ボードワンの母でもあったため、彼を裏切りはしなかった。
リチャードはもちろん興味津々で、彼をまねきいれるのは簡単だった。(正直言うと、このパッチの前も後もわたしが陰謀にひきいれられたのはリチャード一人だった。)
ティベリアスのレイモンドは興味がないといったふうで取りつく島もなく、バリアン・イベリンはボードワン1世に忠誠を誓っていた。
外国の王子たちも誰もこの陰謀に加入しようとはしなかった。
イングランド王ヘンリー2世もだめだった。アンティオキアの王子もだめだった。もちろん、ビザンツ皇帝もだめだった。
この陰謀にはろくな共謀者がおらず、パーセンテージは、陰謀の成功に必要な数値からははるかに低かった。

この陰謀に喜んで協力しようという一人の共謀者--私はこの悪魔とともに陰謀を推し進めなければならなかった。

エティエネテ・デ・ミリィは、その取るに足らない夫であるレイナルド・デ・シャテロンに代わってこの計画にくわわった。
彼ら二人は、レイナルドがケラクのたたかいののちにボードワン1世に降格処分を受けた報復をしようと思っていた。
シビルの野望は彼らの支援を得た。危険な同盟がいまや成立した。シビルはさきゆきを疑った。将来の見通しは明るくなかった。


TIME:"2012-10-10 (水) 21:51:25"

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