[[AAR/まったりホーエンシュタウフェン家]]

*Duke Philipp I of Schwabenの時代 [#qfc4e603]

まずは、新当主の紹介をしたい。

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Stewardshipが相当に低く、また嫁も5程度しかないため、これを早期に是正したい。要するに嫁を交換するってことですね。幸いにして現在はどことも戦争状態にはありません。
今のところの後継者には弟Reinhardを指名し、未亡人になっているUpper Lorraine女公爵と婚約させる。

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1147年10月 嫁がなんらかの事情?で死亡したため、ノルウェー王家から新たに嫁を迎える。

1148年7月 皇帝がEmir of Cyrenaicaへカラブリアの支配権を求め、宣戦した模様。そこですかさず我々もトリポリタニアの支配をめざし、同年9月宣戦布告する。なお、勝利した暁にはアフリカ王位をなのることが可能になる。

1149年11月 いまだEmir of Cyrenaicaとは戦争中であるが、突如Mahida伯が反乱をおこす。

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母親がロシア人であったせいか、ロシア文化かつ正教徒となっている。
1151年8月 反乱鎮圧。その後まもなくして牢の中でThomasは息を引き取った。

1152年10月 Emir of Cyrenaicaとの戦争に勝利。あとはPietyとGoldが貯まればアフリカ王になれる。

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*King Philipp I of Africa [#af7eb3f9]

1157年3月 アフリカ王位を名乗るための全ての条件が整い、PhilippはKing Pilipp I of Africaとして即位を果たした。

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1159年11月 妻Audunsdatter死去、後妻に前皇帝の娘であり現皇帝の姪であるJutteを迎える。また同月皇帝が教皇により破門される。

1165年3月 帝国内では小規模な反乱が起きたりと若干動きがなくもないのだが、我がアフリカ王国内はいたって平穏である。5年以上AARに何も書かずに過ぎてしまうくらい平穏である。というわけで少し世界の様子を見てみたいと思う。なお、スクショは全て1165年3月のものである。

現皇帝、破門されている上にUnreadyなんてあだ名されちゃってます。

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再び一体感を取り戻しつつあるフランス王国とトゥールーズをめぐって戦争中。なお、画像下部を見ていただくとわかるようにイベリア半島ではキリスト教勢力が風前の灯に。

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イングランドは内戦中、なお少し見づらいですがイングランド王は先代デンマークランド女王と結婚していて、現在はその両王の子がイングランドとデンマークの王を兼ねている模様。

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ビザンツも内乱中の模様

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1166年1月 年が明けたところで我がアフリカ王国は帝国法の適用範囲外すなわち私戦が可能だったことに今更ながら気付く。というわけで弟Reinhardの請求権を使ってAlsaceへ宣戦。

同年10月 Alsace公爵は降伏、Alsace公領はアフリカ王国加わった。

1168年3月 しばらく戦争もしていなかったのでCyrenaicaへの遠征を実施を決定。現在再び盛り上がりを見せている第3回十字軍にCyrenaicaは防戦側として参加しているため、十字軍の側面支援にもなるだろう。

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デンマーク、トスカーナを中心にして戦われる第3回十字軍。なお、デンマークとイングランドは同君連合を解消した模様。

1169年9月 Trevisoの請求権を獲得

1170年4月 Cyrenaica降伏。また戦争終結後即、TrevisoをめぐってVerona公爵へ宣戦。

同年10月 Verona公爵降伏

1171年3月 Philippに対する暗殺の企てが露見したことにより、Mechlenburg公爵の請求権を得る。当然のことながら即日宣戦。

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1172年2月 Mechlenburg公爵降伏

1173年10月 Verona公爵の差し金により破門される。迂闊にも教皇のopinionをマイナスにしてしまったせいである。しかし、統治期間が20年を超え、配下のopinionもそんなに低くはないのでこのまま放置しようかと思う。本来なら破門を解いてもらうために何かすべきなんだろうけど実害をそれほど感じないのでそのまますすめます。

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*Crusade [#z890dd41]

1179年4月 東に目を向けてみるとそこには内乱中のShia Caliphateの姿があった。どうやらそんなに大規模な反乱ではないようではある。しかしながらKing Philippも齢57、そろそろ寿命が来てもおかしくない年頃。最後の一仕事として遠征を決める。

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艦船により偵察を行う、今回の十字軍の目標はTyrusであるが、敵の反乱軍により既に包囲されている模様。

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敵が内乱状態であることもあり、戦況は優勢に進み、1181年4月には講和の使者が訪れる。しかしながら目標地は敵国の反乱勢力の占領下にあり講和を受け入れたところで我々には何も益するところはない。せっかくの使者ではあるものの泣く泣く拒否することに。

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かなり見づらいかとは思うが、画像右の部分で目標地Tyrusが敵国の反乱軍の占領下にあることがわかる。

ところで、AARをアップしてから、どんなコメントがくるのかなとどきどきしながら、コメント欄を見させていただいております。全然まったりしてねぇ!なるコメントをいただいたりして筆者としては確かにそのとおりとしかいいようがないのですが、ここで大変見苦しい言い訳をさせていただきたい。王国、または公爵領プレイでは比較的弱いところを狙って拡大していけば比較的簡単に所領の拡大は可能である。これはある程度本作をプレイされている方ならば既におわかりのことであろうかと思う。初期にアフリカ遠征を行えば、王号の創設も比較的楽にできる。また伯家でのプレイでも王(王または皇帝)直属であればどこかの公爵のタイトルをいつのまにかもらえたりする。したがって、皇帝直属ではないSwabia公爵配下のSwaben伯ではじめた場合は比較的まったりプレイできるのではないかと考え、このタイトルをつけるにいたった。以上、言い訳その1である。もう少し言い訳したいことはあるのだが、また気が向いた頃にさせていただきたい。

1183年8月 King of Philippはなにが起こったのかわからなかった。なぜこのことが起こったかはわからない。もちろんこれだけでは読者にはなにがおこったかわかるはずもないだろう。

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十字軍戦士を牢に入れるとはさすが破門されているだけのことはあるね!こんなことだから破門されるんだよUnreadyさんよ。
摂政には相続予定者であるDuke Reinhard I of Aldsaceが就任する。
摂政には相続予定者であるDuke Reinhard I of Alsaceが就任する。

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↑もともとKing of PhilippはTunis公爵しか与えていないのだが私戦等により4つもの公爵位を得ている。

1183年2月 敵がTyrusを占領する反乱軍と講和したようである。いまこそ目標地を陥れるときである。

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1184年4月 戦況は順調に進み勝利を収める。これにより教皇の提唱した第3回十字軍は成功裏のもとに終了する。またこの戦果によりKing ofPhilippはThe Holyとの渾名されることとなる。

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なお、皇帝は身代金を払っても牢から解放する気はない模様

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1186年8月 King of Philippはいまだに牢の中であり、どうしようかと思っていたらPhilippが死去する。その後は以前より後継者に指名されていた弟のDuke Reinhard I of AlsaceがKing Reinhard I of Africaとして即位することになる。

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約40年の治世、お疲れ様でした。

TIME:"2012-04-11 (水) 09:09:47"

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