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*1106年 当主就任 [#d2bf39c1]

#ref(picture_02.jpg,nolink,80%)
 Nikephoros II 13歳

&ref(picture_01.png);「私がNikephoros IIだ。よろしく頼む」

&ref(picture_hmhm_02.png);「閣下、先代より言伝がございます」

 Nikephoros IIへ
 あなたのためにIncome重視の内政をしておきました。
 私の代では大規模な動員が出来ず、帝国には申し訳ないことをしました。
 
 あなたの代ではこのIncomeを、軍事の強化と傭兵等の戦費に充てて下さい。
 
 私は戦場に立てず他家からは罵られていましたが、あなたには期待しております。
 初代の志、託しましたよ。

&ref(picture_hmhm_02.png);「先代は常に次代を見据えての行動をとっておられました」

&ref(picture_01.png);「うむ、それは承知している。ありがたく使わせていただこう」

&ref(picture_hmhm_02.png);「早速ですが閣下、今代ではどのような戦略を?」


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 せんりゃく!

&ref(picture_01.png);「第1目標はアナトリアの奪還、及びアルメニア、シリア、メソポタミア周辺の制圧だ」

&ref(picture_hmhm_02.png);「アナトリアは当然として、その周辺もですね」

&ref(picture_01.png);「ここは当家の、というよりも帝国の戦略でもあるな」

&ref(picture_hmhm_02.png);「戦争が始まったら動員をかけておきます」

&ref(picture_01.png);「第2目標はドュクリャ公だ」

&ref(picture_hmhm_02.png);「当家の兵力でも落とせますし、帝国周辺の統一という点においても大事な土地ですね」

&ref(picture_01.png);「以上2点を目標に動いていく」


*同年 [#qd5ed9fc]

#ref(picture_04.jpg,nolink,50%)
 高い王権へ移行

&ref(picture_01.png);「これで皇帝陛下の動員兵力が増えたな」

&ref(picture_hmhm_02.png);「当家の方針にも適う政策ですね」


*1108年 成人 [#x18e0310]

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 Nikephoros II成人

&ref(picture_hmhm_02.png);「おめでとうございます」

&ref(picture_06.png);「うむ。Intrigueを除いては悪くない数値だ」

&ref(picture_hmhm_02.png);「あとは早いところ子を作りたいところですね……」

&ref(picture_06.png);「あぁ、そこだけが唯一気がかりとも言える」


*1109年 予定通りの家臣反乱 [#me587c74]

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#ref(picture_08.jpg,nolink,50%)
 Demetrias伯の反乱、領土召し上げ

&ref(picture_06.png);「これでアテネ公国全ての領土を直轄地とすることができたな」

&ref(picture_hmhm_02.png);「収入と動員兵力が上がり、より効率良く帝国にお仕えすることができますね」


*同年 [#xfc77d47]

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 Konstantinos XI戦死、幼帝(4歳)立つ

&ref(picture_06.png);「これは荒れるであろう」

&ref(picture_hmhm_02.png);「周辺との戦争を控える中、内乱が起きたら目も当てられないですね」

&ref(picture_06.png);「うむ、これは軍備を急いで整えなくては」


*1112年 長男誕生 [#pa0cde35]

&ref(picture_hmhm_02.png);「お世継ぎの誕生おめでとうございます」

&ref(picture_06.png);「これでゲームオーバーは避けられると思いたいが……」


*同年 反乱 [#y15784c6]

#ref(picture_11.jpg,nolink,50%)
 反乱軍との戦力差

&ref(picture_hmhm_02.png);「Adrianopolis公とその周辺公が、独立を求め反乱を起こしました」

&ref(picture_06.png);「やはり起こったか。とはいえ機を見誤ったな」

&ref(picture_hmhm_02.png);「はい。高い王権に加え、我が軍の精鋭1500も南部から遊撃部隊として出撃します」

同年鎮圧。
しかし別の反乱(カヴァルナ公)には独立を許してしまう。


*1114年 幼帝事故死、継承者は…… [#s660d211]

#ref(picture_12.jpg,nolink,50%)
 幼帝Ioannes II 9歳の生涯を終える

&ref(picture_06.png);「一体どこの馬鹿者が……」

#ref(picture_13.jpg,nolink,50%)
 幼女帝Aigidia I(7歳)爆誕

&ref(picture_06.png);
  _  ∩
( ゚∀゚)彡 幼女!幼女!
 ⊂彡

&ref(picture_hmhm_02.png);「……」

この年以降、帝国というより幼女帝を支える姿勢に
家臣一同、不安になったという。


*1115年 反乱の嵐 [#w2ad1e83]

#ref(picture_14.jpg,nolink)
 Epirus公反乱

&ref(picture_hmhm_02.png);「公の反乱に加え、近くの領土でも別の反乱が起こり鎮圧に時間がかかっております」

&ref(picture_06.png);「Constantinopoleより西で大きな勢力となっているな……」

鎮圧に2年かかる。
この戦で戦費がかさみ、大きな行動に移れなくなるが
ここから13年、特にこれといった戦は起こらず帝国全土で内政が奨励される。


*1127年 [#j70a12f7]

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&ref(picture_06.png);「なっ!!! 父上が幼女帝と結婚だと!!!!」

&ref(picture_hmhm_02.png);「陛下が見初めたようで」

&ref(picture_06.png);「けしからん!!!」

この夜、アテネ公の枕が濡れていたという。


*1137年 領土拡大 [#d36d5cae]

#ref(picture_16.jpg,nolink,60%)
 Zeta攻囲戦

&ref(picture_hmhm_02.png);「かねてより計画していた『ドュクリャ制圧作戦』を開始します」

Diplomacyが高いので演説イベント発生

&ref(picture_06.png);「諸君、私は戦争が好きだ」

~以下略~

&ref(picture_06.png);「よろしい、ならば戦争だ」

「「「戦争! 戦争! 戦争!」」」

1月から開始したドュクリャ戦役は、同年7月、アテネ公の大勝利で終わった。
この勝利により直轄地が5つに増える。

戦争後、伯爵になると子供作りやすい気がするので、長男にDemetriasを与える。


*1140年 長男死去 [#c650ecc1]

#ref(picture_17.jpg,nolink,50%)
&ref(picture_06.png);「息子よ……」

継承者が孫に移る。

同年、金が溜まったのでアテネ兼ドュクリャ公となる。


*1143年 [#wb090664]

分割相続を長子相続に変更。


*1144年 [#pd8daea5]

ファーティマ、セルジュークが一枚岩でなくなったことにより
1140年よりHoly Warを連発、ビザンツ帝国は領土を拡大していた。
また北方の独立した公国とその周囲も平定。

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 遊撃部隊として頑張る当家

#ref(picture_19.jpg,nolink,50%)
 1144年の勢力図とHoly War


*1154年 [#oedf3f12]

#ref(picture_26.jpg,nolink)
 Holy Warの最中、幼女帝(47歳)隕つ

&ref(picture_06.png);「おぉ……」

&ref(picture_hmhm_02.png);「……帝国の領土拡大という点においては、優秀な女帝だったと言えるのではないでしょうか」

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 幼女帝の成果

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 後を継いだBoethios I 23歳

この皇帝、後にある事件を引き起こす。


*同年 無実の投獄 [#p90615f7]

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&ref(picture_06.png);「なぜだ……」

無実の罪による投獄で、暴君と呼ばれる皇帝。
帝国領内のopinionがとんでもないことに。

#ref(picture_23.jpg,nolink,50%)
 皇帝に対するopinion

孫が後見人となる。


*1161年 [#t8c9f826]

#ref(picture_24.jpg,nolink,50%)
 孫が死去。曾孫が継ぐ

&ref(picture_06.png);「帝国に対する反乱鎮圧が原因で死ぬとは……」


*1163年 [#d0ed7253]

#ref(picture_25.jpg,nolink,60%)
&ref(picture_06.png);「ハハッ……獄中で死ぬか……幼女帝~幼女帝~」

子、孫を失い、さらには投獄されたこともあり、彼の精神は崩壊した。

57年間の長期に渡り、帝国のために北へ東へ奔走し
帝国……ひいては当家のために、公爵とその領地を獲得した彼の功績は評価されるべきものである。
帝国を支え続けた忠臣の1人として、その死は宮廷内で大いに嘆かれた。


4代目 Nikephoros II 71歳没
5代目 Gregoras I に万歳!

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TIME:"2012-10-11 (木) 02:55:54"

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