プロヴァンス公ベルトランⅡ世。神聖ローマ皇帝ハインリヒⅣ世に従い、帝国各地を転戦したが、スポレート軍に捕らえられ、獄死した。
マティルダ・ド・プロヴァンス。ベルトランⅡ世の娘。父の跡を継ぎ、僅か10歳でプロヴァンス女公となった。国内を纏め上げ、ブルグンド女王即位を志向したが志半ばで斃れた。
フェリペ・デ・アラゴン。アラゴン王サンチョの息子だったが、イスラムの攻勢から逃れるようにしてプロヴァンス宮廷に婿入りした。プロヴァンス時代は宰相も務めた。
神聖ローマ皇帝ルプレヒトI世。ヌーシャテルの在地貴族の生まれで、前帝ヴォルフガングの急死を受け皇帝に即位した当時は「中継ぎ」と目されたが、前帝の遺児の叛乱を鎮圧し、本格王朝の祖を築いた。ノイエンブルク朝の祖であり、ルプレヒト大帝と称される。
ルトガー・ディ・アンコナ。マティルダとフェリペの長男。跡継ぎと期待され神聖ローマ皇帝ヴォルフガングの皇女と結婚したが、ザーリアー朝の終焉とともに没落した。アンコナ=ボソン家の祖。
ゴーティエ・ド・サヴォワ。マティルダとフェリペの次男。軍略に優れ、「プロヴァンスの猛牛」の異名を取った。プロヴァンス公位の継承はならなかったが、サヴォイアを拝領し、サヴォイア家の礎を築いた。
トマス・ドランジュ。フェリペの後任の宰相として頭角を現し、政権の簒奪をも狙ったが果たせなかった。ボナの代となり再び宰相を務め、プロヴァンス公の勢力の拡大に尽力した。
プロヴァンス女公ボナ。マティルダの長女。神聖ローマ皇帝ルプレヒトⅠ世の次男と結婚し、外交的手腕を発揮してトマスの野望を打ち破り、公位に就いた。北伊への侵攻を盛んに行ったが、晩年は近隣諸侯の抵抗に苦しんだ。
ルプレヒト・フォン・ノイエンブルク。ルプレヒト大帝の次男だったが、プロヴァンス女公ボナの元に婿入りした。ボナとの熱愛は後世に伝えられるほどだった。Toumas亡き後、宰相に就いたが、目立った活躍はしていない。
ポンス・ド・プロヴァンス。ボナの長男。シチリア=ボソン家の祖ではあるが、本人はシチリア王女を娶っただけでシチリアには何の関与もしていない。ボナの後継者と期待されドイツ宮廷へ留学したが、文化的な軋轢を背景に暗殺されることとなる。彼の死後、紆余曲折を経て妻のエリアがシチリア女王に就いたため、シチリア王位は彼の息子の家系に継承されることとなった。
ジェノヴァ公ギレム。ボナの三男。兄がいずれも若くして死去したため母の跡を継ぐ。好色で快楽主義の同性愛者であることが教会に嫌われ、ボソン家の当主として初めて教皇から破門を宣告される人物となった。周辺諸侯の圧力に屈し、プロヴァンスを封臣である幼女に譲ったが、後年、その幼女と自らの息子を結婚させ、勢力の維持に努めた。
ジェノヴァ公アマネウス。ギレムの次男だが、長男が夭折したため継嗣となった。プロヴァンス女公エレナと結婚して故郷に帰ったが、妻、父が相次いで死去したためプロヴァンス滞在は5年に満たなかった。ジェノヴァに帰国してすぐにシュヴァーベン女公アガテと再婚した。
エレナ・ドランジュ。複数の公位の保持をとがめられたジェノヴァ公ギレムがプロヴァンスに傀儡として擁立した幼女。直系曽祖父は宰相として名を馳せたトマスである。ギレムの次男アマネウスと結婚し、1子を儲けたが、出産直後に死去し、公位は幼い息子に渡った。
シュヴァーベン女公アガテ。ラインフェルデン家最後のシュヴァーベン公。ジェノヴァ公アマネウスとの結婚を通じ、シュヴァーベン公位はボソン家に継承された。
神聖ローマ皇帝レオポルト。ノイエンブルク朝最後の皇帝。勇敢さと忍耐強さを兼ね備え、宗教心に駆られ教皇の呼びかけに呼応して第4回十字軍の主力となった。エルサレム王位を獲得したものの、パレスチナでの治世僅か10年でイスラム側の猛反撃を受け、戦死した。勇猛な人物ではあったが、その評価は高くなく、「レオポルト残忍帝」とも呼ばれた。
プロヴァンス公ルプレヒト。ジェノヴァ公、バルセロナ公を兼ねた。ジェノヴァ公ギレムの長男。母親の死去に伴い、生後半年でプロヴァンス公位を継承した。十字軍への参加や、イベリア半島のイスラム教勢力を攻撃してバルセロナを獲得するなど武勇でも知られる。愛妻家であったが、一方で愛人も多く、中でもイダ・カペーは有名。
ヴェネッサン伯アマネウス。プロヴァンス公ルプレヒトの長男。父の死後、公位の相続を望んだとされるが、結局は果たせなかった。シュヴァーベン公アマネウスとは同名のため多くの文献で混同が見られる。人物としては凡庸だったと伝えられるが、ヴェネッサン伯家として家系をつないだ。
ブルグンド王アマネウス。プロヴァンス公ルプレヒトの異母弟。母からシュヴァーベン公位を、兄からプロヴァンス公位を相続し、自身はブルグンド王を名乗った。イベリア半島へ盛んに出兵し、アラゴン王を自称した。普段は温厚な人物であったというが、最初の妻であったヘレナを姦通の疑いで処刑するなど、残忍な一面も持ち合わせた。
フィリップ・ド・ヴィエンヌ。代々プロヴァンス家に仕えた下級貴族の出身。稀代の天才と謳われた頭脳の持ち主で、その明晰さに惚れたプロヴァンス公ルプレヒトが自身の娘マリアに婿入りさせた。バルセロナ伯領を拝領し、バルセロナ=ボソン家の礎を築いた。ブルグンド王アマネウスとは少年時代から仲が良く、家督相続に際しても力を発揮したという。
デンマーク王女ヘレナ。ブルグンド王となるアマネウスの最初の妃。アマネウスの家督継承以前に、時の当主であった兄ルプレヒトと愛人関係にあった。シュヴァーベン公となったアマネウスはヘレナを捕縛し、結局は処刑してしまった。
イダ・カペー。最後の統一フランス王となったアモーリI世の五男レイノーはプロヴァンスに婿入りしていたが、イダ・カペーはその血を引く。イダはプロヴァンス公ルプレヒトの愛人となり、男子を産んだだけでなく、ルプレヒトに兵を挙げさせ、父ジョセランをアキテーヌ王に就けさせた。
イングランド王エドガーVI世。エドガー公正王として知られる。教皇の呼びかけに応じ、ギリシアへの十字軍に従軍し、戦後にギリシア王位に戴冠した。ゴドウィン朝イングランド中興の祖とされる。