シャルルマーニュというDLCが発売されて、ひさしぶりにCK2をプレイしていると、なんだかAARが書きたくなってきました。どうすればいいかわからないけれど、すぐそばにあったボールペンで、これまたすぐそばにあったレシートの裏に書きつけたのが、このAARのはじまりです。それがすこしずつ貯まってきたので、公開してみます。
「一篇の詩を書く度に終わる世界に繁る木にも果実は実る」
これは詩についてのことばですが、このゲームのたのしみ方にもいくらか通じる部分があるのではないでしょうか。視点を変えてみれば、CK2のシステムは巨大な人間関係の織物を紡ぎつづけるエンジンのようにも見えます。そうして出力された人びとの関係はあくまで機械的なものなのに、わたしたちはそこに数々のドラマを発見することができます。ときには、幸せに浸る/絶望に沈むかれらの表情さえ見えてくるような気がするでしょう。ゲーム上では抽象化され、表現されない人びとの息づかいを想像する。それはCK2をプレイするうえでもっとも魅力的な部分のひとつではないでしょうか。 このAARでは、クリックひとつで過ぎ去ってしまう世界の細部を、すこしでもお伝えできればいいなと思います。
長い歳月が流れてイェルサレムを占拠するカリフの軍と対峙したとき、おそらくフィニアスは、父親の目を盗んではじめて年代記を広げた、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない。あのころのまったく子どもらしい好奇心は、かたくるしいユダヤの教えや幾何学よりも、フィニアスに冒険物語を好ませた。それが祖父やそのまた祖父のものだったなら、もう自分が英雄になったも同然の気分でいられるのだった。 暗い書斎のなか、ほこりっぽい年代記の一巻は子どもの腕には重く、しかしその重みはこの宝物の価値を証明しているようにも感じられた。誰かに見つかるかもしれない。緊張がほんのすこし手を震わせた。でも、その手は早晩剣を自由自在に操るようになる手なのだ。いよいよフィニアスは退屈な教科書を机の外に放り出して、年代記の表紙をめくろうとしていた。危険な宝さがしに見合った報酬は得られるだろうか。つまらない文字の羅列でなければいいんだけれど。これから目の前で繰り広げられるだろう祖先の戦いの日々に、彼の胸はにわかに高なった。遠い未来のイェルサレムでは、馬上の心臓がこれとまったく変わらない調子で弾んでいた。