ブルゴーニュ公国の本拠地ディジョン。鐘楼が林立する聖地にして、ワインの名産地。
本稿は、対象となるシナリオを終わらせた段階で執筆しています。
先代ブルグント公ユーグ四世(史実ではユーグ三世)が薨去した日を、シナリオ開始時点として設定しました。 強制終了するまで男系を存続させることが大前提です。忠臣としてカペー朝フランス王国を支えるか、取って代わってブルゴーニュ朝を創立するか、あるいはフランス王国から独立するかの方針は、周辺事情等を鑑みて取りました。 CK2はおろか、パラドゲーはまだ不慣れなところがあり、政略や戦術に稚拙な部分も多々あるかと存じます。記述についても、己の浅学が露呈するような想像を含んでいます。ご承知おきの上、お楽しみ頂けるとありがたいです。 (筆者・町屋嘉希)
ユーグ・カペーの孫にしてカペー朝フランス王国の第三代国王たるアンリ一世は、1031年に即位して間もなく、母コンスタンスおよび弟ロベールの叛くところとなった。 これを懐柔すべく、王は弟をブルゴーニュ公に封じた。ここにブルゴーニュ家のブルゴーニュ公ロベール一世が誕生、以後のブルゴーニュ家は、カペー家の分家としてブルゴーニュ公位を継承することとなった。 ロベール一世から数えて六代目のユーグ三世は、王家の傍系に甘んじることを潔しとせず、凌雲の志を醸していた。そして、1180年に国王ルイ七世が薨去したことを好機と捉え、彼は仏王の廷臣をわが掌中に収めんとした。 嗣君は齢僅かに15。岳父のエノー伯ボードゥアン五世が摂政となっていたが、すぐに親政をはじめてブルゴーニュ公領へ攻め入った。 のちに尊厳王と綽名されるフィリップ二世の器を、ユーグ三世は見誤ってしまった。公太子ウードがフィリップ二世に禽獲せられ、ユーグ三世は白き旗幟を明らかにした。ウードは身代金と引き換えに解放されたが、このときの記憶は少年ウードの野心を削ぐに十分であった。