ジェノヴァ公Amaneus
母Maria
シュヴァーベン女公Agathe
プロヴァンス女公Elenaは息子をひとり遺してこの世を去った。その悲しみも覚めやらぬなか、夫Amaneusの元にはジェノヴァ公である父Guilhemの容態が芳しくないとの情報がもたらされた。
母さん!父さんの様子はどうなんだ?
それが……Amaneus……。
なんだって!
父上はアキテーヌで命を落とされたのです。お戻りの時にはもう……。
そうか……。それは残念だった。
でも、そんな下ばかりは向いていられないわ。
そうだね。これからは私が当主なのだから。
ええ。まずは、国内を固めないと。
うーん。その点は実はあまり懸念していないんだ。
どうして?いままで国外にいたのだから心配だわ。
領内には伯級の領主はサヴォイア家のNikolausと司教領しかないからね。
たしかに、貴方は教会とは蜜月だものね。でもNikolausは……。
当面は後継者に指名しておけば大人しくしてるんじゃないかな。たぶん*1。
それで、国内は安泰として、何をしていくつもり?
それが問題なんだけど……。
戦争は無理よ。だって、イタリア方面はピサに勝てないわ。
ピサ共和国が勢力を拡大している。
そうだね。
でも他になにかができるというのかい?
実は……。
結婚式があるから来てくれですって!!
ええ。
そんな!今はじめて聞いたわ。
言ってなかったからね。実は、今日、新婦に挨拶に来て貰っていたんだ。
はじめまして、お母様。Agatheと言います。よろしくお願いします。
なんだって黙っていたのよ。
ごめんなさい。前妻が亡くなったばかりだったから言い出しづらくって。
それでこの子は誰ないんだい?
Agatheっていっただろ?
そうじゃなくて、いったい、何処の誰なんだい?
シュヴァーベン女公さ。
まぁ。貴方は女領主が好きなのね(笑)
Amaneusさん、前の奥さまもどこかの女公だったんでしょ?
ええそうよ。この子の領土欲には敵わないわ。
そういうなよ。あれは7歳の時にお父さんが決めたんだ。
シュヴァーベンっていうと……。何処でしたっけ?
ドイツ南部になります。中心はシュトゥットガルトですね。
Amaneus、領土欲はいいけど、また他の領主たちの嫉妬の被害に遭うだけじゃないの?
打算ばかりではないということよ。ねぇ?
お父さんの代みたいに戦争に巻き込まれるのだったらおんなじよ。
待ってくれ。これを見てよ。
ブルグンド王国のde jure領域。北端がシュヴァーベン(Swabia)公領。
実は、シュヴァーベンはブルグンド王国の領内に領地を持っているのさ。
ふーん。
ジェノヴァ、プロヴァンス、シュヴァーベンの3国が合同すればブルグンド王を名乗れるのさ。
何世代も前からの夢じゃないか!戦わずしてそれが得られる。すばらしい計画だと思わないか?
やっぱり領土的な野心だったのね……私たちの結婚。。。
ほら!君だって国王の母になれるんだよ!そう言うなって。
ううん。別に怒ってないわよ。私としても領地を守ってくれる男性と結婚するのは当然のことだから。
Amaneus、いいかしら?
なんだい?
プロヴァンスは貴方の長男の領地よね。
ああ。
シュヴァーベンは生まれてくる次男が相続するのよね。
そうなるだろうな。
それで、ジェノヴァはどうなるの?
う……。
当然、私たちの子供が相続するのよ。ねぇ?
それは……。
ねぇ、違うの?
孫兄弟がジェノヴァを巡って戦うなんて状況、私は嫌よ。
……。まぁ、結婚式には来てよね。
仕方がないから行くわよ。
Amaneusがプロヴァンス宮廷からジェノヴァに戻ってきて最初に行なったことは未成年のシュヴァーベン女公との婚約でした。シュヴァーベン公はドイツ南部の諸侯ですが、ゲーム開始の1066年の段階からde jure外のスイス方面にもいくらかの所領を抱えていて、今回のプレイではたまたま、そのうちの2つがブルグンド王国のde jureに入り込んでいました。シュヴァーベン女公との結婚は領地の合同によるブルグンド王国設立を企図してのものですが、兄弟の領地を統合する必要があるので、もうひと工夫する必要がありそうです。 この時期、他に目もくれず婚姻による勢力拡大を図っているのにはいくつかの理由がありますが、そのひとつはピサの強大化です。ドーフィネ公やサヴォイア公などとの(Plotによる)戦争に右往左往している間にトスカーナ方面ではピサが大きく勢力を拡大しており、周辺を自分より強大な国で囲まれてしまったので、軍事力に訴えづらい状態となってしまいました。 前回妻の死にあれだけ狼狽えていたAmaneusでしたが、今回になって急転して再婚を決めています。こういうところにも中世の政略結婚の恐ろしさが垣間見えますね*2。
さて、ここで現実世界のシュヴァーベン大公について少し話しておきましょう。シュヴァーベン大公はもともと在地貴族としての性格が強かったのですが、ハインリヒIV世のころに歴史の表舞台に登場します。ハインリヒIV世は教皇に破門され、これはカノッサの屈辱に至ることとなるのですが、破門された皇帝にはもはや正当性がないという主張のもと、対立王としてドイツ王を名乗ったのが当時シュヴァーベン大公にあったラインフェルデン家のルドルフだったのです。皇帝側は対立大公としてホーエンシュタウフェン家のフリードリヒを擁立し両者の争いが続きましたが、最終的にはホーエンシュタウフェン家が勝利し、敗れたルドルフの子孫(女系のため直系ではありません)は「ツェーリング大公家」を名乗っていくこととなります。 フリードリヒはハインリヒIV世の娘・アグネスと結婚しており、ハインリヒV世が継嗣なく死去し、ザーリアー朝が断絶すると女系の血族であったシュヴァーベン大公家(ホーエンシュウフェン家)は帝位の後継候補となりましたが、結局はザクセン公・ロタール=フォン=ズップリンブルクがドイツ王に選出されました。このロタールは即位の時点ですでに50歳と高齢で、かつ継嗣もありませんでした。このため、自らの後継者として娘の嫁ぎ先であるバイエルン公ハインリヒX世を望んでいたといいます。ところが、彼の死後になると、バイエルン公とザクセン公を兼ねる強大な皇権の出現を嫌った諸侯はこれに反対し、ホーエンシュタウフェン家のコンラートが次代の皇帝に選出されたのでした。これが神聖ローマ帝国におけるホーエンシュタウフェン朝の始まりになります。(イタリア統一を夢見たフリードリヒII世などを輩出しました。) さて、シュヴァーベン大公位に戻り、もう一度歴史を眺めていきましょう。ホーエンシュタウフェン朝が崩壊すると、シュヴァーベン大公位もホーエンシュタウフェン家の元を離れました。一方で、ツェーリング大公家はその後もひっそりと断絶せず続いていたようです。ハプスブルク家初のドイツ王となったルドルフI世は母方の曽祖父にツェーリング大公ベルトルトIV世を持ち、ツェーリング家の直系男系が断絶したこともあり、ハプルブルク家は名目上、シュヴァーベン公位も手に入れています。 ルドルフI世の死後、彼の遺産は息子であるアルブレヒトとルドルフII世とが(半々ではないにせよ)分割して相続するよう取り決められていました。ところが、ルドルフII世の早世もあり、兄のアルブレヒトが一括して土地財産を管理していました。このことに不満を覚えていたルドルフII世の遺児ヨハンは1308年、ドイツ王アルビレヒトを暗殺します。そして、この事件以後、ハプスブルク家は一時的に勢力を縮小することとなったのでした。この後長きに渡ってハプスブルク家内でヨハンの名前が忌避されたと伝えられていますが、それと同じようにヨハンが(実権の伴わない称号として)帯びていたシュヴァーベン大公位を敢えて名乗る人物も現れず、ヨハンが歴史上最後のシュヴァーベン公とされています。 シュヴァーベン公位は、ホーエンシュタウフェン家とハプスブルク家という神聖ローマ帝国を代表する2つの王朝に関連しています。何はともあれ、シュヴァーベン公位の獲得は縁起の良いものではありそうです。 なお、本プレイでのシュヴァーベン公はハインリヒIV世が破門を受けず、そのため、ラインフェルデン家は対立王とならず、ホーヘンシュタウフェン家が擁立されることもなかったため、ラインフェルデン家によるシュヴァーベン公家がAgatheの代まで存続していました。