Svend IIの最も特筆すべき点は子沢山であることだ。
1066年47歳で11男4女を設けている。と
を併せたFertility35%ボーナスは伊達ではないらしい。
15子のうち既婚者2人、若死1人で、結果として12子が婚姻の材料として利用できる。
そして、全員が私生児である。
自分もノルドの男ですから
陛下、カトリックじゃないですか…
だからちゃんと認知してるだろ?
たまげたなあ
デンマーク王国は9プロヴィンス33demesneからなり、約半分の4プロヴィンスが王領である。 封建選挙による相続制をとっている。さらに王国内の公爵位持ちは1人(第一王子)しかいないため、投票者は王と第一王子のただ2人だけである。 投票数が同数なら王が支持した方が第一継承者になるため、現状では継承者を自由に選べる。
最強女子力(土地)を誇るマチルダちゃんに第三王子を婿入りさせたのを皮切りに、有力貴族や王、或いはその子女との婚姻をすすめる。 また、Svend IIは本妻とは死別していたので、能力本位で嫁を探し、Basque人の若い嫁を迎える。
LiubiceのNakonid家にデンマーク王国のde jureCBにて宣戦、1067年10月に屈服させる。 つづけてLiubice東隣りの蛮族勢力に聖戦を宣告する。HREの援軍4万を得て終始有利に戦局を進め、1069年1月に勝利。Mecklenburgを得る。
聖戦で獲得した領土を土地なし息子どもに配り、威信ペナルティUnLanded Sons(-0.1/Month)を全て解消する。
まだ下の子達がずらーっといるから、成人するまでにまた蛮族狩りで土地を得なければ…
陛下、このごろは女性領主も増えてきました。そういった方々との婚姻で威信ペナルティを回避されてはいかがでしょう
そんなんで回避できるの?
はい、できます。要はいい歳した無職が親元でブラブラしているのがいけないのです。領地持ちと婚姻した領地無しは結婚相手の宮廷に入りますのでペナルティを回避できます
よし。早速、縁談をとりまとめてくれ
畏まりました、陛下
幼年の王子達と幼女領主の婚約を成立させる。
ルーンストーン建設decisionが使えることに気づく。カトリックでも使えるのか…
宰相、ルーンストーン建設の手配を
陛下、碑文の主題はどなたになさいますか?母君か父君か陛下ご自身か選べますが
うちの両親あんまりパッとしなかったからなー、俺を主題にしといてくれ
数カ月後、100Goldを費やしルーンストーンは完成した。威信値ボーナス300
ちょwwwwww "parent of countless bastards"(私生児をたくさんこさえた)とか書くなよwwwww
まー事実ですから。しょうがないですよ、陛下(ニヤニヤ
…事実か…そうだな…事実はそうだ……
…陛下?
でもやっぱり蛮族狩りはします!
Pomeraniaを占拠する蛮族の2勢力に聖戦を宣告。終始有利に戦局を(ry 1080年9月、一方の蛮族勢力に勝利。Pomerania西部を獲得。 1082年1月、残るもう一方の蛮族に勝利するのも間近かと思われたが…
あっ、聖戦が途中でおわったぞ
変ですね。たとえ当主が死んでも聖戦は継続されるはずですが……
どうやら、蛮族首領がキリストの教えに帰依したようです
ッチ、根性は無くても知恵はまわるようだな
よいではありませんか。これでスラブを奉じる独立勢力は居なくなりました。聖戦本来の目的からすれば、戦略的勝利と言えます。これでよしとしましょう
1082年3月、Svend II病没
後の世の歴史家はSvend IIをこう書いたという
積極的に異教徒への外征を行ったことで知られる。また、多くの子を成し神聖ローマ帝国諸侯と広く婚姻関係を結んだ。 (略) 多くの私生児をもうけたことはよく知られているが、2人の本妻との間に子をもうけなかったことはあまり知られていない。 また、カトリックへの強烈な信仰を持ちながらも、力を恃むノルド文化を捨てきれなかった二面性から、 一部の歴史家は性的倒錯者であった可能性を指摘している。 編著:臼田陽, "スカンジナビア帝国史 第1巻", p78-79, 民明書房, 1967
指名により第七王子Erikが王位を継承した。
King Erik I of Denmark (作成中)