神聖ローマ皇帝Heinrich VI世
次男Dietmar
リェイダ伯=元帥Ruprecht
バルセロナ伯=密偵長Ruprecht
バルセロナ伯とリェイダ伯は互いに甥と叔父の関係にあたり、いずれも「天才」バルセロナ伯Philipp de Viennneの子孫である。
皇帝に即位したAdalbert。しかし既に高齢であり、まもなく死去した。その跡を継いだのはノイエンブルク朝の皇統にも当たるHeinrich VI世だった。
聖戦でセビリアを獲得し、ブランデンブルクとマイセンを再統合した。
父上、精がでますね。
ブランデンブルクとマイセンが独立した理由が未だ不可解だがな。
2ヶ国がHeinrichによる帝国の継承時に自動的に独立した。これについての考察は章末に記載する。
確かにそうですね。
殿!!!大変です。
そんなに慌ててどうしたんだ、密偵長?
教皇が、十字軍を呼びかけるようなんです。
なんと!渡りに船じゃないか。
それが……。目標はハンガリー。あの黄金のオルドが領有する土地なのです。
黄金のオルドは大帝国を作り上げている。
そうか!すぐに応じよう。モンゴル連中にお灸を据える良いチャンスだ。
皇帝!だめです!
何故だ?わが軍は向かうところ敵無しだというのに。
いいえ。彼奴らの軍事力は我々を凌駕しています。
強大な軍だな……。。。
今回は十字軍です。我々は独りではないですよ。
ああ、その通りだ。傭兵を雇い入れ東へ派遣せよ。シュトゥットガルトからならば敵に先んじて戦地に辿り着くはずだ!
お言葉ですが、陛下。
どうしたんだ、元帥まで。
奴らの軍事力は、その兵力だけではありません。
どういうことだ?
これをご覧下さい。
奴らの主力です。ものすごい数の軍勢ですが、注目して頂きたいのはこの季節です。
冬だね。
ええ。ハンガリーは荒地が多く、兵站が困難な土地です。
ましてや冬の寒さとなれば、我々だったら1万人規模の軍勢を維持するのが精一杯だろう。
ええ。彼らの本当の強さはここにあります。我々は同規模の軍勢で野戦を挑むことさえできないでしょう。
しかし、教皇の呼びかけを無視する訳にもいくまい。破門されてしまうのが目に見えておる。
いえ、ですから、応じるなとは一言も申し上げてございません。
え?でも、勝ち目が無いんでしょう?
元帥。何か良い作戦があるということだな。
ええ。まずは思い出して下さい。10年前のイベリア半島を。
1304年、帝位継承から1年も経たないHeinrichはジハードの標的となったがなんとか撃退に成功した。
特に同数の敵を一方的に殲滅したタラゴサの戦いやサン・クガの戦いは歴史にも名高い会戦であった。
その通りだ。
戦況は我々が圧倒的に優勢でしたが、それでも敵軍は3年もの間、粘りだけで戦っていました。
まことに、しつこい奴らだったことよ。
1309年、我々はジブラルタル海峡を越えました。そして、敵のプロビンスのひとつを完全制圧*1したのです。
敵地を占領する帝国軍。
残りの50%の勝利ポイントはジハードの標的であるアラゴン王国が完全に領有下にあることから得ている。
たったひとつのプロビンスの攻略が3年に渡った野戦に勝る結果を残したということです。
なるほどな。
何も、野戦での勝利にこだわる必要はありません。敵地の占領を優先すべきでしょう。
しかし、ハンガリーでの戦いに勝利せずして、どうやって奴らの領地を攻め落とすというのだ?
良い手があります。
南方艦隊、北方艦隊はそれぞれ4万ほどの兵力を抱えている。 乗船ができない場合は、船団を合流させるなどうまく工夫することが必要だ。
ジェノヴァ沖とフランドル沖に大艦隊を用意しました。
ほう。
そこから北方艦隊はバルト海へ、南方艦隊は黒海へ向かわせます。
敵の背後を取るのだね。
そういう事です。敵軍の遊撃隊が接近したら船上に引き揚げて下さい。奴らはそこまでは追いかけてきません。
あ、それから、北方艦隊は冬が訪れたら一旦撤収るというのはどうでしょう?
宜しいのではないでしょうか?船のなかは暖かいですから。
……。お前の作戦は完璧だな。
ジハードの撃退や十字軍を成功に導いたことなどにより、皇帝Heinrich VI世はいつしか「授福帝」とあだ名されるようになっていた。
全エピソードのなかで最も多くの回数のリロードを行った場面です。(とはいえ、実際にリロードを繰り返したのは何とかハンガリーでの野戦でモンゴル軍を打ち破れないかと四苦八苦していたからで、それを諦めてからはほとんどしていません。)
モンゴル軍は移動速度が速く、攻撃力も高い、そのうえ冬の荒地でも消耗しないというチートに近い特性を持っており、さらに合計10万に近い大軍を動員してくるため、正面からの野戦でこれを打ち砕くのは極めて困難です。特に、ハンガリーのようなインフラの低い内陸ともなればなおさらのことでしょう。しかし、戦争の規模が増大するにつれ、野戦の価値が相対的に低くなることもまた事実だと思います。 野戦によって得られるポイントは勢力全体で動員可能な兵力に応じて変動し、同じ規模の軍勢を倒した場合でも、巨大兵力を誇る敵が相手の場合、得られる勝利ポイントは小さくなってしまいます。一方、占領による勝利ポイントは比較的に変動が少ないため、相対的に価値が上がる訳です。さらに言えば、国の総動員兵力が大きくなっても、各城を守る守備兵の数は変わらないため、強襲攻撃(assault)が成功しやすく、攻囲戦によって膨大な時間がかかるという欠点も補われるのです。 今回の黄金のオルドとの戦争では、ハンガリーでの激突を避けつつ、背後に回り込み、クリミア半島やバルト海周辺の占領を試みました。これには複数の意味があります。まず重要なのは主力軍同士の野戦の回避できることですが、それに加え、ハンガリーよりも背後の地域の方が城砦レベルが低いプロビンスが多く、10000人程度の軍勢で強襲攻撃を掛けられる場面が増えるからです。さらに、モンゴル軍の本体をハンガリーから遠く離れさせることで、ハンガリー領内のプロビンスを占領する隙を作ることができます(ハンガリーの全プロビンスを保持された状態だと時間とともにモンゴル側に勝利ポイントが加算されてしまいます)。
黄金おオルドの主力部隊は合計でおよそ10万の兵力を持つ2つのユニットです。彼らは各個撃破を避けるため、両ユニットはそれほど離れて行動することがありません。このため、遠く離れた複数の領土に敵軍が侵入してくる状況にあまり対応できないのです。一般に、陥落した領土の回復よりも版図内の敵の軍隊の排除を優先するため、いくつかの目標を攻略した状態で海上に引き揚げてしまうと、陥落した土地を放置したままで遠方の敵軍を追いかけてしまうことが多いのです。
クリミア周辺、バルト海周辺に数プロビンスずつを占領し40%程度ずつの勝利ポイントを得ている。
十字軍は成功し、ハンガリー王にはデンマーク王の叔父が就いた。
Heinrichの継承の際にマイセンとブランデンブルクが自動的に独立しました。独立したといっても、臣従を要求するといずれも承諾してきましたし、そのうえ、両国の公位とブランデンブルク伯位のstrong claimが発生したので何も損はしていないどころか、(いつでもブランデンブルクを直轄化できるという意味で)むしろ結果的にはおまけがついてきたようなものではあったのですが……。
この現象の原因ははっきりしませんが、継承によってVessal Limitが41→39と減少していることとが関連しているかも知れません。チートコンソールを利用してAdalbertを殺害し、継承を検討した結果、ザクセン公国を加えた3ヶ国のうち1~3ヶ国が独立するという点では再現性があったものの実際にどの国が独立するかにはばらつきがありました。また、これらの公のAdalbertのopinionを上昇させても独立現象には変化がありませんでしたが、あらかじめ封臣の数を39以下まで減らしておいたところ、この現象は起きなくなりました。