776年2月。
ううむウマイヤめ、順調に南進して勢力を拡大しておるではないか…
我々としては、北のカール大王のヒスパニア征服への興味を失わせるためにも可能な限り早期に地中海に打通せねばならんというに。
急報です!ウマイヤはピレネーを超え、大フランク王国に進出を開始しました!
何!だがかの大国は兵力においてウマイヤにも勝るのではないか?
どうやらフランクはザクセンに対して攻撃をするも苦戦しており、兵が減少している模様です。
なるほど…だがこれはウマイヤもモーリタニアのばらばらの諸侯を攻めたようにはいくまい。
もしやすれば好機が巡ってくるやもしれぬな。「横合いから思い切り殴りつける」ためのな!
翌777年9月。
斥候を放ったところ、ウマイヤ軍はとって返したフランク軍を撃破するも
兵を4200まで減らしております。城砦への強攻を繰り返したこともあるでしょう。
それなら今まで貯蓄した金で傭兵を雇えば勝利の目が無くはないな!
すぐに連絡をとって傭兵3000を雇用!数の上では僅かに上回るぞ!この兵力をもってナヴァラ地方を再復する!
779年1月。
780年3月。
すでにナヴァラ一帯の制圧は終了した、敵部隊の補足に全力を挙げる!
10月。
ウマイヤ―フランク間が白紙和平を締結!ウマイヤ全軍が我が方へ向かってくることになります!
これで我々単独での戦いとなるか。だがすでに相当に戦勝点を稼いでいる、このまま押し切る!
781年9月
ついにアブド・アッラフマーンはナヴァラ地方を放棄すると明言しました!
い良し!実に30年ぶりに国土を奪い返したわけだな。まだまだ前途多難ではあるが、今後も富国強兵に励んでいこうではないか!
これでさらなる体勢を作る時間を稼げるというものだ。キリスト教徒の乱に協調できぬのは心苦しくはあるが…停戦期間のこともある。
それから10年、791年8月。
アブド・アッラフマーンが倒れ、次男のヒシャームが後継しました!