即位したときはわずかに一歳。父帝の暗殺の再現を恐れてかどうかわかりませんが、密偵長が摂政に就任しました。
ここで反乱公爵の一員であるアドリアノポリス公爵が死去。これでアドリアノポリス公爵家が反乱から脱落しました。こいつが色々と仲間を募っていたようでもろもろの公爵も反乱取りやめとなり息がつけるようになりました。
その後反乱を起していた残り2公爵を叩いていると、アナトリア側の公爵が反乱をおこしたりとありましたが最終的には1147年にすべての反乱を鎮圧し、反乱警報のポップアップも消えました。
1154年までのんびり内政をしましたがルーム・セルジュークで内戦が始まったのでパプラゴニア公爵の領土を求めて戦争を開始しました。一年ほどの短い戦争の結果パブラゴニア公爵領を奪還。一族に領土分配という形で決着しました。また停戦明けに領土奪還を行いたいと思います。
アテネといえば古代ギリシアの偉大な都市国家です。そこを納めているアテネ公が反乱を起しました。というのも理由がありまして前回の大反乱祭りのときにアテネ公もちゃっかり反乱しており鎮圧の結果アテネを奪い取ったんですね。身代金で牢から出してやったので停戦明けで再度反乱という次第です。
今回は続く封臣もおらずあっさりと鎮圧。アテネ公爵の位をそのものを奪いました。そしていつものごとく分家のなかから後継者になっていない人をつれてきてアテネ公爵の位を与えました。とりあえず全公爵一族で埋め尽くせればなと思います。
などとアテネ公と戯れている間にヨセフ一世もついに元服しました。管理能力の高い人物に教育を任せていたので予定通り管理能力の高い結果となりました。教育は誰に担当にさせるかものすごく難しい問題ですがこのように期待通りになることはめったに無いです。下手な部下にまかせるといい特徴がついてもそれを投げ捨てて悪い特徴をつけてくれたりするので出来るだけ後継者候補は自分で教育するべきだと思います。
さらに管理能力の高い嫁を迎えてきたので14の領地を管理できるように。このあたり管理能力をとるか陰謀をとるか悩みどころですが個人的には管理能力重視で嫁を選んでます。もちろん未婚の若い当主になった女性がいればそれが最優先ですが
1159年には娘のカレが誕生。1160年には息子のアレクシオスが誕生。