ブルグンド王Adalbert
Sancho de Toulouseトゥールーズ本家の亡命者
トゥールーズはアキテーヌ王国領であったが、王権への反骨心が強く、たびたび叛乱を起こしていた。Pons-Guilhem V世がボルドーの牢獄で獄死すると、近縁者がみな幼年であったことから家督争いが勃発した。最終的に公位を継承したのは前公の従兄妹Douceだったが彼女が戦争によってトゥールーズを獲得したことに、納得しない者も多かったようである。
Pons-Guilhemという一風変わった名前と戦死(あるいは獄死)することがトゥールーズ家の伝統だ。 Douceの公位獲得がConquered as Claimantとなっている所にも注目。
君がSancho殿か。
Adalbert様。はじめまして。
良くぞ来てくれた。
ブルグンド王直々のご招待ですから。いったいどうしたというのです?
Sancho殿、君はトゥールーズ家の血を引いていると聞いたが。
ええ。私は、先のトゥールーズ公、Pons-Guilhem V世の弟に当たります。
そうか。だが、現在はイングランドに居住しているらしいではないか。
そうです。我が兄、Pons-Guilhemはアキテーヌ王に反旗を翻し、戦に敗れ、牢獄で亡くなりました。
さぞ辛かったであろう。
はい。ですが、本当に辛かったのは兄の死ではありません。あの時、私はまだ2歳でしたから。
左様か。
本当に辛かったのは、兄の死後、従兄妹のDouceが公位を簒奪し、国を追われることとなったことです*1。
なるほど。
未だなお彼女の子孫が我が物顔でトゥールーズを支配していることを思うと、今でも血がたぎります。
Sancho殿。その気持ち、よく解ります。ですから今日は、我がブルグンドの宮廷の一員とならないかとお誘いに御呼びしたのです。
勧誘か。しかし……。それとこれとは……。
トゥールーズを放っておいても良いのです?
領国を奪回することは私の悲願です。ですが、人様の軍隊を使う訳にはいきません。
Sancho殿はトゥールーズ家と我がボソン家の関係をご存知だろうか?
ボソン家と……。いや、知りませんな。
では、ボソIII世公をご存知ですか?
すみません。存じ上げません。
彼はプロヴァンス公位*2をボソン家が世襲するようになった最初の人だ。私のご先祖様とでも言えばわかりやすいかな?
はい……。
ボソ公にはふたりの息子がいた。長男のRotbaldと次男、Guilhemだ。
そうなのですね。
ボソ公は死後、ふたりの息子にそれぞれ公位を相続したのだ。
Rotbaldの家系とGuilhemの家系の双方がプロヴァンス公位を受け継いでいる。 史実ではAinaを通じて、プロヴァンス辺境伯位(単なる伯よりも上位の称号)とともに多くの所領がトゥールーズ家に受け継がれた。
そのようなことが許されるのでしょうか?
そういう時代だったということよ。だが、Rotbaldの家系は残念ながら断絶してしまったと言われている。
ではAdalbert様はGuilhem公の子孫なのですね。
その通りだ。だが、実のところRotbaldの家系は本当に断絶した訳ではなかったのだ。
といいますと……。
Rotbaldには孫娘がいてな、たしか、Ainaという名だったはずだ*3。
はい。
Ainaは、嫁ぎ先でひとりの息子を遺している。彼の名前をPons-Guilhemと言ったそうだ。
!!私の兄と同じ名前だ!この名前を持つのは、我が一族をおいて他にあるまい。
そうだ。私がGuilhemの末裔だとすれば、君はRotbaldの末裔なのだ。
そういうことだったのですね!
お主の面倒は私が見よう。ささやかではあるが、北イタリアに所領も与えることとする。
本当ですか!ありがとうございます。
来てくれるというのだな。ありがたい。
もちろんです。
だが、戦争はまだだぞ。戦は頃合を見ることが最も重要なのだ。
1288年、ラングドックで再び大きな叛乱が勃発した。この地域での叛乱はもはや日常茶飯事であり、誰もそれを特別な問題と捉える者はいなかった。だが、Adalbertはまさにこの瞬間を待っていたのだった。すぐさま兵を準備したAdalbertは、トゥールーズ領内に進攻。59歳となっていたSanchoも、指揮官の一人として従軍したという。
ラングドックの叛乱に乗じて攻め込むブルグンド軍
戦闘は1年以上に渡って続いたものの、ブルグンドの優勢に終始し、1290年にはトゥールーズ全域にその支配を確立した。これを期に、トゥールーズは神聖ローマ帝国の版図に組み込まれ、Sanchoは晴れてトゥールーズ公位に就いたのだった。 トゥールーズの確保はAdalbertにとっては悲願といえた。本領のプロヴァンスとレコンキスタへの介入により獲得したアラゴンの領地は遠く離れてはいなかったが、その間に横たわっていたのがトゥールーズだったからだ。イベリア半島とアキテーヌの両面作戦を敢行してまでこの領地を手にしたのはそれだけの理由があったのだ。
ブルグンド王国の版図は並みの王国を凌ぐ規模にまで拡大した。
CK2では臣下のCBを用いて開戦を布告することができます。都合の良いClaimを持った臣下がいつでもいるとは限りませんから、そういう場合は他家から引き抜くのが最も簡単です。引き抜きが可能な条件はやや厳しいですが、無役の廷臣でさえあれば可能性はあります。引き抜きたい人物の自分へのopinionと現在の主君へのopinionも引き抜きの可否には影響しますから、send giftでopinionを上げたり、密偵長を派遣して主君の信用を失墜させたりすることが有効でしょう。(どれだけ頑張っても引き抜けないケースもあるので、そういう場合はひとまず諦めて下さい。主君が死去して性格の合わない主に換わることを期待しましょう。)特にSanchoのようにStrong Claimを持った人物は非常に有用です。Weak Claimは当主が女性か子供かの場合、あるいは、投獄されている、再起不能など特殊な状態でしか使えないClaimなので、戦争を急ぐのであれば、Strong Claimを持った者を狙いましょう。 臣下の引き抜きに成功したら、まず行うことはその臣下に適当な封土を与えることです。こうすることで、自分の版図外に領地を獲得した臣下が独立してしまうことを防ぎます。(同じ王朝に所属する人物の場合は、これは不要ですし、宣戦布告をしてから所領を与えても問題ありませんが、領土は急に用意する訳にもいかないので、あらかじめ準備が必要です。)今回のケースではイベリア半島での聖戦によって直轄領の数が余っていましたので、収入的に主要ではない伯領を与えています。余剰の直轄領が無い場合、これは現実的ではないかも知れません。そういう場合は、自らの血縁者と結婚させ(男性を引き抜いた場合は女系結婚にすることをお忘れなく)、次代での戦争を狙うこと(血縁者となるので領土を与える必要がなくなります)も可能です。 引き抜きでの宣戦布告に有用な人物
あとはtraitを見ながら選びましょう。たとえば、contentを持っていれば叛乱を起こす危険性は低くなります。逆にambitiousを持っている人物を敢えて選び、叛乱を誘発して領国を回収する手もあります。充分な軍事力(あるいは資金力)さえあれば比較的簡単に拡張できてしまうので、この方法は縛りプレイで縛られることも多いようです。