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AAR/サセックス家年代記

AAR/サセックス家年代記/ケント公ジョージ1世賢公の治世・後半

ケント公ジョージ2世の治世・前半(805~824)

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「こんにちは。2代目ケント公爵ジョージ2世だよろしく。」

「今回も、自分以外のイングランド人がみんな未成年なので、登場人物はオレだけだ。それと多少時代が前後することがある、読みずらいだろうがカンベンしてくれ。」

「まずはオレのステータスだ。」

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やっぱり片足がない なお上記SSは就任後しばらくたった後のものです

領地経営

ケント公に就任したジョージ2世の最初の仕事は、遷都だった。 西暦805年6月17日、ケント公ジョージ2世は首都をサセックスの地からミドルセックスに移した。 また、同日いまだ未成年の腹違いの弟アルフレッドにサフォーク伯爵を与えた。

「やっぱり首都はロンドンにないとね。」

「あと、一族の男子の数がすくなすぎる!!直轄領オーバーのペナルティが痛い。親父よどうしてもうちょっとがんばってくれなかったのか。」

待望の息子たちと婚姻政策

西暦807年7月27日ケント公ジョージ2世に待望の長男ジョージが誕生した。 「偉大なる親父の名から命名したのだ。」

西暦807年8月18日ジョージ2世は、当時まだ8歳だった二女カスリーンを時のビザンツ皇帝バシレウス・ニケタス・イサウロスと婚約させた。 「まさかまだ一地方豪族のサセックス家からビザンツ皇后が出るとは思っていなかった。まだ決まったわけじゃないけど。」

西暦809年1月27日二男エドワード誕生 「この子だけ誕生時のスクショがなかった。悪いことしたなぁ、誕生日がわかったからいいけど。」

西暦810年10月27日三男クリストファー誕生 西暦812年2月27日三女ベアトリス誕生 西暦815年2月27日四男ユースタス誕生 「この家系は27日生まれの子が多いな。思い返したら長女も次女も3月27日生まれだった。」

「息子は通常結婚、娘は女系結婚を基本として我が家系を増やしていくこととする。またその相手には天才・明敏・強健などの優秀な遺伝子を持つ者を基本あてがっていく。」

第一次ケント=ウェセックス戦争

以下現在工事進行中。SSも順次添付していきます。


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